嘘は許さない
異世界人が案内された部屋は、一言で言えば豪華であった。止まった事も無い高級なホテルを彷彿とさせたのだ。案内してきた女性はすぐさま去ってしまった。同じ部屋にいるのも嫌と言わんばかり。だが、異世界人にしても、知らない人間がいる空間は寛げないので有難かった。そして神は姿を消した。
「えっ、神!?」
(呼ぶときはもっと全力でお願いします)
すぐさま声が返って来た。成程、見えなくても本当にいるらしいと実感する。じゃあいいや。異世界人は椅子に座った。白い丸テーブルを挟んで二脚ある椅子の片方は空である。異世界人は一人だった。見た目だけ。
(茶でも淹れたらどうですか)
(いいよ面倒臭い)
(やれやれ仕方のない異世界人ですね)
まるで母親のような口調の神の声が直接脳内に響く。するとテーブルの真ん中に、茶器が現れた。尤も今度は、和風ではない。部屋に見合ったものである。洋風のティーポットと、ティーカップだった。知らない花の絵があしらわれている。
(神の物?)
(いいえ、部屋の物です)
相変わらずお湯を入れたわけでもないのに、ポットの中には琥珀色の液体が満ちていた。便利過ぎる。流石に茶を注がせるために神を呼び出すわけにもいかない。異世界人は、自分の手で注いだ。勿論カップは一つだけである。何せ神の姿は見えないのだ。
一口飲んで、ほう、と、息を吐いた。
やっと落ち着いたような気がした。疲れた。非常に疲れた。殺されかけたのだ。理解出来ない理由で。その上、目の前で人が死んだのだ。それも、凄惨な死に方だった。普通に生きてきて、首と胴がおさらばする現場に遭遇する事などまずない。異世界人は一般人である。そんなものはあくまでフィクションだ。
いっそこのまま眠ってしまおうか。ベッドはそこだ。しかし、異世界人を邪魔をするものがある。
(美味しいですか?)
(うん)
(わたしが淹れたものより?)
(急にめんどくせえ彼女みたいな事言い出したな……。大体淹れたの神じゃん)
(そう言えばそうでした。つまりわたしが一番ですね)
(そうっすね)
直接脳内に話しかけてくる、見えない存在である。
尤もこの神がいなければ、既に死んでいたわけであるが。恐らく最初のトラックの時点で。そう思えば、命の恩人に違いないわけである。簡単に人も殺すが。
(結局、どうしてそこまでして異世界人の魂が欲しいわけ?)
(戦争に勝ちたいからです)
(それは聞いたけど)
(隣の下位種の国と長年小競り合いを続けてるんですよ)
(はあ)
(そろそろ大々的に勝って、決着を付けたいわけです)
(それでゴーレム)
(浅はかなんですよ。巨大なゴーレムに、異世界人の魂を入れ、戦場で暴れさせる。そうして、多大な損失を与え勝利する)
(上手くいかない?)
(まず、異世界人の魂に意味がありません。二つ目に、効果があるなら、既に他所で実践されています)
(そんなもん?)
(そんなもんです)
ふうん、と、そんな言葉を呑み込んで、カップを傾けた。程々の温かさである。もしかすると、あの空間以外では、きちんと温度が下がるのかもしれない。尤も、それが普通ではある。こうして気持ちが僅かながら落ち着くと、少し考えることも出来るようになった。効果があるなら、既に他所で実践されている筈だ、と、神は言う。つまり、既に犠牲になった異世界人がいるのかもしれない。このような事突発的な思い付きでやる事ではないだろう。恐らくそう言う文献的なものが残っていて、それに従って実践していると考えるのが妥当である。もしかすると、一度失敗しているのを見ているから、神は助けてくれたのかもしれない。いや、何のために? そう言えばこの神、別に人道的でも何でもないのだ。下位種だから、と、言う理由で殺してもいいと考えているように見える。その点全く神らしくないのだ。そもそも上位種と呼ばれる生き物であって、神とは別物と考えるのが正しいのだろうが、でも、持つ力は神である。異世界人には分からない。ただ、現に助けてくれている。だから、神を信じてもいい。今はそれだけで十分に思えた。後出来るだけ早く帰りたい、とも。
異世界人がのんびり茶を飲んでいる頃、下位種と呼ばれる人々は大騒ぎだった。勿論その中でも、位が上の者達ではある。
