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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後日譚】第四章 鏡の心日和
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〈15‐1〉……そんな理由だったの?

 ほたるは目を開けると、少し高い位置にノエの顔を見つけて頬を緩めた。それに気付いたノエも同じように笑って、けれど申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「ごめんね、起こしちゃった?」

「起こし……?」


 問われるも、ほたるにはよく分からなかった。一体どういうことだろうと周りを見ようとした時、ノエが「ほたる、ソファで寝てたんだよ」と答えをくれた。


「それでこっち連れてきたとこ。だから起こしちゃってごめんねって話」


 ノエが苦笑混じりに状況を説明する。その言葉でほたるはやっと自分が今いるのはベッドの上だと理解すると、「私、子供みたい……」とゆっくりと不満げな表情になった。


「なんで?」

「しょっちゅうノエに運ばれてる」

「だって俺がほたると寝たいから」

「……そんな理由だったの?」

「他に何があるの?」


 しれっと言われ、ほたるの眉間に力が入る。まさか本当に抱き枕にされていたとは――いつだったか考えたことを思い出せば、眉間の皺は更に深くなった。それを見たノエはおかしそうに笑うと、「寝てるの邪魔しちゃってごめんね」と言いながら自分もほたるの隣に寝転がった。


「それはさっき謝られたよ」

「うん。でもいい夢見てそうだったからさ」

「いい夢……だったっけ……?」


 どんな夢を見ていたのだったか、と記憶を辿る。起きた時の気分は良かったから、少なくとも悪い夢ではなかったはずだ。ゆらゆらと揺れていて、けれど心地良くて。ノエに抱かれるよりも全身をしっかりと支えられているような――


「あ」


 ふわりと脳裏に浮かんだのは、下から見た父の顔。父に横抱きにされている時に見える、彼の顔。

 自分の身体が小さいから、全身が丸ごと父に包まれているように感じたのだ――ほたるはそこまで思い出すと、「……うん、いい夢だったかも」と頷いた。



 § § §



『――お前は俺を知らなくていい』


 その父の言葉を聞くのは二度目だった。ペイズリーに言われ、もう一度同じ記憶を辿っているところだったから。


 改めて幼い自分に紫眼を使う父を見て、ほたるは恐ろしいと思った。その色はこの思考を、記憶を勝手に変えてしまう。ノエのものとは違って、何度も望まない方向に変えられてきたと知っている。


『だから見つかるな。誰にも殺されるな。アイリスの血を持つ者達に、お前達は渡さない』


 そしてその声もまた、怖かった。愛されていた記憶の中で聞いた声とも、再会した後の冷たい声ともまた違う、恐ろしい音。

 大きな感情が凝縮されたような重苦しい声は、聞いているだけで首を絞められているかのような息苦しさを覚える。それから心臓が握り潰されるような圧迫感と、指一本動かすことも許されないような緊張感と。それらが全てほたるの胸の奥底から恐怖を引っ張り出してきて、相手に自分は見えていないと分かっていても恐ろしくてたまらないのだ。


 ――でも、見なきゃ。


 恐ろしいという感情に流されては駄目だ。当時の自分は紫眼を使われて思考が働いていなかったが、その目は眼前の光景を映していたはずなのだから。


 ほたるは意を決すると、幼い〝ほたる〟に自分を重ね合わせた。途端に目線が低くなって、そして、父と対峙する。

 怖かった。離れて見ても怖かったのに、こんなに近くにいると思うと震えそうになる。ここにいる父はもう父ではなくて、自分を殺そうとした恐ろしい存在なのだと逃げ出したくなる。けれど――


 また逃げてどうする。何のためにノエに無理をさせている?


 ほたるは己を叱咤すると、改めて父の顔に目を向けた。その紫色の瞳ではなく、影になって見えなかった場所に意識を集中する。十分な明かりはなかったが、段々とその輪郭が浮かんでくる。


「ぁ……」


 父の眉間には、力が入っていた。目も細められている。その表情には見覚えがあった。自分の前では無表情のことが多かった父が見せた、数少ない表情だったから。

 それは、左腕を怪我した時と同じ。陽の光に飛び込んでまで助けてくれた父を、興奮したまま拒絶してしまった時に彼がした表情とよく似ていた。


『もし殺されそうになったなら――』


 父の手が〝ほたる〟の頬に伸びる。その触れ方にもまた、覚えがあった。


『――殺される前に、壊せ』


 それは冷たい呪詛のような命令だと思っていた。だが、違う。これはそうじゃない。


 これは――その正体を悟ると同時に、ほたるの意識は現実に引き戻された。



 § § §



 二週間近く前の出来事を思い出して、ほたるはそっと目を伏せた。あれが現実どおりの記憶だったのか、それとも願望が見せた夢だったのかは確信が持てない。紫眼による記憶の追体験はかなりの精度だが、きっかけさえあれば急に悪夢に変わってしまうことも知っている。

 しかしもう、ほたるはそれでいいと思っていた。あの時の父の表情が、仕草が、声が、こちらへの悪意によるものではないと感じられたから。


 あれは、苦悩だ。


 ほたるがそうと分かったのは、最近その感情を見た記憶があったから。こちらを傷付けることを恐れ、己の中の欲求に抗うノエの姿を見ていたからだ。

 確かにノエとは違って、あの声にはそれ以外もあった。憎悪のような重苦しい感情もあった。だがそれは、自分に向けられたものではない。


『だから見つかるな。誰にも殺されるな。アイリスの血を持つ者達に、お前達は渡さない』


 お父さんはきっと、吸血鬼という存在が――考えると暗い気持ちになったが、父から聞いたおとぎ話を思えばすとんと腹落ちした。


 だから、もういいのだ。少なくとも父は自分に怒ってなどいなかった。たくさんの感情があったのかもしれないが、あの時自分から離れたのは、ノエの言っていたとおりの理由である可能性が高いのだろうと思えるようになった。


 それだけでもう十分。たとえ事実がはっきりしなくとも、以前のような足元の覚束なさは感じなくなったから。

 その証拠にあれから父のことを思い出しても嫌な気分にはならない。むしろ幸せだった記憶が呼び起こされて、自然と顔に笑みが浮かぶ。

 先程見ていた父に抱かれる夢も、印象に残っているのはその安心感だけ。愛されていたと、嫌われていたわけではないと分かったから、父の自分への行動を素直に受け取れるようになった。


「――そんないい夢だったの?」



 * * *




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