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絶望の顛末


 一体戦争がいつ始まったのか、学のない男は知らない。勿論、終わりについては更に知らない。現在戦場にて、敵国の兵と睨み合っている真っ最中である。ずっと、争っている。どうして争っているのか分からない。だが、この世に生まれたその日から、敵国を倒さなければいけないと聞かされ続けていた。本当はこんな事したくない。でも国の命令だから逆らえない。知り合いが死んでいく。次は自分かもしれない。故郷に帰りたい。畑を耕して、静かに暮らしたい。望んでも実現しない。戦争が終わらない。

 嫌な毎日の連続だ。

 今日も、明日も明後日も、十日後も、百日後だって同じだ。知っている。知っているから絶望する。でも他に生き方がない。貧しい農家の三男坊として生まれた。戦場に行かなくてもいいのは、長子だけだ。後は全員、戦場行き。それでも、十年耐えれば帰ることが出来る。それだけを希望に生き延びている。戦場には男も女もない。兵として志願できるのは、十三歳から。猶予は二十歳まで。特別な理由がない限り、免除はない。基本は十年だが、更に十年いれば、国から褒賞が与えられる。男は十六歳で志願した。今、二十一だ。全てにおいて、まだまだであった。だから今日も生き延びる事だけを考える。死ななければ勝ちだ。時々、四つ下の妹の事を考える。既に記憶にある姿とは違うだろう。どうせ戦場に送らねばならないのに、民は子を儲ける。男は、五人兄弟だった。産めば産むほど、国から金と食糧が与えられるのだ。よって、貧しければ貧しい程に、産んだ。戦場で殺し、殺されるために。

「なあ、今、光らなかったか?」

 薄汚れた地面ばかりを見ていた最中、近くから声が聞こえた。知らない声だった。余り知り合いがいなかった。いても、直ぐに死に、入れ替わるからだ。つられて空を見上げてみれば、確かに何やら光が見える。稲光だろうか。しかし、晴れている。晴天だった。妙な胸騒ぎを覚えた。それは、男だけではなかった。ざわめきが大きくなる。光は一つではなかった。天高く光る何か。いや、光っているだけなら良かった。そうではない。そうではないのだ。

「逃げろ!!」

 誰かが叫んだ。声に突き動かされるが如く、男は走った。心臓が高鳴る。周りの事等どうだって良かった。生き延びれば勝ちなのだ。例え味方を見捨てたとしても。転んだ誰かを踏みつぶしたとしても。早く早く、逃げなければいけない。呼吸が上手く出来ない。もっと早く走れるはずだと己を叱咤する。なのに足が重いのだ。恐らくこれは、恐怖からくる鈍さである。今、男は恐れていたのだ。突如として上空に現れたものは、数年戦場にいるが、初めて見る代物であった。敵国が新しい兵器を導入したに違いない。あんなものが直撃したら死ぬ! 光は大きな刃であった。人間よりも何よりも、ドラゴンや見た事のないような凶悪な魔物よりもずっと大きく光る刃であった。その凶器が空から一直線に地面に向かって落ちてきたのだ。まかり間違っても当たったら死ぬ。勿論、一人ではない。大勢死ぬ。それ程巨大なものが、それも、複数落ちてきたのだ。大地に刺さる。地面が揺れる。余りの衝撃に立っていられず、膝を突いた。男は比較的戦場の後ろの方にいた。まだ、敵陣に突っ込む前であった。幸運だった。何故なら前の方にいた兵は、巻き添えで死んだのである。有無を言わさず、刃に巻き込まれて死んだ。しかし、死はそこで終わらなかった。刺さった刃は直ぐに消えた。空気に溶けるようにして、消えてしまったのだ。それで安堵したのも束の間、今度は地面に変化が起きた。刃が刺さり出来た穴が、どんどんと広がり出したのだ。