「どうにかして、あの異世界人を殺すのだ」
一番豪華な椅子に座る男が言った。この国の王だった。異世界人の魂をゴーレムに入れる事にゴーサインを出した張本人である。
「しかし父上、それは無意味であると異世界人が」
「馬鹿者! あの神と同等の存在であるぞ! 無意味なものか!」
「しかし現に、サムリタは殺されたではないですか! 王宮一の魔導士ですぞ!」
その一言に、場は静まった。あの場にいた誰もが見たのだ。音もなく、前触れもなく、死に至った男の事を。例え有能な魔法使いであろうとも、避けられぬ死であった。相手が神であると、上位の存在であると見せ付けられた瞬間である。そもそも、ゴーレムに異世界人の魂を入れるという案を出したのも、サムリタであった。故に、その失敗の責の元死んだとしてもおかしくはなかったのだ。誰もが分かっていた。一度目に失敗したときに、無理ではないかと思ったのだ。だが、サムリタはもう一度チャレンジした。その結果が、生きた異世界人の到来である。魂だけ引き寄せる筈が、生きたまま現れたのだ。それも、神を伴ってである。異世界人ははっきりと言った。二度殺そうとした、と。全て見破られている。
引くべきだ。
これ以上神の怒りを買うべきではない。
そして、それを進言できるのは、王の子のみだ。
「父上、もう止めましょう」
「止めて何になる。止めて戦が終わるか! 降伏しろと言うのか!」
王の叫びは本心であった。長年の戦で、国は疲弊していた。終わりにしなければいけない。終わらせるためには、勝つしかない。降伏など死んでも選択肢には入れない。もし膝を折ったなら、これまで死んだ者達が無駄になる。
「異世界人を殺すのだ。戦場で敵国の兵を殺すより簡単だろう! 数で攻めて殺せばよい! 相手はたった一人ぞ! 異世界人を殺し、必ずや戦に」
誰も王の言葉に反論できなかった。気持ちは痛い程分かるのだ。誰だって勝ちたい。死んだ者達に報いたい。そうして硬い表情を浮かべた国の重鎮たちの前で、語っていた王の言葉が途切れた。
どさり、と、重い音が鳴った。
赤い液体が、飛び散る。
「ちち、うえ」
一瞬の事であった。現実味がない程のわずかな時間。今まで口を開いて、発破をかけていた人間が急に黙る。それも、二度と口を開く事は無いのだ。
王が、死んだ。
場にいた人間が、すぐさま目を逸らし、辺りを見回した。探したのだ。神の姿を。このような事が出来るのは、最早神だけだと知っていた。今日だけで、二度見たのだ。まるで、人形の首を取るのと同じくらい簡単に、人を殺す様を。だが、場に神の姿はなかったのだ。
気味が悪い程の静けさの中、誰も動くことが出来なかった。
次は自分の番ではないか、と、言う思いを拭いきれない。恐らくもう、この国は長くない。その事に漸く向き合おうとしていた。向き合わざるを得なくなってしまった。
王の遺体が運び出される。首と胴が離れたもの、放置しているわけにもいかない。ただ、王が死んだからと言って、全てが急に終わるわけではない。現に戦争は続いていて。戦場では命を散らしている兵士がいて、人が一人死んだとて、今すぐ何かが大きく変わるわけではないのだ。一先ず、王子が後を継ぐ事になる。だが、引継ぎの戴冠式を行える状況でもない。何せ、死んだのは今である。
「……異世界人に動きはあったか」
疲れ切った声で王子が問うた。四十程の年嵩であったが、急に十は年老いたように見えた。
「いえ、部屋においでです。ずっと、一人で部屋にいらっしゃいました」
「神の姿は」
「ありません」
異世界人を部屋に一人放置したとして、見張りも何もないわけではない。寧ろずっと監視していたのだ。現在一番の危険人物である。その異世界人は、誰かと喋るわけでもなく、一人で茶を飲んでいた。実際には脳内で神と対話していたが、傍から分かるわけでもない。不審な点は何もなかった。一つあるならば、湯を沸かしたわけでもないのに、ポットから色がついた液体が出てきたことである。無論、茶葉を入れた形跡もなかった。でも、入っているのだ。
「どうするべきなのだ」
新たに王となった男は苦悩している。
「お父様」
そこに、年若い女性の声がかかった。豪奢なドレスを着た、うら若き乙女であった。男の娘である。それも、末の娘であった。十代半ばといった具合の、天真爛漫さを感じさせる顔つきだった。
