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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後日譚】第四章 鏡の心日和
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〈11-3〉疑ってるじゃん

「……ごめんって言わないから」


 だから離してくれというノエの言葉に、ほたるが「ん」と手を外す。ノエがその手に触れようと自分のそれを伸ばしたが、途中で元の場所に戻した。

 触れることを恐れているのではないとほたるがすぐに分かったのは、ノエの手を見たから。真っ赤な、けれど乾いた血がその肌にこびりついていたからだ。


「それ、私の血?」

「……うん」

「だけ? なんか……んん?」


 それにしては匂いが違う気がする、とほたるがノエの手に触れようとする。しかし先にノエが「触っちゃ駄目」とその行動を止めた。


「俺の血も付いてるかもしれないから」

「あ、やっぱその匂いなんだ。ていうかなんでノエの血が付くの?」

「……ちょっと力んじゃって」


 気まずそうに答えたノエを見て、次にほたるは彼の手に視線を戻した。先程触れてこようとしたのはいつもどおり左手だったが、右手と左手を交互に見ると、右手の方がたくさん血が付いていることが分かる。

 何故だろうと気になり、その手を取る。「触っちゃ駄目だって」ノエが手を引っ込めようとしたが、「乾いてるし気を付ける」と言ってほたるは両手で彼の右手に触れた。


 左利きなのにこちらの方が多く血が付いているのは、背中の傷を再現しようとしたからだろうか――考えながらその手の甲を返し、手のひらを上へ。緩く結ばれていた指を一本ずつ解いては、確認するように撫でていく。

 五本の指は、親指以外が血に染まっていた。全体的に汚れているが、指先が特に赤い。爪の間にまで血が入り込んでいるのは、その爪でこの背中を引き裂いたからだろう。手のひらの血は、その後で背中を支えてくれたからだろうか。考えれば、ほたるの背中にいつもノエに触れられる感覚が蘇った。


 きっと、負担にならないように触れてくれたのだろう。それでいて大事なものを抱え込むように、しっかりと支えてくれたのだろう。

 ほたるは記憶を辿るようにノエの手に触れていると、手のひらの真ん中らへんに不自然な血の途切れを見つけた。いや、濃くなってもいる。乾いた後に摩擦で擦れ落ちたような、しかしその後にまた血が付いたかのような、不思議な跡だ。何かを持ったのだろうかという疑問は、その部分が握った時にちょうど爪の当たる場所だと気付いて消えていった。

 ここが、ノエの怪我した場所だと分かったから。


「私、ノエが怪我するの嫌い」

「……うん」

「私のために怪我するのはもっと嫌い」

「……そっか」


 傷があったであろう場所に指を這わせながら、考える。この傷はどうしてできたのだろう。どうしてこんなにも力を入れてしまったのだろう。

 その答えが浮かぶと、ほたるの口が自然と動き出した。


「だから、ちょっとだけだったら齧ってもいいよ」

「何言って……」

「食べるの我慢しようとしてノエが自分を傷付けちゃうなら、齧られた方がマシ」


 いつかこんな小さな怪我では済まなくなるかもしれない。取り返しの付かない怪我になるかもしれない。それが自分を守るためだと言うのなら、無理に守ってくれなくていい。

 そう思ってほたるが言えば、ノエがうんと険しい顔をした。


「ほたる、自分で何言ってるか分かってる? 駄目でしょ、そんなの。おかしいよ」

「それを言うならノエが私を食べたいって思うのもおかしいよ」

「……それはそうだけど」


 乾いた血の付いたノエの指が、未だ手のひらに触れるほたるの指を捕まえる。


「でも、あんまり意味ないと思うよ。ペイズリーが言うには、食べても自分のものにはならないって実感するとそこから一気に悪化するらしいから。いくらほたるが許してくれても、ただ傷付けただけとしか思えなかったら、多分もう……」


 その声は暗かった。彼の想像している未来が声から感じ取れる。その音につられてほたるの気持ちも暗くなったが、ほたるは気分を切り替えるように大きく息を吸った。


 自分まで暗く考えたら駄目なのだ。ノエが悪い未来ばかりを想像してしまうのなら、こちらは良い未来を伝え続けた方がいい。ノエが少しでも彼自身の置かれている状況を軽いものだと思えるように、苦しくならないように。無理をして笑うと気付かれてしまうから、きちんと良いものに目を向けて、心からのそれを伝えなければならない。


