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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【前篇】第五章 無自覚の操り人形
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〈16-1〉でも愛はなさそう

 ラミアの城を出てから二時間近く。ほたるはノエと共に荒野を歩いていた。森はとうに抜けて、見慣れない景色にも新鮮さを感じなくなってきた。ゆっくりとしたペースだから意外と疲れはないが、同じことの繰り返しは流石に飽きてくる。ノエが持ってきていたらしいサンドイッチを楽しめたのも最初だけで、次の食事は座って食べたいという願望も強くなってきた。


「ねえ、まだ歩くの?」


 隣を歩くノエに尋ねれば、「疲れちゃった?」と首を傾げられた。


「ちょっとだけ。そうじゃなくてもこんな長時間歩くことないから……」

「出たよ、現代っ子。発達した交通機関に慣れすぎてるね」

「ノエの常識は何百年前で止まってるの?」


 じっとりとノエを見上げる。この長時間文句も言わずに歩いてきたのだからむしろ褒められてもいいはずだと目線を鋭くすれば、ノエは「冗談だよ」とへらりと笑った。


「ちょっとほたるの体力知っておきたくて。ほら、これから結構歩き回ること増えると思うからさ。こういう割と安全なところで確認しておきたかったっていうか」

「……本当に?」

「本当本当。付き合ってくれてありがと」


 ノエの手がほたるの頭に伸びる。その手でくしゃくしゃと撫でられれば、ほたるの口がむっと尖った。


「あ、嫌だった?」

「……別に。でも私ももう成人なので」


 ただの言い訳だった。嫌ではなかったのだ。けれどそれをノエに知られるのも嫌だから、無愛想に返してしまう。


「あ、そっか。これは失礼しました、お嬢さん」


 そう恭しく頭を下げたノエはきっとそんなほたるの心境に気付いているのだろう。そのせいでほたるは余計に気まずくなって、「質問に答えてないんだけど」とぶっきらぼうな声を出した。


「質問? あァ、まだ歩くのかってやつね。もうすぐだよ。あと一〇分くらいで目的地が見えてくるんじゃないかな」

「本当に?」

「本当だって。それまで言葉の勉強でもしとく?」

「それは……する」


 ほたるが素直に頷けば、ノエは「了解」と笑った。



 § § §



 ノエの言ったとおり、一〇分ほど歩くと荒野の中に建物が現れた。その前から空気に混じり始めたのは厩舎のような匂い。先日馬車の旅をしてその匂いを覚えていたほたるはノエがここを目指した理由を悟ると、やっと徒歩から解放される、と気分が明るくなるのを感じた。


「これ羽織っててね」


 ノエが自分の荷物からマントを取り出してほたるに被せる。ベルベット生地のマントは手触りが良く、高級感もある。更にバーガンディーという色もほたる好みだったが、ノエがこれを着せた理由を考えると、喜んでばかりはいられないかもしれない、とほたるは身を引き締めた。

 何せ今は、匂い玉によって従属種のふりをしているのだ。ならばこのマントは少しでも人間だと悟られにくくするためのものではないのか。そう思うと途端に緊張してきて、ほたるはマントのフードをきゅっと下げた。


「――▓▓▓▓▓▓(いらっしゃい)


 また少し歩いて建物に入ると、奥のカウンターから男性が顔を出した。当然のように吸血鬼達の言語を使う男が何を言っているのかはほたるには分からない。しかし自分を見た男が嫌そうな顔をしたのは分かって、マントを握る手に力が入った。


▓▓▓▓▓▓▓▓(御者付きで一台)

▓▓▓▓▓(支払いは)?」

▓▓▓▓▓▓▓(ノストノクスに)


 男とノエが言葉を交わす。彼らの話はすぐに終わったのか、男が奥の扉を手で示した。ノエがほたるの手を握り、その扉を使って外に出る。最初に入ってきた入口とは違い、裏手に続いていそうな場所だ。

 少しそこで待つと、奥から屋根のない馬車が一台やってきた。その馬車はゆっくりと進んで来て、ほたる達の前まで来たところで止まった。


▓▓▓▓▓▓▓▓(根腐れがいるのか)


