表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【前篇】第三章 日陰に埋めた劣等感
36/200

〈11-2〉俺の恥ずかしい秘密、聞く?

「ちょっと散歩しない?」


 ノエのその言葉に疑問も抱かずついていけば、ほたるは得体の知れない場所に連れ出された。

 そこはこの城には不釣り合いな黄色と黒の看板の先。看板の文字はほたるには理解できなかったが、その色が警告色だということは知っていた。

 だから一体どこに連れて行かれるのだろうと不安に思いつつも、ノエが躊躇うことなくその扉を開けるものだから、その不安を口にすることもできなかった。


 結果から言うと、扉の先にはまた扉があった。そしてその扉もまた同じ看板がかかっている。つまりそれだけ厳しく出入りを禁じられている場所では――ほたるが二つ目の扉を開けるノエの動きに身構えた直後、強い光が彼女の目を襲った。


「っ……――外?」


 咄嗟に閉じていた目を恐る恐る開ける。するとそこには緑が広がっていた。見慣れた茶色の土と、その上には見覚えのある植物。そしてそれらを照らすのは慣れ親しんだ明るい光――太陽だ。

 その結論に辿り着くと同時に、ほたるはそんなことがあるはずがない、と自分の目を疑った。


「外ではないよ」


 おかしそうにノエが笑う。その声にほたるが今一度周囲を確認すれば、確かに外ではないことが分かった。

 ここは外ではなく、広い屋内空間なのだ。高校の体育館の倍はありそうな、ホールのような場所。その天井には無数の照明がぶら下がっている。最近目にしていた蝋燭の照明ではない。白い、白熱灯のような光だ。しかし白熱灯よりもずっと明るく、最初の印象どおり太陽に近い。

 やっと状況を把握してきたほたるにノエはもう一度笑うと、「ほたるはそっちね」と扉の目の前にある柵を指差した。


「そこ開くでしょ? 俺そっち行けないから」

「え?」


 どういうことだろう、と今度はすぐそこの様子に目を配る。するとほたる達が立っている場所にはまだ光が当たっていないことが分かった。

 扉を出てすぐのところには屋根があって、それがこの空間の形に沿って続いているのだ。その下も土ではなく城の他の部分と同じような素材で通路になっている。土はそこよりも一段下だ。どうやら渡り廊下のようになっているらしく、更にその通路には柵があった。ほたるの胸の高さくらいまである柵だ。そしてその柵には、ノエの言うように扉のようになっている部分があった。


「下りていいの?」

「だって散歩だもん」


 ならば何故ノエは下りないのか。不思議に思いながらもほたるは柵の外に出てみた。

 やはり地面は土だ。踏んだ感触も、靴をすべらせた時の音も、それからそこに混ざる小さな砂利も、全部ほたるには慣れ親しんだもの。

 視線を少しずらせば、そこに植えられた緑が目に入る。観葉植物ではない。このノクステルナの植物でもない。これらは野菜だ。多種多様な野菜が、この広い空間に植えられているのだ。


「……畑?」


 そんな馬鹿な。

 そう思ったのは、一体何故なのか。この吸血鬼の世界にそんなものがあるはずがないだとか、この豪勢な城に畑なんて不釣り合いすぎるだとか。理由はきっと一つではないだろう。

 だからどうにも受け入れがたくてほたるがぽかんと呆気に取られていると、ノエが「お、正解」と言うのが聞こえてきた。


「え、本当に畑なの?」

「そうだよ。日本もこんな感じじゃない?」

「そうだけど、でも……なんか意外で」


 口ではそう言いつつも、ほたるは徐々に現状を受け入れられてきていた。何せこちらで散々料理を食べているのだ。外国のメニューだからか見慣れないものが多いが、それでも食べられないものかもしれないと微塵も疑う気が起きなかったのは、使われている食材が知っているものだったから。となると当然その食材を用意する手段も必要なはずで、それがこの畑だと思えばむしろ受け入れない方が難しい。


「こっち暗いのにちゃんと育つんだね。この明かりはLEDか何か?」

「いんや、日光だよ。電気ないし、流石にこっちの空じゃ外界の植物はうまく育たないから」

「日光? 日光を再現した光ってこと?」

「ううん、日光」

「ん?」


 話が噛み合わない、とほたるの眉根が寄る。そんなほたるをノエは渡り廊下から見て笑うと、「日光なんだよ」ともう一度繰り返した。


「日本語だとなんだったかな……あァそうだ、炎輝石(えんきせき)。炎輝石っていう鉱石がこっちにはあってね、光を吸わせるとその光を半永久的に放出し続けるんだよ。浴室に蝋燭じゃない、消えない明かりあるでしょ? あれも炎輝石。希少だからあんまあちこちに使えないんだけど、水回りみたいに火だと面倒臭いところに使われてることが多いかな。室内のは炎の光を吸わせてるからそんな感じの明かりだし、ここのは外界で太陽の光を吸わせてある。てなワケでまァ、正真正銘日光だよ。だからこうやって光が当たらない場所がある」


