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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後日譚】第三章 幸福の中の悪夢
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〈10-2〉……今そういう話振らないで

 その夜のことだ。自宅に戻ったほたるは寝室の窓の前に立って、ぼうっと外を眺めていた。とはいえ、特に見たいものはない。ノストノクスの中庭に建てられたこの屋敷の外は、いつだって同じような風景だ。目隠しの木々と、見張りだけ。それでもほたるが寝ずにいたのは、少し考えたいことがあったから。

 勿論、いつもと同じように頭痛もあるし、身体もとても怠い。だが悲しさには襲われなかった。ペイズリーによれば、恐らく両親に会いたいという気持ちよりも今回見た光景への疑問が上回ったからかもしれないらしい。それですんなりとほたるが納得できたのは、今もこうしてその疑問が頭の中を支配しているから。


 あの頃の父は、何故か母とアイリスを同一視していた。そして、自分を愛してはいなかった。けれど父には見たことがないほど、どうしようもなく苦しそうだった。


 何故父はあんなにも苦しそうだったのだろう――思い出しただけで自分の胸まで締め付けられるような苦しみの、その理由を知りたい。


「起きてて平気なの?」


 その声と共に、ノエが後ろからほたるに抱き付いた。力のかけ方は優しく、まるでほたるの身体を支えるかのよう。

 その感触にほたるは心地良さを感じなら「うん」と小さく頷くと、ノエにもたれかかるようにして背中を預けた。


「やっぱり、アイリスとお母さんって似てたのかな」


 そう思ったのは、アイリスに会った時のことを思い出したから。その姿を見た時、一瞬、ほんの一瞬だけ母に似ていると思ったから。

 だから父は母をアイリスのように扱ったのだろうか――その疑問を込めてほたるが問えば、ノエが「……そうだね」と控えめに肯定した。


「ふとした雰囲気は似てると思った。初めてほたるの母さんに会った時、一瞬アイリスが化けてるのかと思っちゃったし」

「……そっか」


 自然と声が落ちる。そこにある自分の感情はほたる自身にも分からなかった。ノエが言うのなら本当に似ているのだろうと、ただ納得しただけかもしれない。

 けれどノエには違ったようで、彼ははっとしたように「ごめんね」と謝罪を口にした。


「そんなふうに言われたくないよね。ほたるにとってアイリスってただの嫌な奴でしょ?」

「ノエには違うの?」

「嫌で怖い相手。時々血も飲まれてたし」

「あんまり美味しくないんだっけ?」

「失礼しちゃうよね」


 少し不貞腐れたような声でノエが言う。本当にそう思っているというよりは、冗談を言うような雰囲気だ。そのことにほたるは気軽さを感じると、「私は?」とおどけて聞いてみせた。


「ん?」

「私の血は美味しかった?」

「……今そういう話振らないで」

「食欲的なあれで食べたいわけじゃないんでしょ?」

「そうだけど……ほたるなら食っても許してくれそうって思っちゃう……」


 ノエは困り果てたようにほたるを抱き締める力を強くした。彼女の頭に頬をぐりぐりと擦り付け、はあ、と深い溜息を吐き出す。しかし先日言っていたように最近は落ち着いているからか、あまり深刻さは感じられない。


「血くらいならいいけど」

「…………」


 ほたるの言葉にノエは答えなかった。だが代わりに、ゴクリと喉が動く。ほたるは頭の触れた部分からその振動を感じると、「今喉鳴ったよ」と笑った。


「……前飲んだ時のこと思い出しちゃって」

「ってことは割と美味しい方だったんだ」

「思い出させないで。涎出る」


 言ってすぐもう一度溜息を吐き出し、「人間の血は美味いんだよ……」と力なくこぼす。ノエにしては珍しい様子にほたるがくすくすと笑っていると、ノエは「なんでアイリスは共食いのやつ解いちゃったかな……」と途方に暮れたような声で呟いた。


「もしかして、今も食欲的な方で私の血飲みたいと思うことがあるの? 人間じゃなくなったのに?」

「……黙秘させて」

「意味ある?」


 ほたるが笑えば、ノエは「肯定するのは駄目でしょ……」とか細い声で言った。


「そう? 一度受け入れちゃってるからあんまり気にならないけど。でもアイリスが刷り込みを解かなかったら、ノエは私を食べたいとは思わなかったってこと? あ、血とは別の方で」

「いや……そっちに関してはあんま意味ないと思う。昔からある症状みたいだし」


 話題が少し変わったからか、ノエの声色も変わった。「いくらやりたくないって思っててもどうにもならないんだよ」落ち込んでいるようにも聞こえるのは、実際に彼が似たような感情を抱いているからだろう。

