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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【前篇】第一章 夜燕の波
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〈3-2〉なんで私なの……

 ここに来る前のことに思いを馳せて、ほたるはふう、と深い溜息を吐いた。部屋の中を見渡せば、最初にいた牢屋よりは随分と待遇が良くなったことが実感できる。

 二〇畳近くあろうかという広い部屋は、奥と手前で用途が分かれているようだ。手前にはソファとローテーブルが置かれていて、奥のスペースには大きなベッドが見える。どれもこれもこの建物の雰囲気によく合ったデザインだ。アンティーク調と言っても良いのかもしれない。現代日本で育ったほたるにとってはやはり映画のセットのようで、しかし古臭さは感じられない上品なものだ。清潔感だってある。

 正直、こんな状況でなければほたるはこの部屋に興奮できただろう。高い代金を支払わなければ泊まれないホテルのような内装。部屋の左手の壁にかかった大きなカーテンは窓を覆うものだろう。実際のデザインは見えないが、カーテンの向こう側には映画で見る城のような窓があるに違いないと期待だってしてしまう。確かに燭台ばかりで電気がなさそうだが、それすらも楽しめるくらい居心地の良さそうな空間だ。

 しかし、そんな余裕はほたるにはなかった。ここには監禁されているのだ。


『本件はその特殊性ゆえ、まずはこの娘にシュシを与えたのが誰かを調べる必要がある。その調査には時間を要するため、その間この娘の処分は保留とし、身柄を執行官に預けるものとする』


 判決後の裁判長の言葉を思い出す。

 どうやらシュシというものがあって、自分はそれを持っているらしい。そしてそれは誰かにもらうもので、その誰かを突き止める必要がある――そうと理解できても、何のことやら、とほたるは頭を抱えたくなった。


 今後の自分の処遇について分かっているのは、その誰かが判明するまで執行官の男が自分を守ってくれるらしいということだけ。そしてその間は、基本的にこの部屋で過ごさなければならないのだろう。

 要するに監禁だ。あの男は明言しなかったが、実際に置かれている状況から考えて間違いない。外から鍵をかけられたこともそうだし、男に言われたこともそうだ。


『――俺はちょっと外すけど、誰にどんなことを言われても俺以外入れちゃ駄目だよ。死にたくなければね』


 死にたくなければ、だなんて。そんな言葉を真に受ける日が来るとは考えたこともなかった。それでも嘘を疑えないのは、あの裁判の場で大勢の悪意に晒されたからだ。

 敵意、もしくは殺意。そういった悪い感情を大量に浴びて、萎縮して。心がその恐怖を覚えてしまった。死なんて、特に他者から悪意をもって与えられる死なんて自分には縁遠いことだと思っていたのに、いつ起こってもおかしくないものだと実感してしまった。


「なんで私なの……」


 ドアに背を預け、ずるずると崩れ落ちる。


「お母さん……」


 心細さで涙声になる。

 母は大丈夫なのだろうか。家にいるのだろうか。私を誘拐したのがあの男一人なら、たとえ母と遭遇していても無事なような気がする。けれど、完全に信用はできない。あの男は人を安心させるように笑いかけてくるくせに、たった一瞬で(いか)れる人々を黙らせる殺意を放てる人間なのだ。


「……って、人間じゃないんだっけ」


 自称、吸血鬼。つまり人間を食らう存在。

 なんだそれは、とほたるは自分の考えに笑いたくなった。吸血鬼なんているはずがない。あんなのはフィクションで、それを本気で自称する人間はちょっとおかしい人だ。

 しかしいくら自分にそう言い聞かせても、あの男が()()なのかもしれないということは既に認めてしまっていた。吸血鬼でなくても、人ではない何かであると信じてしまっているのだ。


「帰りたいよぉ……」


 自称でも本物でも、そんな得体の知れない人々の近くにはいたくない。そう思ってほたるがこぼせば、「すぐには無理かな」と声が聞こえた。


 だが、おかしい。声がしたのは部屋の外からではない。ここには、ほたる一人しかいないはずなのに。


「ッ――!?」


 咄嗟に顔を上げる。全身に恐怖が走る。目をキョロキョロとさせて声の出処を探せば、大きな窓の、そのカーテンの手前に人影を見つけた。


「ッ、誰!?」


 慌てて立ち上がって、ドアノブに手をかける。しかし押しても引いてもドアは全く動かない。

 そうだった、外から閉じ込められているんだ――ほたるの頭が真っ白になる。


「お、いい反応。けど少し遅いかな」


 続いた言葉に、あれ、とほたるの動きが止まった。聞き覚えのある声だ。穏やかで、優しげな男性の声。その正体を確かめようと恐る恐る顔を窓に向ければ、あの執行官の男が立っていた。


