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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【前篇】第一章 夜燕の波
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〈2-3〉あの……処分って?

 悪戯であって欲しかった――ほたるの頭に浮かんだ願いは、つい今しがた憤りを覚えたものだった。

 誘拐され、牢に入れられ、裁判にかけられて。しかもその相手は人間ではないと来たものだから、もう何がどうなっているか理解できる気がしない。


 分かるのは、目の前でへらりと笑う男の顔が無駄に良いことだけだ。自分を誘拐した張本人でなければまだ現実逃避のために鑑賞しても良かったが、誘拐の実行どころか裁判に引っ張り出す判断までこの男がしていたと考えると腹立たしい。

 なんていくら別のことを考えようとしてみても、その男が「じゃァ、改めて質問」と意識を引き戻してくるものだから、ほたるにはもうどうすることもできなかった。


「お嬢さん、家で俺に会うより前に吸血鬼に会った?」


 ゆるく笑みながら執行官が問う。お前は何故そんなに呑気そうなんだとほたるは文句を言いたくなったが、しかし口にすることはできなかった。質問の答えが頭に浮かんだからだ。


 吸血鬼の存在は、できれば信じたくない。これを信じてしまえば他の話も信じなければならなくなってしまう。

 彼らの仲間の死に自分が関与しているという疑いが、真っ当なものだと受け入れなければならなくなってしまう。


 けれど、答えないという選択肢はなさそうで。


「……吸血鬼かは分からない、けど――」


 まだ全て信じたわけではないぞと、前置きをして。


「――変な男の人には、会いました。それで……首を、噛まれて……」


 無意識のうちに首元に手を当てる。指先に固まった血が触れる。

 紛れもない現実だ。少なくとも、見知らぬ男に噛まれたことは。そしてきっと、その後に起こったことも。

 しかしそれを言う勇気はほたるにはなかった。この執行官達の話が正しいのであれば、自分が見たのは人の死なのだ。何故死んだのかは分からないが、もしかしたら助ける方法はあったのかもしれない。だが自分はそれをしなかった。しようとも思わなかった。理解しきれない現実を前に、ただただ恐怖で逃げ出しただけだ。

 それを死への直接的な関与と言われているのであれば、否定しようがない――急に襲った実感にほたるが唇を震わせていると、「見せて」と執行官の男が手でほたるの長い髪を後ろに流した。


 そして傷に触れるほたるの手を取り、顔を首筋にうんと近付ける。


「あァ、確かに……従属種の匂いがする」

「ッ……」


 至近距離で自分を見つめてきた目に、ほたるの全身には緊張が走った。続いて、体温が上がる。それは今考えていたことを暴かれる恐怖からか、それとも自分を見てきた男が妖艶に微笑んだからか。