「わたくし、神様とお話させていただきとうございます」
「神はおらぬ。異世界人ならいるがな」
「では、異世界人様でも構いませぬ」
「何を言う気だ?」
「戦争を終わらせてくださいと、お願いしたいのです」
澄んだ瞳だった。父である男は思った。この若い娘が誠心誠意頼めば、心を動かしてくれるかもしれない、と。それ程力のある瞳であった。何より、裏がない。本当にこの娘は、国を思い、民を思い進言しているのだ。
「やってみよ」
父親は、許可を出した。それも軽率にである。いや、正直手詰まりだったのだ。これが打開策になれば良い。そのような思いも確かにあった。だが心の底では、娘可愛さに成功すると思っていたのだ。賢く美しい娘だった。人の機敏に敏く、決して王族向きではないが、心根の美しい娘だった。もし上手くいったなら、聖女として祀り上げよう。大体、神と対話し、戦を終わらせ、国に繁栄をもたらしたのだ。聖女と言って過言ではないだろう。勿論、現時点では何も成し遂げていない。
やっぱり寝ようかな、と、そんな風に思っていた矢先だった。
コンコン、と、ドアがノックされたので、急いで異世界人は動いたのだ。声で許可を出す、等と言う頭はなかった。異世界人は一般人である。偉そうな立場とは無縁なのだ。扉を開ければそこには、全身鎧をつけた厳つい男がいた。明らかに騎士、と、言った具合である。何用であろうか。眉根を寄せる異世界人に、丁寧に騎士は言った。曰く、王がお待ちですと。
王って誰。
聞いた異世界人の素直な感想である。何せ、誰も自己紹介してくれなかったのだ。聞きもしなかったが。神の姿が傍にないからか、異世界人を見る人々の目は冷たかった。何だあの不審者。こんな具合である。自覚はあるので、異世界人は内心で謝った。全部神の所為です。謝ってなかった。
そうして案内されたのは、謁見の間、と、呼ぶにふさわしい場所であった。部屋の奥には二つ椅子がある。その一つに男が座っていた。成程、あれが王。異世界人は思った。正解であるが、代替わりしたばかりである。そう言えば、こういう時ってどうすればいいのだろうか。生まれてこの方王様に会った事など無いので、作法が分からなかった。知識として、膝を突くべきであると分かる。でも、何だか嫌だな、と、思った。被害者だからである。だから異世界人は歩きながら、息を吸ったのだ。国王迄、後二メートル。
「神ー!!」
困った時の、リアル神頼みである。
(助けて!)
(OK)
相変わらず神のノリは滅茶苦茶軽かった。ただ、現実には重い。姿を現したと見るや否や、場の空気が一変した。異世界人だけなら、見下していた癖に、神の姿が見えた途端、怯えだすのだ。神は浮いている。異世界人の横で空に浮きながら、じっと、見定めるように前だけを向いているのだ。
「異世界人殿」
「はい」
異世界人は膝を突かなかった。国王の前で、立っている。勿論、距離はある。触れられるような近さではない。王の顔色は悪い。異世界人の横に神がいるからだ。今一番神の近くにいる現地人は、王であった。
「実は先程父が死に、息子である私が王になった」
「えっ……それは……御愁傷様です……?」
異世界人は困惑した。そんな事急に言われましても。これである。大体父である王等と言われても知らないのだ。でも、突然死んだという事だから、元々具合が悪かったのだろうな、と、勝手に判断したのだった。まさか隣でぷかぷか浮いている女が手を回したとは思っていない。何故ならずっと、脳内で話していたからである。神は、異世界人が思うよりずっと自由にこの世界に干渉していたのだ。いや、干渉することが出来た、と、言うべきか。未だに異世界人は、干渉しようとすると大陸が吹っ飛ぶと言ったあの発言を信じていた。それもきっと嘘ではない。だが今は、隣に異世界人がいる。媒介がいる、ただそれだけで、ずっと自由にまた手広く物事を起こすことが出来たのだ。まさに、神であった。
困惑を隠そうともしない異世界人を見て、どうやらこの女が父親を殺したわけではない、と、王は悟った。どうにも芝居が出来るタイプではないらしい。そうなると、やはり神の独断で、神の仕業と言う事になる。そちらの方が厄介だった。
