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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【前篇】第五章 無自覚の操り人形
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〈17-2〉詐欺師みたいって思ったでしょ

 昼食を摂り、少し食休みをした後。ノエはほたるを連れて再び街中を歩いていた。午前中は行かなかった方角を歩いて周り、ほたるに言ったとおり人々の観察を続ける。

 正直なところ、あまり収穫はない。人が少ないからだ。それに従属種に扮したほたるを連れている以上、入ることのできる場所は限られてくる。従属種というだけで拒まれることもそうだが、そうでなくてもほたるに嫌な思いをさせてしまうからもしれないからだ。

 もう少し言葉を教えておけばよかったな、とノエは少しだけ後悔した。ほたるを怖がらせないためには、事前にそれなりの説明が必要になる。しかしそれをするだけの語彙がまだ彼女にないから、説明ごと気になる場所に入ることも諦めるしかない。


 でもまァ、それで良かったかも――ノエは隣を歩くほたるを見て、こっそりと柔らかい笑みを浮かべた。

 そんな理由でもなければ、自分はほたるを危険な場所まで連れ回してしまっていたかもしれない。手の届く範囲にいてくれればそうそう怪我をさせる心配はないが、彼女の気持ちは別だ。いくら事前に危険があると説明しても、そして怪我を負わせることはなくとも、彼女に怖い思いをさせてしまうことはあるかもしれない。だったらその心配がなくなるのは良いことだと思える。

 それに、こうやって散策している間に必ずしも怪しい人物を見つける必要もなかった。あくまで本命はスヴァインが自らほたるを探しに来ること。ここにほたるがいると噂にならない程度に、人前に姿を現しておくというのが狙いだ。ついでにその身の安全を守るのが一人だけだと知ってもらえたら尚良い。


 しかしながら、やはり言葉を知らないのは不便だなとも思う。フードでよく見えないが、時折見えるほたるの顔がだんだんと眠そうになっている。彼女にしてみればただ知らない土地を歩き回っているだけなのだから無理もない。何か気になることがあっても今は聞く術を持たないから、本人にやる気があっても退屈してしまうのだろう。


 宿に戻ったらほたるも楽しめる言葉を教えようか――そんなことを考えながら歩いていると、ふと背後から視線を感じた。


「《ノエ!》」


 やはり自分か、とノエはほたるを抱き寄せて、声がした方へと身体を向けた。


「《何か用?》」


 視界に入った男を見ながら問いかける。あれは誰だったか。明らかに怒っているから、もしかしたら最近罠に嵌めた奴かもしれない。

 ノエが記憶を辿っていると、「ノエ……?」と腕の中からほたるの声が聞こえた。その瞳に不安を見つけ、「《大丈夫だよ》」と微笑んでみせる。するとほたるはほっとしたように身体の力を抜いた。日本語とは違うこの言葉を理解したのだ。

 安心させる言葉を教えておいて良かったと満足しながら、ノエが男に視線を戻す。先程からずっとノエを睨んでいた男は更に目を吊り上げると、「《よくここに来れたな》」と嫌そうに吐き捨てた。


「《今度は何をするつもりだ? どうせろくなことじゃないんだろう》」

「《仕事だよ。それ以外になくない?》」

「《また同胞を裏切るのか》」


 男が声を低くする。ああ、やはり罠に嵌めた奴だったか――ノエは男の怒りの原因を知ったが、しかしどの件かまでは思い出せなかった。


 だが、それでいい。思い出せなくても問題はない。


「《それが俺の仕事だもん》」


 そう、これが自分の仕事だから。取り入る時は流石に名前は覚えるが、用が済んだ後まで記憶に留めておく必要性は感じない。どうせ恨まれているだけだ。その事実さえ分かっていれば、自衛だってできる。


