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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後日譚】第三章 幸福の中の悪夢
173/200

〈8-2〉そういうこともあるみたい

 その日の夜、風呂に入ったほたるは髪を乾かし終えると、衣装部屋へと向かった。

 棚にある真新しい小さな箱を手に取り、その中にあったイヤーカフを耳につける。昼間ノエに買ってもらったものだ。他はペイズリーやノエに勧められたものから選んだが、これだけは見た瞬間に目が離せなくなった。

 シルバーの二連リングのように見えるそれには大粒の青い石が付いていた。清水のように透き通っていて、しかし深く、優しい色合いをしている。それがほたるの目を引いた。ノエの瞳の色と同じだと思ったからだ。

 鏡の前に移動して、耳たぶの少し上の軟骨に引っ掛けるようにして付ける。すると途端にほたるの耳元が華やいだ。少し顔を動かしてみれば、光を反射した石が美しく輝く。それがなんだか嬉しくて、ほたるは鏡の前でむふっと唇を窄ませた。


 ノエにはお礼と言われたが、本当にお礼をしたいのは自分の方だ。


 記憶を探ったあの日、ノエがペイズリーと二人で話していたことはほたるも気付いていた。内容は聞こえなかったが、ペイズリーが精神治療を行えるというから、もしかしたらノエは最近のことを相談していたのかもしれない。

 正直なところ、ほたるにはそのノエの行動が意外だった。彼がペイズリーに頼るイメージはなかったからだ。それなのにノエがそうしたのは、そのくらい症状が深刻ということなのだろう。話を聞いて理解はしたつもりだったが、もしかしたら自分が思っている以上にノエはギリギリの状態なのかもしれない。

 そう考えるととても心配で、そしてそんな彼に甘えている自分がほたるは少し情けなくなった。


 なんで言ってくれないのだろうとは思わない。一瞬だけ頭に浮かびはしたものの、ペイズリーが専門家だからだということを思うとすぐに消えた。無知な小娘よりも、ノエの状況を正しく判断してくれる人の方が頼りになるに決まっている。

 それにノエは全く話してくれていないわけではなくて、彼なりに言えるところまでは伝えてくれたように感じる。だから、ノエの行動に不満はない。ないが、やはりこれ以上負担をかけたくないとは強く思う。だからこそノエがしたくないと言っていたことをさせてしまったことが申し訳なかった。


 しかし、ノエ自身がやってもいいと言ったことをそんなふうに思うことも良くないと感じるのも事実。ならば自分はしっかりと彼に感謝を伝えねばならないと思う。そして、他の部分で彼の役に立たねばとも。

 だがほたるには、自分のできることが全く思いつかなかった。


「やめた方がいいのかな……」


 記憶を探ることを。あれをやるにはどうしてもノエの手を借りなければならない。始める前にあんなにも緊張するくらい、彼にとっては気が進まないことなのだ。それに終わった後だって心配をかけていたのは肌で感じている。

 いくらノエがこれからもやっていいと言ってくれているのだとしても、何も考えずに甘えてしまうのはあまりにも考えなしなのではないか。ノエがこちらの知りたいという気持ちを汲んで無理してくれているだけかもしれないのに、なら大丈夫だといつまでも続けてしまうのは良くないのではないか。


「でも急にやめるって言っても困らせちゃうよね……」


 ノエならば何故自分の気が変わったか察するだろう。そして、この胸の中にある不安を解消しようと手を尽くしてくれそうな気がする。けれどそれはやはり、ノエに負担を強いることなのだ。ノエ自身も気が進まないことを、こちらが気兼ねなくできるように彼が努力するなんて。


 そんなことは、させたくない。


 終わりを決めよう。回数なのか何なのか、ノエも納得できる終わりを決めた方がいい。危険な状態になれば二度とやりたくないと言う彼に、その危険が訪れるまで終わりの見えない心配をかけたくない。


 終わる方法はノエと決める何かと、もしくは知りたいことに辿り着くこと。前者は今決められないから、少ない回数で見たい記憶を見つける方法を考えなければならない。


 せめてこの時なら話していそうというのが分かればいいのに――考えた時、ほたるは先日見たものを思い出した。


 父のおとぎ話を聞いて、自分は絵を描いていた。あんな絵を描いたことなんて覚えていなかったものの、もしかしたら当時の他の絵も父の話に沿った内容なのかもしれない。

 そして子供の頃の自分の物なら、母が保管している可能性がある。小学生の時に、学校の課題で昔のおもちゃを出してもらった記憶がある。もしそれが今も残っているのなら、そこに絵もあるかもしれない。


 エルシーに頼んでみればその絵が手に入るだろうか。そうすればすぐに答えを得られるだろうか。

 明るい気持ちになって顔を上げれば、鏡の中であの青い石が揺れた。まるで今の考えが肯定されたかのように感じられて、ほたるの頬が緩む。

 けれどもう寝るから流石に取らなければと耳から外して、ほたるは元の箱の中に大事にしまった。綺麗にディスプレイできるようになっている箱の中をじっと見つめ、また口角が上がる。

