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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【前篇】第三章 日陰に埋めた劣等感
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〈10-1〉ホワイトな職場だね……

 エントランスホールでの一悶着の後、ノエは「流石にそろそろ行こうか」とほたるを促した。

 向かう先は勿論、今回会いに来た人物のいる場所。だからほたるも文句を言うことなくノエについて歩いているのだが、広い城内ではなかなか目的地に辿り着かない。

 この城の雰囲気はノストノクスとよく似ていた。電気がないから蝋燭を使った照明で、薄暗く、そうと知らなければお化け屋敷を思わせるような空気感。しかし手入れは行き届いているし、リリという少女が暮らしていると先に知っていたからか、ほたるがこの場所を怖いと思うことはなかった。

 なかったのだが、一つ気になることがある。


「――ここって、誰が掃除してるの?」


 ノストノクスもひとけは少ないが、食堂で働いている人物は見たことがある。洗濯物も自分でまとめれば、翌日には綺麗になってしっかりと畳まれた状態で返ってくる。ノエ曰く洗濯係というものがいるらしい。だから館内の掃除もそういった仕事の者達がしているのだろうと思っていたが、この城でそれらしき者はまだ一人も見かけていない。

 ほたるのイメージではノストノクスにしろこの城にしろ、こういった大きな建物では環境維持のために働く者が大勢いるはずなのだ。それなのに全く姿が見えないせいで、一体どうなっているんだと不思議で仕方がなかった。


「普通に使用人がいるよ。でもラミア様があんまりそういうの好きじゃないから最低限だし、大体昼ぐらいまでに仕事を終わらせたら後は自由って感じだから、この時間じゃなきゃ駄目って人以外今は多分誰も仕事してない」

「ホワイトな職場だね……」

「人間が働き過ぎなんだって」

「それは確かにそう」


 頷きながら周囲を見渡す。どのくらいの人々が働いているかは想像もできないが、ノエの言う労働時間で十分に足りているように見える。

 そんなことを考えながら歩いていくと、ノエが「着いたよ」とほたるに前方に見えた扉を示した。立派なデザインの扉は大きさこそ他とそう変わらないが、見るだけで要人の部屋だと察することができるものだ。


 やっぱりラミア様って偉い人なんだ……――少しの間感心するようにぼうっとして、すぐに居住まいを正す。ノエの話では彼を吸血鬼にした人で、ノストノクスの創設者。更にスヴァインを探すための知恵を借りに来た相手。

 粗相はあってはいけないとほたるが長い髪を何度も撫でつけて整えていると、ノエが不思議そうに自分を見ていることに気が付いた。


「何?」

「いや、やっぱちゃんとしてるなァって」

「ノエがちゃんとしてなさすぎるんだと思う」


 高い立場にいる人物に会うのに、可能な限りで身だしなみを整えることは当然のことだ。それも相手はこれから助けを求めようとしている人物。失礼がないようにするのは何も不思議なことではないだろう。

 という言葉は、ほたるは口にせずに飲み込んだ。何せもうここはその人物の部屋の前。この立派な扉は防音性能が高そうだが、しかし騒ぐ声が聞こえてしまうかもしれない。

 改めて背筋を伸ばしたほたるはノエを見上げると、準備ができたと込めて頷いてみせた。


「じゃァ行こうか」


 コンコンコン、とノエがノックする。いつもとは違う、単調な音だ。

 一拍待つも、返事はない。しかしノエは何かに答えるように「ノエです。例の子供を連れてきました」と言うと、また一拍待ってから扉を開けた。


 勝手に開けちゃ駄目なんじゃ――ほたるのその焦りは、扉の向こう側を見た瞬間に霧散した。


 大きな窓のある部屋だった。カーテンは引かれておらず、そのため窓全体から微かに赤みを残した紫色の光が室内を照らしている。

 その光を背負って、一人の人物が窓の前に立っていた。女か、それとも男か。不思議な感覚がほたるを包み込む。幻想的な光はその人物を十分には照らしきらず、更には逆光になっているせいで正しい姿を把握しづらい。

 それから、ほたるを圧倒するような存在感も。


 まるで初めてこの世界の空の下に立った時のように。まるで見事な芸術作品を目の当たりにした時のように。その人物の放つ言い知れない存在感が、ほたるから思考と呼吸を奪う。それなのに恐れを感じないのは、相手に敵意がないからだろうか。

 ほたるはしばらくの間ただただぼうっと相手を見続けていたが、ややしてから前方から声がかかった。


「よく来たな」


 女性の声だった。日本語で、少しハスキーな声だ。その声を聞いた瞬間、ほたるははっとしたように意識と身体の自由を取り戻して、大慌てで姿勢を正した。


「こ、神納木ほたるです! よろしくお願いします!」


 焦りからか、緊張からか、事前に想定していたよりもずっと大きな声が出た。カチカチな動きで一礼すれば、隣から「うわ、真面目ー」と気の抜けた声が聞こえてくる。その態度にほたるは思わずギンッと声の主を睨みつけると、軽く咳払いしながら目の前の人物と向かい合った。


「そう硬くならなくていい。堅苦しいのは苦手なんだ。私のこともラミアと呼んでくれ」


 そう言って笑うラミアは言葉遣いどおり、少し勝ち気な笑い方をする女性だった。ニックやリリのようにラテン系の外見で、髪は日本人よりもやや明るい焦げ茶色。他よりも明るいアンバーの瞳が印象的だ。くだけた話し方のとおり彼女の纏う雰囲気は接しやすそうで、ほたるは無意識のうちに肩から力を抜いた。


