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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【前篇】第五章 無自覚の操り人形
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〈19-2〉……この体勢になる意味が?

「ほら、ほたる。支度して」


 立ち上がったノエがほたるに笑いかける。突然のことにほたるは目を瞬かせると、「もう行くの?」と問いかけた。


「行かないの?」

「……行く、けど」


 行き先は勿論、ほたるの家だ。それが分かっているためほたるにも後ろ向きな気持ちはなかったが、しかしあまりにもスムーズに事が運びすぎて呆気に取られてしまう。

 なんだったらもう少しゆっくりしてからでもいい。身支度も途中だが、散々泣いた目はまだ腫れているのだ。その腫れに対処する時間くらいは欲しいかも、と考えかけて、ほたるは「あ」と声をこぼした。


「もしかして馬車の時間があるとか?」

「馬車?」

「ほら、バスとか電車的な」


 それならばノエが自分を急かすのも頷ける。そういえばちょうどいい時間だとも言っていた。となると流石に急がなければなるまいとほたるが腰を上げたところで、ノエが「そんなのないよ?」と首を傾げた。


「じゃあどうやって行くの?」

「これ」

「……時計?」


 ノエが示したのは手に持った懐中時計だった。今は蓋が閉じられているが、先程それでノエが時間を確認したのはほたるも見ている。

 意外と古風なものを持っているなと思ったが、ノエは見た目が若いだけで実際はかなりの年齢だったことを思い出した。


「前に言ったでしょ、ここは外界とは違う場所だって。歩いて行くのは無ー……理とも言い切れないんだけど、遠いしうっかり死んじゃうから」


 無理と言いかけて、どうにか言い留まったノエにほたるが怪訝な顔をする。


「……それは無理じゃないの?」

「完全に無理なワケでもないのよ。運が悪いと即死なだけで」

(こわ)……」


 それは無理と言ってしまっていいのではないか。そんな方法で移動したがる者なんていないのではないか。

 ほたるが顔を強張らせていると、ノエが「だからまァ、安全で楽な方法で行こうね」と付け加えた。


「……うん、それでお願いします」


 むしろそれ以外の方法で行くと言われれば断固拒否する。行きたいと言ったのは自分だが、流石に運で命を落とす方法はリスクが高すぎる。

 なんてことを思いながらほたるはノエの手元に目を戻すと、「でも時計でどうやるの?」と首を捻った。


「これ時計じゃないのよ。時計部分もあるけど、俺らは鍵って言ってる。正式名称は長いから忘れた」

「忘れた……。でもこれのどこが鍵なの?」

「んっとね、ノクステルナと外界を繋ぐ場所に変な物質があるらしくて、中にそれが入ってんの。で、これで外界側の座標を指定するといい感じに着く」

「……大事なところすっ飛ばしたね?」

「うん、だって俺もよく分かんないもん」


 へらへらと笑って答えたノエに、今までで一番発言とよく合っている表情の使い方だ、とほたるは呆れ顔をした。この笑みは本来こういう時にすべきなのだ。それ以外でも駄目なわけではないが、決して真剣な話の時にするものではない。


 とはいえ最近は真剣な顔で真面目な話をしてくれることも増えたけど――ノエの基準は分からないな、とほたるが考えていると、パカッと懐中時計の蓋が開く音がした。


「見られると面倒だから座標はほたるんちにするよ。もし母さんか父さんと鉢合わせたら記憶をいじることになるんだけど、それはいい?」

「どうやって来たかって部分だけだよね?」

「うん」

「……じゃあ、いいよ。覚えてたら混乱しちゃうだけだろうし」


 自分が決めていいのかとも思ったが、今回ばかりは仕方ない。異常な光景を目の当たりにしたら本人達を悩ませてしまうだろう。もしかしたら自身の正気を疑うことだってあるかもしれない。

 ほたるは気を紛らわすようにノエの手元を覗き込むと、そこにあったものに「わ……」と声を漏らした。


「これ、数字? なんか多くない?」


 懐中時計の中には大小様々な文字盤がいくつもあった。それらが歯車のように絡み合い、一つの芸術作品のようにも見える状態になっている。

 刻まれている文字はほたるの知らないものだったが、座標というからにはきっと数字なのだろう。だが時計のように短針と長針の分だけではなくて、ダイヤル式の金庫の鍵のように無数の数字が絡み合う歯車は見ているだけで目が回りそうになる。


「そりゃ座標だもん。二、三桁じゃ範囲が広すぎるでしょ」

「……ノエはうちの座標覚えてるの?」

「俺、数字は覚えるの得意」


 ノエは事も無げに答えたが、得意で済む話なのだろうか、とほたるは口をぽかんと開けた。一つの座標を覚えているならまだしも、この口振りではきっといくつもの座標を覚えているのだろう。普段のノエの姿からは想像もできないその記憶力に、ほたるは目を大きく見開いたまま相手を見上げた。


「ノエって、もしかして円周率とか全部覚えてるタイプの人?」

「えんしゅーりつ?」

「ほらあの、円の面積とか求める時に使うやつ」

「人生で円の面積求める時ある?」

「……あるんだよ、学生は」


 そうくるか、とほたるの顔が引き攣る。ノエは円周率というものを本当に知らないのか、単に日本語での言い方を知らないだけか。ほたるが考えていると、ノエがへらりと笑った。


