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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【前篇】第二章 波間の呼吸
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〈6-3〉俺が卑怯者だからかな

 取ってきた料理はどれも美味しいものだった。見た目と違う味だったらどうしようという不安から少量ずつしか取っていないが、中にはおかわりしたいものもある。

 これは日替わりで楽しめそうかも――一週間は滞在するということを思いながらピラフらしきものを口に運んだほたるだったが、それを咀嚼し始めてすぐに「んふっ!?」と吹き出しそうになった。


(から)ぁっ……!?」


 慌ててオレンジジュースで口の中のものを流し込む。しかし口内に感じる辛さは弱まらない。それどころか口全体に広がった気がして慌ててコップを持ったまま立ち上がれば、ノエが「俺が行くよ」とそのコップを奪い去った。


「や、でもっ、自分でいける……!」


 辛さに耐えながらなんとか主張する。そんなことより早く水をくれと、ほたるがノエを睨みそうになった時だった。


「俺の方が速いから」

「っ!?」


 ノエの姿が消えた。驚きで固まりかけて、そういえば彼はそういうことができるのだ、と思い出す。そして咄嗟にビュッフェの方を見れば、見慣れてきた青い髪の人物がその奥にいるのが見えた。


「――はい、どーぞ」


 数秒の後、ノエが再び姿を現した。消えた時と同じように一瞬で。

 ほたるは何か言いたかったが、先にこの辛さをどうにかしよう、とノエの持ってきたコップを一気に煽った。オレンジジュースと、牛乳の二杯。どうやら牛乳は気を利かせてくれたらしい。


「落ち着いた?」

「ん……ありがと」


 助かった、と座り直しながらピラフを睨む。「これなんで辛かったんだろ……」と呟けば、「唐辛子入ってるじゃん」とノエが答えをくれた。


「え?」

「この緑の、全部刻んだ唐辛子でしょ? 書いてあったじゃん」

「書いて……」


 どこに、と問いかけて、ほたるはすぐに思い当たった。

 あの札だ。料理のところにあった札。自分には読めない言語の文字で書かれていたあの札には、そういった注意書きが書かれていたのだ。

 なんてことだ。料理名だけかと思って重要視していなかった――あんぐりと口を開けたほたるを見て、ノエは「あァ、読めないのか」と合点のいった顔をした。


「ごめんごめん、『ほたる激辛好きなんだー』と思ってスルーしちゃった」

「好きじゃないよ! むしろ苦手だよ! ……後で文字教えてください」


 全部は無理でもせめて大事なことは読み取れるようになりたい。食物アレルギーはないが、無害そうな見た目でこんなに辛いものを引いてしまうかもしれないと思うと食事が怖すぎる。

 それに――ほたるはしゅんと顔を暗くすると、「これどうしよう……」と激辛ピラフを見つめた。


「流石に二口目は無理……牛乳で流し込めるかな……」

「残せばいいじゃん。誰も気にしないよ」

「……私が気にする」


 いくら予想外の味だったといえど、自分で選んで取ったものを残すというのは行儀が悪い。そういうことは極力したくないとほたるが葛藤していると、ノエが「ふうん?」と不思議そうな声を出した。


「じゃァ俺がもらおうか。いい?」

「え? いいけど……でも、」


 辛いけど平気なのか――ほたるが問うより先に、ノエが皿の上のスプーンを使ってぱくりとピラフを口に入れた。


 それ私が使ってたスプーン、だとか。左利きなんだ、だとか。ほたるが呆然と見守ることしかできないのは、もぐもぐと咀嚼するノエがあまりにも平然としているから。


「本当に食べた……」

「あ、スプーン新しいの欲しい?」

「それはどちらでも……ていうか、え? 辛くないの……?」

「俺味覚ぶっ壊れてるらしいんだよね。美味いものは普通に美味いんだけど」


 そう言って二口目を食べるノエに無理をしている様子はない。辛いのは味覚ではなく痛覚では、とほたるは思ったが、実際に何も問題なさそうな様を見ているとそんな指摘もどうでも良くなってしまう。


「飲み物いる……? ノエ余裕ありそうだし、私取ってくるよ……?」

「平気平気。つーか飲み物のとこ、血がいっぱい置いてあるから行かない方がいいよ」

「血、って……」


 ノエの言葉にほたるがピシリと固まる。辛いものを平然と食べる相手への戸惑いが、身体を冷やす驚愕へと変わる。

 冗談だろう、と言う気は起きなかった。頭の中で点と点が結ばれたからだ。


 ノエは、人間ではない。吸血鬼だ。決定打がないせいで自称だと思いたい気持ちが残っていたが、食堂に血がたくさん置いてあると言われたらその気持ちが一気に消えていくのを感じた。