 しかし男はノエの答えに納得がいかなかったらしい。「《いけしゃあしゃあと……!》」今にも噴き出してしまいそうな怒りを顔に湛え、ノエを見る目を鋭くした。


「《この売国奴が!》」

「《売ったのはあんたの国じゃないんだけど》」


 多分。

 相手の名前が分からないのだから、当然その出身国も覚えていない。


「《黙れ裏切り者!》」

「《騒いでるのはそっちじゃん。あんまりうるさいと黙らせるけど? 俺が仕事中じゃないって言い切れる?》」


 腕の中に震えを感じ取って、ノエはほたるの頭に軽く手を添えた。ほたるが怯えているのは男の剣幕のせいだろう。そう思うと無性に腹が立って、男に向ける目に敵意がこもる。


「《ッ……クソ!》」


 ノエの害意を感じ取った男は悔しげに悪態を吐くと、「《さっさと失せろ!》」と地団駄を踏んだ。


「《そして二度とこの街に来るな!》」

「《苦情はノストノクスにどうぞー》」


 言いながら男にひらひらと手を振ってみせる。すると男は一層苛立ったように顔を歪めたが、何も言わずにその場から去っていった。



 § § §



「――昼間なんで怒られてたの?」


 夜、宿に戻った後。ほたるは隣で水を飲んでいるノエを見ながら、午後の出来事を思い返した。平和に進んでいた散策は、見知らぬ男の登場で急に一時中断することとなった。男が去った後にノエは何食わぬ顔で再開したが、しかし理由は気になってしまう。

 だからほたるは尋ねたが、ノエは「んー?」と何のことだろうと言わんばかりの声を漏らした。


「ほら、なんか怒鳴られてたじゃん。あれって私のせい? あの人物凄く怒ってるように見えたけど……」

「あァ、あれね。あれはほたると関係ないよ。俺にキレてただけ」


 そう答えるノエは平然としていた。その言葉にも嘘はなさそうだ。けれど、人があんなに怒るところは滅多に見ない。「なんで?」ほたるが首を傾げれば、「裏切り者だから?」とノエはへらりと笑った。


「それ、前にペイズリーさんが……」

「そうそう、それ」


 ノエは肯定したが、ほたるにはよく分からなかった。あの時のペイズリーはノエの人間時代の行いとして、裏切り者だの同胞殺しだのというあだ名を出したはずなのだ。


「あれって人間の頃の話じゃなかったの?」

「そうだけど、今も同じことしてるよ。仕事で情報集めるために誰かの仲間のふりをすることはよくあるからね」

「……だったらみんな警戒しないの? あんなに怒ってる人がいるなら、ノエがそういう仕事だって知られてそうだけど」

「その上で信用してもらうのがお仕事なのでー」


 いつもよりもおちゃらけたノエの言い方が、ほたるの眉間に皺を寄せる。ノエはそんなほたるを見ると、くすりと笑みをこぼした。


「詐欺師みたいって思ったでしょ」

「……思った、けど……なんか、寂しいなって。みんなノエのこと警戒して、ノエも相手を騙すようなことして、それが仕事で……」


 うまく言葉にできなくて、ほたるはもどかしさに奥歯を噛み締めた。ちらりと盗み見たノエの顔には苦笑がある。仕方がないと言いたげなその表情に、ほたるは余計自らの言葉の拙さを思い知った。

 けれどほたるが言い直すより先に、ノエの表情が変わる。苦笑いは柔らかい微笑みになって、ゆるく細められた目がほたるを見つめた。


「だから俺、ほたるといるの楽しいよ」

「……って、信用させて裏切るの?」

「ははっ」


 ノエがけらけらと笑う。ほたるが何を笑っているんだと文句を言おうとした時、ノエが「今のところその予定はないよ」と続けた。


「でも裏切らないって約束はできない。組織にはまだ反抗できるけど、親に命じられたら逆えないないからね」


 それは、吸血鬼の習性を示す言葉。上位の者に操られれば、本人の意思など関係なくなってしまうことを示す言葉。

 ほたるはくっと眉根を寄せると、「じゃあ、昨日の話も?」と声を落とした。


「ノエ個人が休暇取ってスヴァイン探し付き合ってくれるっていうのも、親が……ラミア様が反対したら、ノエはできないんだよね?」

「……そうだね。多分、反対はしないと思うんだけど。俺にできるのは、反対されないようにうまく誤魔化すところまでかな」


 そう言って、ノエの表情が曇る。「約束できれば良かったんだけど」困ったように笑うその顔を見て、ほたるの胸がきゅうとなった。


「ほたるも馬車借りる時に見たでしょ? どれだけ抗おうと思っても、自分より上の序列の奴に紫眼を使われたらどうにもならない。抗おうとした気持ちも記憶も書き換えられるかもしれない。もしかしたら俺が気付いてないだけで、そういうことはもうとっくに俺にも起こってるのかもしれない」