 御者の男が嫌そうに言う。彼の視線はほたるに向いていた。悪意と軽蔑の感じられる視線だ。

 その目を向けられたほたるが身体を強張らせると、ノエが男から見えないようにずいとほたるの前に出た。


▓▓▓▓▓▓▓▓(黙って仕事しろよ)▓▓▓▓▓▓▓▓(お前は誰も乗せてない)――▓▓▓(いいな)?」


 ノエには珍しい、不機嫌な声だった。背中からその感情を感じ取って、ほたるがそっと視線をずらす。

 その先にいた御者の男は、もうほたるを見てはいなかった。彼の顔の向きから考えて、見ているのはノエ。しかしその瞳は何かを映しているようには思えなかった。まるで心がなくなってしまったかのようにぼうっとしていて、先程までの悪意どころかそれ以外の感情すらも見当たらない。


 まさかと思ってほたるが恐る恐るノエの顔を覗き込めば、彼の瞳が紫色に染まっているのが見えた。


▓▓▓(行こうか)


 ノエが一つ瞬きすれば、紫色はサファイアブルーに変わった。直前の言葉はほたるに向けられたものだ。それは彼の表情と声の柔らかさでほたるにも分かったが、何を言われているかは分からない。

 だから促されるまま馬車に乗り込んで、示された場所に座る。その隣にノエも腰を下ろすと、馬車はゆっくりと動き出した。


「――ごめんね、嫌だったでしょ」


 馬車が動き出してから数分。元いた建物が小さくなってきた頃、ノエが眉尻を下げながらほたるに言った。


「喋っていいの?」


 ほたるが思わず小声になったのは、すぐそこに御者がいるからだ。けれどノエは「平気だよ」と首を振って、ちらりと御者の背中を見た。


「どれだけ喋っても、俺らのことは覚えていられないようにしてあるから」

「……なんか怖いね」


 本音だった。初めて人が操られるところを見た。悪意のある相手を一瞬で黙らせ、更にはその記憶に自分達の存在が残らないようにすらできる力。話には散々聞いていたし、疑う気持ちはもうとっくになくなっていたが、しかし聞くのと直接見るのとでは全然違う。


 私もああやって記憶を消されたんだ――自分の身にも同じことが起こっていたのだと実感すると、急に恐ろしくなった。


「念の為だよ、そんなにしょっちゅうはやらない。こういうのは揉め事の原因になるからね」

「……今回は大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。文句言われても執行官としての業務中っていう言い訳が通るから」


 それは大丈夫なのだろうかとほたるは少し気になったが、聞くのはやめておいた。聞いたところでどうせ分かる気がしないからだ。執行官として何が許されていて、何が禁止されているか教えてもらったところで、活用できそうな場面も思い付かない。


「あの人が私に嫌な態度取ったのは、私が人間ってバレたから?」

「ううん、ちゃんと従属種だと思ってたよ。だから嫌がられた」

「……そうなんだ」


 ほたるの声が暗くなる。従属種のふりをしているのだから、気付かれなかったことは喜ぶべきなのだろう。しかしあんなふうに見られるとは思っていなかったから、とてもではないが喜ぶ気にはなれない。


「多分、これからもああいう態度は何度も取られると思う。俺が近くにいれば大っぴらにそれを出してくる奴は滅多にいないけど、こればっかりは我慢してもらうしかない。吸血鬼だと思われてると、いざと言う時に対応しきれなくてバレることもあるから」

「……そっか」


 恐らくこれが最善なのだろう。人間で、大罪人の関係者を連れ歩くための最適な手段。だからノエも困った顔で言ってくるのだと受け入れることはできたが、彼自身はそれでいいのだろうかと疑問に思う。


「その……従属種と一緒にいるとノエまで変な目で見られない? ペイズリーさん達は恋人同士だから我慢できるかもしれないけど、ノエは……」


 仕事で一緒にいるだけなのに。それなのに彼自身に悪評が立ちそうなことになっても平気なのだろうか。あんな悪意を向けられることになってもいいのだろうか。

 ほたるは言葉にできなかったが、ノエには伝わったらしい。いつもどおりゆるく笑って、「平気だよ」と頷いた。


「別に今更俺が従属種連れ歩いてたところで誰も何も思わないよ。俺の博愛主義は有名だからね」

「……博愛なの?」

「博愛だよ? 老若男女、吸血鬼でも従属種でも、なんだったら人間でも全然気にしない」

(ろう)……え、(なん)も?」

「誘われればね。まァ、そういうことしろって言われると女の子相手の時ほど気乗りはしないんだけど、とりあえず嫌悪感はないよ。単に向かないだけ」


 そう答えるノエに嘘っぽさはない。本当に誰でも平気だと言わんばかりのノエの口振りに、「博愛だ……」とほたるの口から納得に満ちた声がこぼれる。


「でしょ?」

「でも愛はなさそう」

「酷くない?」


 ノエは笑ったが、ほたるが少し待ってみても否定はしなかった。


 ああ、愛はないのか――ペイズリーとの確執のきっかけを思い出す。もし自分の恋人が浮気して、誰かと付き合うと宣言して、それなのにその誰かに愛も誠実さもなかったら……。


