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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後日譚】第三章 幸福の中の悪夢
178/200

〈10-1〉覚えやすいんじゃない?

「なんか多くない?」


 ほたるとその部屋に入るなりノエが機嫌悪く唸ったのは、そこにいつもの面子だけでなく、歓迎していない者達の姿があったからだ。彼らは皆目隠しをしていたが、ノエは全員の名前と素性、それからここにいる理由も知っていた。何せ自分が手を回した結果だからだ。


 ゼキルの要求を呑むふりをすることになり、ノエはまずエルシーに事の次第を伝えた。ゼキルは自分で同席することを伝えるとほたるから聞いていたから、その説明をするためではない。ほたるの安全がなるべく確保できるようにするためだ。

 いくらほたるが言うことを聞いていると見せかけると言っても、ゼキル達に好き勝手させるわけにはいかない。そんなことをすればほたるが催眠状態の時に口を挟まれて、彼女が記憶の中で迷ってしまう危険がある。

 紫眼による催眠療法は確かに過去の記憶を鮮明に蘇らせるが、夢を見ている状態であることには変わりないのだ。うまくやらなければ通常の夢と同じように複数の記憶が絡まり合って、支離滅裂で精神を蝕むような悪夢となることだってある。


 だから、エルシーに頼んで正式に彼らと取り決めを交わした。ほたるの記憶を探る場にいていいのはこちらの定めたルールを守れる者だけで、それを破った者は二度と同席することができなくなる。更にはこの場の記録を見る権限すら剥奪するという条件を盛り込んだ。

 確かに取り決めのための正式な手順を踏むことで、これまで以上にほたるの記憶の話を知る者は増えてしまった。しかしそれは致し方ない。というより、今後のことを考えて敢えて狙った部分もある。

 だがそれでも実際に同席するのは、ゼキルに脅された時のほたるの話から考えて二、三名程度だろうと考えていたのだ。そもそも日本語が分からなければ同席したところであまり意味がないし、待っていれば記録だって見られるのだから、面倒な条件を守ってまでこの場にいたい者はそう多くないはずだった。それなのに、五名もいる。しかもゼキルとは敵対している関係の者まで。

 想定の範囲内ではあるものの、彼らがほたるの記憶を目当てに――つまり彼女をただの情報源としてしか見ていないのだろうと思うと不愉快で仕方がない。だから予想していたのに、ここに来た途端気分が悪くなった。思っていた以上の者達がほたるをモノ扱いしていると見せつけられたようで、胸の中を不快感が湧き上がった。


「なんでお偉いさんがこんな揃ってるワケ? ネストラスなんて普段呼んでも会合に来ないクセに」


 ノエにネストラスと呼ばれた男は何も答えなかった。彼は日本語が分からないのだ。そのことを知っているノエが目隠しで見えないことをいいことに舌を出せば、ほたるが小さく「ノエ……」と呆れたように咎めた。


「――皆その娘の記憶には興味がある」


 ノエの問いに答えるように、ゼキルが口を開く。


「大罪人が遺した資産は分けるべきだろう? お前のような罪人や周囲の者が独占するのはおかしい」

「あァ、お互い出し抜かれちゃ堪らないってことか。けど記録があるだろ。それで独占してるとか被害妄想凄いんじゃねェの?」

「記録は信用できてもお前達は信用できない。お前達にとって利益のある情報ばかりを探そうとしているかもしれないからな。特にノエ、お前はこれまで同胞全てを騙してきた。しかもアイリスの子なんだ。どうして信用することができる?」

「俺もこないだまで人間だった子を大勢で囲んで脅す連中は信用できねェわ。ほたるより何十倍も生きてるクセに(なっさ)けない」


 ノエが嘲れば、ゼキル達が顔に不快感を滲ませた。日本語が分からない者も同様の反応を示したのは、ノエがそれだけはっきりと嘲笑したから。そんなノエをエルシーが「そのくらいにしろ」と窘め、ゼキル達の前に立った。


