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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【前篇】第三章 日陰に埋めた劣等感
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〈9-4〉ハグしよ

 しばらく歩けば、濃くなってきた霧の中に階段が現れた。一部しか見えないが、石でできていると分かる階段だ。

 それを上れば今度は扉。これも霧のせいで全体は見えないが、それでもかなりの大きさがあるだろうと分かる。ほたるの脳裏に浮かんだのは体育館の扉や、学校の昇降口。観音開きらしい二枚の扉の間にある線の高さがそれらを彷彿とさせたのだ。


 けれど、もしかしたらもっと高さがあるかもしれない。


 ほたるがそう思ったのは、目を凝らしても扉の上部の枠が見当たらないからだ。霧のせいではあるものの、薄っすらとすら見えないのはそこには何もないことを示しているのではないか。


 これが入口。ならば、こんな入口を持つ建物の大きさは? ――考えかけた時、大きな扉がキィと鳴きながら開いた。ノエが開けたのだ。


「いらっしゃーい」


 呑気な声でノエが言う。背中を押され中に足を踏み入れれば、広いホールのような空間がほたるを出迎えた。


「……お城じゃん」


 広いホール、真ん中に大きな階段。その階段は途中で左右に分かれ、ここからでは見えない廊下へと続いている。

 まさしく城だった。映画の中で見たことのあるような、立派な城。ノストノクスも似たような造りだったためそこまで圧倒されることはなかったが、しかしある疑問がほたるの脳裏に浮かぶ。


 ここは個人宅なのでは?


 確かノエはそう言っていた。だから罪人輸送用の馬車は森を通らなかった。あの時は単に家の近くだから馬車は去っていったとばかり思っていたが、この城を見ているとその考えは正しくなかったのかもしれないと思えてくる。あの森は家の()()ではなく、この家の()()()だったのかもしれない。

 だからリリのような小さな子供が遊んでいたのだ。人間にとって安全とは言えないこの世界で、ニックという保護者はいるものの彼女のような子供が遊んでいられたのは、あの森はこの城の庭のようなものだったから。そう考えると今更ながらにしっくり来るものがあったが、それ以上に呆気に取られてしまった。


 それから、ほんの少しの不安も。この家、もとい城の大きさこそが、これから会う人物の権力を表しているのではないか。そんな人物にこれから助力を求めに行くのに、自分はその人にとっては恨みの対象かもしれない。

 考えれば考えるほど不安は大きくなって、ほたるの身体を強張らせていった。


「城だけど、別に畏まんなくていいよ。ノストノクスと同じようなモンだと思っといて」

「……でもあそこは組織の建物でしょ?」

「うん、だからこっちの方がだいぶ小さい。ここ出るまでに霧が晴れたら一回見てみるといいよ。結構こじんまりしてるから」

「私、馬車乗ってたからあそこ外から見てないよ。だからここを見ても比べられないと思う」

「あ、そっか。なら次の機会、って言いたいけど……ほたるにはない方がいいよね」


 そう言ってノエがへらりと笑う。心配しているのか何なのか分からないその表情にほたるが目元に力を入れかけた時、ノエが「ほたる休憩したい?」と遮るように話し出した。


「休憩?」

「うん、移動疲れたでしょ? もし平気だったらこのままラミア様んとこ挨拶に行こうかなって思うんだけど」

「そういうことなら大丈夫だよ。挨拶なら休憩より先にすべきでしょ」

「しっかりしてるねェ」


 そりゃあなたはしっかりしてないからね――感心したように言うノエに、ほたるは今度こそじっとりとした目を向けた。そしてそのまま苦言を呈そうとしたが、視界に入ったものに思わず口を噤む。ノエの右肩には二つの荷物があって、そのうちの一つが自分のものだと思い出したからだ。


「私のことよりノエは疲れてないの? 荷物もずっと持ってもらっちゃってたし……あ、待って。ラミア様って偉いんだよね? 一昨日から移動でお風呂入ってないんだけど……」


 話しながらそういえば、と思い出す。ノストノクスを出てからは時々の休憩以外はずっと馬車の中で、ほたるは風呂に入っていないのだ。休憩時に何度か湿らせたタオルで身体を拭いていたし、着替えもした。けれど毎日入浴している身からすると不十分としか思えない。