「下がれ! 下がれー!!」

 ぼろぼろと、土壁が崩れるように地面が抉れて行く。巻き添えを食らえば、下に落ちると分かる。亀裂が出来て、大地が割れていく。刃に殺された人々の死体が、吸い込まれるようにして消えた。落ちたのだ。だが、誰も構っていられない。留まっていれば、同じ目に遭うと分かる。走った。生きている全員が走った。走って、走って、走って、後ろから悲鳴が聞こえる、誰かが落ちた、未だ広がっているのだと分かる、走って、走って、走って、もう何が何やら分からなかった。でも、走らなければ死ぬのだ。足を止めたら死ぬ。こんな所で、こんな死に方は嫌だ。何て酷い兵器だ。男は内心で悪態を突いた。まさか、相手側も、同じようにこちら側を詰っているとは知らずに。

 そうして、どれくらい走ったのか、男は、生き延びたのだ。

 誰かが足を止めた。死ぬ気か、と、思ったが、止まったのは一人ではない。だから漸く立ち止まる勇気が湧いた。足が震える。疲労か、恐怖かは分からない。荒い呼吸をしたまま、振り返る。

 地面が、無くなっていた。

 まるで、突然巨大な川が出来たように、向こう側と隔たってしまっていたのだ。最早、敵国の兵士の姿は見えない。彼方も走って逃げた上に、そもそも距離があり過ぎて、見えなかったのだ。空を飛ぶ生き物でなければ超えられない、それ程の広大な地面が消えていた。

 誰もが呆然と突っ立っていた。

 風が吹く。

 どうしていいのか、分からない。男はあくまでも下っ端である。下級兵士だ。命じられた事しか出来ない。果たして、命ずる側の人間は、生きているのか。誰かこの状況を理解している者がいるのか。戦争は、どうなったのか。どうなるのか。敵国は、最早、遥か向こうである。直接刃を交える事すら出来ない。ならば、どのように、争うと言うのか。

 もしかして、戦争は、終わったのではないのだろうか。

 口に出して問いたい。

 だが、口に出したが最後、罰せられるかもしれない。男は、唇を噛んだ。

「おい、何か、動いてないか」

 口を閉ざした人間がいるならば、開いた人間もいる。耳に入ったのは、曖昧な言葉であった。何かとは、果たして何か。言葉につられ、男は目を凝らした。成程、確かに動いている。いや、一体何が動いていると言うのか。人の姿は見えない。彼方側は、視認できるような距離ではなくなってしまったのだ。

「なんだ……ありゃあ……」

 震えた声で誰かが言った。恐怖が滲み出ていた。その恐れが伝染していく。ざわめきが大きくなった。何か分からない。いや、分かりたくないものが迫ってきている。

「警戒! 総員構えろ!!」

 警戒? 構える? 聞き慣れた指揮官の声に疑問を抱くより先に、武器を構えていた。この数年で身についた習慣である。男は農民の出だ。だが今はもう兵士であった。武器を持った己に向かって来るなら、それはもう全て敵であると、判断してしまえるほどには。そして、構えたからにはもう、振るうしかないのだ。迎え撃つ形が出来ていた。しかし、相手は少しも怯まない。怯む、と、言う言葉を知らないかのように、向かってくるのだ。

 異形の物たちであった。

 男は、それが何かを知っていた。魔物と呼ばれるものである。見た事もある。戦場に乱入してきたのも、初めてではない。だが、こんなにも大量ではなかった。大抵数匹であった。そして、殲滅された。人の肉を狙ってくるのだ。自然と呼吸が荒くなる。剣が、カタカタと揺れている。恐らく初陣以来の恐れを抱いている。相手は、人ではない。知能がない。あるのかもしれないが、人とは違い、人に対する心など持ち得ない生き物だった。故に、容赦がない。何処ぞで、剣戟の音が響いた。自分の番も近い。人を相手にするのは嫌だった。だが、魔物ならばいいと言うものではない。しかも数で負けている。火が爆ぜる音が聞こえた。魔法使いの攻撃だろう。頼む、全部、燃やし尽くしてくれ。願いは届かない。悲鳴が聞こえる。叫びが聞こえる。人ならざる者の咆哮。それは、獣に似た何かであって、虫に似た何かであって、二足歩行の物もいて、見た事のない物も居て、全てが人間にとって脅威であった。