 ほたるは訳が分からなくなって、「ち、近い!!」と声を荒らげた。


「出るじゃん、大声。そのくらい大きな声で言わないと駄目だって」


 へらへらと笑いながら執行官がほたるから身体を離す。からかわれた――その態度と言葉にほたるが相手の行動の意図を悟った。

 恐らくは、大声を出させるため。この広い空間ではそれまでの声では届かないからと、もしかしたら気を利かせたつもりなのかもしれない。


 だが、やり方が悪い。大声が必要なら口でそう言えばいいだけなのに、何故こんな方法を取る必要があるのか。

 そのほたるの憤りは、質問に答える形で吐き出された。


「夜道で変な男に会った! 噛まれた! そしたらその人は苦しんで霧になった!」


 一文一文にこれまでの不満と怒りを込めて、思い切り声を張り上げる。なんだったら羞恥心も誤魔化した。

 すると傍聴席からはどよめき声が、そして隣からは「だそうっすよ、裁判長」と相変わらず緊張感の欠片もない声が聞こえてきた。


「もう十分っすよね? これで事前に報告していた内容の裏付けが取れたと思いますけど」


 執行官が裁判長に問いかける。ゆっくりと頷く相手をほたるが本当に裁判長だったのかと思いながらぼんやりと見ていると、その裁判長の顔が自分の方を向いたのが分かった。


「お前は事前に許可を与えたか?」


 顔の向きと質問内容に、きっと自分に言っているのだろう、とほたるが「許可?」と聞き返す。


「その男は、お前に血を飲んでいいか聞いたか?」

「い、いえ! ないです! 急に腕を掴まれて、逃げようと思う前にもう噛まれてて……」


 思い出して、ほたるの身体がぶるっと震えた。自分は噛まれただけだから良かった。傷にはなったが、命に関わるものじゃない。

 だがこれがもし噛む以外の、もっと恐ろしい凶器を使った何かだったら――考えれば考えるほどほたるを勢い付けていた怒りは急速に萎んでいって、その身を恐怖で強張らせた。


「大丈夫だよ」

「ッ……」


 隣から優しい声がかかる。見ればそこには安心させるように笑う執行官がいた。だらけていたこれまでとは違い、本当に味方かもしれないとほたるに錯覚させるような雰囲気を纏っている。


 でもこの人、私のこと殴ったんだよな……。


 ほたるが無理矢理記憶を引っ張り出したのは絆されないためだ。この男は誘拐犯で、しかも人間ではないかもしれない。そんな相手に気を許してはいけないと背筋を正したところで、裁判長が周囲に向かって話し出した。


「この娘の話が事実ならば、従属種の男は外界で人間に襲いかかったことになる。いくら彼女がシュシモチであれど、人間であることには変わりない。そして許可のない吸血は勿論、申請なく外界に行くことは法で禁じられている。本来であれば他者の従属種を殺すことは極刑に値するが、先に法を犯していたのは死んだ従属種の方だ」


 裁判長の声にその場の空気が変わる。納得というよりは、不承不承で怒りを収めているような空気だ。

 そんな中、ほたるにも聞き覚えのある声が上がった。


「しかし何故シュシモチが外界にいるのです!? 自らの子が裁判に召喚されているのに、親が姿を現さないということはよほどの事情があるはずだ!」


 それは先程も傍聴席から質問をした人物だった。低く重みのある声は男のものだろう。前回の質問は強い語調でもまだ落ち着きがあったが、今回はそこに怒りが滲み出ている。

 何をそんなに怒っているのか、そして親とは自分の母のことなのか――ほたるがどうにか相手の話を理解しようとしていると、彼に同調するように「そうだ!」と別の方から声が響いた。


「シュシモチを外界に置けるのは執行官くらいだろう! この状況で姿を見せない者に執行官の資格はないのでは!?」

「その娘が日本人なら(うらら)殿が親ではないのか!? あの傍若無人の執行官ならばやりかねない!」

「違いない! いい加減あの女から執行官の権限を剥奪すべきだ!」


 群衆の怒りが別の人物へと向かっていく。ほたるが呆気に取られていると、「本当信用ないなァ、あの人」と隣で執行官の男がおかしそうに笑った。


「静粛に! 今この場にいない者を根拠のない憶測だけで貶めることは私が許さない」


 それまでよりも厳しい声で裁判長が告げる。


「そーそー。つーか麗は俺より序列下だから有り得ないよ。そもそもあの人はクラトス様の系譜なんだから色々おかしいだろ」


 執行官の男がそう嘲笑すれば、声を上げていた者達が完全に押し黙った。

 途端、嫌な沈黙が広い空間を包む。何故そうなったのかはほたるにも分かった。この男の指摘が正しかったからだ。相手の不満ごとねじ伏せる力のある根拠を彼が示したから、誰も何も言うことができなくなってしまったのだろう。


 一体何が、どうなって……――状況は分かるのに、ほたるにはさっぱり話が見えてこなかった。この場所には自分の知らない理屈があって、それを中心に動いている。そのことがほたるには不安で仕方がなかった。今自分は被疑者のように扱われているのに、その罪の如何を判断するであろう周囲の判断基準がまるで分からないからだ。


「――だが、疑問は真っ当だ」


 聞こえてきた裁判長の声が、ほたるの不安を大きくする。


「この娘はシュシモチとして登録されていない。未登録のシュシモチが外界にいたことも、そして親がこの場に現れないことも。この両方が同時に起こることは、現在の法の下ではあってはならない」


 裁判長の顔がほたるに向けられる。ほたるがびくりと肩を揺らせば、「だから問おう」と裁判長が続けた。


「神納木ほたる、お前は自分がシュシモチだという自覚はあるか?」


 その問いの意味がほたるには分からなかった。今この場で問われたこともそうだが、そもそもシュシモチが何なのかすら分からないのだ。


 どうすればいい? どう答えるべき?