 そのためにはまず、ノエの考えを正しく知りたい。彼が話さないことを選んだのならと、聞かないようにするのはもう終わりだ。知らないままの自分の言葉では伝わらないのなら、知ることを躊躇ってはいけない。暴くことを、覚悟しなければならない。


「――食べないとノエのものにならないから、ノエは私を食べたいの?」


 ほたるが真っ直ぐに問いかければ、ノエの指先に狼狽えたような力が入った。


「……食べたら自分のものになるかもしれないって話で」

「じゃあ今はノエのじゃないの?」


 ほたるの問いに、ノエが困ったように眉尻を下げる。


「……恋人って所有物じゃないでしょ」

「本当は所有がいいの?」

「嫌だよ、そんなモノみたいなの。ほたるはモノじゃない。そんなふうに扱いたくない」

「大切にしてくれるってこと?」

「そうだよ。何よりも大切にしたい」


 切実な表情でノエが言う。問いかけることに集中していたほたるは、その答えを理解した瞬間にボッと顔を赤らめた。

 臆面も照れも、躊躇いもなく。至極真面目に言い放たれ、頭が真っ白になる。


「……ノエって、よくそういうこと真顔で言えるよね。少しは恥ずかしいと思わないの?」


 羞恥に顔を歪ませて、どうにか問いを絞り出す。するとノエは「自分で聞いてきたクセに」と不貞腐れたように言った。


「それはそうなんだけどぉ……」


 確かに聞いたのは自分の方なのだ。そして、ノエはそれに答えてくれた。ならば自分も応えなければならないと、ほたるの心臓が騒ぎ出す。

 ここまで質問を投げかけたのは、ノエの考えを知りたかったから。知って、彼を楽にできる言葉を見つけたかったから。


 ノエの苦しみがなくなるまで何度だって伝えるつもりでいるのだ。今ここで羞恥に負けてどうするのか――ほたるは自分を叱咤すると、大きく深呼吸を繰り返した。心臓を落ち着かせて、頭の中を整理して、そして思ったことを言葉にして唇に送る。


「えっとさ、ノエの〝自分のものにする〟っていうのが相手を大切にすることなんだったら、私もうノエのものだと思うよ?」


 我ながらなんて恥ずかしいことを言っているのかと声が震えそうになる。けれどそれでノエが安心するのなら、伝えないわけにはいかない。彼を説得するための作った言葉ではなく、実際に感じたことなのだから、尚更。


「たくさん大切にしてもらってる自覚あるもん。それに今日、記憶を見終わってノエが傍にいるって分かった時、帰ってきたって思った。凄く安心した。ここが、その……ノエのところが、私の帰る場所なんだって感じた。それじゃあ足りない?」


 恥ずかしさに耐えながら言い切って、ノエを見る。すると彼は少し驚いた顔で固まっていた。「ノエ?」ほたるが呼べば、やや間を空けて、「俺のなの……?」と小さく返って来る。その呆然とした声は、本人が意識して発したものではないと思えてしまうほどのもの。


 これは伝わったかもしれない――ほたるはノエの様子にそう感じると、「そうだよ」と力強く頷いた。


「この考え方だったら、私だってノエのこと自分のにしたいって思うよ。ノエのことうんと大事にしたい。だからちょっとくらい食べられても、それでノエが無事で済むならいいって思ったんだよ」


 繋いだままの手を握り締め、伝える。ノエが瞳を震わせる。そこに、少しだけ翳が落ちる。


「でも……記憶に引き摺られたり、見てないとこで死なれたらって思うと……怖くて……だから、そうならないようにしたくて……」

「食べちゃえば安心?」

「……いなくならなくなるから」


 その言葉に、ほたるは以前ノエが言っていたことを思い出した。自分の腹に収めてしまえば、どこにも行かなくなると。それは安全なところに閉じ込めておくのと同じような意味だと解釈して、納得もした。

 そして、ノエがそうしたいと思う理由はもう知っている。実際にはやりたくないと思っていることも知っている。

 だったらそんなことをしなくても大丈夫だと、安心させてあげたい。


「死んじゃうのは分からないけど、記憶に引き摺られる方は問題ないんじゃない?」

「……そんなことない」

「あるよ。だから今回戻ってこれたんじゃないの?」

「次もうまくいく保証はない」

「うまくいくよ。だって全部忘れてたのにノエが思い出させてくれたじゃん。一回できたなら次もできるよ」


 過去の思い出に浸って、外の声も聞こえなくなった。それでもノエが引き戻してくれたのだ。彼が呼んでくれたから、彼の声だったから、その声を聞かなければと思えたのだ。


「……そんな都合良く考えられないよ」

「考えてよ。それに死んじゃう方だってもう何回もノエは助けてくれてるよ。私も気を付けるようになったし、強くなろうとしてるし、そう考えたら前よりどんどん死ににくくなってってるって思えない?」


