〈3-1〉全員食い殺すぞ
やっぱりテーマパークみたいだな、とほたるは楽しかった出来事を思い出した。プリンセスの住まう城を舞台としたアトラクションは、日本にいながらにして客を手軽に外国へと連れ出してくれる。待ち時間でさえも楽しめるように、列を作る場所もしっかりと他と同じように作り込まれていて……――
やめよう、とほたるは小さく首を振った。楽しかった思い出など、いくら集めても状況は変わらない。それにそういう作り物と比較してしまったせいで、この場の異常性がより際立ってしまった。
石造りの牢も、今歩いている外国の城のような廊下も、それらを形作っているのは明らかに本物と分かる素材だけ。更には照明として使われている蝋燭だって本物だ。蝋燭の火を模した明かりではなくて、実際に蝋を燃料として燃えている。鼻腔をくすぐるこの匂いは、電気の照明が放つものではない。
重厚感、と言うべきか。プリンセスの住む城というよりは、魔法使い達の学び舎のような内装。一歩歩くごとに小さくキィと返ってくる床板の感触も、前を歩く男の足音の静かな反響も、ほたるに張り詰めた緊張感を与える。
となると、ぺたぺたぺた、というこの足音は随分間抜けに聞こえた。ほたるの足音だ。靴がないせいでこの厳かな空間に場違いな音を響かせてしまっている。無意識のうちに足音を小さくしようと気を付ければ、余計に自分がちっぽけな存在に感じられて、ほたるの緊張を強くした。
「――ここだよ」
そう言って扉を開けたのは、あの執行官の男。この空間とよく似合う外見をした男に案内されたのは、ほたるの監禁場所。
「中のものは全部好きに使っていいよ。電気がないから慣れないかもしれないけど、不自由はないはずだから。後で靴も持ってこようか。俺はちょっと外すけど、誰にどんなことを言われても俺以外入れちゃ駄目だよ。死にたくなければね」
不穏な言葉と共にほたるを部屋の中に入れると、執行官の男は外から鍵をかけて去っていった。
取り残されたほたるは部屋の入口で呆然と立ち尽す。そして、何故こうなってしまったのか、と気が遠くなるのを感じた。
§ § §
『処分っつったらそりゃァ、殺すってことでしょ』
へらへらととんでもないことを口走った男に、ほたるがその真意を尋ねる暇はなかった。裁判長が話を続けたからだ。
「本件はその特殊性ゆえ、まずはこの娘にシュシを与えたのが誰かを調べる必要がある。その調査には時間を要するため、その間この娘の処分は保留とし、身柄を執行官に預けるものとする」
処分保留――理解できた言葉にほたるの口から息がこぼれる。彼らの話は何がどこまで本気か分からない。だが、どうせ嘘だと突っぱねる根拠も勇気もない。だからこの処分保留という決定は、ほたるにとっては唯一安心できるものだった。彼らの言う処分が本当に殺すことを意味しているのだとしても、それが嘘なのだとしても、しばらくはこの身に降りかからないということなのだから。
だが、安心したのはほたるだけだったらしい。裁判長の決定に、ここ数分は静かだった傍聴席が一気に怒り出した。聞こえてくる言葉はほたるの聞き取れない言語のものが大半だったが、中には「有り得ない!」だとか、「今すぐ処分しろ!」だとかいった日本語のものもある。
意味の分からない怒声に混じった理解できる言葉が、ほたるの心を重くした。何故なら他の声も同じようなことを言っていると分かってしまうからだ。
彼らにとって処分とは、殺すということ。つまりほたるを殺してしまえと怒っているのだ。友達同士で言う冗談めかしたものではなく、喧嘩の際に口走る脅し文句でもなく。本気で殺意を抱いていると感じざるを得ない強い声が、自分の処遇に安堵していたほたるの身体を震わせる。
なんでこんなことを言われなければならないのだろう。なんでこんなにも死を望まれなければならないのだろう。
それがたとえ彼らの仲間の死に関与してしまったからだとしても、故意ではなかったとたった今認められたところなのに。
