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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【前篇】第二章 波間の呼吸
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〈7-5〉タオル持ってくる?

「残念? 壱政が信用していい相手じゃなくて」


 ほたるの心境を見透かしたようにノエが問う。その顔はほたるに寄り添うように残念そうな苦笑を湛えていたが、ほたるには直視することができなかった。


「ほたるさ、もしかして壱政が日本人だからって理由だけで信じたくなっちゃってる?」

「ッ……だって……」

「うん、責めてないよ。いきなりワケ分からない環境に連れ出されたら、同郷の人を信じたくなるのは当然だと思う」


 図星だった。この知らない場所で、壱政という日本出身者を見て助けてもらえると思ってしまったのは事実だ。

 なんて安直な――ほたるが自分の考えに顔をしかめると、ノエが「たださ、」と少しだけ声を落とした。


「今回はちょっと我慢してくれない? クラトス様の配下って日本人が多いのよ」


 それは、同じ日本人には敵が多いかもしれないことを示す言葉。「なんで……」思わずほたるが呟けば、ノエは何故かぎょっとしたように目を丸くした。


「『なんで』? え、知りたい? つまんないと思うけど……えーっとね、壱政の親が(うらら)って人なんだけどね? その麗にたくさん子がいるんだよ。国籍問わずではあるはずなんだけど、麗自身が日本出身ってことで日本人もまあまあの数スカウトしてて、全体的に日本人が少ないのもあって、あそこに集中する形になってるっていうか」


 ノエが慌てたように話す理由がほたるには分からなかった。というより、何故こんな話をしだしたのか分からない。自分は何故日本人なのに同じ日本人を信じることができない状況なのかという意味で〝なんで〟と発したのに、ノエの答えはそれとはズレているように思う。

 だがノエの行動の理由は、彼が「これでいい?」と不安げに聞いてきたことで理解できた。


「あそこのことは俺もあんま詳しく知らないのよ。麗とも別によく話すワケでもないし……ほたるの疑問が解決しなかったなら申し訳ないんだけど、気になるなら調べとくから」


 ああ、ノエはクラトスの配下に日本人が多い理由を問われていると勘違いしたのか――ぼんやりと考えていたほたるの目元に、ノエの指が伸びる。そしてその指が何かを拭うようにそっと動いた。


「タオル持ってくる?」

「……え?」


 そこで初めて、ほたるは自分の身に起こっていたことを知った。目から涙が流れているのだ。それも、ぼろぼろと。自覚すると急に目元や鼻に熱を感じて、ほたるは「え? え?」と混乱のままに声をこぼすことしかできなかった。


「なんで……あれ? やだ……」

「あー、気付いてなかった? いいよ、泣いちゃいな。色々溜まってるはずだから」


 ノエはそう言うも、ほたるはその言葉に甘えたくなかった。だから、必死に涙を押し留める。そもそも人前で泣くことが嫌いなのだ。記憶にある限り、小学校に上がってからは一度もない。そうでなくともこんな話の最中になど泣きたくなかった。

 自分の弱さを見せてしまうだとか、涙で同情を引こうしているように見えてしまうだとか、理由はたくさん浮かぶ。けれど何より、ノエの前で泣くことが嫌だった。彼を信じ切ってはいけないと、自分と彼の間に張っている境界線が涙で薄くなってしまうような気がするから。


 だが、涙は止まらない。止めようと思えば思うほど出てきて、気付けばしゃくり上げるような呼吸にもなってきた。


「――ほら、これで拭きな」


 ノエが手渡してきたタオルは浴室から持ってきたものだろう。取りに行っていることすら気付かなかったと、ほたるの中になんとも言えない感情が募る。


 ノエが驚いたのはこれだったんだ――自分が疑問を口にした時に驚いた顔をしたノエ。何をそんなに驚くのかと思ったが、目の前で突然相手が号泣し出せば驚くに決まっている。

 なんて状況を整理するように考えてみても、涙が止まる気配はなかった。


 これはまずい。非常にまずい。このまま泣き続ければ、泣き止んだ後の顔が見るも無惨なことになってしまう。


 どうにか自分の意識を逸らさねばと考えて考えて、涙と関係なさそうな話題を探す。そうして思いついたのは、ノエの話に出てきたことだった。


「麗って、誰……っ……なんか、聞いたことあるっ……」


 震える唇で問いを絞り出す。するとノエは「そこ掘り下げる?」と意外そうに言ったが、「でもほたるの前で名前出したことあったっけ……」と考え出した。


「……あ、裁判で名前出たかも! よく覚えてたね」


 そうだったろうか。そんな場面などあっただろうか。

 自分で言っておいて何だが、ほたるは全く記憶になかった。だが、ノエがそう言うということはきっとそうなのだろう。でなければ麗という名前自体に聞き覚えがあるのはおかしい。