 この戦いは、戦争ですらない。

 魔物による、一方的な殺戮。人間を皆殺しにして食おうとしている、ただそれだけの。それも、この場だけに留まらないのだ。檻より放たれた猛獣の如く、自由を求め四方八方へと散っているのだ。目の前にいるそれだけが人間の全てではないと知っているようだった。

 何もかもが分からなかった。

 戦争をしていた筈だ。いつ始まり、終わるとも知れぬ戦争をしていた。戦場に立ち数年が経っていた。あと数年、生き延びる。それだけを希望に日々を過ごしていた。まさか、こんな日が来るとは思っていなかった。唐突に、光が現れた。その光は空より地面に落ちた。そして、地が割れ、裂け目はどんどんと広がり、結果として、敵国と大きな隔たりが出来た。これで終わりなら良かった。戦争は終わったのかもしれない、と、そう希望を抱いた。だが、違った。割れた地面から、見た事も想像したこともない奈落の底から、大量の魔物が現れたのである。

 そして今、襲われている。

 男は、剣を振り下ろした。とうとう、自分の番がやってきたのだ。剣を習った事等ない。ただ、無我夢中で振り回す。どんな生き物でも、首を落とせば大抵死ぬ。己を殺そうとするその生き物は、二本足だった。男と同じだった。身の丈は男の半分ほど。まるで、子供のようで、鈍色の肌をして、大きな頭で、角が生えて、やはり、男と同じよう武器を持っている。小鬼、と、そう呼ばれていた。一匹だけなら大したことはない相手だ。男は歯を食いしばり、小鬼の首目掛けて切り込んだ。汚い悲鳴が聞え、深緑の液体が飛び散った。やった、と、気が緩んだ。

「ぐうっ……!」

 一瞬、何が起こったのか分からなかった。体を衝撃が襲った。腰のあたりに激痛が走った。見れば、別の小鬼が、男の腹を刺していたのだ。痛い、そして、熱い。一匹だけなら大したことはない相手だ。だが、今、無数にいるのだ。数え切れないほどいるのだ。男は農民の出だ。兵士と言っても、下級である。戦いの腕前など、たかが知れていた。一体相手にするだけが限界だった。その隙を突かれた。小鬼の武器等大したことはない。長い木に、尖らせた石を付けただけの簡易な槍であった。それでも、殺傷能力はあるのだ。痛みに呻きながら、それでも武器を落とすことなく、だが、立っている事も出来ずに膝を突いた。

「いっ」

 また、違う痛みが走った。今度は、腕だ。小鬼が嚙みついたのだ。恐らくもう立てぬと判断して、食おうとしている。歯が腕に食い込む。嫌だ。こんな所で食われるなど、嫌だ。男は小鬼を振り払った。殺さなければ、殺さなければいけない。そうしなければ、食われる。だが、立てない。また別の方向から、違う小鬼に刺されたのだ。一体でも、二体でもない。もっと、もっと沢山いるのだ。そうして、死にかけの獲物を見つけたならば、取り囲んで食らうのだ。

 絶望。

 生き延びなければ、と、思うのに、体が動かない。死にたくない。生きて、後、数年戦場を耐えれば、帰れるのだ。こんな所で、魔物に食われるなど御免だ。殺さなければいけない。痛い。殺さなければいけない。立てない。殺さなければいけない。息がし辛い。殺さなければいけない。誰か助けてくれ!

 男は縋った。

 自分で状況を打開できない今、縋るしかなかった。でも、他の人間も皆、助けを求めているのだ。他の人間を助ける余裕のある生き物など、存在しなかった。

 だから、初めて、神に祈った。

 神よ、神よ、神よ、と、馬鹿の一つ覚えみたいに唱えた。天の、ずっと上、人の目の届かぬところにいる神に祈った。本当に、心の底からの祈りを捧げたその時、神は姿を現し助けてくれると聞いた事がある。だったらそれは、今でしかない。きっと、神に祈っている人間は己だけではない。おお、神よ、神よ、神よ……。

 声が出ないので、心の中で唱えた。既に男の身体は地に伏していた。だが未だ意識はある。小鬼に食い付かれても、肉を持っていかれていても、神に祈り続けた。他に出来ることがなかった。戦場は煩かった。色々な音が聞こえた。悲鳴、喘ぎ、呻き、全部悪い音だった。