 その声音に、ほたるはそっと瞼を伏せた。


「……お父さんは、お母さんの血が美味しいから食い殺したのかな」


 父は、ノエのように相手を食いたいという衝動に苦しんでいるようには見えなかった。ならば切迫した理由もなく、彼は母を殺めたのだろうか。

 父にとって母とは、その程度の存在だったのだろうか――気持ちを翳らせたほたるに、ノエが「……違うと思うよ」と静かに答えた。


「多分、俺と一緒。誰かに取られるくらいなら、全部自分のものにしたいってくらい母さんに執着してたんだと思う。本当に愛かどうかはちょっと分からないけど」


 ノエの言葉を聞きながら、ほたるの脳裏には昼間見た記憶が蘇った。母をアイリスと呼んでいた父は、母を愛しているようには見えなかった。愛していたとしても、それは母を通して見たアイリスだろう。

 けれど父は、母を選んだ。


『もういい。もう、お前でいていい』


 あれはきっと、そういうことだ。直後に母に対して紫眼を使っていたのは、もしかしたらアイリスと呼んでも違和感を持たないように操っていたからかもしれない。ただ解くのではなく、過去のそれらの記憶ごと整合性を取ろうとしたのかもしれない。

 そうと考えることはできても、何がきっかけでそうしたのかまではほたるには分からなかった。


「お父さん、記憶の中で私のこと殺そうとしてた」


 母を殺した日ではなく、そのずっと前に。まだほたるがこの話はしていなかったせいか、ノエは「……そうなの?」と少しだけ驚いたように問い返した。


「うん。でも……凄く苦しそうだった。このまま泣いちゃうんじゃないかってくらい」


 あの時父が発していた言葉の意味は、ほたるも後からノエ達に聞いて知っていた。しかしあまり意味はなかった。知りたかったのは、父が言おうとして言えなかった言葉。何かを必死に言おうとしているのに、彼の口からその何かが発せられることはなかった。


「お父さんに何があったんだろう……黒の子がお父さんなら、アイリスから逃げたかったわけでしょ? それなのになんでお母さんと一緒にいたんだろう」


 どうして、何も言えなかった後に自分の名を呼んだのだろう――増えてしまった疑問にほたるが息を詰まらせれば、ノエが支えるように腕に力を込めた。


「きっとそこはそんな単純な理由じゃないよ。それにほたるが生まれる前の話だから、スヴァインがあの物語に含めていない限り追っても見つからないと思う」

「……そうだよね」


 そして、その可能性は低いのだろう。これまで知ったおとぎ話の中に、父の内面に関わるものは出てこなかった。

 ノエとはまだ記憶を追う期限について話していなかったが、これは長丁場になりそうだ、とほたるは目を落とした。ゼキル達の件があるから一ヶ月はやらなければならないが、早めに終わりを決めなければいつまでもノエに負担をかけ続けてしまうだろう。

 ノエにはいつ相談しようかとほたるが考えようとした時、ノエが「ほたる」とその思考を遮った。


「やっぱりまだ結構怠いんじゃない? なんかずっと、なんて言うんだっけ……あ、ふにゃふにゃしてる」

「ふにゃふにゃ……?」

「身体に全然力入ってなさそうな感じの」

「……凄く重たくは感じる」


 ノエに言われて、ほたるは怠さを思い出した。いつもよりは症状が軽かったから油断していたが、高熱を出した時のように身体は重たい。

 改めて手足の感覚に気を配れば、あまり自分で立っているようにも思えなかった。ノエに寄りかかった自覚はあるが、いつの間にか背中どころか全身を預けてしまっていたようだ。


「寝てな。無理に起きてることないよ。気になることがあるなら元気になってから考えればいい」


 そう説得するように言ってくるノエは、もしかしたら最初から抱きついてきたのではなく、この身体を支えようとしてくれていたのかもしれない。ならばよっぽどふらふらに見えたのだろう、とほたるはノエの言葉に従おうとしたが、まだ少し気になることがあった。


「ゼキル達は大丈夫そう?」


 彼らがどういう反応をしたのか、目覚めた直後だったせいであまりよく確認できていない。言うことを聞いていると信じてもらえただろうか――ほたるが不安げに尋ねれば、「大丈夫だよ」という声が返ってきた。


「今回は本当にスヴァインと話してそうってのが分かって感心してたくらいだし。ほたる、スヴァインの言ったこと真似したでしょ? あれ凄く古い言葉なんだよ。俺もエルシーもカタコトでしか分からなくて、結局ペイズリーに教えてもらったんだよね。まァ、そのせいであいつらにとってのほたるの記憶の価値が上がっちゃったんだけど」


 言いながらノエの手がほたるの目元を覆い隠す。そうされたほたるが思わず目を瞑れば、途端に睡魔が襲ってきた。これは身体が睡眠を欲していたらしいと、ほたるが考えられたのは少しの間だけ。「もう寝よ」落ち着く声が続けば、意識が微睡みに溶けていく。


「何も心配しなくていいから。起きてからまた話そうよ」


 その声に答えられたのかどうかさえも分からないまま、ほたるは完全に意識を手放した。

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