未来視の追放令嬢は、すべてを知って微笑んだ
「リリシア=ヴァレンティア。お前との婚約を、ここに破棄する!」
華やかな音楽が止まり、静寂が舞踏会を包んだ。
真紅のドレスを纏った私は、グラスを片手に王太子の言葉を静かに受け止めた。
「理由は言うまでもないだろう。貴族としての品位を欠き、私の新たな婚約者であるアリシア嬢に対し、度重なる侮辱と嫌がらせを……」
「分かりました」
私はその声を遮るように、静かに答えた。
「婚約破棄を、受け入れますわ。王太子殿下」
そこに涙はなかった。怒りも、戸惑いも。
ただ、最初からその言葉を知っていた者のように、私は微笑んでいた。
なぜなら、私は“未来”を見ていたのだから。
***
未来視。それが、私に宿った異能。
十六の誕生日を迎えた夜、私は突然その力に目覚めた。
「お前は、この国に災いをもたらす悪役令嬢だ」と断罪され、広場で火刑に処される――そんな自分の未来を、夢のように見せられたのだ。
最初は悪い夢だと思った。だが何日も、何度も、繰り返し見せられるその“未来”に私は確信を得る。
これは幻ではない。避け得ぬ現実。
そして私は決めた。
この未来を、変える。
私の命はどうなってもいい。だが、国が崩れ、争いと裏切りに塗れる未来は――どうしても、受け入れられなかった。
***
王太子アルノルトは優秀な方だった。ただ、あまりにも“周囲を信じすぎる”という欠点を除いて。
未来視で見た彼は、後にアリシアという庶民の令嬢を愛し、私を断罪する。
だがそれは、全てアリシアの策略。彼女は民の支持を得るために私を陥れ、王太子の傍を奪ったのだ。
それにより、王太子は孤立し、王国は戦争へと転げ落ちる。
──ならば私が“悪役”になればいい。
アリシアの挑発にあえて乗り、彼女の無礼を咎め、周囲から「高慢で嫉妬深い令嬢」と罵られるようにふるまった。
王太子が私を憎むように仕向け、婚約破棄の“舞台”を整えてやった。
本当に、滑稽な役回りだった。
未来視に見えた台詞の通り、私が処刑台に立たないために。
国が崩壊しない、最良の未来のために。
それでも――
未来が変わったとしても――
私の存在が消えてしまう未来でも、構わなかった。
***
そして迎えた今日が、“未来”で見た婚約破棄の日。
私は正しく悪役を演じきった。
その直後、アリシアが涙ながらに王太子の腕に縋りつく姿を、私は遠くから見ていた。
ふふ、と少しだけ笑ってしまう。
見せ場は完璧。誰にも文句のない見せしめの劇場だ。
だが、それで終わりではなかった。
「……リリシア様!」
舞踏会の裏手、人気のない回廊で、私を呼ぶ声がした。
振り返ると、そこにいたのは――
「……レオン?」
レオン=アズフォード。王宮直属の文官であり、私の幼馴染。
「君、どうしてあのまま受け入れたんだ!? 王太子の言葉、全て事実じゃない!」
「いいの。分かっていたことよ」
私は静かに言った。彼にだけは、本音を隠さなくていい。
「私は“未来”を見たの。あのままでは、国が滅びてしまう未来を」
「未来……?」
「私が彼に見限られ、アリシアが側にいる。それが唯一、国が戦争を避ける未来だった。だから、私は……“悪役”を演じたのよ」
レオンはしばらく黙っていた。
やがて彼は、私の手を取った。
「だったら――今度は僕が、君の未来を変えてやる」
「え……?」
「誰も君を知らないなら、僕が知ればいい。君の強さも、優しさも、全部」
その瞳はまっすぐで、あの“未来”で見たものより、はるかに温かかった。
***
数年後、王太子はアリシアの失脚とともに退位した。
陰謀が明るみに出た時、私はすでに王都にはいなかった。
名前を捨て、レオンと共に辺境の村で、新しい人生を歩んでいた。
ある日、ふと“未来”が見えた。
そこには、レオンと手を繋ぎ、子供たちに囲まれて微笑む私の姿があった。
私はそっと目を閉じた。
──この未来なら、信じてみてもいいかもしれない。