「無事に着いたようで何よりだ」


 話しながらラミアがほたるの方へと歩を進める。すぐそこまで来たら両手を前に伸ばして、「よく見せておくれ」とほたるの両頬に指先を添えた。


「あの……?」


 ラミアの行動にほたるの口から困惑がこぼれる。

 これは外国人の挨拶なのだろうか。それとも吸血鬼特有のもの? ――分からないせいで反応に窮するほたるにラミアは軽く笑いかけると、次の瞬間、その瞳を紫に染めた。


「ッ……」


 その色は、ほたるが今までに見たどの紫眼よりも深く感じた。同じ色のはずなのに、同じ淡い光のはずなのに、ノエや壱政の時とは違った感覚がほたるを包み込む。

 いや、飲み込まれそうだ。その瞳は確かに自分を見ているはずなのに、どこか全然違うところを見られているような感覚が全身に広がって、ざわざわと、じわじわと、内側からほたるの身体全てを飲み込もうとしていく。

 ほたるは何も言えなかった。何も考えられなかった。ただただ観察される自分を感じることしかできなかった。


 それから、声を聞いた。


「……▓▓▓(ああ)▓▓▓▓▓▓▓▓▓(こんなところにいたか)


 ラミアの声が聞こえたと同時だった。紫色が視界から消え、そして――


「ぁ……?」


 ――チクリと、首筋に痛みが走った。


「ぅぁ……ぇ……?」


 うわ言のような声が漏れ出る。

 口が動かない。舌が回らない。思考すらも、働かない。


 ぼんやりとしたまま感じるのは、首から広がる多幸感。全身がじんとして、そのまま蕩けてしまいそうな気持ち良さがほたるの思考すらも溶かす。


 けれどその時間は、あっという間に終わった。


「――……あれ? 今……」


 急に恍惚感から解放され、ほたるは驚きで目を瞬かせた。

 一体何が? ――思わず首筋に触れてみるも、指先に触れたのはかさぶたの感触だけ。一週間前の傷のかさぶただ。


「どうした?」


 その声に顔を上げれば、不思議そうにするラミアの姿。彼女の瞳はもう元のアンバーに戻っていて、それが一層ほたるを混乱させた。


「刺激しちゃったんじゃないっすかね。ほたるに何かするつもりはなくても、ラミア様の紫眼強いから」

「ああ、なるほど。スヴァインの種子だと思って私も油断してしまった。すまないな、ほたる」

「えっと……?」


 ノエとラミアの話がほたるには分からなかった。だから首を傾げれば、隣からノエが「種子がちょっと過剰反応したかもねってこと」と付け加えた。


「ほたるの中の種子の方がラミア様より序列は上だけど、強い力に晒されたらそういうこともある。幻覚か何か見ちゃった?」

「幻覚……」


 珍しく真面目な顔をしたノエの説明を聞いて、ほたるは恐らくそうだ、とやっと納得することができた。

 今しがた見た光景はきっと幻覚なのだ。ラミアの序列が種子よりも下ならば、この身体に流れる血は彼女にとって毒になる。ならばラミアが自分に噛みつく理由がないし、そもそも新しい傷だってできていない。


 最近こんなのばっかりだ――壱政と会った時、身体が勝手に動いたことを思い出した。自分の身体なのに、自分の意思を無視して動く。今回は幻覚だったが、種子のせいでよく分からない体験をしてしまったのは事実。


「……うん。幻覚だったんだと思う」


 答えて、顔を上げる。まだ頭がぼうっとするのもその名残だろう。窓から入る()()光を見ながら頭の中を整理していると、ラミアが「長旅の疲れもあるだろう」と心配そうな声で言った。


「身体が弱っていたなら、その分種子も宿主を守ろうと必死になる。馬車も初めてだったんじゃないか? 可哀想に……風呂に入ることすらさせてもらえなかったのか」


 ラミアが眉尻を下げてほたるを見る。「え」ほたるの口から声が漏れてしまったのは、ラミアに風呂に入っていないことを気付かれてしまっていたからだ。


「臭くないって言ったじゃん!」


 思わず隣に向かって声を荒らげれば、「それは本当だって」とノエがへらりと笑った。


「でもまァ、いつ風呂に入ったかは分かるよね」

「ッ、そうことなんで言わないの!?」


 人間との嗅覚の違いが恨めしい。そしてノエの無頓着ぶりが腹立たしい。

 ここがラミアの部屋だということも忘れてノエに怒りを向けるほたるに、ラミアが「うちの者がすまないな、ほたる」と申し訳なさそうな顔をした。


「あ、いえ……悪いのはノエなので」

「全くだ。現代の衛生観念で育ってきた人の子にはそれなりのものを用意してやれといつも言ってるだろ、ノエ」

「……すんません」


 素直に頭を下げるノエを見てほたるの溜飲が下がる。いい気味だと内心でほくそ笑んでいると、ラミアが「それで?」とノエにそれまでよりも低い声を向けた。


「確かノストノクスはこの娘を囮に使うって話だったな。詳細は決まったのか?」


 その声にほたるはすっと居住まいを正した。急に本題が始まったようだが、元々はこの話をするためにここに来たのだ。

 スヴァインを捕まえるために、自分が彼を探しに行く。スヴァインを捕縛したいノストノクスと、彼に種子を取り除いてもらいたい自分の利害が一致したから取引は成立した。自分にできるのは恐らくスヴァインに出会うところまでだが、その先のことも多少は知っておく必要があるだろう。

 そう思ってほたるが真剣な面持ちでノエの返答を待っていると、ノエが「そうっすね」とゆっくりと口を開いた。


「スヴァインを恨む大衆にこの子を狙わせる――それがノストノクスの方針です」


 その言葉を聞いた瞬間、ほたるは全身から血の気が引くのを感じた。

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