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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【前篇】第二章 波間の呼吸
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〈7-2〉何、今の……

『あれは全て、奴が仕組んだものだ』


 それを聞いた瞬間、ほたるの頭の中がすっと冷たくなった。


 ノエが仕組んだ? 裁判を? ――混乱で何も考えられない。どうにか男の言葉を理解するのがやっとで、嘘だと突っぱねることも、事実かもしれないと受け入れることもできない。


「ノエが仕組んだって……」


 そんなことが可能なのだろうか。あれだけ多くの人が関わるものを、ノエにどうにかすることができるのだろうか。

 呆然とするほたるに、男が続ける。


「そう言ってるだろ。お前に従属種殺害の容疑がかかることも、それが無実だと判断されることも。それからその後に別の裁判が始まったことも、全部ノエと長官が仕組んだことだ。でなければあんな順番で行われるわけがない」


 それはあの裁判が通常とは違う流れだったことを表していた。しかしほたるにはその真偽を判断しようがない。男は経験からそう確信しているのだとしても、ほたるはあの一回しか裁判を受けたことがないのだ。


「えっと、待ってください……ていうか、長官って……? ノエが仕組んだって話じゃ……」

「長官はノエの師だ。あの場では裁判長として参加していた。二人は友人でもあるし、系譜も同じ。あれがどちらの案であっても、相手に手を貸すだろう」


 つまり、ノエと裁判長は親しい関係性にあるということ。男の言葉が示す事実を否定する気はほたるに起きなかった。そう言われるとそうかもしれないと思えてしまうからだ。

 ここの者達にとっての裁判がどういうものかは分からないが、よくよく考えればノエはあの場でかなり自由に振る舞っていたように思える。そして彼のその行動を裁判長は注意しなかった。唯一注意したのは別の者。裁判長と同じような席に座っていた、クラトスという男だけ。


 彼は結局被告人台に呼ばれたが、その席にいたことから本来は裁判を執り行う立場なのだろう。だったらきっと、彼のノエに対する注意は正当なものだったのだ。考えれば考えるほど、目の前の男の言葉が正しいと感じてしまう。


 けれどそれは、ノエと裁判長の関係性まで。彼があの裁判を仕組んでいたということまで受け入れるのは、まだ早い。


「理由はなんですか……? なんでノエが裁判を仕組んでいたって断言できるんですか? 流れがいつもと違うことくらい、絶対にないとは言い切れないんじゃ……」


 手の中にある僅かな武器を男に向ける。自分は何も知らない。知らないからこんなことしか聞けない――己の無力を感じながらほたるが問うたからだろうか。男がその言葉に表情を変えることはなかった。


「お前は今ここに一人でいるだろ」

「どういう……」


 意味が分からなかった。それがどうしてノエがしたことの根拠になるのか、全く分からない。それを顕にほたるが声をこぼせば、男はほたるの目をじっと見据えた。


「公にはノエは今、お前の保護しかしていない。それなのにここにいない。裁判の流れをいじってまで手に入れたお前の保護という仕事を目眩ましに、あいつは今どこで何をしているんだろうな」

「え……」


 ほたるの表情が固まる。男の言っていることが分からない。何故ならノエは今、忙しいのだと聞いていたから。他でもない、ノエ本人の口からそう聞いていたから。


 それなのに、今のノエの仕事は私の保護だけ……? ――理解と混乱、それから失望が、ほたるの心をざわつかせる。


「俺も執行官だ。だからあいつの仕事内容はある程度確認できるし、規則では俺にもお前を保護する資格がある。あいつが信用できなくなったら保護する奴を変えろと直談判してみるといい。規則では絶対に一度は俺も呼び出された上で協議が行われる。お前もそこに入れられるかは不確定だが、もしいなければ、俺が何らかの形でお前に話が来たと教えてやろう」

「あなたが、教えてくれなかった時は……」

「分かるだろ? 誰かが話を握り潰している。ちなみに執行官の直属の上司は長官だ」


 それは、執行官本人かその長官なる人物しか候補がいないということ。ノエならばノエと、彼が親しいという人物。どちらであっても嫌なものしか感じられず、ほたるの顔が険しくなっていく。


