〈8-2〉本題はまだだよ
部屋に戻ってくると、ノエはほたるをソファに座らせた。そして会った頃と同じように、L字になるよう自分も腰掛ける。
なんだか畏まっているようで居心地が悪い。ほたるは無意識のうちに身動ぎすると、「大事な話って……?」とノエに問いかけた。
「ほたるの今後に関すること」
それを聞いてもう一度、ほたるが座り直す。けれど居心地の悪さは消えない。そんなほたるにノエは優しく笑いかけると、「ちょっと本題の前に前置きさせてね」と話し出した。
「ほたるの中の種子は、発芽させるか取り除くかしないとほたるを殺すって話は前にしたね?」
「……うん」
これは前置きだ、本題じゃない。
そうと分かっていても、ほたるの表情が暗くなる。
「なんで死ぬかっていうと、あれは宿主の命を食っちゃうから。だから体内の種子をそのままにしておける期間の目安が定められてる。実際は個人差があるからそれより長かったり、逆に短かったりもするんだけど、長い歴史の中で出された目安だから概ね正しい」
ノエの顔から、笑みが消える。真剣な表情は彼が滅多にしないもの。たった一週間の付き合いでもそれを把握してしまっているせいで、ほたるの背筋には力が入った。
「――一年。それが種子を体内に持っておける期間」
ノエの口が淀みなく動く。「いちねん……」ほたるが鸚鵡返しに呟けば、ノエは安心させるように、けれど困ったように微笑んだ。
「短い?」
「思ってたより……」
そうは言ったが、実際のところほたるは予想なんてしていなかった。どうせ自分は短期間で種子とやらから解放されるのだと思っていたから、そんな先のことなんて考えていなかったのだ。
だから、短いと思った。考えるまでもなくこの先ずっと続いていくと信じていた人生が、このままではたった一年しかないと告げられたから。
これが、前置き。なら本題は? ――ほたるの中に不安が募る。
いつの間にかノエの顔を見られなくなっていた。視線は落ちて、ノエの膝を映す。
聞きたくない。知りたくない。
だがほたるの願いも虚しく、ノエの言葉は続く。
「種子を体内に持ってると、時々種子の力が外に漏れ出すことがある。その程度でざっくりだけど、種子を与えられてからどのくらい経ってるか予想することができる。……聞く?」
確認してくるノエの声は相変わらず優しかった。けれどそんなものに意味はない、とほたるの目元に力が入る。
「っ……聞くべきなんでしょ? ノエがこんなふうに話すってことは」
「そうだね」
あっさりと返された肯定は、まるでノエにとっては大した問題ではないと言っているかのようだった。
そうだろうと分かっていても。ノエのことを信用していなくても。それでも、ほたるの胸を締め付ける。
思わず目を閉じたほたるの耳に、ノエが息を吸い込む音が届いた。
「最低でも半年。ほたるは種子を与えられてから、どれだけ短く見積もってもそれくらいは経ってると思う」
半年――告げられた現実に、ほたるの呼吸が詰まる。「みじ、かく……」どうにか声を絞り出して、無理矢理息を吸う。
「なら、長いと……?」
「九ヶ月くらいかな」
「っ……」
ノエの言う九ヶ月は、残りの命ではない。既に消費した分だ。残されていた一年のうち、九ヶ月が過ぎてしまっているという意味だ。
なら、残りは……――計算するまでもなく浮かんだ答えに、ほたるは自分の頭が冷やされるのを感じた。
「限界がどこかは個人差が大きい。だからもし本当に九ヶ月種子を持ってても、あと三ヶ月しか生きられないとは限らない。もう半年いける場合だってある」
「……でも逆に、三ヶ月も生きられないかもしれないんでしょ?」
「うん」
また、あっさりとした返事。目線が上げられない。ノエの顔を見ることができない。言葉だけでもこんなにも掻き乱されるのに、彼が今どんな表情で自分の命の短さを告げているか確認する勇気がない。
「……分かった。ちゃんと受け入れとけってことでしょ? 考えるから、少し一人にして欲しい」
本題がこれならノエの話はもう済んだだろう。それなのに近くにいられるのは嫌だった。ノエがどんな顔をしているか知るのが嫌だったし、同時にいつ自分が泣き出してしまうかも不安だったからだ。
だから早く出ていってくれ。これ以上私を追い詰めないでくれ。
そう込めて発したほたるの言葉は、「駄目」というノエの声に突っぱねられた。
「駄目、って……」
「言ったでしょ、前置きだって。本題はまだだよ」
「え……」
ほたるの頭が真っ白になる。今のが本題ではなかったのか。こんな話を前置きにしなければならない本題など、聞きたくない。
「や、やだ……聞きたくない……」
恐れがほたるの口を動かす。ノエの前でそんな弱い感情など吐き出したくないのに、身体が勝手に恐怖から逃れようとする。
「聞いて、ほたる。これは逃げられない。ちゃんと正しく把握しないと、ほたるの命が助からない」
「っ、でも! どうせ死ぬんでしょ!? たった三ヶ月で私は死ぬんでしょ!? それをこれ以上どう把握するの? どうやって死ぬか詳しく話してくれるの!? 自分の死に様を想像しながら怯えて残りの時間を過ごせってこと!?」
怖かった。聞きたくなかった。
嫌だ嫌だと首を振って、ノエの話から逃れようと試みる。
「ほたる」
「やだ! もういい! もう十分だから……――ッ」
その場から逃げようとするほたるの動きが止まったのは、ノエがその両肩を掴んだからだ。あまりの力強さにほたるは一瞬で逃げられないことを悟った。
痛みはないのに、自分では絶対に振り解けないのだと理解させられる。身を捩ることすら許されず、その手が逃げるほたるをノエと向かい合わせる。
「最後まで聞いて。まだ助かる方法はある。むしろそれをやらないと絶対に助からない。俺達だけで準備してあげたいけど、ほたるが協力してくれないと無理なことなんだよ」
ノエの真剣な目が、ほたるの意識を引き寄せる。「私が、協力……?」震え声で返したほたるに、「そう。それが本題」とノエが告げた。
「ほたるに種子を与えたのが誰か分かったよ」
その言葉を聞いても、ほたるの恐怖は消えなかった。