「無駄話も何ですからそろそろ始めましょう。しかし取り決めどおり、あなた方は見るだけだ。ほたるの安全を脅かす行為をすれば即刻退室いただくことをお忘れなく」


 エルシーの言葉に場の空気が元に戻る。しかしすぐにノエが「あともう一個」と声を上げた。


「分かってると思うけど、子供の頃のほたるが物語として聞いただけだから、知りたい情報を狙い撃ちで探すのは無理。スヴァインとの記憶を手当たり次第に探すしかない。いいな?」


 念押しするように言って、相手の返事を待たずにほたるに振り返る。相手への悪感情を顕にしたその態度にほたるは面食らったような顔でゼキル達と彼を見比べたが、ノエが構わず「今日はどれにしようか」と尋ねてきたため視線を彼の指す方へと移した。


「できればノクステルナの話が聞きたくて」


 そう答えたほたるの目は幼い頃に描いた絵の束に向けられていた。目線をそちらにしたのは、それが本心ではないから。

 事前にノエと相談して、ゼキル達の満足しそうな記憶を探ろうと決めていたのだ。それに彼らのいる前であまり自分の内面に関わることは見たくなかった。

 ということを、エルシーだけでなくペイズリーにも既に伝えてある。だからペイズリーもほたるが嘘を誤魔化しやすいように、「ならこっちの景色みたいなのがいいね」とほたるの注意を引き付けながら絵を探していった。


「これは? 黒と赤だから昼間のことかも」

「……我ながら凄い色使いですね」


 ペイズリーが示した絵は、黒と赤でぐちゃぐちゃに塗り潰された絵だった。外界の夕焼けほど明るくなく、しかし夜のように色が少ないわけではないノクステルナの空。恐らくその赤い夜空を表現するような言葉を聞いて、無理矢理手持ちの色で表現しようとしたのだろう。

 まるで惨殺現場のような色合いの絵にほたるが気まずげに頬を引き攣らせていると、ノエが「覚えやすいんじゃない?」と笑った。


「うん、物凄く」


 こんな攻撃的な色の絵なんて、忘れたくてもすぐには忘れられない。黒も混ざっているせいで古い血溜まりのようにしか見えず、しかしやはりと言うべきか、〝怪物〟を表す白い塗り残しがあるため、そのアンバランスさが脳に強烈な印象を残すのだ。


「準備はいい?」


 ほたるはノエの声に頷きながら椅子に腰を下ろすと、紫色の瞳を見つめた。



 § § §



 ガシャンッ! ――ほたるが家の中で最初に聞いたのは、ガラスが割れる音だった。続いて聞こえたのは、『(いた)っ……』というか細い声。母の声だ。


 それらの音の方にほたるが目を向ければ、キッチンの近く、リビングと続く場所で母がしゃがみ込んでいた。足元には割れたガラスのコップがある。それから、床を汚す赤い血液も。

 まるであの絵のようなその赤にほたるが釘付けになっていると、リビングから父が母の方へと歩いていった。


『大丈夫だよ、ちょっとくらくらしただけだから』


 自分で片付けられるとばかりに母が言う。しかし父がそれに答えることはなかった。母と同じくしゃがみ込んだ彼は母の手を取って、自らの顔の前へと持っていく。そして血の滴るそこを口元に近付けると、躊躇うことなくその血に唇を当てた。


『そんなの舐めたら汚いよ』


 そう苦笑いする母の顔は青白い。傷口の血を舐め取り終えた父は彼女の顔を視界に入れると、『無駄にはできない』と相手の頬に手を伸ばした。


『お前の血には限りがあるんだ、()()()()。怪我なんてしてくれるな』


 愛おしそうに、慈しむように。そんな声と、眼差し。


 ……けれど、おかしい。


「なんで……」


 ほたるの口から疑問がこぼれ落ちる。


〈どうしたの?〉

「お父さん、お母さんのことアイリスって呼んだ……」


 どういうことだろう――考えたいのに、ほたるは思考することができなかった。ただただ目の前の光景を見続けることしかできない。

 と、その時。リビングから声が聞こえた。赤ん坊のような声だ。


『あ、ほたる一人にしちゃった』


 急いでガラスを片付けて、母がリビングに戻る。母が向かった先の床には囲いがあった。その中には可愛らしい子供向けのおもちゃやブランケットがあって、そこに小さな子供が座っている。まだ言葉を発せられないような、幼い子供だ。