「……やっぱり、吸血鬼って不自由すぎるよ。不満を押し込めるだけじゃなくて、その不満すらなかったことにされるなんて」


 そして、なかったことにされた記憶すら残っていない。

 それはなんて恐ろしいのだろう、とほたるは顔を歪めた。不自由なだけでなく、常に不安を抱えていなければならない。自分の記憶や意志が本当に自分のものなのか、常に疑っていなければならない。

 まるでその人の心が蔑ろにされているようだと思う。そんな中で生きるのはどれだけの苦痛が伴うのかと、想像するだけでも苦しくなる。


 今まで会った人達も、みんなその苦痛を抱えて生きているのだろうか――ほたるが考えかけた時、「だからみんな目を逸らしてる」とノエがその疑問に答えを与えた。


「そんなワケで、俺もほたるのことを絶対に裏切らないとは約束できない。ほたるって俺のこと信用しないようにしてるけどさ、それ続けてよ。安全のこと考えると信用してもらいたいけど、でも頭のどこかでは常に俺のこと疑ってて。その方がいざという時、ほたるが楽だから」


 ノエがほたるに笑いかける。優しく、少し翳のある笑い方だ。

 ああ、またこの顔だ――ノエの表情にほたるは僅かに目元に力を入れた。稀にノエが見せる、本心が透けて見えそうな顔。滅多にない、ノエの心に触れられそうな顔。


 それを今、自分のための話でしている。そんなことをされると、ノエの本心なんて自分には関係ないと思えなくなる。


「……もし、ラミア様とか、上の人とノエの意見が割れたらさ」

「うん?」

「私のためには抗わなくていいよ。そうすれば記憶は書き換えられないかもしれないんでしょ?」


 ほたるが言えば、ノエは意外そうに目を見開いた。


「それはそうだけど……でも、」

「そうして欲しいの。その代わり、その時は教えて欲しい。私のこと裏切らなきゃならなくなった時、事前に裏切るねって言って欲しい。それは記憶がなくなったらできないことでしょ?」

「言いたいことは分かるけど……なんで? 嫌でしょ、そんなの。裏切られることには変わりないのに」


 ノエが訝しげに眉をひそめる。いつもの軽い雰囲気はそこにない。

 まるでうわべを取り繕うことを忘れるほど驚いているのだと感じさせるその姿に、ほたるは少し嬉しくなった。

 これから自分の言おうとしていることが、間違いではないと思えたから。


「確かに裏切られるってことは変わらないけどさ、でも事前に教えてくれてたなら本当の意味で裏切ったってことにはならないんじゃない? ノエが裏切らないって保証できないのは分かってる。だから……進んでそうしたわけじゃないって分かるなら嬉しい」


 不自由な彼らのほんの少しの自由で、そのことを伝えてもらえれるならば。そうしてもらえれば、自分は裏切られたと絶望せずに済む。これはしょうがないことだったのだと納得することができる。

 そしてノエも少し楽に思ってくれるなら、嬉しく思う。

 たとえ仕事で自分に良くしてくれているのだとしても。それ以外を求めてはいけないと分かっていても。そこから一歩超えて力になろうとしてくれた彼に、報いたいと思う。


 自然と笑みを浮かべたほたるに、ノエがきょとんと固まる。けれどすぐにくしゃりと破顔して、「分かった」と頷いた。


「もしその時になったら、それだけは伝えられるように頑張ってみる」


 いつもよりもどこか幼い笑い方で。そのノエの顔を見て、ほたるは胸が温かくなるのを感じた。

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