表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

軍艦モノ

《安芸》〜沈黙の設計者〜

作者: 仲村千夏

 「“早すぎた”ことを誇って沈む艦など、私はつくらん」


 横須賀造船所・第七設計班の長、北園耕作技師は、上からの命令書を無言で丸めて机に投げ捨てた。


 命令内容は、こうだった。


 ――《薩摩》と同型艦として《安芸》を建造せよ。

 ――基本設計は共通。砲配置・機関構造を原則流用。

 ――開発遅延は許されない。


 つまりは、二番艦を“量産仕様”として作れということだ。

 しかし北園には、それが耐えられなかった。


 「同じ艦を作って、何の意味がある。薩摩が“剣”ならば、安芸は“盾”であるべきだ」



 北園は、真逆の設計思想を掲げた。

 主砲こそ31センチ連装砲3基を踏襲するが、それ以外はほぼすべてを見直すと決めた。


 《薩摩》が目指したのは“速力と将来性”。

 一方、《安芸》が目指すのは“耐える艦”、そして“即応可能な実戦艦”。


 そのために、北園は三つの大胆な改変を行った。



一、装甲配置の再構築


 《薩摩》では砲撃の衝撃を逃がすために、甲板装甲があえて軽めに設計されていた。

 だが北園は違った。


 「初弾を受け止めねば、速力も火力も無意味だ」


 彼は、バイタルパート(弾薬庫・機関部)を守るために、中央装甲帯に傾斜装甲方式を採用。さらに甲板装甲を1.5倍厚く、砲塔防御も強化。

 これにより重量が増し、速力は《薩摩》より3ノット劣る予測となった。


 それでも彼は言い放つ。


 「生きて港に戻れる艦が、次の戦いを勝たせるのだ」



二、主機の研究艦化


 《安芸》では、新開発中の高圧蒸気ボイラーが搭載されることになった。

 これも、北園が“整備性と耐久性”の向上を理由に直談判でねじ込んだ代物だった。


 「薩摩の速力記録? 立派なことだ。だが3回走って3回とも整備に戻ってくる艦に意味はあるのか」


 新型ボイラーは未成熟だったが、整備性と耐熱寿命に優れ、航続距離の延伸にも寄与した。

 その後の艦隊運用で《安芸》の稼働率は高く、「最も常に前線にいた艦」と呼ばれるようになる。



三、艦橋・指揮系統の強化


 《薩摩》では艦橋が低重心構造であったが、北園は戦時の指揮機能を最優先として、あえて大型艦橋を採用。

 電気式伝令機や各砲塔への独立伝声管の設置、探照灯管制機構など――今で言う「CIC(戦闘指揮所)」の走りであった。


 これはのちに、後続艦や金剛型に大きな影響を与えることになる。



 建造は計画通り、静かに、確実に進んだ。

 華やかさはなかった。視察の大臣が来ても、歓声もなかった。


 だが試験航海において、《安芸》は予定された全科目を一発で合格。砲撃精度、運動性能、航続距離、冷却効率――すべてで高い評価を得た。



 その完成を見て、設計主任の北園はこう書き残している。


 > 「この艦は薩摩の妹にあらず。

 > これは“戦いの終わり”を知る艦である。

 > 命を、できる限り遠くまで届け、そして守る。

 > 誰が見向きしなくても、私はそれを“本当の戦艦”と呼ぶ」



 のちに《安芸》は、実験艦としても最前線でも沈まず働き抜き、後に控える《能登》《対馬》の礎となった。

 その堅牢さから、海軍内ではこう呼ばれていた。


 ――「沈まぬ影」


 それは、誰も知らぬ英雄の名である。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