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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【前篇】第二章 波間の呼吸
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〈8-5〉人の頭で遊ばないで!?

 自室に戻ってきたほたるは、クローゼットの中身をベッドの上に畳みながら並べていった。これらは全てここに来てからノエが用意した服だ。それを同じくノエに渡されたバッグの中に順番に詰めていく。十分な大きさのバッグには大した量のない服はすぐに全部収まって、僅かな間だけ散らかってしまったベッドは元通りになった。


 ほんの五分にも満たない、準備の時間。まるでこれが自分の全てだと言われているような錯覚。

 ほたるは力なくベッドに腰掛けると、つい先程の出来事を思い返した。



 § § §



『神納木ほたる――我々と取引をして欲しい』


 エルシーが真剣な表情で言う。その言葉は彼女個人のものではなく、組織の長としてのものだとほたるにも分かった。

 だが、事態をうまく飲み込めない。ノストノクスという組織が自分のような小娘と何を取引したいのか、全く想像がつかない。


「どういうことですか……?」

「我々が種子を与える相手をどう決めているかは?」

「いえ……」


 ほたるの答えにエルシーがノエに目を向ける。不満げなその眼差しを受けたノエは心外だと言わんばかりに眉根を寄せると、「だって俺誰にもあげたことねェもん」と口を尖らせた。その反応にエルシーが疲れたように目を閉じる。そして一呼吸を置くと、気を取り直すようにほたるに向き直った。


「明確に定められているわけではないが、二つのパターンに分けることができる。一つはその人間の能力が欲しい場合。私やノエがそうだ。私は戦争の戦力として血族に招かれた。この場合はその人間と吸血鬼の間に個人的な情はほとんどない。だが、もう一つの方は違う」


 そこで言葉を区切り、エルシーが改めてほたるの目を見つめる。その視線にほたるが思わず居住まいを正すと、エルシーは話を再開した。


「もう一つは、単純にその人間を愛していた場合。悠久の時を共に生きたいだとか、何らかの事情で吸血鬼にせねば相手が死んでしまいそうだとか、そういった相手への情のみが理由となる。この場合は子のことを愛し子と呼ぶこともあるな。つまりそれだけ相手に深い情を持っているということだ」


 エルシーの目は、未だほたるから離れない。それが何かを物語っている気がしたが、ほたるには察することができなかった。


「じゃあ、私は……?」


 答えは、なんとなく浮かんでいる。消去法だ。それでもほたるには影しか見えなかった。信じることができないのだ。

 自信なく問いかけたほたるの隣でノエは眉を上げると、「いや決まってるでしょ」と呆れたように言った。


「ほたるはどう考えても二つ目の方じゃん」

「……馬鹿にしてる? 特に取り柄がないって」

「いんや?」


 涼しい顔でノエが答える。真意の読めないその表情にほたるが眉をひそめると、「私は後者の方がいいと思うけどな」とエルシーが気遣うように続けた。


「何にせよお前はスヴァインにとって、種子を与えたくなるほど大事な人間である可能性が高いんだ。それに、あの男には子がいないと言われている。アイリス以外の誰よりも長い時間を一人で生きてきたような奴が、ただの子供であるほたるに種子を与えたんだ。お前の命が危険と分かれば、流石のあの男でも姿を現すのではないかと我々は考えている」

「……ってことは」


 やっとほたるにもエルシーの意図が理解できた。組織に自分が差し出せるものなどないと思っていたが、要するに彼らは餌を求めているのだ。


「そうだ。スヴァインを捕縛するため、お前に協力して欲しい」



 § § §



 どうやっても見つけられない大罪人を捕まえるため、その人物が大事に想っているであろうほたるを餌にする――エルシーに提案された取引内容を思い出し、ほたるはふうと息を吐いた。


 正直、話が大きすぎてついていけない。どこにでもいるような自分に、吸血鬼達にとっての重要人物である男が執着するとは思えない。

 ほたるがぼんやりと考えていると、ドアの方からノック音と共に「開けるよ」という声が聞こえてきた。そこから顔を出したのはノエだ。返事をする前に開けられてしまったが、来ると分かっていたから気にならなかった。


「行ける?」

「うん」


 忘れ物がないか確認し、バッグを持つ。だがその重みはすぐに消えた。そのまま何歩か歩き、そこでやっと「あ」と気付く。ノエに荷物を奪われたのだ。あまりに自然な動きにほたるは驚くと、「ありがと」と遅れて礼を口にした。


 ――こういうことをされると、尊重されているように感じてしまう。


 これまで考えていたことが脳裏に浮かぶ。自分はただの餌だ。それは分かっているが、だからこそ気が楽になるのをほたるは感じていた。

 ノエ達がこの命を守ろうとするのは、善意ではなく自分達のため。元々そうだと聞いていたが、彼らの目的の重要性が分かった今、その理解はこれまでよりも深くほたるの腹の底に落ちていった。