 その言葉どおり、ノエがいる場所は完全に陰になっていた。普通の渡り廊下は少し陽の光が入るものだが、通路の幅を大きく超えた屋根は上からの光をほぼ全て遮っている。反射光すらもほとんど入らなそうだ。


「もしかして、吸血鬼って本当に日光駄目なの?」

「ダメダメ。だからノクステルナは楽なのよ。ずっと夜だから外出る時に無駄な心配しなくていいし」

「浴びるとどうなるの?」

「数分で焼け死ぬよ。一瞬なら酷い火傷で済むけど、まァなかなか治らないよね」

「焼け死ぬ……」


 ほたるの脳裏に浮かんだのは、映画で見る吸血鬼の最期。悲惨で、惨たらしくて、苦痛が伝わってくるような演出。映画だから誇張している部分もあるとは思うが、あの現象が現実にも起こりうると知ってほたるの身体には少しだけ力が入った。「そんなこと私に教えていいの?」尋ねれば、ノエは驚いたように目をぱちくりとさせた。


「ほたる、俺のこと殺したいの?」

「いや……そういうわけじゃないけど……」

「冗談だよ。ま、こっちにいるうちは太陽なんて無縁だし、ここの光も本物よりは弱いから特に不都合はないかな」


 へらりと笑いながらノエが言う。「弱いって言っても火傷はするんだけどね」付け加えられた言葉にほたるは顔をしかめると、「じゃあなんでここに来たの?」と首を捻った。


「手入れしろってこと? 滞在させてもらってるから別にいいけど……」

「なんでそうなるの。散歩って言ったでしょ」

「畑で?」

「それはごめん。でもここ以外に日光浴びれるとこなくてね」

「なんで日光?」


 散歩に日光は必須だろうか。外界では当たり前にあるものだが、ここにはないのだから別に気にする必要などないのでは――ほたるがそんな疑問を込めて尋ねれば、ノエは柵に両腕を置いてゆるりと微笑んだ。


「だって人間って、陽の光浴びると元気になるじゃん?」


 考えるまでもなく浮かんだその言葉の意味に、ほたるの唇がきゅっと引き結ばれる。


 なんで気付いたの。どうして分かったの。


 その疑問は、声に出せない。声に出したらもう取り消せない。もし自分の勘違いで、ノエのこの行動に何の意味もなかったとしたら、彼はもしかしたらこう聞いてくるかもしれない――なんで元気がないの、と。


「…………」


 その質問には答えられない。答えたくない。だからほたるが何も返さずにいれば、ノエが小さく首を傾けるのが見えた。


「ほたるさ、後でリリとここで遊んでやってよ。あの子の健康のためには日光の下でたくさん遊ばせてやりたいんだけど、俺もニッキーも派手には付き合えないからさ」

「……健康にも気を遣ってるの?」

「当然。じゃなきゃなんで保護したのって話になんない?」

「……なる」


 ノエ達のリリに対する考えは、ほたるを安心させる反面、苦しくもさせた。赤の他人にどうしてそこまでするのか。それが普通なのか。


 だったら、血の繋がりのある自分はどうしてあの人に……――


「ニックさんは、リリのことどう思ってるんだろ……」


 思わず疑問をこぼせば、ノエが「普通に可愛がってるんじゃない?」と答えた。


「人間の子供がしなきゃいけない勉強調べて自分で教えてるくらいだし。火を使わせるのも渋るのはちょっと過保護な気もするけど」

「……そっか」


 ほたるは苦しくなって、それ以上は返せなかった。いつの間にか落ちていた視界には地面しか映らない。

 天井に吊るされた無数の光源は、太陽とは違ってたくさんの影を足元に落とした。まるで影に囲まれているかのような感覚。足をずらしても影が追ってきて、そこから逃れることができない。

