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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後日譚】第三章 幸福の中の悪夢
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〈9-1〉お前は自らやりたくなるから

 ノストノクスの一室。向かい合うようにソファの置かれたその部屋の入口で、ほたるは身体を緊張させて立ち尽くしていた。

 普段は応接間や待合室のようなものとして使われているのか、座る場所は十分にある。そして部屋にはほたる以外もいたが、座っている者は誰もいない。ソファを避けるようにして、その者達――ほたるには見覚えのない男達が立っているからだ。

 彼らの目は全てほたるに向いていた。いや、正確には視線だ。そこにいる者全てが黒い布で目を覆い隠してしまっているから、ほたるには彼らの目を見ることができない。


 どうしてこんなことに――ほたるはゴクリと唾を飲み込むと、この状況に至った経緯を思い返した。



 § § §



 なんでもない日だった。いつものようにノエは尋問のために出かけ、ほたるは体力作りと勉強で時間を潰す、そんな日。

 エルシーとの訓練は、彼女が多忙なため滅多にない。だからエルシーはほたるの指導担当者を探そうとしているのだが、名前が挙がるたびにノエが信用できないと却下してしまうためなかなか決まらないのだ。更にエルシーがノエ自身にやれと言ったこともあったが、彼は乱暴な教え方しか分からないからとそれを全力で拒んだ。

 だからほたるは屋敷の中を走って体力をつけるしかなかった。とはいえ吸血鬼となった時点で身体能力は上がっているから、長時間ただひたすら同じところをぐるぐると回るだけ。屋敷の中なのは階段があった方が負荷になるという理由と、それからエルシーにこの建物付近では流石に控えて欲しいと言われてしまったからだ。


 だからこの時も勉強の合間に屋敷中の階段を何度も上り下りして、休憩がてらノストノクスの食堂におやつを取りに行った帰りだった。

 すっかり慣れきった道。そして時折、光沢のある装飾品に映る自身の姿。以前と変わらないのに急に気になるようになったのは、そこにキラリと光が反射するようになったからだ。

 あの青い石が、なんでもない道を楽しくした。鏡ではないからしっかりと自分の姿を確認することはできないが、それで十分。自分の耳にあの青い石があると分かるだけで、ほたるは気持ちが高揚するのを感じるのだ。


「《――すみません》」


 ほたるが上機嫌で館内を歩いていると、突然知らない男に呼び止められた。しかしほたるがそれほど緊張しなかったのは、相手の服装でノストノクスの職員だと分かったから。

 何かあったのだろうとほたるは最近少しずつ身に付けた言語の知識を振り絞って、「《何ですか?》」と相手に受け答えた。

 正直ペラペラと話されても分かる気がしないが、その時は改めて言葉が分からないと伝えよう――そのほたるの心配は、杞憂に終わった。


「《ゼキル様がお呼びです。ご案内します》」


 その短い文章だけを口にして、職員の男が歩き出してしまったからだ。


「え? えっと、あの……」


 ゼキルとは誰だ。どこについていかなければならないのか。


 相手の発言はどうにか理解できたのに、問いかけるための言葉が浮かばない。

 しかしその後姿がどんどん自分から遠ざかっていくものだから、ほたるはとりあえずついていくことしかできなかった。



 § § §



 ここまでの道のりを思い出し、ほたるは結局何も分かっていない、と渋面を浮かべた。問いかけようにもその前にここに着いてしまったからだ。

 更にはこうして見知らぬ男達に囲まれているものだから、あまり良い状況とも思えない。ノストノクスの職員を使い、その設備も使用しているところから考えて、身分のしっかりした者だということは分かる。しかしながら全員が全員目隠しな上に無表情なものだから、十中八九明るい、もしくは気軽な用事ではないのだろう。


 早くここを去らなければ――ほたるは意を決して口を開こうとしたが、角が立たないように離席するための言語力がないことを思い出して、ぐっと眉間に皺を作った。


「《私、日本語しか分からないです》」


 それだけ伝え、相手の出方を待つ。ここにいる者達が日本語を知らなければとにかくノエやエルシーの名前を出して逃げるしかないと思いながら、ゴクリと固唾を飲み込む。


 すると男達の中からちらほらと声が聞こえた。「《まだ分からないのか》」、「《アレサは何をやっている》」――そんな、呆れを含んだ声だ。断片的にでも言われたことを理解したほたるが居心地の悪さを感じていると、一人の男が周りを制してほたるに顔を向けた。


「スヴァインとの記憶を掘り起こしているそうだな」

「え……」


 ほたるが驚いたのは、相手が日本語を使ったことではなく、スヴァインの名前を口にしたから。ほたるは表向きはアレサの子で、スヴァインとの関わりは一切ないことになっている。

 だからほたるが一気に身体を緊張させれば、相手は「ここにいる者は事情を知っている」と続けた。


「私はゼキルという。アレサと同じ立場だと言えば分かるか? スヴァインの子」


 その名前は聞いたことがなかった。けれど、アレサと同じ立場だというのなら仕方のないことなのだろう。アレサはノストノクスを創設した者の一人だが、既に自分の役割をエルシーに任せて隠居している。

