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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後篇】第一章 瓦解する安らぎ
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〈5-3〉人をなんだと思ってるんだよ

 ほたるが風呂から出ると、ノエとエルシーがソファに座って談笑しているところだった。


「あ」


 見知った顔にほたるの表情が明るくなる。その声にエルシーはほたるの方を見ると、「久しぶりだな」と笑った。


「お久しぶりです。こんな格好ですみません」


 こんな格好、というのは単に風呂上がりであることを指したわけではなかった。今着ている服はノエに借りたものだが、サイズが大きすぎてかなり不格好なのだ。スウェットパンツは裾を何度も折ってどうにかくるぶしを出し、同じくスウェット生地のトレーナーは腕まくりをしないと手先が出ない。オーバーサイズの可愛らしさよりもサイズの合わないみすぼらしさの方が際立って、苦笑いするほたるを見たエルシーも「確かに……」と難しい面持ちとなった。


「ノエ、他にもっとなかったのか?」

「寝れそうなやつだとあれが一番マシだった。エルシー何かねェの?」

「ああいうのは着ないからな。ナイトローブはあるが……お前と同じ部屋で若者にあれを着せるのは……」

「人をなんだと思ってるんだよ」


 二人の会話を聞きながら、ほたるはナイトローブとはなんだったろうか、と記憶を辿った。浮かぶのは、ネグリジェのような薄く色っぽい服装。そしてローブというからには前で止める形なのだろう。そこまで考えつくと、「……これでいいです」と言うしかなかった。


「その顔、まさかほたるまで俺をそういう意味で警戒してる?」

「……私に興味ないのは分かってるんだけど、でも……ノエ、節操なさそうだから」


 以前聞いたペイズリーとの確執を思い出す。流石に自意識過剰のような気もするが、老若男女問わず食指が動くのであれば、下手な行動は慎みたい。


「間違ってはないな」


 エルシーがほたるの言葉に頷けば、ノエが「おい」と頬を引き攣らせた。


「お前は俺が仕事でもない限り自分からは行かねェの知ってるだろ」

「そうだったか?」


 しらを切るエルシーに、ノエが珍しくうんと顔をしかめる。そんなノエをエルシーは無視すると、笑みを浮かべながらほたるに視線を戻した。


「そんなことより腹が空いてるだろう? たくさん持ってきたから食べるといい」


 そう言ってエルシーが示したのはソファの前にあるローテーブルだった。先程まで物がたくさん乗っていたが、それらは全て片付けられて、代わりに食事のトレーが置かれている。

 ホットドックじゃない――久々に見るホットドック以外の料理にほたるは目を輝かせたが、ふとエルシーの顔を見て眉根を寄せた。


「もしかしてエルシーさん、少し疲れてますか?」


 以前会った時と同じく、エルシーは美しい。美しいが、しかしどことなく顔色が悪い気がする。

 どうして今まで気付かなかったのだろうとほたるが反省していると、エルシーが「ああ、すまない」と苦笑いをした。


「顔には出していないつもりだったんだが……最近仕事が立て込んでいてな。少し睡眠不足かもしれない」

「……すみません、時間ないのにご飯持ってきてもらっちゃって」

「気にすることはない。お前の健康を守るのも私の仕事のうちだ」


 そう微笑んだエルシーはやはり美しく、そして誇らしげだった。疲れてはいるが、仕事に不満を持っているようには見えない。だからだろうか、「仕事、好きなんですか?」とほたるの口から自然と問いが出ていった。


「まあな。戦争の話は以前しただろう? あれで多くの同胞の命が失われたんだ。ノストノクスは嫌われ者だが、それでも規律を正しく用いることで同胞の安全を守ることができる。大事な仕事だよ」