 その影にほたるが釘付けになっていると、ノエが「ほたるだって母さんとは仲良いんでしょ?」と問いかけてきた。


「え……」


 顔を上げて、ノエを見る。何か言われたことは分かるが、ぼうっとしていたせいでまだ頭が処理しきれていない。

 相変わらず柵にもたれかかるようにしているノエが「違う?」と首を捻った頃、やっとほたるは直前の問いを理解した。


「そうだけど……急に何?」

「ほたる、父さんの話題になると元気なくなるから」


 ぴくりと、ほたるの眉が動く。


「お父さんの話なんてしてないじゃん」

「ニッキーは? そう見えちゃったって顔してたよ」

「ッ……」


 気付かれてた――言い知れない感情がほたるの顔に力を入れる。羞恥、劣等感、怒り、寂しさ……色々な感情が渦巻いて、胸の奥が苦しくなる。

 それでも否定せねばとほたるが口を開きかけた時、先にノエが声を発した。


「俺の恥ずかしい秘密、聞く?」


 三秒。ほたるがノエの言葉を理解するのにかかった時間だ。


「……は?」


 一体何を言っているんだ。どうしてそんな話になったんだ。

 混乱するほたるに、ノエが「よし、じゃァ教えてあげよう」と続けた。


「俺ね、すんごい下戸なの」

「下戸って……お酒弱いってこと? それが恥ずかしいの?」

「恥ずかしいっていうか、知られたくない。ワイン一口飲んだだけで昏倒するから完全なる弱味」

「別にいいじゃん」


 返してから、ほたるは自分が普通に会話してしまっていることに気が付いた。しかし今はそれでいい。自分の話題から逸れたならむしろ好都合だ。

 だったらノエのこの意味の分からない話に乗ってやろう、と身体を相手の方に向ければ、ノエは嬉しそうに笑って、「それが良くないのよ」と少し大袈裟に肩を竦めてみせた。


「一応人間の頃とは違って三〇分もあればどれだけ飲んでても完全に酒は抜けるんだけどね、それまで何されても起きないっぽくて。俺これでもあっちこっち恨み買ってるからさ、うっかり飲んだらもう隙だらけよ。めちゃくちゃ危ないと思わない?」

「恨まれる方が悪いと思う」

「それはそう」


 へらへらと笑うノエは、恨まれていること自体は何も思っていないようだった。そのせいでほたるの目がじっとりとしたものに変わっていく。恨まれている自覚があるくせに反省もしていなさそうだ、とほたるが考えていると、ノエもまた「あとねェ……」と記憶を辿るように視線を動かした。


「あ、そうだ! 尻に傷痕ある! ちょっと横なんだけどね、子供の頃すっ転んで木の枝ぶっ刺さっちゃって」

「凄くどうでもいい」


 そんなにテンション高く言うことだろうか――完全に冷めきった反応をほたるが返せば、ノエが不満そうに口を尖らせた。


「どうでも良くないでしょ。見る?」

「見せたいの?」

「ちょっと」

「それはもう恥ずかしい秘密じゃないと思う」


 なんだったら露出狂だ。そんなものに付き合わされるのは流石に嫌だと、ほたるもとうとう文句を言うことにした。


「ていうかさっきから何なの? なんでいきなりこんなしょうもない話……」

「だってほたるには俺の秘密教える約束じゃん?」

「約束はしてない」

「しましたー。俺はそう受け取りましたー」

「子供……」


 これが大人の言動だろうか。しかもノエは年齢だけなら相当な時間を生きているはず。それなのにここまで子供っぽいのはいかがなものか。

 ほたるが苦言を呈そうとした時、終始へらへらとしていたノエの表情がすっと大人びたものに変わった。


「だからほたるも溜まってるなら吐き出しちゃいな。どうせ話したことも忘れるんだし、すっきり感だけ味わっときなよ」

「別に溜まってることなんて……」


 言い淀んだのは、相手の表情のせいか。それとも――ほたるは考えかけたが、すぐに頭から追い出した。

 だが、ノエはそれを許してくれなかった。


「父さんのことは?」


 その瞬間、ほたるの顔が強張った。顔を背けたいのに、変に力が入ってしまってうまく動けない。


 核心だった。ノエが口にしたのは、昨日からほたるがずっと考え続けていることだ。


『ほたるはどうしてそんなに他人を自分の中に入れるのを怖がるのか――っていうのがね、俺の気になってたこと』


 この問いを投げかけられた時から、ずっと頭から離れなかったこと。


「ほたる、父さんに疎まれてると思ってるんじゃない?」

「ッ……」

「だから俺らが種子をあげる理由も気にしてたんでしょ。自分が誰かに大事にされてたのかもって――」

「違う!!」


 大きな声が出たのは一瞬だけ。すぐにほたるの勢いは萎んで、「違う……」と同じ言葉を繰り返す口から出るのは、震えるような小さな声だけだった。


「そんなことない……ノエの勘違いじゃ……」

「だったら尚更話せるんじゃない? ほたるにとっては大した問題じゃないんでしょ?」


 柔らかい声がほたるを追い詰める。その声を聞きながら、ほたるの脳裏には自然と古い記憶が蘇った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