 だからノエは私に飲み物を取りに行かせなかったのか。


 これまでの彼の行動への疑問が納得に変わる。彼らが吸血鬼であることを信じ切っていないのに、食堂の、それも飲み物置き場に大量の血液が並べられているところを見れば、自分はきっと手に持った料理を全てひっくり返していたに違いない。なんだったら食欲も失せて、しばらく何も食べられなくなっていたかもしれない。

 ほたるは一通り理解すると、「それは……人間の……」と同時に浮かんだ不安を口にしていた。


「まさか。牛とか豚とか、哺乳類の血だよ」

「哺乳類」

「そう、哺乳類。つーか肉になる家畜ね。人間のはねェ、美味いし栄養もあるんだけど手続きが大変なのよ。襲うのはご法度だしさ。その点家畜はいいよ。大抵血は廃棄対象だから入手しやすい」


 どうやら血液のためだけに殺しているわけではないようだ。それはほたるを安堵させたが、人間の血が美味いと言われて安心しきることはできなかった。

 けれど、襲うのは駄目というのは聞いた覚えがある。確か裁判の時に、裁判長がそれらしいことを言っていたはずだ。


「そういえば人の血を吸うのは許可が必要って……」

「そうそう、それ」

「そんな人いるの……?」


 そんな人、というのは吸血鬼に許可を与える人間のことだ。ほたるは言ってから言葉が足りなかったかもしれないと気付いたが、ノエには伝わったらしい。「稀にね」と頷いた彼は、ほたるの疑問に答え始めた。


「ほんの少しだけだけど、人間でも吸血鬼の存在を知ってる人がいる。そういう人の伝手で売りに来る場合があるんだよ」

「売るって……それ、駄目なやつじゃないの? 確か自分の臓器売るのも犯罪じゃなかったっけ?」

「人間の法ではね。でも俺らのはアリ。一応人間側の法とか価値観の変化には極力合わせるようにはしてるんだけど、血に関してはまだまだ変わらないだろうね」


 話し終えたノエがスプーンを皿に戻す。「本当に新しいのいらない?」確認するように聞いてきたのは、ほたるがそのスプーンを凝視してしまったからだろう。けれどそれは、スプーンに対して何か思ったからではない。「うん……フォークあるし」今聞いた話について考えながらほたるはぼんやりと返すと、「あの……」と視線を上げた。


「私は襲われない? その、血目的で……」


 これだ。これが気にかかってぼうっとしてしまったのだ。いくら人間を襲うのは法で禁じられていると言っても、既に破った者がいる。だからほたるの首には傷があるのだ。風呂に入っても再度出血することはなかったその傷に手を当てながらほたるが問えば、ノエが少しだけ真剣な顔をした。


「ゼロではない」

「え……」


 そこはゼロだと言って欲しかった――ほたるはそう思ったものの、そもそも自分は血以外の目的では襲われかねない状況なのだと思い出した。身体を強張らせたほたるに、「一旦序列の話に戻るんだけど」とノエが表情と同じような声で話し続ける。


「吸血鬼同士でも血は飲めないことはなくてね。でも共食いになるからかな、すんげェ気が進まないのよ。それでもどうしても飲むって場合、お互いの序列に注意しなきゃいけない」


 そこまで言って、ノエの顔から力が抜ける。しかし真面目な話が終わったわけではなさそうだとほたるが分かったのは、ノエが口を動かし続けたからだ。


「言ったでしょ? 自分より上の序列の奴には逆らえないって。それと一緒。自分より序列が上の吸血鬼の血は毒になる。序列が離れれば離れるほど毒性は強まって、二、三個離れたあたりで猛毒になる。ちょっと飲んだだけでも死ぬ程度にね」

「毒……」


 そういえば、とほたるの記憶が蘇った。あの裁判の場で、そんなような話を聞いた覚えがあったからだ。


『この娘には自分がシュシモチであるという自覚がない。その意味すらも知らない。更に吸血鬼の存在すら知らなかったことは、これまでの彼女の振る舞いが示している。ならばこの娘が、従属種相手に意図的に自分の血を飲ませたということは有り得ない』


 やっと、何故自分に殺人容疑がかかったのか分かった気がした。従属種というのが何かは分からないが、吸血鬼は吸血鬼の血を飲むと死に得るのだ。

 あの男は、自分の血を飲んだ後に死んだ。他者の血を飲んだ直後に死んだのなら、彼らがその血の持ち主を疑うのも理解できなくもない。


 でも、分からない。自分は吸血鬼ではない。そんな自分の血に、人を殺すような毒性があるとは思えない。


 その疑問には、すぐに答えが与えられた。


「で、質問に戻るとー。ほたるは種子持ちじゃん? 種子持ちは間違いなく人間だけど、身体は種子に守られてるんだよね。種子っていうのはまァ、親の分身みたいなものだとでも思っといて。だからほたるの血でも、吸血鬼の血を飲んだ時と同じことが起きる」