 その言葉が嘘ではないことはエルシーの表情が物語っていた。だからほたるは感心したが、その反面、自分の心に影が落ちたのを感じた。


 同胞の安全を守る――それは、あの時のノエの行動とは真逆のものだったから。そしてそれは、有り得ないと一蹴したはずの考えを呼び起こしたから。


「そうだ、しばらくここにいるならラミア様の城に置いてある荷物を持ってこさせようか? どうせペイズリー様は多めにほたるの服を買ったんだろう?」


 エルシーがノエに問いかける。


「……あいつの浪費癖が役に立つ日が来るなんて」

「浪費というほどでもいないだろ。大した額じゃなかったぞ」

「お前の金銭感覚がおかしいんだよ」


 ほたるがぼうっと二人の会話を聞いていると、エルシーが「さて」とほたるに向き直った。


「ほたるの顔も見られたし、私はそろそろ戻るよ。ゆっくり休むといい」

「はい、ありがとうございます」


 どうにか笑顔で言って、去っていくエルシーの背を見送る。ソファの近くに立ったまま閉まるドアを見つめていると、突然「どうしたの?」とノエの声がかかった。


「っ……」


 びくりと肩が揺れてしまったのは、たった今考えていたことのせい。ソファに座ったままほたるを見上げていたノエは苦笑をこぼすと、「俺が怖いの思い出しちゃった?」と小首を傾げた。


「…………」

「いい感じに誤魔化せてそうだと思ったんだけどな」

「……誤魔化そうとしてたの?」

「あわよくば」


 苦笑したままノエが言う。だが、ほたるが不満を抱くことはなかった。本心ではないと思ったからだ。

 案の定、ノエはすぐに「なんてね」と肩を竦め、「誤魔化せるとは思ってないよ」と続けた表情はほたるを気遣うものになっていた。


 それが、許されていると。今考えていたことが咎められていないように感じて、ほたるの口が動き出す。


「……ノエはさ、執行官なんだよね? ノストノクスで働いてるんだよね?」

「そこから疑っちゃう?」


 ノエはおかしそうに笑ったが、眉尻は少し下がっていた。「エルシーさんと立場は一緒だよね……?」ほたるが続ければ、その笑みの持つふざけるような雰囲気が薄くなった。


「聞いてくるってことは、違うと思うんだ?」

「……うん。エルシーさんは、同胞を守りたいって言ってた。でも、ノエのしたことは……誰にも言っちゃ駄目ってことは……」

「それは考えるだけにしておいて」


 強く、けれど穏やかな声だった。威圧するような空気はなく、命令というよりは、懇願に近い響き。


「口に出しちゃ駄目。いい?」


 疑問の形を取っていたが、それは形だけだとほたるにもすぐに分かった。これを告げてきたノエの表情が、いつになく真剣なものだったから。


 それは、ほたるの考えが正しいと。ノエのあの残虐な行為は、執行官としての仕事とは違うのだと肯定するかのようで。

 つまり自分を守るためではなく、何か別の理由がそこにあったのだと。彼らをまとめて殺すために、時間を稼いでいたのだと。


 何故あんなことをしたのか。

 何故あんなことができたのか。


 あの場にはノエよりも序列の高い者がいたのに。彼らにすら自害を強要できたのは、何故。


「ノエは……っ」


 一体何者なの?


 あの日から付き纏っていた漠然とした疑問が、形になる。

 だが、ほたるにはそれを問いかけることはできなかった。ノエに口に出すなと言われたからではない。言ってしまったら全てが終わる――初めてこの疑問を抱いた時に感じた直感が、今も尚ほたるの耳元で囁き続けているからだ。


 だからほたるが何も言えずにいると、ノエが「ほたる」とその意識を自分の方へと引き寄せた。


「俺の立場は変わってないって言ったの、覚えてる?」


 問われて、ほたるの記憶が蘇る。


『……できれば割り切って欲しい。俺のことが怖いのは仕方ないし、信用もできないと思う。だけど俺の立場も、俺自身も変わってない。だからほたるには、自分が生きるために俺を使ってるって考えて欲しい』


 それは、ノエを恐れるほたるに向けられた言葉。裏切ったと疑うほたるに、裏切っていないと、約束は守り続けると告げた後に続いたもの。

 思い出したほたるが苦い気持ちで頷けば、「だから俺はほたるの質問には答えない」とノエが話を再開した。


「多分、俺が説明しないせいでほたるの頭の中ずっとぐちゃぐちゃだと思う。それは申し訳ないとは思ってる。だけど、それでも俺が答えることはない。他のことならなんでも答えてあげるんだけどね」