 しかしそう納得しかけても、ほたるの緊張はなくならなかった。この男が嘘を吐いているかもしれないからだ。

 上層部の一部しか知らないという自分の素性を知っていて、こうしてノストノクスのものを使えるという時点で、相手の話は事実だと考えてもいいかもしれない。だが、そう簡単に信じるわけにはいかない。


「あなたが本当にそうだとしても、信じる証拠がありません」


 だからほたるが警戒を隠すことなく答えれば、ゼキルと名乗った男は「意外と疑り深いな」と鼻を鳴らした。


「先日の報告書を読んだ。千年戦争の始まりを語ったそうだな」


 ゼキルが平然と話の続きをした理由はほたるにも分かった。その報告書とは自分の記憶に関することで、それは誰にでも見られるものではないとエルシーに聞いていた。だからこの言葉は、彼の発言が正しいと裏付けているようなもの。


「……そういう話を聞いただけです」


 信用はしたくないが、完全に信じないわけにはいかなそうだ――ほたるは緊張したまま受け答えたものの、ゼキルは気にならなかったらしい。ほたるの態度に何も言うことなく、「ならば、ラーシュ様の遺品の話は?」と話を続けた。


「遺品……?」

「それかノクステルナの成り立ちでもいい。聞いたことはないか?」

「……分からないです、昔の記憶なので。今回のこともたまたま聞いたことがあっただけですし……」

「次はそれを探れ。ああ、私も同席するとエルシー=グレースには伝えておくよ」


 あまりに高圧的な言い方にほたるの表情が曇る。緊張と苛立ちの混ざった胸の不快感に顔をしかめながら、「嫌です」とはっきりと答えた。


「偶然知ったならいいですけど、そのためにはやりません」

「やれ」

「なんで私があなたの言うとおりにしなきゃいけないんですか」


 強い声になったのは、その態度への苛立ちのせいだけではなかった。ゼキルに求められていることは、ノエが避けようとしたこと。そんなことをやれと見ず知らずの相手に言われたせいで無性に腹が立つ。

 しかしやはり、ゼキルがほたるの怒りを気にした様子はなかった。


「お前は自らやりたくなるから」


 ほたるの問いに答える形で発せられたその言葉を、ほたるには理解することができなかった。そんなことを思うはずがないし、ここにいる者達には自分を操ることはできない。ならば現実的に有り得ないと怪訝を顕にすれば、ゼキルは「審問官は偽証ができない」と続けた。


「新たな命令を与えようにも、自ら目を潰している者が多い。だからこそ彼らの言葉には力がある」


 それはほたるもすんなりと納得することができた。記憶を探る場に同席している盲目の書記官は、審問官も兼任していると聞いていたからだ。

 そして、彼らは自ら目を潰しているのだと。稀に親に潰された者もいるらしいが、大抵は自分の意思でそうしたらしい――初めて記憶を探った日に自宅でノエから聞いた話をほたるが思い出していると、ゼキルが口を開いた。


「しかし操ることはできずとも、彼らに聞かせる話を選ぶことはできる」


 そう言って、ゼキルはほたるに向かって口端を上げた。


「お前は何故あれだけ警戒していた私とこんな話をしている? 最初は何も答えるつもりはなかったんだろう?」

「それは……あなたが、記憶のことを知ってたから。報告書も見たって……」


 ほたるがスヴァインの子であるという事実も、その記憶に関する報告書も、ノストノクスの上層部にのみ明らかにされている。それらを知っているのならば、ゼキルの素性を証明しているようなものだ――そう思ってほたるは答えたが、続いた問いに愕然とした。


「私が違法な手段でそれらを目にしていたら?」

「っ……」

「お前は私が話した内容だけで、私がアレサと同様の立場だという主張を受け入れた。私はスヴァインの子を殺そうとここに来て、お前がそうだと確証を得るためにこの話をしたのかもしれないのに」


 ほたるには否定できなかった。確かにここで彼らを見た時にはその主張を信じてなるものかと思っていたのに、そしてその気持ちは今もそこまで変わっていないのに、こうして会話している時点でそれらはただの思い込みとなってしまっていたと分かったからだ。


 警戒していたつもりだったのに、全くできていなかった。


 ほたるがその事実に固まっていると、ゼキルが話を再開した。


「これと同じようなことを審問官にもできる。自覚すれば彼らも自らの判断の際に注意するだろうが、自覚がなければそれもできない」


 そこまで言って、ゼキルが笑みを深くする。


「――ノエの主張に正当性はないと、彼らに判断させることもできる」


 明確な脅しだった。ノエを裁判で不利にしたくなければ、自分の言うことを聞けと。

 そしてほたるがそうと気付いたと見るやいなや、周囲の男達が嘲るように笑った気配がした。


「さて、まだやりたくならないか?」

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