〈13-1〉いい夢でも見てた?
身体が熱い、とほたるは身動ぎした。しかし動けない。仰向けに寝ている感覚はあるのに、横を向きたくても自由に身体が動かない。
それから、揺れている。ゆらゆらと、ではない。上下に振動するような揺れだ。
これは一体なんだろう――目を開ければ、父の顔が見えた。
『おと、さ……』
口から出た声は高かった。舌っ足らずで、そして弱々しい声だ。
ほたるの呼びかけに父はすっと色素の薄い瞳を動かすと、何も言わないままその目を前に戻した。
『何か言ってあげればいいのに』
父の背後から母の声が聞こえる。母はほたるの顔を覗き込んで、『大丈夫だよ、ほたる』と微笑んだ。
『熱があるのに大丈夫なのか?』
『一緒にいるから大丈夫って意味だよ。熱がある時って心細いんだから』
母はそう笑うと、少しだけ歩を早めた。そして父を追い抜いて、その先にあったドアを開ける。『ありがとう』優しげな笑みで母に礼を言った父はそのドアをくぐると、部屋の奥にあるベッドにほたるを横たえた。
『ゃ……』
やだ――そんな感情が、ほたるの目元に力を入れる。
離れたくない。もっと抱いていて欲しい。そう思っても浅い呼吸を吐き出す口からは言葉が出ず、ただただ悲しげな顔をするので精一杯だった。
『ああ、パパがいいんだね』
ベッドの横にしゃがみこんで、母がほたるの額を撫でる。温かい手だった。慈しむような手つきが、ほたるの寂しさを和らげる。
『ねえ、こうしてあげてよ』
『なんで俺が』
『だってあなた口下手だもん。その代わり行動で示してあげて』
母が言えば、父は深い溜息を吐き出した。『必要ないだろう』文句を言いつつも、ベッドに腰掛ける。そして母と交代するようにほたるの額に手を置けば、その手の冷たさにほたるはぎゅっと目を閉じた。
『嫌がってる』
『驚いただけだよ。ほら、気持ち良さそう』
母の言うとおり、ほたるは父の手に気持ち良さを感じていた。母よりも冷たく、大きな手。それが熱で火照った身体に心地良い。母のように撫でるわけではないが、額や頬を冷やすように淡々と動かされるその手が、ほたるの苦しさを引き取っていく。
『やっぱりパパは安心するんだよ。喋るのが苦手なら、こうやってたくさん触れてあげて』
優しげな声で母が言う。『……逃げなかったらな』父が答えれば、母はくすくすと笑った。
§ § §
「――おと、さ……」
口を動かして、ほたるは喉の乾きに顔をしかめた。目を開ければ、見慣れない天蓋が視界に飛び込んでくる。
ああ、ここはラミア様の城だ――答えが頭に浮かぶと同時に、今は寝ている時間だっただろうか、と疑問が過った。
「おはよう。いい夢でも見てた?」
「っ!?」
ベッドの横からノエが覗き込む。完全に油断しているところに現れた彼の顔に、ほたるの全身に力が入った。
「ノエ? なんで……」
「そりゃここに寝かせたの俺だし。で? 父さんの夢でも見てたの?」
「え? えっと……?」
ノエの言っていることが分からない。
ここに寝かせた? 何故? どんな状況で?
寝る前のことを思い出したいのに、夢について聞かれるせいで考えがまとまらない。「なんで……?」口からこぼれ落ちたのは、この状況全てに対する疑問だ。
「だって緩んだ顔で父さんって呼んでたから」
どうやらノエは夢に対する疑問だと思ったらしい。それはほたるにも分かったが、彼の言っていることはやはり分からなかった。
良い夢と父が、ほたるの中では結びつかなかったから。
「いい夢、だったのかな……もう思い出せないや」
夢を思い出そうとしてみても、片鱗すら掴めなかった。どんな感情を抱いていたのかも分からない。
それでもどうにか思い出そうとしながら上体を起こそうとした瞬間、脳天を貫くような激痛がほたるを襲った。
「ッ、いっ……!?」
「急に起き上がらない。背中がっつり裂けてるんだから」
ノエの手がゆっくりとほたるの身体をベッドに戻す。柔らかいマットレスが優しく背中に当たると、同じ場所に弱い痛みを感じた。
「裂けてる……?」
「ほたる、どこまで覚えてる? 多分リリと畑から帰ろうとしたんだと思うんだけど」
心配するようなノエの目が、ほたるの記憶を呼び起こす。
リリと二人で歩いた城内。眠気で立ち止まったリリ。それでも歩くと言い張る彼女に合わせることに決めた自分。そこに響いたガラスの割れる音。背中の痛み。それから――
「ぁ……」
蘇った恐怖にほたるがぶるりと身体と震わせれば、ノエが「大丈夫だよ」と柔らかい声で言った。
「もう危ないことはない。だから安心しな」
「でも……そう言ってたのに……」
「うん、それは本当にごめん。ここには来ないはずだったんだけど、ちょっと読み違えてたみたい」
そう言って眉尻を下げるノエは本当に反省していそうだった。普段は全然本気かどうか読み取れないのに、今は容易にその心理が分かる。それはきっと、ノエが隠していないから。
なんで? ――考えると、すぐに答えが分かった。
「リリは?」
ノエが反省しているのは、リリを危険な目に遭わせてしまったからだ。自分のことはどうでも良くても、リリのような幼子を危険に晒してしまったとあればいくらノエでも心を痛めるだろう。
そう納得してほたるが問いかければ、ノエは「無事だよ」と微笑んだ。
「あ、ニッキーが襲われた記憶消したみたいだから、リリにはそれで話合わせといて」
「消した……」
「トラウマものだもん。あんなの覚えておく必要はないよ」
確かに経験すべきではないことだろう。だが、ほたるは口中が苦くなるのを感じた。
覚えておくべきかどうか、どうしてノエ達が決めるのか。そしてそれをどうしてそう簡単に実行に移せるのか。
人の記憶とはそんな簡単に扱っていいものではないはずだ。それなのにノエ達は、それが当たり前とばかりに自分達の判断で消してしまう。
私のスヴァインに関する記憶も、そうやって消されたのだろうか――考えるとなんとも言えない気持ちになった。彼のことを知らなくて困っているのに、当の消した本人がそれを問題視していないかもしれないと思うと、自分の眉間に力が入っていくのが分かる。
「ほたる?」
不思議そうなノエの声にほたるは思考を打ち切ると、「狙いは私だったの……?」とそれまでの会話を続けた。
「うん、そうみたい」
「誰が……クラトス?」
「それがいまいちはっきりしなくてね。多分、本人が知らされてない。知らないことは聞き出しようがないから」
ノエの答えに、ほたるは胸の中のもやもやが強くなるのを感じた。
「知らないのに、私を殺しに来たの……?」
まるで自分の命の価値などその程度だと言われているようで、釈然としない。
「殺しに来たワケじゃない。攫えっていう命令だったみたいだよ。ただほたるの血の匂い嗅いで理性がぶっ飛んじゃったみたいだけど。でもま、種子持ちの血だから舐めちゃ駄目っていうのはギリギリ覚えてたらしい」
* * *