 困ったようにノエが微笑む。ほたるは彼の言葉の意味を必死で考えて、けれど明確には答えを出すことはできなかった。

 ただ、悪意ではないのだと。自分に対する悪い感情で以て隠し事をしているわけではないのだと、それだけはどうにか分かった。


 むしろこれは、私のためと言いたいのかもしれない――ふと過った考えに、自信を持てない。ノエはそれらしいことを言わないから、ただの勘違いのようにも思えてしまう。

 ほたるが考え込んでいると、「そういうことで、」とノエが話を打ち切るように立ち上がった。


「俺風呂入ってくるから、ほたるはご飯食べちゃいな。眠くなったらベッド行っていいから」

「え?」

「ん?」


 立ち上がったノエが首を傾げる。その顔とベッドを見比べて、ほたるもまたこてんと首を傾げた。


「ベッドはノエが寝るんでしょ?」

「……俺と一緒に寝たいと言っている?」

「ばっ……!? そんなワケないじゃん! 私はソファに寝るって話をしてるの!!」


 一体何故そんな発想になるんだ――ほたるが信じられないとばかりに声を上げれば、ノエは訳が分からないと言いたげな顔をした。


「いや俺がソファでしょ」

「でもここノエの部屋だよ」

「でもほたる俺の二、三倍長く寝るじゃん」

「…………」


 ごもっとも、と思ったが、ほたるは何も言えなかった。これを肯定してしまえば部屋の主を差し置いてベッドで寝ることになってしまう。


「俺、普段からソファでちょっと寝て終わりって珍しくないから」

「けど……ノエだって疲れてるんじゃないの……? あんな大怪我したし……」

「とっくに回復してるよ」


 無事を示すようにノエが両手を広げる。だがすぐにはっとしたように目を見開くと、訝しげな表情を浮かべた。


「何ほたる、もしかして俺のベッド嫌なの?」

「…………」


 嫌ではなかった。嫌ではないが、気が引ける。部屋の主からベッドを奪うことも、そして、自分が安心して寝てしまいそうな予感も。

 ほたるが答えずにいると、ノエの眉間の皺が深くなった。


「え、匂いが嫌ってこと? 嫌ってるのは俺の内面だけじゃなくて匂いもなの?」

「きっ……らっては、ない、けど……」

「嫌いじゃないの? 無理してない?」

「……嫌いではないよ。怖いだけで」


 これがやっとだった。それに、嘘ではない。けれど本当のことをはぐらかしたせいでほたるは気まずかったが、ノエは少し驚いたように目を見開くと、すぐに「ふうん?」と嬉しそうに笑った。


「なんで笑うの」

「地顔だよ」

「確かに真顔もニヤけてるよね」

「愛想の良い顔って言って」


 見せびらかすようににっこりと綺麗に笑うノエに、ほたるが白けた目を向ける。絵になるくらい格好良いと思ったのは否定しないが、ノエの性格とは似合わない表情のせいであまり魅力的には思えなかった。

 出会った当初はよくこんなのに当てられていたな、とほたるが過去を振り返っていると、「じゃ、ほたるがベッドってことで」とノエが決定事項のように言って浴室に向かって歩き始めた。


「待ってよ、まだ……!」

「俺の部屋よ? 俺に従いなさい」

「……横暴」


 しかしそう言われてしまうとほたるにはもう何も言い返せない。ぐぬぬと顔をしかめ、精一杯不服を表明する。だがノエから返ってきたのはけらけらと笑う声だった。


「ほらほら、さっさとご飯食べな。歯磨きしたかったら浴室入ってきていいから」

「この部屋のお風呂、仕切りある?」

「ないよ」

「……じゃあ後でいい」


 ならば入れないじゃないか――むっとしながらほたるがソファに座る。


「見られても気にしないのに」


 浴室の方から聞こえてきたその声は、無視することにした。

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