 それが、突然静かになった。

 男はもう体を動かすことが出来ない。だが、意識はあるし、目は見えた。まるで、悪い夢を見ていたかのようだった。ずっと、起きているのに、悪夢から覚めた、そんな気分だった。

 人間を襲っていた魔物が、突然消滅したのだ。

 一瞬の静寂の後、突然、騒がしくなった。人々が大声を上げている。勝った、だとか、生きた、だとか、消えた、だとか、そんな言葉が聞えた。どうやら、突然魔物が消え去ったらしい。あんなに沢山沢山、数え切れぬ程いた魔物が、人間より大勢だった魔物が一瞬にして消えたらしい。急に地底より現れた魔物の群れが、泡のようにパッと消えたらしい。

 全部地に伏したままの状態で、耳に入った言葉である。

 ふと、神が助けてくれた、と、そんな言葉が聞こえた。成程、と、男は納得した。皆が神に祈ったから、神は助けてくれたのだと信じた。あの教えは本当だったのだと思った。己の嘆きに近い祈りも、届いたのだと。きっとこれで、戦は終わる。本当に終わる。ふと、妹の事が脳裏に浮かんだ。もう、兵にならずに済む。それとももう、戦場に出た後だろうか。もしかすると、この中にいるのかもしれない。そして、死んだかもしれない。だが、出来ることなら生き延びて、他の家族共々幸せに暮らして欲しい。戦争は終わった。きっと、終わったのだから。不思議ともう痛みは感じなかった。槍で刺され、肉を食いちぎられたのに。凪いだ気分だった。

 男は静かに目を閉じた。

 最後の一呼吸と共に。

(ってなワケです)

(いや、ってなワケですじゃねえんだわ)

 異世界人はげんなりと顔を顰めていた。突然新たに国王となった男が部屋に飛び込んできたと思ったら、何やらその母親まで現れて、速攻で神に始末された。異世界人は困惑していた。何がそうなってこうなったのか、全く分からなかったからである。そうして、説明を求めたが最後。臨場感たっぷりに語られたのだった。

 求めてない。誰も其処まで、求めてない。

 異世界人は部屋に一人だった。正直、異世界人に構っていられる状況ではなくなったのだ。何と言ってもこの国、王、王妃、王子、王孫、と、立て続けに四人の王族が亡くなったのである。その上国境付近の地面は割れて、無数の魔物が現れ方々を襲い、被害の全容が不明の有様。人手は幾らあっても足りなかった。

(結局戦争は終わったわけ?)

(終わりましたね。神は嘘をつきませんので)

 見えない神の得意げな顔が見えた気がした。確かに、戦争は終わっただろう。続行出来なくなっただけだが。

(もう、魔物は出てこないの?)

(蓋をしましたので)

 蓋、と、神は言う。どうにも、新たに出来た裂け目の上に、薄い膜の様なものを張ったらしい。魔物は地底より上に出てくるが、神特製の蓋を超える事は出来ない、と、言う訳である。

(その上って歩けるの?)

(いえ、落ちます)

(人がうっかり行っちゃったらどうすんの?)

(死にますね)

 この神、基本人の心がないのだ。これ多分、此処に住む人に言った方がいいやつだな。異世界人は思った。基本此方は、割と人がいいのだ。いや、ごく普通であるとも言えるが。兎に角大変なのは、これからである。ただ、これから大変なのは、異世界人も同じだ。

(神、そろそろ帰りたいんだけど)

 異世界人は、ほぼ何もしていないが、疲労は感じていた。何せ目の前で人が立て続けに、それも凄惨な死に方をしたのである。精神が疲弊していた。だから、帰りたかった。現代日本へ、である。

(ならば、此処を出なければいけません)

 どうやら、今此処からシュッと帰還出来るわけではないらしい。異世界人は神の力の凄さを信じていた。大体、来た時が一瞬だったので、帰りも一瞬だと思っていたのだ。でも、お城は出ないといけないらしい。ふと、ノックの音が聞こえた。ベストタイミングである。丁度お暇しようと思っていたのだ。