「ペイズリーさんが怒るのも当然だと思う」


 神妙な面持ちでほたるが言えば、ノエは「ははっ」とおかしそうに笑った。


「そういうところだよ。っていうか老若男女って言うけど、子供には手を出しちゃ駄目だからね? いくら相手が誘ってきても」

「俺ってそんな人でなしに見える? 流石に対応を変えるよ」

「人でなしっていうか、ろくでなしに見える」

「えー?」


 ノエは不服そうな声を出したが、その顔はどう見ても笑っていた。なんだったら途中からけらけらと笑い声まで上げている。

 これは言っても無駄なやつだとほたるは呆れると、「それよりさ、」と話を変えることにした。


「馬車になったのはありがたいんだけど、これどこに向かってるの?」


 ほたるの問いに、ノエが「うーんとね」と荷物から地図を出す。「ここ」そう言ってノエが指差した場所には街のような絵が描かれていたが、文字が読めないためほたるにはいまいち何を表しているのか分からなかった。


「ほたるが熱出してる時にラミア様と話したんだけどね、スヴァインがノクステルナにいるならそれなりの街の近くにいるんじゃないかって。じゃないと生活できないだろうし」

「ふうん。結構遠いの?」


 ほたるは縮尺を表す記号を探してみたが、ノエが地図を全て広げていないせいか、見える範囲には見つけることができなかった。


「そうねェ……このまま三、四時間ってとこかな」

「車ないの?」

「ないない。ガソリンをこっちに持ってくるのが大変だし、そもそも車より自分で動いた方が早いし」

「あ、そっか」


 そういえば吸血鬼達は一瞬で移動することができるのだ。最近見ていなくて忘れかけていた事実に気付き、ほたるの首が「ん?」と傾く。


「だったら馬車じゃなくて、あの瞬間移動みたいなやつで移動すればいいのに」

「影のこと?」

「影?」

「ほたるが言ってるの、消えたように見えるやつのことでしょ? あれを影って言うんだよ」

「へえ……で、その影ってやつじゃ駄目だったの?」

「それが生き物は巻き込めないんだよね。年寄り連中の中には巻き込まずに一緒に運べる人もいるみたいだけど、速いし雑だしで運ばれる人間側が大怪我する」

「こわ……」


 急加速するせいだろうか。あの移動速度がどれくらいかはほたるには想像もつかなかったが、きっとジェットコースターは優に超えるのだろう。そんな移動方法を雑にやられれば、首がもげるかもしれないと顔を引き攣らせた。


「大丈夫大丈夫、俺できないから。だからまァ、のんびり行こうよ」

「ノエはまどろっこしくないの? 自分一人ならさっと移動できるのに……」

「別に? ほたると喋ってればいいし」

「私話すのそんな得意じゃないよ」


 かと言ってずっと言葉の勉強をしているのも辛い。だからほたるが不安げにノエを見れば、そうされたノエは「ずっと話せなんて言わないよ」と笑った。


「こうやって気が向いた時に気が向いた分だけ話せばいいじゃん。それだけで俺は十分楽しいよ。あ、寝たかったらいつでも寝てね」

「……ノエのそれは素でやってるの?」


 まるで相手を全肯定するかのような言葉。こういうことをさらりと言うのは相手の警戒心を解くためかとも思っていたが、この話の流れからするとそれとは違うように思う。

 だからほたるは故意かどうか尋ねてみたが、ノエはきょとんとして「何が?」と首を傾げた。


「ううん、なんでもない」


 なるほど、素でやっていたらしい。これで来る者拒まずの博愛主義というのだから、他人の浮気に巻き込まれるというのも頷ける。


 しかもこれで顔も良いんだった――不公平な世の中にほたるは溜息を吐くと、しばし馬車の揺れに身体を預けることにした。

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