〈13-2〉なんでそんなのが許されてるの……?
「殺しに来たワケじゃない。攫えっていう命令だったみたいだよ。ただほたるの血の匂い嗅いで理性がぶっ飛んじゃったみたいだけど。でもま、種子持ちの血だから舐めちゃ駄目っていうのはギリギリ覚えてたらしい」
男の行動がほたるの脳裏に蘇る。手についた自分の血の匂いを嗅いで、恍惚とした表情を浮かべていた男。尋常ならざる目つきとその表情が、酷くおぞましかったのはよく覚えている。
「私を襲ったのは、従属種……?」
「そうだよ。見分けつくんだ?」
「あの時の人と似てたから……目つきとか、血の匂いとか。でも、爪が……従属種って、みんなあんな爪なの?」
自分を傷つけた男は、恐ろしい爪を持っていた。そのことを指してほたるが問えば、ノエが「爪?」と小首を傾げた。
「あァ、あれは従属種とか関係ないよ。俺もできる」
「ノエも?」
「うん。でも見た目怖いからと思ってまだ見せたことないけど。前に聞いたらほたるも見ないって言ったでしょ?」
そういえば、とほたるは裁判での会話を思い出した。
『あとは一応爪も同じようなことにはなるんだけど、映画で観るような吸血鬼の感じじゃないんだよね。あとちょっと怖いし……見たいなら見せるけど?』
『……見なくていいです』
確かにノエはそんなことを言っていた。その後改めて説明されたことはなかったが、今にして思えばその機会は今までに何度もあったように思う。
しかし、どうして説明してくれなかったのかという疑問は抱かなかった。どうせノエのことだから忘れていたのだ。その証拠に、今自分に爪のことを話すノエに焦っている様子はない。ということは彼の中でこれは大して重要な問題ではなく、他の誰かに指摘もされなかったものだから、こうして後出しのように知ることになったのだろう。
だから爪のことはほたるももうどうでも良いと思った。そんな武器があるとは驚きだが、仮に事前に知っていたところで避けられた状況でもない。
それよりも、もっと気になることがあった。
「従属種って、性格までおかしくなるの……?」
ノエの説明を聞く限り、従属種とは中途半端に吸血鬼になってしまった者のことだとほたるは理解していた。そこには体質しか違いはなく、それ以外はノエや他の吸血鬼と変わらないと思っていたのだ。
だがこれまでにほたるが出遭った二人の従属種は、どちらも正常な精神状態には見えなかった。もしやノエが説明し忘れていることがあるのでは――そう込めて問いかければ、ノエは「ちょっと違うかな」と首を振った。
「前に説明する時、文化の話は避けたの覚えてる?」
「うん。現代人向けじゃないって……」
「ほたるが会った従属種が凶暴だったのは文化のせいだよ」
ノエの表情が曇る。言いづらそうに少し瞼を伏せて、言葉を続ける。
「割と最近まで従属種って人として扱われてなかったんだよね。呼び方ももっと酷くて、完全にモノ扱い。奴隷って言った方がイメージしやすい? ある程度身分が保証された奴隷じゃなくて、虐げられてる方の」
「奴隷……」
その言葉にほたるもまた険しい面持ちとなった。ノエの言わんとしていることが分かったからだ。
「今でも扱いはそこまで変わってない。食事を抜くか、栄養価の低い小動物の血しか与えずに餓えさせて……だからほたるが会った従属種はみんな凶暴だったんだよ。餓えて理性が鈍ってる。俺らにとって他人を操るのは簡単だけど、本人の意思で必死に頑張ってくれた方が良い働きをするから」
だからそうするのだと、ノエがはっきり言わずともほたるにも理解できた。
「あと生活環境も悪いね。風呂も自由に入れない奴が多いし……ほたるの言う血の匂いって、多分そのせいだと思うよ」
最後にそう付け加えて、ノエが困ったように笑う。その様子でノエはこの扱いに良い印象を持っていないのだとほたるは安心することができたが、すんなりと受け入れることもできない。
「なんでそんなのが許されてるの……? 法律があるならちゃんと禁止すればいいのに……」
ノストノクスは法を司り、吸血鬼達にそれを守らせようとしている――それがほたるの認識だ。ノエだけでなくエルシーもそのとおりの態度だったから、ほたるはこの世界の司法制度を信じていたのだ。
けれど、従属種の扱いはそれとは反する。人間の価値観に合わせていると言いつつも、人間の世界ではとうに非人道的として禁じられたことを吸血鬼達は行っている。
そう不安と軽蔑を込めて尋ねれば、ノエは「人が入れ替わらないからだよ」と首を振った。
「人間と違って俺らに寿命はない。だからいくらルールとして広めたくても、長い間当たり前だったことをいきなり禁止すると反発も凄いのよ。だから新しい、緩めのルールを長い時間をかけて少しずつ当たり前にしていって、それでやっと本当に禁止したかったことを禁止することができる。今はまだそこまでいってないんだよ。呼び方も変わったし、わざと従属種を作っちゃいけないって法律は定められたけど、扱いに関して手を出せるのはもう少し先かな」
その説明は現状に関する納得感をほたるに与えたものの、一方で彼女の中にある不安を大きくした。意識の変え方の話ではない。法で何が定められたかを知ったせいだ。
「従属種って、わざとできるの……? じゃあ……」
私は――口にできなかった問いが、頭の中に響く。
従属種は種子を発芽させたものの、うまく開花しなかった結果だとノエは言っていた。だから意図せず生まれてしまうものだと思った。
だが、この口振りは違う。従属種は故意に作ることができるのだ。他者に虐げられる奴隷のような存在を、吸血鬼達は自分の望むままに作ることができるのだ。
ならば、自分は。この体の中に種子を持つ自分は――ほたるが不安に吐息を震わせた時、「ほたるは大丈夫だよ」とノエの声が聞こえてきた。
「ほたるには種子を取り除くか、吸血鬼になるかの選択肢しかない。従属種にできる期間は過ぎてるから」
「期間……?」
「種子を与えたらしばらく身体に馴染ませないといけないんだよ。それを怠ると開花に失敗する。でももうほたるはがっつり馴染んでるからそこは問題ない。お陰でその怪我もすぐ治るし」
そう言ってノエはへらりと笑ったが、ほたるにはいまいち状況を理解することができなかった。「怪我が?」怪訝を込めて問いかける。するとノエは「そうだよ」と言って、話を再開した。
「普通の人間なら縫ってもある程度治るまで二週間くらいはかかる怪我なんだけどね。でも今のほたるは二日あれば抜糸できると思うよ」
「……え?」
どういうことだろう、とほたるの口がぽかんと開いた。それは流石におかしすぎないだろうか。治るのに二週間かかる怪我が二日で治るなど、有り得る話とは思えない。
「種子の力がだいぶ漏れ出してるんだよ。だから傷の治りも早い」
「それ……良いこと……?」
「半々かな」
ノエの答えの意味がほたるには分からなかった。それから、その表情の意味も。「隠せないから言うね」続いたノエの言葉は不穏で、ほんの少し険しくなった目元がほたるに不安を与える。
「今回の件で、種子の影響力が強まった。だから……――ほたるの寿命も、縮むことになる」
不安が、恐怖に変わった。