 へらりと笑いながらノエが言う。真剣な話をしているはずなのに、少なくともほたるにとっては自分の容疑が何だったかという話に直結するのに、ノエの顔には緊張感も欠片もない。


 どんな神経をしているんだと不満に思ったが、彼の振る舞いのお陰でほたるは自分の気持ちが楽になるのを感じて何も言うことができなかった。

 何故なら、あの男の死因が理解できたから。やはりあの男は自分の血を飲んだから死んだのだ。この体は人間でも、体内には種子がある。その種子があの男を殺したのだ。


 それは、ほたるにとっては紛うことなき事故。だが、他の者にとっては必ずしもそうではない。いくら裁判の場で無罪の判決が下されたとしても、ほたるの悪意を疑う者がいるのだ。

 そしてそういう者達が、自分を――ほたるが思考に沈みかけた時、「さて問題です」という能天気な声が聞こえてきた。


「え……?」

「ほら集中して! 種子っていうのは親の吸血鬼の一部だから、発芽するまでは序列も親のもので考える。で、俺の序列はアイリスの系譜だと第四位。じゃァほたるの親は?」

「え!?」


 急になんだ。そもそもアイリスの系譜ってなんだ――突然の問題とやらにそれまでの思考が全て吹き飛ぶ。何故いきなりこんなことを言い出すんだとほたるが混乱していたら、不意にノエが「間違ったらどうしようか」と考え込むような顔をした。


「そうねェ……ほたるが腹鳴らすたびに俺が実況でもしとく? 大声で」

「なんで!?」


 そしてやめてくれ――不覚にも考える顔が格好良いと思ってしまった自分を内心で往復ビンタしながら状況を整理する。


 ノエが急に問題を出してきた理由は謎だが、答えなければこの男は本気で腹の虫実況をやりかねない。短い付き合いだが分かる。現に「ほらほら、考えて」と笑う顔はへらへらとしていて、あらゆる悪戯をしそうな雰囲気があった。


 これは、真面目に考えないといけない――直感がほたるを思考に引き戻す。


 質問は、ほたるの親の序列は何かということ。親とは母ではなく、ほたるに種子を与えたという吸血鬼のことだ。

 アイリスの系譜というのはさっぱり意味が分からないが、ほたるはひとまず置いておくことにした。分かっているのは、自分の血は吸血鬼を殺しうるということ。正しくは自分の中にある種子だ。その種子の序列より相手の方が下だと、この血はその人にとって毒になる。


 では、ノエは?


 考えてみたが、ノエがこの血を飲んだらどうなるかは分からなかった。


「あの……ヒントを……」

「えー」

「だってノエが私の血を飲んでも死ぬかどうか分からないし!」

「ほたるもう忘れたの? 序列が影響するのは血が毒になるかどうかだけじゃないよ」

「え? ……あ」


 そうだ、とほたるはノエに教えられたことを思い出した。序列の影響は、相手を操れるかどうかということも含まれる。

 そしてノエは裁判の時、確か自分の洗脳が通用しなかったと言っていた。ということは、つまり――


「えっと……ノエと一緒以上? だから……四位以上、かな」


 おっかなびっくり回答を口にする。罰せられることはないと分かっているが、しかし腹の虫を毎度実況されるのは嫌だ。

 そう思ってほたるが不安げに見れば、へらへらとした男は途端に妖艶に微笑んで、「正解」と首を傾けた。


「っ……」


 無駄に顔が良い、とほたるの頬に熱が集まる。しかも妙に艶っぽい声で言うものだから尚更空気がおかしくなる。

 それを誤魔化すようにほたるが残っていた料理を口に放り込むと、元のゆるい表情に戻ったノエが「ちゃんと覚えといてね」と続けた。


「つまりほたるの血を飲めるのは四位以上の奴らだけ。だからその意味で警戒するのもそいつらだけでいいよ。良かったね、数は少ないから」

「良かった……のかな」


 いくら少ないと言ってもゼロではないのだ。それを良かったとまとめていいのだろうかとほたるが眉根を寄せれば、ノエは「良かったよ」と繰り返した。


「四位はともかく、三位になってくるとみんな相当なお偉いさんだからさ。そういう人達は下手な動きはしない。目立ちすぎる」


 つまり実質三位は警戒する必要はないらしい。それはほたるにも分かったが、しかしまだゼロではない。


「なら四位の人は……?」

「あんま来ないんじゃない?」

「なんで?」


 きょとんとするほたるに、ノエがふっと笑いかける。


「俺が卑怯者だからかな」


 その言葉の意味を、ほたるには理解することができなかった。

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