まるで自分の存在そのものを否定してくるかのようだ、とほたるの呼吸は浅くなっていった。訳も分からないまま強い敵意を、殺意を向けられている。今はまだ遠くでも、いつその手すりを乗り越えて自分を殺そうとしてくるか分からない。
だがそんなほたるの恐怖は、長くは続かなかった。
「黙れよ。全員食い殺すぞ」
低い声が、ほたるの隣から。思わず視線を向ければそこには鋭い目つきをした執行官の男がいた。それまで笑みを絶やしていなかった男が、大勢を飲み込みそうなほどの敵意を湛えて周囲を睨みつけている。
その変貌と、そして彼の目が、ほたるの頭を真っ白にした。
「目が……」
吸い込まれそうな紫色に染まっていた。サファイアブルーだったはずの男の瞳が、誘拐される時に見た、淡い光を放つ紫に。
目が離せなかった。彼の言葉も眼差しも恐ろしいものなのに、それらがどうでも良くなるくらい、その瞳の色は美しかったから。
「――やりすぎだ、ノエ」
落ち着いた声がほたるの耳朶を打つ。その声は群衆よりも近くから聞こえた。前方の、柱の上にある席のどれかからだ。
けれど、裁判長ではない。明らかに男のものと分かる声。執行官の男よりも重みのある、年齢を重ねたような声だ。
「それではまるで、お前がその娘に肩入れしているように見える」
同じ声が続ければ、執行官の男がゆっくりと瞬きをした。一瞬瞼に隠された瞳の色は、もう紫ではない。それまでと同じサファイアブルーの瞳だ。そしてその表情もまた、へらりとしたものに戻っていた。
「してますよ。だってこのお嬢さん、俺預かりって決まったでしょ? だったら死なせないようにしないと」
「やり方の問題だ。序列の力を使った威圧は執行官の持つ権限を逸脱しているように見える。お前が個人的に……いや、ラミアがその娘を庇護していると思われてもおかしくはない」
「そのへんはちゃんと気を付けてますよ。いくら俺でも流石に親に迷惑をかけることはしませんって。あんたはほら、麗に手を焼かされてるから気ィ張り過ぎなんじゃないっすか? クラトス様」
その言葉と共に執行官の男がほたるの背を軽く叩いた。思わずほたるが男を見上げるも、彼の視線はクラトスと呼ばれた相手に向けられたまま、その意図を推し量ることすらできない。
「それに俺だったら、やる時はバレないようにやりますよ」
「含みがあるな」
「ええ。だって、おたくの従属種が外界で人間を襲ったのは大問題っすからね」
そう言うと、執行官の男はほたるを抱き上げた。「ッ、な……!?」ほたるが悲鳴に近い声を上げるも、男は「ちょっとごめんねー」と軽く返すだけ。
そしてほたるを抱えたままその場から数歩離れると、「場所は空けましたよ」と言ってクラトスを見上げた。
「……▓▓▓▓▓▓」
明らかに怒気を孕んだ声でクラトスが呟く。ほたるには理解できない言葉だったが、すぐそこにある執行官の顔がニンマリと意地悪く笑んだことで、なんとなく悪態を吐いたのだろうということは分かった。
暴言を吐かれて笑うって、もしかしてこの人は性格が悪いのだろうか――ふと考えてから、私はなんて呑気なことを、とほたるは内省した。このひりついた空気の中でそんなどうでもいいことを考えられたのは安心感からだとは思うが、しかしその安心感をもたらしているのがこの男だと考えるといただけない。確かに彼は自分を死なせないようにすると公言していて、ここにいる大勢を黙らせられるだけの力を持っている。
が、しかし。この男は誘拐犯なのだ。しかも人間ではない。今は事情があるから守ってくれているのだとしても、元々は彼の判断のせいで自分は今ここにいるのだ。
しっかりしろ、気を抜くな――頭の中で何度も唱える。そうしてどうにかほたるが緊張感を取り戻したところで、裁判長が「では、続けようか」と声を発した。
「クラトス、被告人台へ」
裁判長の言葉に、その場の空気が一気に冷たくなった。