〈落葉篇〉蕾
男は女に、愛しい人の面影を見た。
§ § §
女の首に手を伸ばす。滑らかな肌、美しい形の細い筋肉。耳の下から伸びたそれを辿っていけば、しなやかな鎖骨の窪みに指が収まる。ドクドクと脈打つ鼓動、ふっくらとした太い血管。
魂が抜け落ちたようにぼんやりとしている女は、男にいくら触れられても微動だにしない。
「顔は似ていないのに」
しかし纏う雰囲気は同一人物かと思うくらいに似ていて。それなのに一度別人だと認識してしまえば、もう似ているとは到底思えない。
ならば何故こんなにもこの胸を掻き乱されるのだろう、と女の首筋に食らいつく。牙を立てれば蕩けるような甘さの血液が口に入って、思わず全てを飲み干したくなる。
けれど、男は耐えた。己の疑問の答えはそこにはないと気付いたからだ。
「教えてくれ、アイリス」
自らの心臓に手を伸ばす。鋭利な爪で胸を貫き、そこから流れ出る最も濃い血を手のひらに溜める。
十分に溜まったら胸から手を離して、その血液をきつく握り締める。指の隙間から溢れるはずのそれは手の中に留まって、固体とも液体とも言えない固まりになった。
女の口に、その固まりを流し込む。女は拒まない。相変わらず虚空を見つめる女は自分の身に起きたことを理解してもいない。
男は女が全て飲み干したのを見届けると、音もなくその場から姿を消した。
§ § §
そろそろ頃合いだ――しばらくして女の様子を見に行った男は、女の隣に不愉快なものを見つけた。
大きな腹を抱える女に寄り添う一人の男。年の頃は女と同じくらい、青年と言ってもいいだろう。仲睦まじく腰を抱き、頬を擦り寄せ、女もまたそれに応える。
不快だった。己のものだという印をその身に持っているのに、他の男に想いを寄せる女の心が。青年の存在が。全てが不愉快極まりない。
だから男は、青年の首に牙を立てた。
その血の一滴も残さず飲み干したのは、決して美味かったからではない。女が愛するものを食らい尽くすことが男の目的だったからだ。
女が愛していたのは自分だとその心に刻み込み、身体に染み付いた青年の匂いを、自らのそれで消していく。
早く女が欲しかった。彼女の身に宿した所有の証を芽吹かせてしまいたかった。早く答えを教えて欲しかった。
けれど女があまりに愛おしそうに自分の腹を撫でるものだから、子供くらいは生ませてやろう、と思い留まる。
男が自分の目を疑ったのは、女が子を生んだ後だった。