「俺のことは気にしないでいいよ。それに風呂だって身体拭いてるからよくない?」

「身体はね? でも頭は臭いかもしれないじゃん。ていうかノエだってお風呂入ってないのは同じだよ」

「俺臭い?」

「知らないよ」


 気を遣った言葉ではなかった。実際に知らないのだ。馬車の中では密室だったものの、一緒にいて相手の体臭など感じなかったし気にもしなかった。そしてその話題になっている今いるのは広いホールの中。よほど強い匂いでなければ分からない。


 第一、臭くても言えるわけがないけど――ほたるがぼんやりと考えていると、正面に回ったノエが「はい」と言って両手を広げた。


「何?」

「ハグしよ。ンで臭かったらお互い離れればいい」

「……は?」


 何言ってるんだこの人――ほたるの顔がうんと険しくなる。


「そんな確認の仕方嫌だよ。ていうかそもそもハグ自体嫌だよ」

「さっき抱きついてきたのに?」

「ッ、あれは事故みたいなもので……!」

「気にしなくていいと思うけど。散々抱っこしてるんだし」

「……抱っこって言わないで」


 ノエの言葉にほたるの記憶が蘇る。裁判所内での移動、初日の風呂騒動、それから壱政と会って倒れた時――自覚がある時だけでも三回はノエに抱きかかえられている。気絶していて知らないが、もしかしたら誘拐時も同じように運ばれていたのかもしれない。

 思い出して頭が痛くなりそうになったほたるに、ノエが「まァいっか」と小さく息を吐いた。


「分かってくれた?」

「うん、俺がすればいいんでしょ?」

「は!? ちょ、待っ……!?」


 ほたるに逃げることはできなかった。あっという間に正面から抱き竦められたということもあるが、同時に身体が緊張で固まってしまったからだ。

 思えば、これまでの三回は不意打ちと意識がない時。だからそこまで緊張を感じずにいられたが、事前に宣言されていたせいで頭は嫌でも状況を理解してしまう。

 自分は今、顔だけはいい男性に抱き締められている。その自覚がほたるの全身をガチガチに硬くして、ほたるは不服と羞恥を感じているのにそこから逃げ出すことすらできなかった。


「臭い?」


 頭の上からノエの声が降ってくる。いつもどおりの平然とした声だ。「……臭くない、けど」どうにか返せば、「なら風呂は挨拶の後でいいね」とノエの喉がくつくつと揺れる感覚がした。


「……待って、私は?」


 聞きたくない。聞きたくないが、知りたい。ノエからは嫌な体臭など一切しないが、自分は一体どうなのか。臭いのに他人とくっついているのか。だとしたらそれは何という苦行か。

 ぐるぐると巡る思考にほたるが飲まれそうになっていると、「大丈夫だよ」というノエの声が聞こえてきた。


「ていうか臭かったらこんな近付かなくない?」

「分かってたってこと!?」

「だって人間より嗅覚良いし」

「ッ、じゃあこれ意味ないじゃん! ノエの匂いとかどうでもいいのに!」


 ノエから離れようとぐっと腕に力を入れる。固まっていた身体は急に自由を取り戻した。だから思い切り力を入れているのに、ノエの腕はびくともしない。それがどんどんほたるから余裕を奪って、緊張をもたらしていた羞恥が今度は苛立ちを連れてきた。


「ああもう馬鹿力! ていうか頭ぐりぐりしないで!! 頭は臭いかもしれないから!!」

「平気平気、シャンプーの匂いするから。あと人間の匂いも」

「それ臭いってことじゃないの!?」


 その人間の匂いを防ぐためにシャンプーというものがあるのだ。苛立ちなのか恥ずかしさなのか、訳が分からなくなったほたるは大きく息を吸うと、「やだもう離して!!」と悲鳴のような声を上げた。


「はいはい」


 そのノエの声は笑っていた。しかし、ほたるが文句を言うことはなかった。ノエが意外にもあっさりと離れたからだ。

 お陰で羞恥は収まり、代わりに全身を脱力感が襲う。たった数分でなんでこんなに疲れなければならないのかとほたるは息を整えながらノエを見て、ふとあることを思い出した。


「……ねえ、ノエって味覚死んでるんだっけ」

「死んでる言うな。ちょっとぶっ壊れてるだけだよ」

「同じじゃん。味覚と嗅覚って、結構関係してるって言わない? 鼻詰まってると味感じにくくなるし……」


 ならば味覚がおかしいノエは、嗅覚もおかしいのではないか?


 疑いを込めて尋ねれば、いつものへらへらとした笑顔が返ってきた。


「大丈夫大丈夫、全然臭くなかった」

「説得力ないよ」

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