「はい」

「失礼いたします異世界人様」

 入ってきた人間に、当然心当たりはなかった。知り合いなどいないので当然である。だが、以前呼びに来た騎士のような男とは別であった。今回は鎧姿ではなかったのだ。

「私、出ていきます」

「えっ」

 会話も何もあったものではなかった。いや、会話する気がなかったと言うべきか。異世界人にとっても、この城の人間にいい印象がなかったのだ。だから、とっとと出て行こうとしたのである。突然の申し出に、入ってきた男性は目を丸くしている。予想していなかったようだ。

(異世界人、ついでに、服を貰った方がいいですよ。流石に目立ちすぎます)

(神よりは地味だよ)

 言いながら、どうして帰るのに服がいるのだろうとは思った。

「それで、此方の世界の服を頂きたいのですが」

「はっ、少々お待ちください」

 異世界記念土産だろうか。

(着替えたら出ていきましょう)

(えっ、着替んの)

(えっ、服ですよ? 着るでしょ?)

(いや、帰るだけでしょ?)

(全裸で帰るんですか?)

(もう着てるじゃん)

(現地の服の方がいいですよ)

 異世界訪問の記念に、コスプレでもしろと言うのだろうか。神の考え、分からない。異世界人が頭を捻っていると、扉が開いた。そのまま人が入ってくる。しかも、複数人である。

「此方でよろしいでしょうか」

 恭しく最初の男が頭を下げると、ずらりと目の前に掲げられた。複数のドレスである。異世界人は呆気に取られている。此方の世界の服を下さいから、ドレスが登場するとは予想していなかったのだ。色とりどりで、目に優しくなかった。沢山選択肢を用意してくれているが、全部ドレスには違いなかった。もしかすると、今からダンスパーティーが始まるのかもしれない。何のために。

(全部却下ですね。散策できるものにして下さい)

「全部却下だと神が言ってますので、もっと軽めの、散策? 出来るような物でお願いします……」

 異世界人は早くも心苦しくなっていた。知らない人たちに無遠慮に要求を叩きつけることが苦痛であった。寧ろ神に自分で言えとすら思っていた。いや、呼び出せばいいのだが。呼べば出てくるのだから。ただ、喋るかどうかは別である。十中八九無言である。

 異世界人の要望を聞き、男性は嫌な顔一つせず指示を飛ばした。異世界人の言う事ならすべて聞きます。そんな風に見えた。理由は簡単。神が付いているからである。例え異世界人は恐ろしくなくとも、神は怖い。王族の首を躊躇なく落とすのだ。ならば、それ以下自分たちなど塵のような扱いをされる恐れがあると思っているのだ。尤も神に言わせれば、王だろうとそうでなかろうと、下位種は下位種なので、皆同じである。

 すぐさま違う服が届いた。

 今度は、ドレスではなく、また、華美でもなく、まるで乗馬服を彷彿とさせる服装であった。かっちりとして、六つボタンが付いた燕尾服。白いハイネックに、白いパンツ、そして、黒いブーツ。異世界人は思った。コスプレじゃん。

(良いでしょう)

「えっと、ありがとうございます」

「お気に召されたなら何よりでございます。それと此方、少ないですがお納めください」

 異世界人は目を丸くしている。男性が差し出してきたのは、ショルダーバッグだった。革製である。中を見れば、パン等の日持ちする食糧と、金銭が入っていた。初めて見たが、此方の硬貨だろう。異世界記念品だな、と、異世界人は思った。

(及第点ですね。さ、着替えて下さい)

「では、着替えますので。あ、着替えたら出ていきます」

「はい、全身全霊をかけ、お見送りさせて頂きます」

「結構です。どうぞお構いなく。それとあの、これ多分かなり重要な事だと思うんですけど、神が地面を割ったじゃないですか。そこから魔物が出てきましたよね。今、そこに蓋がされてる状態らしいんですよ。だから魔物は出てこれないんですけど、人が乗ったら落ちますので注意して下さい。後本当、余計な事だと思うんですけど、」

