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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後日譚】第二章 侵食する歪
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〈5-1〉……そんなことしないから

 ノエは荒野にいた。ノクステルナの赤い月明かりに照らされた荒野だ。

 そこは、アイリスとスヴァインが死んだ場所だった。


 今はもう、そこには何もない。そのはずなのに、ノエは前方に山を見つけた。彼の背丈を少し超えるくらいの小さな山だ。

 土でも掘ったのか、それともどこかの瓦礫を運んできたのかだろうか。しかしこんなところにどうして――疑問に思いながら見ていると、赤い月がその山を照らした。


「ッ……!?」


 無数の死体だった。土でも瓦礫でもなく、死体が山積みにされていた。

 だが、おかしい。ここはノクステルナ、吸血鬼達の世界。そして吸血鬼は死んでも死体は残らない。

 ならば、あれは――腐った死体は顔の判別などできなかったのに、その死者の正体をノエに教える。


 あれは、自分の仲間達だ。


 庇護してくれる親を失くし、飢え、生きるために死体すらも漁った。そしてそれで得たものを奪おうとしてくる大人や野生動物に怯え、ゆっくりと眠ることも許されない。

 そんな地獄のような日々を共に助け合い、家族と言っても差し支えのないほど強い絆で結ばれた仲間。

 その仲間達の亡骸で、あの山はできている。


「なんで……」


 ここはどこだ? 何が起こった? 何故彼らは死んで、自分が生きている?


 混乱のまま、ふらふらと亡骸の山へと歩いていく。腐った血肉の(にお)い、耳障りな蝿の羽音。そして手には、覚えのない感触。

 これは何だろうと目を落とせば、誰のものか分からない武器に金品、痛んだ食べ物――死体漁りの戦利品があった。それをいつの間にか腕いっぱいに抱えて、ノエは死体の山の前に立っていた。


 まさか彼らのものを盗ったのか? ――そんなはずはない、と首を振る。


 そんなことはしない。するはずがない。仲間のものは、奪わない。


 ――本当に?


「っ……」


 はっとして顔を上げる。死体の山を見る。大丈夫だ、奪っていない――そう安堵したのも束の間、その亡骸の中に真新しい死体を見つけた。

 明るい髪色の死体ばかりの中で、一際目立つ黒い髪。綺麗な衣服に、瑞々しい肌。けれど記憶の中のそれよりも、ずっと青白くて。


「ほたる……?」


 血の気が引く。腕から荷物が落ちる。それにノエが気を取られかけた時、死体の山がふっと消えた。


 残ったのは、黒い霧だけ。そこにはもう何もない。

 仲間も、持っていた品も、そしてほたるも、全て。見えていたもの全てが霧となって消えて、そしてその残滓すら、瞬きする間に消え去っていた。


「――…………ッ!!」


 その時、ノエには何が起きたのか分からなかった。呼吸が荒い。身体が冷え切っている。しかしだんだんとそれも落ち着いていって、すると今度は空気にあの嫌な臭いが混ざっていないことに気が付いた。

 むしろ、これは――自然と視線が下を向く。そこにいたのはほたるだった。この腕の中にいるのは、今が夜中で、彼女と共に眠っていたところだから。


 そうと理解しても、ノエは無意識のうちにほたるの口元に手をかざしていた。

 呼吸がある。生きている。失っていない。

 そこまで確認して初めてノエは安心すると、今まで自分が見ていた光景を思い返した。


 あれは、夢だ。ここのところ毎日のように見る、嫌な夢。

 人間だった頃も苦しめられていた記憶がある。だがアイリスの仕事をするようになってからは止まっていたのだ。現にもう彼らの顔も思い出せないくらいにあの記憶は遠いものとなっていたはずなのに、何故今更また見るようになったのか。

 夢の中ですら仲間達の顔は分からない。名前も、ほとんど覚えていない。だったらあの出来事ごと忘れさせてくれればいいものを、忘れられないどころか彼らの場所にほたるがいる。


「っ……」


 もうあんなのは嫌だ。見ていないところで大事なものが壊れてしまうのは嫌だ。


 たとえそのために、ほたるに嘘を吐かせてしまうのだとしても。それで彼女が苦しむというのなら、代わりになんでも与えるから。

 だから、目の届かないところに行かないで欲しい。目を離したら消えてしまうなら片時も目を離したくない。どこにも行けないようにしてしまいたい。でないとまた引き止めるためにその命を奪いたくなってしまうから。ほたるがどこにも行かなければ、そんなことを考えずに済むから。


 ――だったら食ってしまえばいいのに


 血も肉も、骨も全て。彼女の全てをこの腹に収めてしまえば、いなくなるだなんて思う必要はない。


「ッ、また……」


 脳裏を過った思考を慌てて振り払う。

 我ながら馬鹿げた考えだと、吐き気を催しそうになる。食ってしまえばいいだなんて。そうすれば周りの誰にも、そして自分自身にも、彼女が殺されてしまう心配をする必要はなくなるだなんて。

 これが習性による執着心なのか、それとも自分の本性なのか。頻繁に思い浮かぶせいでもう分からなくなってしまった。


 だがどちらにせよ、ほたるに見せるわけにはいかない。人間の価値観を持つほたるはきっと自分よりも強い忌避感を抱いて、そして、怯えてしまう。

 怯えさせてしまえば、彼女は離れていく。すぐにではなくても、いつか必ず。だから怯えられたと感じれば、自分はその記憶を奪ってしまうのだろう。自分から離れてはならないと、彼女の意識に刷り込んでしまうのだろう。


 そんなことはしてはならないという声が日に日に遠くなっていく。いつか自分が彼女から奪うという行為を正当化してしまうのかもしれないと思うと、恐ろしくてたまらない。


「……そんなことしないから」


 決意の言葉は、祈るような響きになった。それに気付かなかったふりをして、ほたるの身体を抱き締める。

 彼女に何かあったらすぐに気付けるように。知らないうちに消えてしまわないように。


 だからいなくならないでくれと願いながら、ノエは腕の中の熱に身を預けた。

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