〈7-4〉どうするっていうのは……
「クラトス、被告人台へ」
裁判長に言われて被告人台に上ったクラトスは、ゆっくりと顔を覆っていた布を外した。そこから現れたのは西洋人の男。外見は四十代だろうか、落ち着いた雰囲気を纏っている。
「罪状は、従属種の監督責任放棄。従属種の人間に対する許可のない吸血は重罪、さらに外界に行くための正式な申請をした形跡もない」
裁判長がゆっくりと罪状を読み上げる。
ほたるの時とは違い、野次を飛ばす者はいない。傍聴席からは固唾を呑む音が聞こえてきそうなほど緊張した空気が伝わってきて、状況を理解しないままノエと共に隅で様子を見ていたほたるの背筋を正させた。
「さらにクラトス、お前はこのノストノクスに名を連ねる上に、序列最上位でもある。その責任はより重いと判断し、これより一月の間、会員としてのすべての権利を停止する」
そこでやっと、緊張しきっていた場内がどよめいた。けれどやはり、野次はない。驚き、その内容に圧倒されているのだ。
「――この決定に異議があれば申し出よ。しかしその代わり、その異議の正当性を確かめるためお前の身辺をより詳しく調査する必要がある」
裁判長がそう言うと、クラトスは深く頭を下げた。
§ § §
記憶を辿って、ほたるが表情を暗くする。クラトスを裁判に引き摺り出した結果、それを仕組んだノエと裁判長に成果があったと分かってしまったからだ。何の意味があるかは分からないが、それでも裁判長が言ったことをクラトスが受け入れたというのは成果のように思える。
ほたるが考えていると、ノエがその考えを肯定するように「俺らはクラトス様を一時的でもここから遠ざけたかった」と続けた。
「でも俺と裁判長の序列はあの人よりも下だから、目的のためには法って手段を使うしかなかったんだよ」
「…………」
ほたるは何も言えなかった。状況は理解できたが、それだけだ。ノエの言っていることが事実と分かっても、それが正しいこととは思えない。間違っていることかも、分からない。
分かるのは、苦しさだけ。自分はノエ達の企みに利用されたのだと、そのためにあんなに恐ろしい目に遭ったのだという実感が、ほたるの胸を苦しくする。
「ごめんね、ほたるには嫌な思いさせて。先にクラトス様の裁判をすればほたるが法廷に出る必要はなかったかもしれないけど、そうなるとほたるに関してあの人に好き勝手な発言を許すことになる。そうなったら完全に火消しはできないだろうから、下手なこと言われるのは避けたくてさ。何せあのおっさん、かなり偉いのよ。どれだけ違うって証拠並べても、あの人の言葉をそのまま真実だと信じちゃう人が多いから」
それはほたるを庇っているような言葉だった。クラトスの発言によりほたるが貶められたら、それが事実として広まってしまう。そしてノエ達には訂正しきることができない。だからそもそもそういった発言ができないように、先にほたるが何者かをその場にいた者達に示したかった――言っていることは分かるが、ほたるには受け入れることはできなかった。
勝手すぎるのだ。自分のためだったとでも言いたげな理由を付け加えられても、ノエ達がやったことは消えない。
ほたるの顔が、くしゃりと歪む。
結局、彼らのせいで酷い目に遭ったことには変わりない。どれだけ正当化するような理由を並べられても、ならば許すと言えるほど自分の度量は大きくない。
それに、全部壱政さんの言うとおりだった――ほたるの中に、ぽつりとそんな考えが浮かぶ。
ノエがあの裁判を仕組んでいたことも、忙しいと言って何かしていることも。忙しいのは自分の保護に関することだと言っているが、それもどこまで正しいのか分からない。何せあの裁判のことだって、言いようによっては保護のためだったと言える。
今のところ、壱政の話は事実だけだ。ならば他のことも事実なのかもしれない。ノエは信用するに値しないと言っていたのも、本当のことなのかもしれない。
それを確認する方法は――
「もし……」
「ん?」
