〈14-2〉人間は食い溜めできないよ
食堂でのノエの行動に、ほたるは思わず顔をしかめそうになった。
最初に用意された量はいつもどおり。そしてそれを食べていたら、いつもはずっと傍にいるノエが珍しく席を立った。そこまではほたるも気にしなかった。珍しいこともあるものだと思っただけで、ノエが料理片手に戻ってきても特に何も思わなかった。その行動が気になり始めたのは、戻ってきた彼が再び席についた後だ。
「……ノエ、何やってるの?」
ほたるの皿の空いた場所に、ノエが自分の持ってきた料理を移しているのだ。新たな場所が空けばそこにも乗せて、ほたるの皿は一向に空にならない。それでとうとう我慢ができなくなってほたるが尋ねれば、ノエは「おかわりしてる」と答えた。
「いや、それは見れば分かるんだけど……おかわりって自分でするものじゃない?」
「取りに行くの面倒でしょ」
「そもそもおかわり欲しいと思ってないよ」
「でも今までより食べないと」
そこでやっと、ほたるはノエの行動の理由を理解した。なるほど、彼は種子に取られる栄養を補おうとしてくれているらしい。それは分かったが、しかし現実的な問題もある。
「……一度にそんなに食べれないよ」
ほたるが言えば、ノエが驚いたように目を丸くした。
「え、何その顔。私そんな食べると思われてたの?」
「食い溜めする時って詰めれるだけ胃に詰めない?」
「人間は食い溜めできないよ」
「でも無理矢理突っ込むものでしょ?」
「――時代が違うだろう」
ほたるとノエの会話に新たな声が加わる。ニックだ。リリを伴わずに食堂にやってきたニックは呆れたようにノエを見ると、「今の人間は食べ物に囲まれているから」と続けた。
「俺達の時のように、食べられる時に食べられるだけ詰め込むだなんてことはしない」
「待って、ニッキーと同世代扱いしないで。俺の方がずっと若い」
「ほたるからしたら変わらないだろ」
ニックの言葉にほたるがうんうんと頷く。それを見てノエは「嘘でしょ?」と信じられないと言わんばかりの顔をしたが、ほたるが「一〇〇歳超えたらみんな一緒だよ」と答えたら渋々と押し黙った。
「一〇〇歳なんてまだ若いじゃん……まァいいや。それより食べる量だよ。今の子はどうやって増やすの?」
「普通に回数増やせばいいんじゃないの?」
「あ、そっち? なるほどね」
「普通そっちだと思うけど」
ノエに答えながら、ほたるは彼の常識は一体どうなっているんだと呆れを感じた。確かに時代が違うのかもしれないが、満腹になったら食べられないのはいつの時代でも変わらないはずなのだ。
とほたるが考えていると、ノエが「それで?」とニックに向き直るのが見えた。
「ニッキーは俺に何か用があったんじゃない?」
「ああ、頼まれていた伝言を届けておいたと言いに」
ニックが答えれば、ノエは「お、ありがと」と自分が持ってきた料理を一口頬張った。
「エルシー、なんか言ってた?」
「いや、分かったとだけ。忙しそうだった」
「忙しい?」
「一週間ほど前にまた同胞殺しがあったらしい。お前達がノストノクスを出た後に発覚したそうだ」
「……ああ」
ノエの声が低くなる。その反応とニックの発言に不穏さを感じながら、ほたるは自分が聞いてもいい話なのだろうか、とそっと視線をずらした。ニックも執行官と聞いているから、彼らの話はもしかしたら部外者に知られたら困るものかもしれない。
ならばここは聞いていないふりをすべきだろうかと考えて、しかし本当に聞いてはいけない話ならば日本語で話さないな、と気が付いた。となると聞かれて問題ない話題なのだろうが、そうと分かるとほたるも詳細が気になってくる。
「同胞殺しって……吸血鬼同士の殺人ってことですか?」
日本で暮らしていると殺人事件というのは縁遠いものだ。それなのに自分は最近二度も襲われ、そこで一人が命を落とし、そして別の場所では殺人が起こっていたという。吸血鬼の世界はそんなに治安が悪いのかと思っておずおずとニックに問いかければ、ニックは「まあな」と頷いた。
「だが殺人というよりは、暗殺と言った方がいい」
「暗殺……」
その方が不穏では、とほたるが顔を引き攣らせると、ノエが「ニッキー」といつもよりも不機嫌な声を出した。
「ほたるに変な話聞かせないでよ。この子襲われたばっかなんだけど」
「確かにそうだな。悪かった、ほたる」
「いえ、聞いたのは私の方なので」
だからニックは悪くないと、ほたるが慌てて首を振る。それを見たニックは小さく微笑むと、「用はそれだけだ。食事の邪魔をして悪かったな」と言ってその場から去っていった。
「全く、ニッキーがごめんね。別に知られて困るってワケじゃないんだけど、聞いても良い気分になる話じゃないしさ」
「ううん。でもノエはエルシーさんを手伝わなくていいの? 私の世話なんてしてる場合じゃないんじゃ……」
「平気平気。別に珍しいことじゃないから」
「珍しくないのも怖くない?」
「ほたるは大丈夫だよ」
ノエはそう言ってへらりと笑うと、自分が持ってきた皿に残っていた料理に手を伸ばした。普段は食べないのに、先程から珍しい行動をしている。「それ好きなの?」ほたるが問えば、ノエは「いや?」と言いながらまた一口、口の中に放り込んだ。
「好きでも嫌いでもないけど、残るとほたるが嫌がるかなって」
「……あ、ありがとう」
「なんでほたるが礼言うの。俺が勝手に持ってきた分だから当然でしょ。そっちも多かったら食べようか? ほたるは後で新しいのもらえばいいよ」
「うーん……これは頑張って食べちゃう」
皿を見て、自分の腹具合を確認して。これくらいならどうにか詰め込めそうだと静かに意気込む。そうして食事を再開したほたるにノエは「多くなったら言いなよ」と言うと、「あ」と思い出したような声を出した。
「そうそう、メシ食い終わったらラミア様んとこ行こうか。ペイズリー達が来てるらしいんだよね」
「ペイズリー……?」
はて、と記憶を辿る。そんな人物など紹介されただろうかと首を捻れば、この城に来た日のことを思い出した。
『あとは……そうそう。お前に頼まれていた件だがな、マヤを呼ぶことにしたよ』
『ペイズリーんとこの? でもマヤって従属種じゃありませんでしたっけ』
『だからちょうどいいだろ? ほたるは結局人間なんだから』
確かノエとラミアがペイズリーという名前を出したのだ。そして、従属種という言葉も。
「そういえば、従属種がどうって……」
「そうそれ」
「……平気なの?」
ほたるが声を落としたのは、ノエに従属種に関わる文化について聞いたからだ。この話題になってからノエの様子は特に変わっていないが、それでもやはり身構えてしまう。奴隷のように扱われていて、自分を二度も襲ってきた恐ろしい存在――その不安でほたるが眉を曇らせれば、ノエは「大丈夫だよ」と柔らかく笑った。
「ペイズリーとマヤって恋人同士でね、マヤが従属種になったのはただ失敗しちゃったから。だからマヤはちゃんと人として扱われてるし、二人は今も仲良くやってる。ほたるが心配するようなことはないよ」
そう言われてもほたるは安心しきることはできなかった。何せまだ、まともに扱われている従属種というのを見たことがない。だからううんと難しい顔をすれば、ノエはおかしそうに笑って、「会えば分かるよ」と料理の最後の一口を頬張った。