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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後日譚】第三章 幸福の中の悪夢
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〈10-5〉やっぱりやめよっか

「ほたる! ほたる起きろ!!」


 眠ったまま悲鳴を上げたほたるを見て、ノエは慌てて彼女の肩を揺さぶった。しかし、起きない。涙を流す目は開かない。直前まで成立していた会話は、今ではどれだけ声をかけても返事が聞こえなくなった。


「全部夢だから! 現実じゃないから!!」


 それでも必死に声をかけ続けるのは、ほたるが記憶に飲み込まれかけているように見えたから。もしくは、悪夢か。見るからに怯えている彼女は、一体今どんな光景を見ているのだろう。

 そう思うとたとえ返事がなくとも、それは現実ではないと伝えなければならないと感じる。


「ほたる、起きろ! 早く……!」


 これ以上深く入り込んではないけない。このまま囚われれば、目覚められなくなる。


「どいて!」


 ペイズリーがノエを押しのける。そうしてほたるの鼻の近くに持っていったのは小瓶だ。彼女が嫌う、強い匂い。

 だが、ほたるが反応することはなかった。


「それで起きるんじゃなかったのかよ!?」

「普通は起きるの! 表情も変わらないなんて……」


 生き物は眠っていても、周囲に不快なものがあれば少なからず反応を示す。ならばそれすらないほたるは、もう既に――ノエが顔を青ざめさせた時、ほたるの口が動いた。


「ゆるしてくれる……?」

「ッ……」


 その言葉がこちらへの返事ではないことはすぐに分かった。恐らくは記憶の中の相手と会話してしまっているのだ。

 それは、まずい。ただ一方的に声をかけているだけならいい。しかしそうではないのなら、ほたるの意識が記憶の中のものと混ざり始めているということ。そのことにノエが更に顔を険しくすると、ペイズリーが「ノエ」と呼びながらほたるを抱き起こした。


「ほたる抑えてて」


 ペイズリーの手にあるのは千枚通しのような先の尖った金属だった。その用途を悟ったノエが顔を強張らせる。やめろと言いかけたが、しかし口を噤んですぐに言われたとおりほたるの身体を抱きかかえた。


 ペイズリーの手が動き、ほたるの腕を掴む。そして次の瞬間、一切の躊躇いなくほたるの腕に尖った金属を深く突き刺した。


 ――だがやはり、ほたるは反応しない。


「嘘でしょ、骨ごと刺したのに……!」


 外からの刺激がほたるには伝わっていない――そのことを示すペイズリーの言葉に、ノエの中で恐怖が膨らむ。


「ほたる起きろ! 頼むから……!」


 もしこのまま目覚めなかったら。どうにか目覚めても、心を蝕まれていたら。……もう一度戻りたいと、言われたら。


 恐怖でほたるに触れている手が震える。そんなことはないと、きっと目覚めるといくら自分に言い聞かせても、一度感じたそれは消えない。


 その時だった。


「……ほたるもつれてってくれる?」


 子供特有のたどたどしい喋り方。加えて、変わってしまった一人称。完全にほたるの意識が記憶と同化しなければ有り得ないはずのその声に、ノエは己の体温が一気に下がるのを感じた。



 § § §



 ――父の腕の中、ほたるは幸せで頬を綻ばせていた。父の隣には母の姿があって、仲睦まじく肩を寄せ合っている。二人から伝わってくる雰囲気にほたるは一層の幸せを感じながら、『あのね』と父を見上げた。


『このまえね、あおくてね、きれいでね!』

『青?』

『この間お友達と海に行ったの。遊覧船に乗ったんだけど、船の中から見た海中をほたるが凄く気に入っちゃって』


 ほたるの要領を得ない発言を受けて、母がおかしそうに笑いながら説明する。ほたるはその長い文章に言いたかったことが父に伝わったと判断すると、『おとうさんもいこ!』と声を上げた。


『いや、俺は……』

『行こうよ! たまにはほたると外の思い出を……――』


 ほたるに同意していた母が、突如不自然に言葉を止めた。たまに見かける、不思議な母の姿。『おかあさん?』ほたるが首を傾げれば、母は何事もなかったかのようにほたるに笑顔を向けた。


『やっぱりやめよっか』

『なんで?』

『お父さん、忙しいから』

『いそしいってなに?』

『いそがしい。お仕事がたくさんってこと』


 父は一緒には海に行けないのだと察して、ほたるが『そうなの?』と父に問いかける。返ってきた『ああ』という返事はそれを肯定するものだったが、ほたるにはすんなりと受け入れることはできなかった。