「そういう勉強にしか使わない数字は頭に入ってこないんだよね」

「面積は勉強以外でも必要になると思うけど」

「四〇〇年生きてて自分で面積計算したことないよ」

「あ、はい……」


 四〇〇年も生きていたんだ、というほたるの感想は、同時に発せられた言葉で頭の隅に追いやられた。自分で面積を計算したことがないというのは、単に勉強をしてこなかったという意味ではないような気がしたからだ。

 四〇〇年も生きてきたなら一度くらいはその機会もあっただろうという呆れと、その必要がある時は全て誰かにやらせていたのではないかという疑いと。ノエの愛想の良さと()()()()を考えれば、後者の方が有り得そうに思える。そう考えるとなんとも言えない気持ちになって、ほたるは「ていうか私、勉強の遅れ取り戻せるかな……」と厳しい現実を思い出すことにした。


「すぐに取り戻さないと駄目なの?」

「じゃないと浪人しちゃう……」

「浪人?」

「高校卒業してすぐ進学するんじゃなくて、一年以上遅れちゃうこと」

「ふうん? でも別にそれくらい良いんじゃない?」


 本当に問題ないと思っていそうなノエに、ほたるがじっとりとした目を向ける。


「浪人って、余計にお金がかかるってことだよ。お母さんには言われたことないけど、あんまり家計の負担にはなりたくないし……」

「しっかりしてるねェ」


 ほたるの説明にノエがにこにこと笑う。いつものへらへらとした笑い方ではないが、何を笑われているのかがほたるには分からない。「……なんで笑ってるの」思わず不機嫌な声で問えば、ノエは「だって良くない?」とやはり明るい声で答えた。


「そういう心配ができるってさ、自分はまだ死なないって思えてるってことじゃん」

「あ……」


 言われて、そういえばそうだ、とほたるは目を瞬かせた。つい先程まで自分はもういつ死ぬか分からないという恐怖に駆られていたというのに、今は生き残った先の心配をしている。

 何故そんな気持ちになれたのかは分かっていた。けれどノエの前で言葉にするのは癪で、「確かに……」と相槌を打つに留める。

 しかしそんなほたるにノエは更に笑みを深くすると、「ところでほたる」とベッドの横へと歩いていって、そこにかけてあったほたるのコルセットを手に取った。


「支度、進んでる?」

「あ!!」



 § § §



 不覚だ――身支度を済ませたほたるの表情は険しかった。対して、そんなほたるを見たノエはおかしそうにけらけらと笑っている。それが余計にほたるに追い打ちをかけたが、何も言うことはできない。


「別にいいじゃん、俺に指摘されたくらい」

「……ノエは自分のちゃらんぽらん具合を侮ってるよね? ノエに落ち度を指摘されるの、なんか凄くしんどい」

「しんどいって」


 ノエがまた声を上げて笑う。


「でも俺、身支度はいつもちゃんとしてる方だと思うけど」

「……そういえば髪がボサボサだったことすらないね。髭も生えないの?」

「生えるよ? 今頭がこんな色だから合わなくて剃ってるけど」

「その青いのは地毛じゃなかったんだ」

「こんな地毛あるワケないじゃん」


 おかしそうに言われ、ほたるの顔がまた一層険しくなった。

 それを言うなら吸血鬼がいるわけがない、というのがついこの前までのほたるの認識だ。だからなんとなく青い髪色も地毛で有り得るのかと思っていたが、ノエにとっては笑い話になるくらいに有り得ないことらしい。


「ていうか本当に荷物持ってくの? 置いてけばいいのに」


 ノエが荷物を抱え込んだほたるを見て首を傾げる。その腕の中にはほたる自身のものと、ノエの荷物がしっかりと持たれていた。


「そうだけど、遠出するなら持ってかないと落ち着かない」

「俺のまで持つ意味ある?」

「急に着替えが必要になるかもしれないじゃん」


 ほたるが答えれば、ノエは「そんなことある?」と首を捻った。しかし納得はしたらしい。「戻って来る時忘れないようにしないとね」と言うと、鍵の蓋を開いた。


「さてと、そろそろ本当に行こうか。向こうが夜の間じゃないと俺がしんどいからね」

「あ、そっか」


 だから時間を気にしていたのかと今更ながらに気が付いて、ほたるはやっと顔の力を抜いた。


「こっちにおいで」


 呼ばれて素直に近付けば、ひょいと横抱きに持ち上げられる。「っ!」突然のことに悲鳴を上げかけたが、どうにか飲み込むことができてほたるは胸を撫で下ろした。


「……この体勢になる意味が?」

「落とすと危ないから」

「……なるほど」

「だからほたるもしがみついててね」

「ん」


 言われるがままにノエの首に手を回し、ぎゅっとしがみつく。荷物が少し邪魔だったが、腕とノエの間に挟んだから落とす心配はないだろう。落ちた先がどこなのかは分からないものの、座標なしでは運次第で死ぬというのだからそれだけまずい場所に違いない。

 だから荷物どころか自分も落ちてなるものかと思ってそうしたが、よくよく考えると凄い格好だ、とほたるは顔に熱が集まるのを感じた。最近ではノエがしょっちゅう触れてくるせいで感覚が麻痺していたが、本来これは異性との接し方としては異常なのだ。そう自覚すると更に心臓がバクバクと騒ぎ出して、ほたるの体温を上げていく。


「緊張してる? 大丈夫だよ、落とさないから」

「……ん」


 それが緊張の原因ではないけれど、というのは言わないことにした。


「じゃァ行くよ。ちょっと眩しいから目ェ瞑ってな」


 その声と同時に、ノエの手元からカチリと音が鳴る。その直後、ほたるの視界を紫色の光が覆った。

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