『ちょっと待ってね、絆創膏だけ貼っちゃうから』


 母が話しかけながら自らの傷を手当てする。そしてそれが終わると、囲いの中から子供を抱き上げた。


『倒れると怖いから座らせてね』


 〝ほたる〟を抱えたままソファに移動して、腰を下ろす。その間ずっと機嫌良さそうにしていた娘に母は目を細めると、『動じないところはパパそっくり』と隣にやってきた父に笑いかけた。


「――――っ!」


 ほたるの背筋が凍りついたのは、母に笑いかけられた父を見たから。


 冷たい目だった。自分に向けていたような、無機質で熱を全く感じさせない目。そんなものを父が母に向けるところを見るのは初めてで、その事実だけでほたるを萎縮させる。


「怖い」


 思わずほたるが震え声で言えば、〈ちょっとそこから離れようか〉という落ち着く声が聞こえた。


〈今どこ?〉

「リビング……」

〈別の部屋行きな。自分の部屋がいいかな。階段上って〉


 声に導かれるままに足を動かす。リビングを出て階段を上り、廊下を少し歩いて自分の部屋の方へ。

 そしてその扉を開けると、見覚えのある子供部屋が目に入った。ベビーベットの中で座っている幼い子供と、それから、リビングにいたはずの父の姿も。


「あれ? こっちにもお父さんいる……」

〈違う記憶に入ったんだよ。大丈夫〉


 その声に安堵しながら父に意識を向ける。幼い子供を見る彼は無表情だった。ほたるにとっては見慣れた、父のいつもの表情。


『▓▓▓▓▓▓▓▓▓』


 しかしその口から紡がれる音は、馴染のないもの。


「お父さん、何か言ってる」


 ぽつりぽつりと、呟くように。その声に込められた感情は、分からない。


〈なんて言ってる?〉

「言葉が分かんない……」

〈真似して繰り返して〉


 聞いたことのない音に必死に耳を傾ける。「『あんな……似て……』」父の口から出る音を、聞いたまま繰り返す。


『《――あんなに似ていたのに……》』


 父の眉間に力が入る。


『《お前がいるせいか?》』


 そう問いかけながら〝ほたる〟に向けた目は、鋭い。


『《お前がいなくなればまたあいつは元に戻るのか?》』


 忌々しげな声だった。相手が心底恨めしいとでも言いたげな重たい声。その声と共に、父の手が伸びる。父の大きな手はふくふくとした〝ほたる〟の首をいとも簡単に鷲掴みにし、彼は目に殺意を湛えた。


 だが、それを向けられた〝ほたる〟はきゃっきゃと嬉しそうに笑った。


『っ……』


 父の手が固まる。何かを言おうとするかのように唇は震え、けれど口からは音が出ない。そのことに愕然とするかのように父は苦しげに眉根を寄せると、『《どうして……!》』と崩れるように座り込んだ。


 長い、長い沈黙だった。父は何も言わず、ただただ項垂れるだけ。その沈黙を破ったのは、父自身だった。


『――……ほたる』


 ぽつりと、声が落ちる。


『ほたる』


 呼びながら上げられた顔は、やはり苦しそうで。しかしほたるの名を呼ぶ声は、まるでその音を噛み締めるかのよう。


『悪かった……』


 最後に消え入りそうな声でそう囁いた時、部屋の入口から『どうしたの?』と母が顔を出した。


『アイリス』


 立ち上がり、近寄って来た母を迎える。その父の様子に母は『うん?』と穏やかな笑みを浮かべたが、父の表情は晴れない。


『……澪』


 絞り出すようにその名を口にすれば、母がきょとんと首を傾げた。彼女の反応にまた父は顔を険しくして、そして紫色に染まった目で母を見つめる。


『もういい。もう、お前でいていい』


 父の瞳が元の色に戻れば、ぼうっとしていた母が何事もなかったかのように父に笑いかけた。


『どうしたの?』

『……偽物はいらない。お前達がいい』


 ぎこちない笑みで父が言う。そこにはもう、あの恐ろしさはなかった。

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