『でも……』


 お父さんと出かけたい。友達はみんなよくお父さんと出かけているのに、どうしてうちだけ違うのだろう。


 その疑問をうまく言葉にできないまま、ほたるが顔を俯かせる。


『ほたる』


 父の声に視線を上げれば、紫色の綺麗な瞳が目に入った。そして、()()が消えた。


『おとうさん、かいぶつさんのおはなしして!』


 父の膝の上で座り直し、向かい合うような形で話をせがむ。それまでの不満や悲しさはどこにも見当たらない。


『また同じ話でいいのか?』

『うん! むらさきのあなの――――ッ!?』


 ほたるが最後まで言えなかったのは、背中を強烈な痛みが襲ったからだ。


『いたい……』


 何が起こったのか分からなかった。ただ、痛い。だからほたるは父に助けを求めようとしたのに、そこにはもう父の姿はなかった。母の姿すらも。


『おとうさん……? おかあさん……?』


 暗い空間。明らかに自宅とは違うそこに、ほたるは立っていた。


 ここはどこだろう――そう疑問に思った瞬間、周囲が明るくなった。


『っ……どこ……?』


 薄暗い、城の廊下のような空間だった。明るくはなったが、その明かりが蝋燭の火しかないせいで、蛍光灯に慣れたほたるの目には暗くて仕方がない。

 無意識のうちに足を動かせば、パキ、と何かが割れる音がした。何かを踏んだと、足元を見る。いつの間にか靴を履いていた足をずらすと、その下から割れたガラスが現れた。見れば周囲にはガラスが飛び散っていて、ちらほらと落ちた赤い雫がその破片を汚している。


 そしてその雫を辿っていけば、ほたるは見知らぬ男を見つけた。


 ギョロリとした目、爪の長い手。そこから滴り落ちる、赤い雫。


『や……!』


 本能的に感じた恐怖にほたるが悲鳴を上げかけた時、男の姿が消えた。代わりに現れたのは別の男。青い髪の、()()()()男。


『ほたる! だいじょう……ぶ……』


 男が驚いたようにこちらを見ている。けれどほたるにはその理由が分からなかった。その男が何者かすらも。


『だれ……?』


 この人は誰だろう。どうしてそんなに苦しげな顔でこちらを見てくるのだろう。

 知っている気がするのに思い出せない。思い出さなければいけないと思うのに、思い出してはいけないとも感じる。


 その直後だった。


『いたっ……!?』


 背中に、再び焼かれるような痛みが。


〈――……る……ほたる!〉


 ()()()()声が、どこかから。


「おとうさん……?」


 父であって欲しい。しかし、父の声ではない。

 それなのにどうして聞かなければならないと感じるのだろう。どうしてその声をもっと聞いていたいと思うのだろう。

 どうして、行かなければと思うのだろう。


 これは、誰。


〈起きろ!!〉

「――――ッ!?」


 強い声に身体がびくりと跳ねる。目が開いた感覚があるのに、閉じていた記憶がない。

 だが、そこはもう今までいた場所ではなかった。似たような明るさの部屋だが、ガラスは飛び散っていない。近くには女性が二人いて、こちらを心配そうに見ている。

 それから、あの青い髪の男も。


「ほたる……!」


 その男にきつく抱き締められて。慣れたその感触に、ほたるの耳の奥でザアッと血が巡る音がした。


「ノエ……?」


 そうだ、彼はノエだ。周りにいるのも全員知っている人。ここも、知っている場所。


 そこまで理解した頃にはもうほたるの全身の感覚は戻っていたが、そのせいで酷い頭痛と吐き気を感じた。

 顔が一気に冷たくなっていく。耳が詰まったように聞こえにくくなって、視界が暗く狭まっていく。


「ノエ、離してやれ。ほたるの顔色が悪い」

「ッ、駄目だ……!」


 エルシーに言われるも、ノエは逆にその腕の力を強くした。


「寝かせてあげなさい! もう大丈夫だから!」


 ノエの様子を見て、ペイズリーもまた叱責の声を上げる。


「でも……!」

「こんな怪我までしたんだよ!? ただでさえ負荷が凄いんだから休ませてあげて!」

「ッ……」


 ペイズリーの言葉に、ノエが渋々力を緩める。そのまま寝かされるように身体を抱き直されたのを感じながら、ほたるはまた目を閉じた。

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