 何をそんなに嫌がることがある――耳元で誰かが囁く。ノエをどこまで信用していいか決めかねていたのならちょうどいいじゃないか。完全に信じきる前に、警戒する理由ができてよかったじゃないか。

 そう囁くのは、ほたる自身。ノエだけを信用するのは怖いと思っていたのだから、こうして逃げ道ができて良かったと思うべきだと、自分の中の狡い部分が訴えかけてくるのをほたるは感じていた。

 だから今自分がすべきはノエへの失望ではない。確認だ。提示された逃げ道が本当に安全なのか、確認しなければならない。


 ほたるは気持ちを落ち着けるように深く息を吸い込むと、真っ直ぐに男を見つめた。


「もしノエが悪い人だったら、あなたが助けてくれるってことですか……?」

「ああ」

「どうして……」

「奴が嫌いだから」


 男が迷うことなく答える。ほたるのためでもなく、仕事のためでもなく。自分の感情を理由としたその言葉に、ほたるの心が揺らぐ。


「あの男が何を考えているにしろ、その企みを潰せるなら面白い。安心しろ、保護することになったらその仕事はしっかりやってやる」


 信用してもいい気がした。変にほたるに取り入ろうとせず、更にはノエのように愛想良く振る舞うことすらせず。完全に彼自身の都合のためだけに動くのだと言われると、最初から自分は利用されているだけだと思えるから。

 そこを隠されないのなら、ほたるも自分の利用価値を基準に物事を判断できるから。


 この人が本当にノエを嫌っているかは、疑うべきだろうけど。

 けれどこれまでの彼の口振りの中に、ノエへの好意は一切なかったように思う。


 信じてもいいのだろうか。ノエが信用できなかったら、この人に助けを求めてもいいのだろうか。


 警戒心を解き始めたほたるの耳に、「ただ――」と男の声が届く。その声につられて男の顔を見れば、その瞳は紫色に染まっていた。


「――お前の存在すら奴の仕込みなら別だ」


 低い声が。明確な敵意が。男から伸ばされる腕と共に、ほたるに突きつけられる。


「ッ!?」


 ぐっ、と体が浮いて。着地して。


 ほんの一瞬の出来事。ほたるが驚いたのは、男もまた驚いたように目を見開いていたからだ。


「え……?」


 ほたるの口から声がこぼれる。男が、さっきよりも離れた場所にいる。けれど彼は動いていない。動いたのは、ほたるの方だ。


「何、今の……」


 私が自分で跳んだの? 一瞬で、ここまで? ――混乱がほたるの頭を支配する。


 ほたるがいるのは、今までよりも三メートル近く離れたところ。それも後方だ。何の予備動作もなしにその距離を跳んだことになる。

 それどころか、自覚すら。


「お前……」


 男が訝しげに呟く。その顔を見ながら、ほたるはだんだんを息が苦しくなっていくのを感じていた。


「ッ……」


 心臓がバクバクする。息ができない。苦しい。男の方に縫い付けられたままの視界が、暗く狭まっていく。


「ぁ……」


 息が、吸えない。


「――ほたる!」


 その声を聞いた瞬間、ほたるは息苦しさから解放された。と同時に、意識が遠のく。ぐらりと傾いた体を支えたのは、ほたるを呼んだ声の主だった。


「ほたる! おい!」


 声の主――ノエはほたるの体を揺らしたが、ほたるは目を覚まさない。息はある。心臓も動いている。だがやはり、目覚めない。

 ノエはその事実を把握すると、険しい顔で男を睨みつけた。


「ッ、壱政(いっせい)! お前ほたるに何した!?」

「……人間には甘いんだな」

「うるせェな、さっさと答えろ! なんでほたるは倒れた!?」

「さあ? 俺はまだ何もしていない。何かしたというならお前の方じゃないのか?」

「あ!?」


 ノエが怒りを顕にする。だがノエに壱政と呼ばれた男はその剣幕に眉一つ動かすことなくほたるに視線を移すと、つまらなそうに口を開いた。


「そいつ、もうすぐ死ぬぞ」


 その声は、気を失ったほたるの耳には届かなかった。

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