「もし私が壱政さんに保護してもらいたいって言ったら、ノエはどうする?」
壱政の言葉を思い出しながらほたるが問いかける。ノエはこの問いが予想外だったのか、少し驚いた顔をした。
「どうするっていうのは……」
「ちゃんと手続きしてくれる? なかったことにしない?」
「……なるほど。それで判断しろって言われたのか」
ノエは納得したように呟くと、重たい溜息を吐き出した。
「あいつも性格悪いなァ、本当。俺が選べないって分かった上でこんなこと吹き込むって……」
「……何を選べないの」
独り言のように言うノエに、ほたるが低い声で問いかける。するとノエは「ほたるの質問の答えだよ」と困ったように笑った。
「もしほたるが壱政に保護されたいって言ってきても、できればその手続きしたくないんだよね」
「ッ……」
ノエの答えにほたるの心臓がひりつく。何故ならそれは、ノエは信用できないと判断すべき方の答えだったからだ。
「なん、で……やっぱり、私の保護を利用してるから……?」
だから他者にその役割を譲れないのか。苦労してまで手に入れたその立場を使って、全く関係のない何かに時間を割いているから。
ほたるが不安げに問いかければ、ノエは「壱政以外の奴なら考えるよ」と安心させるように笑った。
「でもあいつは駄目。だって壱政、クラトス様の系譜だからさ」
その意味が、ほたるにはいまいち分からない。
「系譜って、序列の? ノエはアイリスって……」
「そうそう、それ。誰々の系譜って言ったら、その誰々さんがボスってこと。ちなみにアイリスは特殊な言い方だから、そのへんは今度教えてあげる」
ほたるの中で、少しずつ理解が広がる。
「じゃあ、壱政さんは……」
「クラトス様の配下だよ。壱政も執行官だけど、いざとなればノストノクスの命令よりクラトス様の方を優先する」
それは、ほたるには恐ろしいことのように思えた。壱政は自分を保護することになったらその仕事はすると言っていたが、その保護は執行官としての、ノストノクスの仕事。彼がクラトスの命令を優先するというのなら、いつ覆されるか分からない。
「今回の件で俺はクラトス様の怒りを買ってるし、ほたるはそのきっかけになった。クラトス様もそうだけど、その配下である壱政もほたるのことをよく思っていない可能性がある」
「だから壱政さんは、私に何かしようとしたの……?」
気絶する前の記憶が蘇る。壱政が自分に何をしようとしていたのかは分からない。けれど、彼の瞳が紫色だったことはよく覚えている。それから、その言葉も。
『お前の存在すら奴の仕込みなら別だ』
あれは、自分の味方になってくれるという話を覆すもの。
自分はもしや危ない状況だったのではないか――ほたるがぶるっと身体を震わすと、ノエが「どうだろうね」と落ち着いた声で言った。
「俺が近くにいないから危害を加えようとしたのかもしれないし、ほたるの種子に関する俺の発言を確かめようとしただけかもしれない。ただまァ、良いモンじゃないっていうのは確実だと思うよ。だからほたるの中の種子が過剰反応したんでしょ」
「種子が……?」
「宿主を守ろうとしたんだよ。壱政に聞いたけど、急に飛び退いたんだって? 一瞬でも身体が限界を超えた動きをしたんなら、その後色々調子狂って倒れたのも頷ける」
「……そう、だったんだ」
自分の行動の理由を知り、ほたるの口から声がこぼれる。正直完全に理解できたわけではないが、種子のことは自分には分からない。だからその点に関してはノエを信じるしかないのだ。いくら信用できなくても、反論のしようがないから。
それにノエが問題なさそうだと判断しているのも大きかった。これで健康状態に問題があると言われるより、少し体が驚いただけだと言われた方が気が楽だ。
だが、それでもほたるの顔は晴れなかった。結局のところ、何も問題は解決していないからだ。
ノエを信じられないことも、そして逃げ先として考えていた壱政のことも。
「残念? 壱政が信用していい相手じゃなくて」
* * *