「え? どうして……」


 部屋の外に行ったはずなのに。

 混乱するほたるに、執行官の男は手に何かを持って見せびらかすように動かした。


「だって俺が鍵持ってるし?」

「あ……」


 そうだった、とほたるが納得したのは一瞬のこと。すぐに新たな疑問が浮かび、眉間には皺が寄った。


「いや、でも……そこ、窓で……」

「ん? あァ、部屋の中は全部共通の鍵なのよ」

「そうじゃなくて! なんで窓から……? ていうかここ何階……?」


 あれ? あれ? ――ほたるの中に疑問が溢れる。すると執行官の男は「ふはっ」と吹き出して、「だってドアとか面倒臭いじゃん?」と笑った。


「ドアが、面倒臭い……」

「そう。俺の部屋ここの真上だからさ、いちいち中通ったら面倒じゃない?」

「面倒……ではない、と(おも)……います」


 ドアが面倒ってなんだ。遠回りは理解できるけど、だからってどうして窓から来るんだ。

 呆れに近い感情が、恐怖と緊張に包まれていたほたるの身体をほぐす。


「なんか他人行儀じゃない? もっと砕けた感じでいいよ。俺敬語とかそういうの気にしないし」

「……いえ、このままで。それより、すぐには無理って……」


 男の言葉が、ほたるに嫌な予感をもたらす。すると男は「あァ、それね」と言って、ほたるの方へと歩いてきた。


「お嬢さんがどのくらいを想定してるかは分からないけど、調査だけでも一週間はかかると思うから」

「いっ……しゅうかん……」


 予想外の言葉だった。いや、具体的な期間を予想していたわけではないが、そんなに監禁生活が続くとは思ってもみなかったのだ。

 だからほたるは呆気に取られてしまったが、しかしすぐに焦燥感が押し寄せた。


「困ります! 一日二日だって困るのに、一週間だなんて!」

「ちなみに一週間は最低期間ね」

「ッ、尚更困ります!!」


 ほたるの声が強くなる。どうかもっと短くしてくれという気持ちが込められたその言葉に、男は「ごめんね」と苦笑を返すだけだった。


「こっちの事情に巻き込んじゃったのは悪いと思ってるんだけど、他にどうしようもないのよ」

「どうしようもないって……でも私にも生活があるんです! 学校もそうだし、お母さんだって心配して……――ッ、そうだ! お母さん!! 無事なんですよね!? 何もしてないですよね!?」


 話しながら不安だったことを思い出す。きっと無事だろうという希望はあっても、相手の口からはっきりと聞くまでは安心できない。そう思ってほたるが必死さを隠さず問えば、男は「あァ、それ」と言うのを忘れていたとばかりの顔をした。


(みお)ちゃんでしょ? だいじょーぶだいじょーぶ」

「み、みおちゃん……?」


 男の発言にほたるが固まる。澪ちゃんって誰だ。ああ、母の名だ――理解して、いやおかしいだろう、と表情が険しくなる。

 大丈夫だと言われたことは喜ばしい。だが、呼び名がおかしい。何故人の母を〝ちゃん〟付けで呼ぶのか。そんなに親しくなったということか。危害を加えられないなら結構なことだが、あまり親しすぎてもそれはそれで受け入れがたい――思考のまとまらないほたるに、「ちゃんと言ってあるよ」と男が続けた。


「お嬢さんを連れて来る時に会ったから、ちょっと借りますって挨拶しといた。安心していいよ、友達んち泊まってると思ってるから」

「え……? なんで……」


 尚更意味が分からない。自分は夜中に誘拐されたのだから、その最中に男と会った母は警戒したはずだ。それなのに友達の家に泊まるという男の言い分を信じるほど、自分の母は呑気ではないとほたるは知っている。

 一体どういうことだと混乱するほたるに、男は更なる混乱をもたらすことを言い放った。


「人間の認識は簡単に操れるからね」


 へらりと、気の抜けた笑顔で。その態度と発言に、ほたるの思考は完全に停止した。

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