 ほたるが悩んだのは、この答えが自分の処遇を決めそうな予感があったから。


 下手なことは答えるべきではない、と思う。こういった場面において、自分を不利にする発言は極力控えるべきだということくらい、十七年しか生きていないほたるでも十分に分かる。

 だが、何が駄目なのかが分からない。何が自分を不利にして、何が自分の罪を晴らしてくれるのかがほたるには全く分からない。これまでの話から考えようにも、意味の分からない単語が多すぎて考えようがない。

 無意識のうちにほたるの目が隣に向く。執行官の男がいる場所だ。この男もまた自分の味方ではないだろうということは分かっているのに、周りよりも柔和な態度がほたるに希望を抱かせる。

 そんなほたるの視線に気付いた男は目をパチクリとさせると、「ごめんね」と苦笑を返した。


「この質問は流石に、俺が答えを誘導したように見えちゃ駄目だから」


 だから助け舟は出せないぞという意思表示が、ほたるの顔を強張らせる。


「でもまァ、変に嘘は吐かなくていいよ。分かってるふりだってしなくていい」


 周囲に聞こえるような声で言ったのは、これから先のほたるの答えには関与していないと示すためだろう。

 そうと気付くと、なんとも言えない気持ちでほたるは視線を前に戻した。


 助けはない。自分で考えなければならない。答えを出しようがないこの場所で、自分で無理矢理答えを出さなければならない。

 だがやはり、ほたるには自分を救う答えは見つけられなかった。


「……すみません、その……シュシモチって言葉の意味が、よく分からないです」


 だから口にしたのは、自分の無知を示す言葉。ここが別の場所であればもう少し悩んだかもしれない。しかしもうここでは自分の常識が通用しないことは分かっているのだ。だったら、知らないことは知らないと言ってしまった方がいい。

 そう思ってほたるがおずおずと答えれば、裁判長は「だろうな」と頷いた。


「へ……?」


 知ってたの? 分かってた上で聞いたの? ――ほたるが呆然と裁判長を見つめる。


「ではお前は、吸血鬼になることを受け入れているか?」

「……ん?」


 続いた問いに、ほたるはいよいよ思考が止まるのを感じた。


「あの……え? どういう話ですか……? シュシモチって言葉の話じゃ……」


 混乱のまま口を動かせば、聴衆がどよめくのが聞こえた。


「それは追々説明しよう。――さて、聞いたとおりだ」


 ほたるに答えた裁判長は、そう言って周りに目を向けた。しかしほたるには状況が分からない。質問を質問で返すことしかしていないのに、それが答えとして扱われてしまっている。

 それは流石にまずいのではないかと声を上げようとしたが、先によく通る声が発せられたためほたるには何も言うことができなかった。


「この娘には自分がシュシモチであるという自覚がない。その意味すらも知らない。更に吸血鬼の存在すら知らなかったことは、これまでの彼女の振る舞いが示している。ならばこの娘が、従属種相手に意図的に自分の血を飲ませたということは有り得ない」


 そんな話だったっけ、とほたるは首を捻った。今回はほとんどの内容が理解できたが、しかし自分が他人にわざと血を飲ませたという話は一度も出ていなかった気がする。

 困惑のままほたるがつい隣を見れば、執行官の男は満足そうな笑みを返した。口元に人差し指を当てて、黙っておけ、とほたるに示す。その目が自分を安心させるようにゆるく細められていたものだから、ほたるは仕方なく顔を前に戻した。その直後だ。


「よってクラトスの従属種の死に関して、神納木ほたるは無罪とする」


 聞こえてきた無罪という単語。分からないことだらけの中で、これだけは確実に理解できる。正直何が罪かも未だに分かっていないが、しかし許されたのだと確信できたお陰でほたるの肩からは一気に力が抜けた。

 その肩に、鋭い声が突き刺さる。


「しかし処遇はどうするのです!? 登録のないシュシモチは処分する決まりでは!?」


 誰の声かはもう、ほたるには分からなかった。傍聴席から聞こえることは確かだが、最初の男とは違うように思う。

 そんなことよりも、その内容の不穏さの方がほたるには気がかりだった。


「あの……処分って?」


 思わず隣の男に問いかける。すると終始呑気そうにしていた男はやはりへらりと笑って――


「処分っつったらそりゃァ、殺すってことでしょ」


 と、穏やかな声で言い放った。

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