話が全く通じないからである。
だが、その話が通じない相手と、今話をしようとしている者がいた。
「レオノール」
「はい、お父様」
異世界人は、ずっと困惑しっぱなしである。何故呼び出されたのかも分からない上に、ここに来て人が増えた。奇麗で若い娘が出てきたのだ。それもお父様、と、返事をしたところを見るに姫である。成程、確かに姫っぽい。ピンク色のドレスが目にも鮮やかで、しかも着ている本人が負けていない。華のある顔立ちだった。成程、お姫様。異世界人は感心している。普通に生きていて、姫、と、呼ばれる人間に会う機会は先ずない。そのお姫様は、前に進みであると、異世界人ではなく、浮かぶ神の前で、膝を折ったのだった。但し神は、姫を見ない。これ、ちょっとは気に掛けてあげなさいよって、言うところなのかしら。異世界人は、思ったものの余計な事を言うととばっちりがきそうで止めたのだった。この神が、割と滅茶苦茶な事を理解し始めていた。
「神様、レオノールと申します」
神は無言である。
「お願いがあって、参りました」
神は無言である。見ようともしない。早くも異世界人の方が居た堪れなくなってきていた。
「神様、伏してお願い申し上げます。戦争を終わらせていただきたいのです。国も民も疲弊しております。これ以上の争いは無です。ですが、我々では力及ばず、神のお力に縋る事しか出来ません。どうか神様、この戦争を終わらせて下さい。そして、世に平和を齎して下さい。このレオノール、神に全てを捧げます。何卒、何卒……」
娘が、深く深く頭を下げた。異世界人の胸は痛んだ。どうみても、十代の女の子である。異世界人の感覚で言えば、普通に友達と遊んだり好きな事をして過ごす歳映えである。それがこんな風に頭を下げ、国と民の事を思い、懇願しているのだ。生まれと育ちが違うと、こうなるのか。感動すら覚えた。そうして、流石に此処までしたのだから、助けてやるだろうとも。異世界人は被害者である。二度も殺されそうになった。知らない世界の無関係な戦争で。だが、それでも、助けてやりたいとそう思ったのだ。この、娘の助けになりたいと。ただ、異世界人には力がない。だから結局神を頼るしかない。ここは、一肌脱いでやるか。そう思い、隣を見た。
その時だった。
「レオノール!!」
えっ。
王の声が、それも、異世界人が神を呼ぶより大きく、切羽詰まった声が響き渡ったのだ。咄嗟に異世界人はそちらを見、すぐさま目を逸らしたのだった。寧ろ、見る事が出来なかった。
姫が死んでいた。
膝を折り、祈りを捧げるような体勢のまま、首だけが取れていた。
(神ー!!)
異世界人は神を呼んだ。脳内で。声が出なかった。大体もう姿を現し隣にいるので、呼び出す意味がなかったとも言う。
(どうしました異世界人)
(どうもこうもあるか!)
なぜ殺した。異世界人は怒りすら覚えていた。だって、この姫は何も悪いことをしていない。その前に目の前で殺された男は、嘘を吐いたが、この娘は他者の為に頭を下げただけである。なのに、何故死なねばならないのか。幾ら下位種と呼ばれる生き物が嫌いでも、あんまりではないだろうか。
(異世界人、下位種にお伝えなさい。神に全てを捧げた対価として、戦を終わらせると)
(えっ)
(この娘が言ったでしょう。神に全てを捧げるから戦を終わらせてくれと。わたしはその言葉を受け入れたのです)
いやそれ絶対、言葉の綾じゃん。異世界人は思った。そうは言うものの、本当に死ぬ気があったかどうかは不明だからである。でも、その気もないのに言ったなら、神に嘘を吐くことになる。だから、本当に、命を擲つ覚悟だったのかもしれない。問う前に殺してしまったが。
神は無言である。
だから、話すなら、異世界人の仕事だった。
「全てを捧げた対価として、戦争を終わらせると神は言っています」
その言葉は小さいながら、謁見の場にいた全員の耳に届いた。痛い程の静寂。直後、男がすすり泣く声が聞こえてきた。娘を亡くしたばかりの父親のものであった。目の前に子を殺した存在がいながら、何も出来ない無力な男であった。ただ、娘が命を賭して成し得た事に、感謝するしかなかった。恨みながら、礼を言うしかなかった。神の前では、等しく無力だった。