 異世界人は、一度言葉を切った。これ言おうかな、どうしようかな、と、言う迷いがある。しかし、此処まで言ってしまったのだからもう、言うしかなかった。見れば、目の前の男性は何やら覚悟を決めた顔つきをしている。いや、そんな酷い話じゃないんです。内心で言い訳しながら口を開いた。

「神相手に、身を捧げるとか身を以て償うとか、後、嘘つくとか止めた方がいいですよ。秒で死ぬので……」

 そう、有無を言わさず死ぬ。神は弁明の場など与えてくれないのだ。聞かされた男性は、どう返事をしてよいものか、悩んだ結果、無言で頭を下げるに留めたのだった。下手な事を言うと即座に死ぬからである。神は常に異世界人の傍にいるのだ。例え姿見えずとも。その事をもう、嫌と言う程知っていたのである。

 こうして異世界人は、異世界に来て初めて、城の外へと出たのであった。望んだとおり、見送りはなかった。異世界人は、派手な事が苦手なのだ。後寧ろ、感謝より恨み節の方が多そうだと危惧していた。神の行いが余りに余りだったからである。城の周りは池だった。堀である。日本のお城みたい、と、そんな事を思いながら、橋を歩いていた。ふと、真ん中あたりで立ち止まる。

(さあ、神、家に帰して頂戴)

 よく考えてみれば、別段歩く必要などなかった。異世界人にすれば、城の中から直帰したってよかったのだ。それを神が着替えて外に出ろと言うから、従ったのである。

(はい、では、あちらの方へ向かって下さい)

(えっ、こっからシュッて帰れんじゃないの。大体アッチってどっちよ)

 そう、あちら等と言われても、神の姿がないので分からないのだ。しかも、知らない地である。だが異世界人の気持ちなど知らぬとばかり、神は続けるのだ。

(あちらの方に山が見えるでしょう)

(見えねえわよ。どっちよ)

(肉眼で見える距離じゃないので見えないんですけど)

(張り倒すぞ)

(そこに、霊峰ラウタネレ=ムグェヅィニがあります)

(なんて?)

 滅茶苦茶覚え難い名称が飛び出てきた。後半何て言った?

(霊峰ラウタネレ=ムグェヅィニです)

(早口言葉じゃねえんだぞ。で、それが何)

(そこに行かないと帰れません)

「は?」

 脳内で会話していたのだが、思わず実際に声が出た。其処に神がいたならじっと見つめただろうが、いないので、虚空を見る羽目になった。見たところで何も変わらなかった。

(ちょっと待って、シュッて来たんだから、シュッて帰れんじゃないの)

(言ったじゃないですか。バンジージャンプだって、飛び込むのは一瞬ですけど、上に戻るのは時間がかかるでしょって)

(アレ、下手な例えじゃなかったの)

(帰れるならとっくに帰ってると思いませんでしたか)

(いや、こんなだけど一応神だし、問題解決までいるのかなって)

(残念ながらただ帰れなかっただけです)

 人生終了のお知らせ。異世界人は絶望した。何故なら此処は異世界。故郷とはわけが違い過ぎる。文化も常識も言語も何もかも違うのだ。しかも率直に言って危険。これである。大体神だって言っていたではないか。異世界人、三秒で死ぬ。

(さあ、立ち止まっていても帰れませんよ。歩かないと)

 脳内に響く神の声すら腹立たしい。何励ましとんねん。全部神のせいである。こんな事なら来なきゃよかった。でも、来なかったら、三度目の殺害未遂が起こっていたのだ。しかもその場合は未遂ではなく、死んでいたかもしれない。この神が、次も助けてくれるとは限らない。だったら今、助けてくれる位置にいるなら、それに縋るしかなかった。利用する、と、言い張れる程、異世界人は図太くなかったのだ。

(異世界人、あっちですよ!)

「だから、あっちってどっちよ!!」

 姿を現さない神が、方向を示し続けるものだから、とうとう怒鳴ったのだった。

 今や異世界人は、城の真ん前で大声を張り上げる不審者だった。堀で浮いていた知らない鳥が、バサバサと羽ばたいていった。



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