 手を離して、ノエの顔を包む。不安に揺れるその目を覗き込んで、心からの笑みを向ける。


「私はね、また何かあってもノエが助けてくれるって信じてる。どんなに怖い目に遭っても、ノエがいるなら大丈夫って思える。私が信じてる人を、ノエも少しは信じてあげてよ」


 だからいなくなることはない。恐れることはない。極端な方法を取らなくても、ノエなら大丈夫。


 はっきりと言葉にすると疑われてしまいそうだから、言外に込めて。しかし自分はそう信じていると、視線で、笑みで訴えかける。


「……その俺が、ほたるを傷付けるかもしれないのに?」


 そう問うてきた声からは、先程までよりもノエの意思を感じた。未だ揺れている瞳は、けれどしっかりとほたるを見つめている。


「いいよ、ノエにだったら傷付けられても。心からそうしたいわけじゃないって知ってるから、ちょっと怪我したくらいじゃノエのこと疑わないよ」

「……少しは疑いなよ。だいぶ凄いこと言ってるよ。他の人が聞いたら逃げろって言ってくると思う」

「でも疑える気がしないんだからどうしようもなくない?」

「もう……本当……っ……」


 くしゃりと顔を歪めたノエは、ほたるの背へと手を伸ばした。その手に強く力を入れ、ほたるを引き寄せる。「なんでそんなに信じられるかな……」絞り出すような声は、ほたるの耳の後ろから。自分を抱き締めてくる力にほたるもまたノエの背に腕を回すと、耳元から深い溜息が聞こえてきた。安心したというよりは、何かを耐えるような、そんな溜息だ。


「もしかして、何か嫌だった……?」

「……その逆」


 ノエの腕の力が強くなる。いつもならそれでも苦しさを感じないように加減されるのに、今回は違った。ほたるが大きく息を吸い込めないくらいに強く、きつくその身体を抱き締め続ける。


「あの、ちょっとだけ苦しいかも」


 ほたるが控えめに伝えれば、ノエはほたるの頭にぐりぐりと頬を押し付けた。


「……このまま締め殺しちゃいそう」


 絞り出すような声にほんの少しだけ冗談めいたものを感じ、ほたるがこっそりと口角を上げる。


「明らかにわざとなのは駄目」

「……厳しいね」

「じゃないとノエ悪さするから」

「疑ってるじゃん」

「ろくでなしな部分はね」

「……そこは信じてもらえてないんだ」

「交友関係は信じてるけど、嫌がらせが得意って自信満々に言うのはちょっと……」


 ほたるが相手の胸の中でくすくすと笑いながら言えば、ノエもまたおかしそうに笑うのが振動で分かった。

 この気持ちが伝わったのかは、本人が口にしないからまだ分からない。しかし笑えるほど気分が明るくなったようなのは確かだ。自分の振る舞いでノエを楽にできたのかもしれないと思うと嬉しくて、けれど同時にその原因となった者達に憤りを感じる。


「けど、今はありがたいなって思ってる」


 口から出たのは、嫌がらせが得意だと言ったノエに対する言葉。褒められたことではないとは思うが、今はその特技に頼りたい。


「ゼキル達のこと、前より許せなくなった。ノエにこんな苦しい思いさせたんだもん、うんと仕返ししてやりたい」

「で、方法は分からないって?」

「……そうですね」

「ははっ」


 ノエが楽しげに笑い声を上げる。その振動がなかなか収まらないことにほたるがムッとして顔を上げれば、何故か愛おしげに自分を見てくるノエと目が合った。


「いいよ、やろう。俺もあいつらにはすんごい腹立ってる」


 柔らかく細められていた目が、悪巧みするように弧を描く。


「あの、私から言っといてなんだけど……ほどほどにね?」

「思いっきりやるに決まってるでしょ」


 完全に悪役のように笑うノエを見て、ほたるは早まったかもしれない、と顔を引き攣らせた。

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