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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後篇】第二章 希望の代償
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〈8-1〉やっぱお前かよ……!

 ほたるがクラトスの腕から口を離したのは、それからしばらく経ってからだった。

 ゆらりとその身体が傾き、石の床に崩れ落ちる。クラトスはほたるが頭を打たないよう軽く手を添えて倒れる力を弱めると、疲れたように深い息を吐き出した。


「《流石にスヴァインの子の腹を一人で満たすのは無茶だったか……》」


 そうこぼすクラトスの顔は青白い。明らかに血液の足りていない者の顔色だ。

 だがクラトスは満足したようにほたるの頭を優しく撫でると、格子から腕を引き抜いた。


「悪いが、少し外させてもらうよ。理性を失った君は私にとっても危険だからね」


 それまでと同じ口調で言って、立ち上がる。ほたるに背を向けた彼の顔には、口元にだけ笑みが浮かんでいた。



 § § §



 ほたるを探して五箇所目の候補地である建物に足を踏み入れた時、ノエはここが正解であることを悟った。

 匂いがする。ほたるではなく、ほたるを攫ったであろう人物の匂いが。その人物がやったという確証はないが、彼ならできると知っている。

 空気に僅かに含まれる、体臭とは言えないほどの弱い匂い。けれど気配はない。感じない。人間だった頃、孤児として路上で生活する中で身に付いた警戒心は他者の気配をかなり敏感に察知できると自負しているのに、それが微塵も感じられないのはここには誰もいないから――ではない。


 近くにいる。だからこそ匂いが残っている。


 ノエが腰に手を伸ばす。握ったのはナイフだ。ほたるが攫われて、それを誰がやったか考えた時に用意した。武器の扱いでこの匂いの主に勝てないことは知っていたが、相手が得物を持っていれば盾が必要になることもまた知っていたからだ。素手で受けるなど以ての外、そんなことをすれば簡単に斬り落とされる。


 足音を殺し、全身の産毛一本一本にまで注意を張り巡らせて、進む。

 早くほたるの元へ行きたい。しかし己の吐息の音すらも邪魔になりかねないこの状況で、不用意に進むことなんてできない。


 そうして、ノエが通路を少し進んだ時だった。


「ッ!!」


 キィンッ! ――金属のぶつかる音が、ノエの手にしたナイフから。


「やっぱお前かよ……!」


 ノエが声を向けた先には壱政がいた。黒い目隠し布を巻き、視界は塞がっているように見える。その彼の持つ刀が正確に自分を狙っていたことに気が付くと、「だからお前ら嫌いなんだよ……!」とノエは攻撃を防いだナイフに力を込めた。


「ほたるはどこだ!」


 ナイフで刀を押し返し、蹴りを繰り出しながら声を張り上げる。それを軽々と跳んで避けた壱政は少し離れた位置に着地すると、「うるさいな」と嫌そうに吐き捨てた。


「そんな大声を出さなくても聞こえる」

「ならさっさと答えろよ」


 問いかけながらノエは壱政の様子を探った。彼が目隠ししているのは自分よりも序列が低いからだ。完全に視界を塞ぐことで紫眼によって操られることを防いでいる。それは分かるが、その状態でただ動くだけならまだしも、こうして正確な攻撃ができることが理解できない。

 いくら視界が塞がれていても、壱政は相手が自分と分かった上で攻撃してきているのだ。己よりも高い序列の者を相手に、その命を奪いかねない攻撃など不可能。それなのに日本刀だなんて殺傷能力が高いものを使って攻撃ができたということは、彼には殺意が全くないということ。どこをどう攻撃すれば致命傷となるか分かっているから、逆に絶対にそうはならない箇所を狙っているのだ。

 見えていないのに、誤って相手を殺してしまうという不安すら一切抱いていない――壱政にこういうことができると、ノエは以前から知っていた。話に聞いたことがあったし、何より共に仕事をした時に見たこともある。


