〈8-1〉金づるにはとことんたかる主義
後日、ほたるは屋敷のホールに広がった光景にあんぐりと口を開けた。屋敷の規模に見合った装飾品以外は何もないはずの広い空間に、洋服や雑貨などが大量に並べられているのだ。その並べ方もただここに置いただけと言うよりは、店のように綺麗に陳列してあるように見える。
これは一体どういうことだとほたるが呆然としていると、ノエとペイズリーの会話が聞こえてきた。
「お前……よくこんな持ってきたな」
「金づるにはとことんたかる主義」
呆れたようなノエに、得意げに口角を上げるペイズリー。先日の記憶の件の後すぐにノストノクスを去っていた彼女がどうしてここにいるのかという疑問もあって、ほたるには二人が何を話しているのかさっぱりだ。
それでも自分が無関係ではないとほたるが分かったのは、にこにこと笑ったペイズリーが近付いてきたからだった。
「さ、ほたる。ここから好きなの選んでいいからね」
後ろに回ってほたるの両肩に手を置き、並べられた品を見せるように身体の向きを直させる。
「ど、どういうことですか……?」
「ノエが好きなだけ買ってくれるから。ね?」
「ほたるが欲しがったものだけだからな。お前が買わせようとするのはいらない」
そこまで聞いて、ほたるはやっと事態が飲み込めた。これらはペイズリーが自分の店で扱っている商品で、今は買い物の時間なのだ。
しかしそうと分かっても明るい気分にはならなかった。むしろ、逆だ。
「……やだ」
小さな声がほたるの口からこぼれ落ちる。「あっ、いや……」自分の無意識の行動に気付いてほたるは取り繕おうとしたが、うまく言葉が出てこなかった。それどころか何か言おうと思えば思うほど、この状況によって胸の中に生まれた後ろ暗さが膨らんでいく。
「ほたる?」
不思議そうなノエの声を聞いてもそれは変わらず、ほたるは歪な表情になった。
「その……こういうの、あんまり買って欲しくない……」
取り繕うことは諦めて、嫌だと思った理由を口にする。こんなこと言ってはいけないと思うのに、二人を困らせてしまうだけだと分かっているのに、このまま流されてしまうことがどうしても嫌だった。
そんなほたるの発言に、ペイズリーが「ノエ、ちょっと」とノエを隅に連れて行った。
「まさか需要と供給が一致してないの?」
「……俺はほたるになんでも買ってあげたいんだけどね」
「先に二人で話してきなさい。待ってるから」
ペイズリーに言われ、困り顔のノエはほたるの方へと向かった。「こっち来てくれる?」ほたるを促して、ホールと続く応接間の方へと歩いていく。
そしてドアがないその部屋の柱の陰に入ると、ノエはほたると目線を合わせるように少し屈んだ。
「ほたる、買い物嫌い?」
「……なんでもないのにもらうばっかりが嫌」
「俺はほたるにあげるの好きなんだけど……」
困ったと言わんばかりにノエの眉尻が下がる。それを見てほたるの眉間にもまた力が入った。ノエが好きだと言うのなら否定したくない。したくはないが、受け入れる気にはなれない。
「なんか、嫌なの。自分で自分のものも用意できないみたいで……実際そうだけど、だけどこうも頻繁にもらうばっかだと、なんて言うか……凄く、自分が嫌になる……」
ノエが楽になるためならなんでもできると思っている。だが、これは違う。これはノエの苦痛を和らげることとは関係ないだろうし、そうされるたびにかつて抱いた無力感が強くなるのを感じる。
お前はどうせ自分では何もできないと、考えすぎだと分かっていても思ってしまう。
「……もしかして、今までも嫌な気分にさせてた?」
「必要なものを自分じゃどうしようもないから用意してもらうのは納得できる。だけど、必要じゃないものまで理由もないのにもらうのは……しんどい」
まるで自分でどうにかしたいと思うことさえ否定されているような、そんな気持ちになる。頑張ったところで無駄だと、この自立心が手折られているように感じてしまう。
「しんどい……」
鸚鵡返しに呟いたノエは気まずそうな顔をしていた。考えるように目を動かして、「なるほど、しんどい……」ともう一度噛み締めるように口にする。
そしてゆっくりと視線をほたるに戻すと、「ごめんね」とその顔を覗き込んだ。
「俺が分かってなかった。嫌な思いさせちゃったね」
本当にそう思っていると感じられる声だった。伝わったと、ほたるが息を漏らす。声だけでなくこちらに伸びてこない手もそれを物語っていて、ほたるはノエの手にそっと触れた。
「……分かってくれたならいい」
「うん、ありがと」
ノエの手がほたるの頬に伸びる。屈んでいた体勢からいつもどおりに立って、ほたるの顔を上げさせる。
「こないだペイズリーに手伝ってもらったでしょ? その交換条件であいつの店から買わなきゃいけないんだけど、そういう事情があってもほたるは嫌?」
ほたるの頬を撫でながらノエが問う。押し付けるのではなく、寄り添うように尋ねてくれていると分かる問いだ。ならば自分も応えねばなるまいとほたるは考えて、浮かんだ答えに視線を横に逃がした。
「……私のじゃなければいい」
「俺の欲しいものがほたるにあげたいものなのは?」
続いた問いに、ほたるの眉尻がうんと下がる。それはずるいという気持ちを込めてノエを見上げれば、ノエは「ごめんごめん、困らせちゃった」と笑った。
「なら、こないだ頑張ってくれたお礼はどう?」
「頑張った……?」
「母さんと離れるの辛いのに戻ってきてくれたでしょ。あれ、俺物凄く嬉しかったよ。そのお礼はしてもいい?」
「でも……それを言うならノエは記憶見るのやってくれたじゃん……なんだったらペイズリーさん呼んだのも私のためじゃん……」
確かにお礼と言われれば、無力感に悩まず受け取ることができる。ただ、それはほたる自身も納得できる内容であればの話だ。自分がやったこととノエがやったことを比べた時、既にノエがやったことの方が自分の労力を上回っているのだから、ノエからもらうのはおかしいように感じてしまう。
ということを込めてほたるが言えば、ノエはへにゃりと苦笑いを浮かべた。
「ペイズリーを呼んだのは俺が怖気付いたからだよ。あいつがいなくてもできた」
つまり彼自身のためだと、ノエが訴える。
「それに記憶を見せるのはほたるの言うとおり俺がやったことだけど、実際に負担がかかったのはほたるの方だよ。次の日まで寝込んでたでしょ」
「……そうだけど」
頭痛と、それから気分が塞ぎ込んでしまったのと。起き上がる気力がなくて、ベッドから出られなかったことはほたるもよく覚えている。
「あとね、俺のヤバいところも受け入れてくれたから。あれだけでもう、俺はいくらあげても返せないくらい助かってるんだよ。これからもそれで迷惑かけちゃうかもしれないけど、どうかよろしくお願いしますみたいな感じでさ」
「…………」
そう言われてしまえばもう、ほたるには突っぱねることなどできなかった。先日の件も、ノエがとても苦しんでいたことは分かっている。あんなにも辛そうな彼の役に立てたのだと言われて悪い気がするわけがない。ならば、その気持ちを受け取らないというのは純粋な厚意を無下にすることと同じ。
「お礼、してもいい?」
そんなふうに言われたら断れないではないか――ほたるはムッと顔に力を入れると、おずおずと口を開いた。
「……高いのじゃなければ、ちょっとだけ」
ぼそりと答えたほたるの額に、熱が触れる。
「ありがと」
心底嬉しそうに微笑むノエを見て、ほたるの顔にはぐぐっと力が入った。