 ノエ達にとって自分は、利用価値のある存在。それはほたるを安心させたが、疑問は残る。「あのさ、」隣を歩くノエに、その疑問を投げかけた。


「本当に間違いないのかな……? スヴァインが私のことを大事に想ってるって」


 これを否定されたら困る。ノエ達が自分の命を守る理由がなくなる。だが、聞かずにはいられなかった。


「その種子が証拠なんじゃない? 少なくともどうでも良い奴にはあげないよ」

「でも……実感ないよ。だって私はその人を知らない。ノエ達の言うとおり記憶を消されてるんだとしても、じゃあなんで消すのって話にはならない?」

「ならないよ。種子持ちは親の抵抗力を受け継いでるけど、結局ただの人間だから。ただの人間相手なら、たとえ洗脳が通用しなくてもいくらでも口を割らせる手段がある。一〇〇年逃げ続けてきたような奴がそんなリスクを冒すとは思えない」


 ノエの説明はほたるの疑問を少しだけ解消したが、やはり完全には消えない。


「……私はいつその人と会ったんだろう。スヴァインって人、外国人なんでしょ? 尚更出会うような機会はなかったと思うのに。普通にお母さんと暮らして、普通に学校行って……」


 言葉にするたびに分からなくなる。自分は特別な人間でもなければ、人と多く出会うような鼓動も取ってこなかったのだ。ノエ達はスヴァインが親だと信じているようだが、しかし全く思い当たる節がない。

 視線を落としたほたるに、ノエが「そういえばほたるってさ、」と不思議そうな顔をした。


「いつも母さんの話しかしないけど、父さんもいるんじゃなかったっけ? 確かほたるのこと調べた連中が、仕事でどっか行ってる父親がいるって言ってたけど」

「調べたの?」


 ぎょっとしてほたるがノエを見上げる。しかし「当然」と答えたノエに悪びれる様子はない。


 でもまあ、当たり前か……――自分が元々殺人の容疑者だったことを思い出し、ほたるはそれ以上考えることをやめた。代わりに考えるのは、ノエに問われたこと。

 確かに全然話題にしないなと気が付くと、その理由を思って苦しげな笑みがこぼれた。


「お父さんはもう何年も会ってないよ。なんか忙しいらしくて……」

「ふうん? なら父さんの方は何もしなくていいかな。母さんがちゃんと説明できれば、ほたるがいなくても気付かれる心配なさそうだし」

「そうだね。そもそもお父さんは私に興味ないし」


 父との関係を思い出す。記憶はほとんどない。父のこちらを見る目はいつも冷たくて、自分も父を苦手に思っていたなと苦い気持ちになった。


 母のことはあんなに優しく見ていたのに、どうして自分には――目元が熱くなった時、不意に頭を衝撃が襲った。


「ッ、わ!? 何!?」

「おお、すご! 髪長いからぐっちゃぐちゃ!」

「人の頭で遊ばないで!?」


 衝撃はノエの手だった。荷物を持っていない方の手が、ほたるの髪をわしゃわしゃと掻き回していたのだ。


「ねぇもう本当に待って! 絶対これ酷いことになってる!!」

「うん、髪の毛の妖怪みたい」

「ちょっと!?」


 ほたるが苛立った声を上げれば、ノエの手がすんなりと離れていった。その隙にほたるが必死に手を動かす。好き放題暴れ回っていた髪を手櫛で整えていると、ノエが「俺はほたるに興味あるよ」と言うのが聞こえてきた。


「元気かな、食欲あるかなっていつも気にしてる」

「……どうしたの、急に」

「いんや?」


 邪魔な髪のなくなったほたるの視界に、いつもどおり笑うノエの顔が映る。


「さて、そろそろおしゃべりはやめようか。ここからは罪人輸送だからね」


 そういえばそうだった、とほたるは背筋を正した。このノストノクスから出て行くにあたり、罪人輸送という名目でノエと移動することになっているのだ。

 それは、エルシーがそうしろと言ったから。大罪人を捕らえるためには必要なことなのだと言われてしまえば、ほたるに異を唱えることなどできるはずがない。


 だからほたるはほんの少しだけ緊張していた。やっと慣れてきた生活が終わり、エルシー達との取引を果たすためにこれから動くことになるから。

 そしてそれがうまくいかなければ、自分は死んでしまうから。


 不安で足を止めかけたほたるに、ノエがゆるりと笑いかける。


「じゃァ探しに行こっか。ほたるのこと大事に想ってくれてるっぽい人のこと」


 それは周囲に聞こえないよう小声だったが、ほたるの耳にはしっかりと届いた。

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