 だが、それが自分に向けられると厄介以外の何物でもない。どうにか撒くか目隠しを奪うかしたいが、そう簡単にやらせてくれそうにも思えない。


 ノエが苛立ちに顔をしかめた時、「考え事ならいくらでもしていい」と壱政が口を開いた。


「俺の仕事はお前の足止めだ。勝手に止まってくれるなら手間が省ける」

「ってことはほたるはこの先にいるのか」

「ああ」

「……お前本当マイペースだよな。さっきは答えなかったくせに」


 そんなにあっさりと答えられると嘘のように感じてしまう。しかも相手が基本的に無表情なせいで感情も読みにくい。

 ノエが苦々しく眉間に皺を寄せると、壱政は「お前に合わせるのは疲れる」と溜息を吐いた。


「正直話すのも面倒だ。だから諦めるならさっさと諦めて何処かへ行け」

「諦めるワケねェだろ。お前が諦めてここ通せよ」

「断る」


 その答えを聞くやいなやノエは動き出した。行きたいのは今壱政がいる方向。ならば押し通るしかない。

 真正面から突っ込めば、壱政が刀を動かすのが見えた。その刃が狙うのはこの腕か、足か。ぎりぎりまで刃を睨みつけ、そしてそれが自分の左腕に向いた瞬間、ノエは刃に首を差し出した。


「――――!」


 カチャリと、刃の向きが変わる。このままでは殺してしまうと壱政が気付いたのだ。その隙を突いてノエが目隠しに手を伸ばす。しかし彼の手が黒い布に届く寸前で壱政の頭がぐんと後ろに下がり、同時にノエの身体が弾き飛ばされた。


「っ……」


 着地しながら壱政を睨みつける。腹の痛みは相手に強く蹴り飛ばされたせい。一体どんな体幹をしているんだと文句を言いたくなったが、ノエはそれをぐっと飲み込んだ。

 いちいち休んでいる時間はない。壱政が自分の足止めを任されているということは、ほたるには時間がないということ。ならば動きながら対処を考えるしかないと、再び壱政に向かって駆け出した。


「芸がない」


 つまらなそうに壱政が言う。完全に体勢を立て直した彼は刀を構えてはいなかった。ナイフを振るうノエを左手で掴み、投げる。そしてやっと刀を構える。空中でそれを見たノエが身体を霧散させかけた時、足を捕まれ下に叩き落された。


()っ……」


 ノエの背中が分厚い床板を砕く。木片が飛び散り、その下から土埃が巻き上がる。

 思わず目を閉じようとすれば、土埃の向こうに光が見えた。刀だ。一瞬の間すら置くことなく肩を貫こうと狙ってきた刀を転がって避け、ナイフを投げつける。それを壱政が難なく避けようとした瞬間、ノエは隠し持っていた銃を撃った。


 バンバンバンッ! ――体勢が崩れる位置を狙い、連続して銃弾を放つ。しかし当たらない。壱政が大きく跳んで避けたからだ。

 その動きを見て、ノエはなるほど、と彼が視覚の代わりにしているものを知った。壱政が頼っているのは耳と経験だ。こちらの動きを音で把握し、銃を使うと考えた時点で狙われうる箇所を予測して避けている。だから避け方が大きくなる。

 正直使える音なんて足音以外には衣擦れの音くらいしかなさそうなものだが、実際に動けているのだから彼には十分なのだろう。


 ノエは即座にそこまで考えると、再び銃声を轟かせながらその音と共に強く地面を蹴り出した。


「――――」


 壱政の反応が、ほんの僅かな間だけ遅れる。銃声で足音が掻き消されたからだ。

 ならばと彼の前まで来たノエはわざと大きな足音を立てた。強く踏み込んだと見せかけ、実際は少しだけ。相手が判断に迷った一瞬の隙を狙ってノエの手が再び目隠しの方へと伸びる。すぐに壱政の腕がそれを防ごうと追いかけてきたが、同時に響いた銃声で彼の動きが止まった。


 直後、黒い布が宙を舞った。顕になったのは瞼が閉じられた目元。そこにノエが親指を突き刺し、離す。「っ……」痛みから逃れようと血塗れの片目が開けば、もう片方の目も自ずと開く。

 顕になった黒い瞳に、紫色が映った。


「通せ」


 刹那、壱政の身体がぴしりと固まった。虚ろな目は彼が身体の自由を失ったことを示すもの。見慣れたそれにノエは一歩下がると、壱政の横を通り抜けようと歩を進めた。


 その時だった。


「ッ!?」


 ドッ……――ノエの腹に熱が走った。身体が押され、背中が壁にぶつかる。その眼前には、動けないはずの壱政がいた。



 * * *




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