 棚に置いたそれとほたるがしばし見つめ合っていると、不意に近くから声が聞こえた。


「――気に入ってくれた?」

「わっ……!?」


 肩を跳ねさせながら声の方を見れば、衣装部屋の入口にノエが立っていた。「そんな驚く?」おかしそうに笑いながらノエが近付いてきて、後ろからほたるの身体に腕を回す。


「だってまだお風呂入ってると思ってたから」

「結構前から見てたんだけどね」

「声かけてくれればいいのに」

「ほたる嬉しそうだったからさ。そんなのずっと見てたいじゃん」


 臆面もなく言われて、ほたるの顔がぎゅっと照れで強張る。一人で嬉しさを噛み締めていたところを見られていたという恥ずかしさと、自分のそんな姿を見ていたいと言ってくれるノエの気持ちと。

 十代にこれは威力が過ぎる、と未だ慣れない相手の言動にほたるがこっそりと悶えていると、ノエがほたるの頭の上から箱の中を覗き込んだ。


「ほたるはこういうのが好きなの?」

「こういうの?」

「耳につけるやつ。他にも色々あったけど見向きもしなかったから。でもあれ? 付け方知らなかったっけ」


 不思議そうにノエが首を傾げる。頭頂部付近に触れる顎の感触でほたるはそれを感じ取ると、「アクセサリー全般がほぼ初めて」とこれまでの自分の好みを思い返した。


「そうなの? ほたるくらいの年だったら好きな子多くない?」

「そうなんだけど、なんかあんま興味湧かなかったんだよね。あとちっちゃいのって失くしちゃいそうで怖いしさ。たまに腕時計つけるくらい」


 周りがおしゃれに目覚めた頃、ほたるもまた自分の服装を気にするようになった。だが、気になるのは洋服だけ。その服を引き立たせるために帽子や靴にも興味はあったが、それ以外の、必ずしも身に付ける必要のないものには食指が動かなかった。

 勿論、友人と買い物に出かけた時に可愛いと思うものはあったし、友人が身に付けているのを見ておしゃれだと感じたこともある。しかしながら自分もそれを付けたいと思った記憶はない。


「ならよっぽど気になる何かがあったんだ」


 ノエが興味深そうに呟く。そうなんです――と答えそうになったものの、ほたるはぐっと堪えた。ノエの瞳の色と同じだから欲しくなっただなんて、他でもないノエ本人には恥ずかしくて言えるわけがない。


「……この石が綺麗で」


 だからどうにか濁してそれだけ答えれば、ノエが「あァ、サ……」と妙なところで言葉を切った。


「『さ』?」

「なんでもないよ、ちょっと噛んじゃっただけ」

「珍しいね」


 ほたるの指摘に、ノエが誤魔化すように頬をほたるの頭に擦り付ける。「そういうこともあるみたい」まるで他人事のような言葉に笑いながら、ほたるは改めて青い石を見つめた。


「凄く透明だよね、これ。水晶? でもこんな透き通ってるならやっぱガラスかな? ペイズリーさんはコーンなんちゃらって言ってたっけ。ノエ覚えてる?」

「忘れちゃったかな。知りたい?」

「うーん……どっちでもいいや。これが綺麗なことには変わりないし」


 薄暗い明かりでもこれだけ綺麗なのだから、陽の光に透かしたらどれだけ綺麗だろう。それはもう叶わないが、蛍光灯のような明かりでも十分な気がする。

 そんなことを考えながら石を眺めていたほたるだったが、ふと手入れのことが気になった。


 石の部分はいいとして、それ以外は恐らくシルバーだろう。シルバーのアクセサリーは、友人から手入れが必要だと聞いたことがある。


「シルバーってくすむんだよね? 毎回拭けば大丈夫?」


 できればくすませることなく大切に使いたい。そう思ってほたるが尋ねれば、ノエは「これは気にしなくて大丈夫だよ」と答えた。


「なんで?」

「なんでも」

「……もしかして、シルバーじゃなかったりする?」

「他になんだと思う?」


 問われても、ほたるには答えが浮かばなかった。


「銀色のもの……ステンレス……は違う気がする」


 そもそもアクセサリーの素材なんて分からない。金だのプラチナだのといったものの存在は知っているが、これを買ってもらう時に高価なものではないとノエに散々確認しているのだ。それ以外の金属の素材なんてこれまで興味を持ってこなかったのに分かるはずがない。


「まあいいや。今度ペイズリーさんにお手入れのこと聞いとこ」

「俺が聞いとくよ」

「自分で聞けるよ?」

「俺が聞くから」


 頑として譲らないノエに、ほたるの頭に疑問符が浮かぶ。その態度の理由が知りたくて、上を向いて相手の表情を確認しようとしたら、唇にノエのそれが押し当てられた。


「あっ!? また急に……!!」

「いいじゃん、家なんだから」

「でもこう、びっくりすると言うか……!」

「まだ驚くの?」


 呆れたように笑われて、ほたるの顔が羞恥に歪む。みるみる真っ赤になった頬を見たノエは「本当に照れるんだ……」と目を丸くすると、ふっと頬を綻ばせた。


「まだここで見てる?」

「ううん、そろそろ寝る」


 恥ずかしい気持ちを押し込めて、もう部屋に戻ると首を振る。自分が歩き出すのを待つノエにほたるは「あの……」と声を掛けると、「これ……」とちらりと箱を見た。


「買ってくれてありがとう」


 妙な気恥ずかしさを感じながら口にする。するとノエは柔らかく微笑んで、「ほたるも、もらってくれてありがと」と目を細めた。

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