 ほたるは自分を納得させると、ノエの言葉を待った。


「麗はねェ、うーん……執行官なんだけど、とりあえずヤバい人って覚えといて。実際ヤバいから」

「ヤバい……?」

「ヤバいよ。今回ほたるが会ったのが壱政で良かったって思えるくらい。あの人がその気になったら簡単に俺からほたるを引き剥がせる。俺の方が序列は上だけど、多分普通に半殺しにされるから」


 いつもよりも深刻そうな顔で言うノエを見て、ほたるの涙が引っ込む。適当に探した話題だったが、想定外に重要なものを引いてしまったらしい。

 何せノエのこの説明は、これまで彼に聞いていた話と矛盾するからだ。


「……おかしくない? だって序列が上の相手には逆らえないって言ってたのに」


 だからこそ真っ向勝負は同じ序列同士でしか成立しないとノエは言っていたはずだ。そう思ってほたるが問えば、ノエは「逆らえないよ」と首を振った。


「本来ならまともに攻撃することだって無理。ほたるには言ってなかったけど、ちょっとでも相手に殺意を持って攻撃しようとした時点で身体が動かなくなるんだよね、俺ら。だけどその上であの人はできる。だからヤバいって話」

「動かなく……?」

「そう、動かなくなる。その間に返り討ちに遭いそうになっても、逃げることすらできない。言ったでしょ? 自分の意志でどうこうできるレベルの話じゃないって」


 ノエの話にほたるの顔が強張る。そんなことがあるものかと思いたいのに、事実なのだろうと感じてしまう。

 だとすれば彼らは、なんて不自由なのだろうか。仮に自分より序列が上の相手に何か不満があっても、きっとそれを表に出すことすら難しいのだろう。どれだけ相手が不条理なことを繰り返していても、大人しく従うしかないのだ。


「……どうにもできないの?」

「逆らえないこと? 無理だよ。抜け道はないことはないんだけど、やっぱり限界がある。麗はその抜け道を力技で押し通れる人ってだけ。でもあの人だって一歩間違えば同じことになる」

「やっぱり、不自由だよ……」


 ぽつりと、ほたるがこぼす。「うん、そうだね」ノエが優しい声で言って、ほたるの頬に手を当てる。


「だからほたるはここにいるべきじゃない。今は生きるために必要なだけで、種子を取り除けばすぐに帰れる。そのためにはまずほたる自身が無事でいなきゃ」


 まるで幼子に触れるかのような手つきだった。相手を安心させるような、ただ優しさと慈愛だけがこもった触れ方だ。異性が自分の頬に触れているというのに、ほたるの身体からは力が抜ける。緊張は全くなく、ただただ胸にのしかかった重たい何かを取り去られるような感覚が、ほたるを楽にする。


「壱政のことはごめんね。あいつならもしほたるに何かする気でも、ここじゃァ動かないと思ってたんだけど……俺がいない時に鉢合わせるのはちょっと予想外だった」

「……執行官はみんな危ないの?」

「いんや、警戒しなきゃいけないのはクラトス様んとこの連中くらいだよ。って言っても滅多なことじゃ行動は起こさないと思う。執行官って、俺と序列同じか低い奴しかいないから」


 ノエの手がほたるの頬から離れる。無意識のうちにその手を目で追って、しかしそうと気付くと同時にほたるは慌てて目を逸らした。


「行動を起こさないのは、ノエに逆らえないから?」

「そうだね、成功率が低すぎる」

「でも壱政さんは……? 麗って人が親なら、壱政さんも……」

「うん、俺の方が上だよ。でもあいつも麗と一緒、抜け道を力技で押し通れるタイプ。だから本当はあいつのことも仕事調整して遠ざけときたかったんだけど、麗をここに来られないようにするので精一杯でさ」


 ノエが困ったように眉尻を下げる。「麗と壱政だったら、壱政の方がまだマシなのよ」疲れたように言って、「ってことで」とほたると目を合わせた。


「もしここで日本人を見たら、クラトス様の配下だって考えてくれて構わない。勿論そうじゃない奴もいるけど、それは圧倒的に少ないから。だから……」

「……分かった。日本人は警戒する」


 言い淀んだノエを引き継いでほたるが望まれた答えを口にすれば、ノエの顔がくしゃりと歪んだ。「ごめんね」謝る彼の手は、ほたるの方には伸びてこない。

 ほたるはその理由を考えようとして、すぐに内心で首を振った。求めてはいけないのだ。それは、ノエを信用することと同じだから。


「夕飯はここで食べようか。何がいい? 取ってくるよ」


 気遣うようなノエの声が、ほたるの胸を引っ掻く。けれどほたるはそれを無視するように、顔にぎこちない笑みを貼り付けた。

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