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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後日譚】第二章 侵食する歪
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〈4-3〉周りに見せつけてる

「――本当に市場だ……」


 目の前に広がる光景に、ほたるは驚きのあまりぽかんと口を開けた。

 そこはノストノクスにある大広間。普段は規模の大きいパーティーなどで使われるというその空間は、ほたるの高校の体育館くらいの広さがあった。

 けれど、見通しは悪い。そこら中に店が出ているからだ。テントのような簡易的な店構えなのは、ノエ曰くこれが移動市場だから。ノストノクスでは多くの職員が働いているが、周囲の街から離れた場所にあるせいで外出を渋る者が多いらしい。また従属種も多く働いているため、やはり街から遠いというのは不便なのだそうだ。

 だからノストノクスには月に一度、移動市場が来る。日用品から贅沢品まで幅広く取り扱われるこの市場に来れば、大抵のものが手に入る――それが、ほたるがノエから聞かされた説明だった。


「基本的に客はここの職員だから、前に見たような騒ぎは起こらないよ。扱われてるのも全部真っ当な商品だしね」

「確かに、ここで変なことしたら大変だもんね」


 ほう、と息を漏らしながら市場の中を進んでいく。何があるのだろうとキョロキョロと周りを見れば、ほたるは少し離れたところに、もう見慣れてしまったノエの見張りを見つけた。彼らは屋敷の中までは入ってこないが、やはりこういうところには付いてくるらしい。

 更には他の視線も感じる。主に客から注がれるものだ。ここはノストノクスで、客はその職員。ならばノエのことは当然知っているだろうし、ほたるのこともノエと共にいる()()()()()として認識しているのだろう。

 今のところ恐ろしさを感じる視線はないが、あまり気持ちの良いものではない。


「普段家にいると分からないけど、結構見られるね」

「まァ怖いだろうからね。恨まれてもいるだろうし」


 客達がノエを知っているのは、元同僚として。そして、罪人として。

 後者の方を指したノエの言葉にほたるは不愉快そうに眉根を寄せると、腰に回されていたノエの腕を引き剥がして、その腕にしがみついた。


「どうしたの?」

「怖くないって見せつけてやろうかと」

「ははっ」


 楽しそうに笑って、ノエがほたるの頭に口付ける。途端、ほたるの眉間にぐぐっと力が入った。


「それは駄目」

「なんでよ」

「人前はちょっと……」

「って言われると思ったから口は止めたんだけど」

「その判断ができるなら頭も止めとこうって思って欲しい」

「今のって俺が褒められるとこじゃないの?」

「じゃないよ」


 何を言っているんだとばかりにノエを睨む。勿論、本気ではない。しかし人前で家の中でするようなスキンシップをされては困ると視線に込めれば、ノエは「分かった分かった」とへらりと笑った。

 これは隙を見せればまたやってくるな――そう思ったものの、押し問答をしたらその時が早くやってきてしまう、とほたるは市場に意識を戻した。


「ところでノエは何買うの?」


 ノエからは事前に市場が来るということしか聞いていない。何か欲しいものがあるのだろうと気にせずついてきたが、これだけの店が出ているのなら目的を知った上で探した方がいいはずだ。

 と思ってほたるが聞けば、ノエからは「ほたるの服」と返ってきた。


「私の?」

「そ。上に羽織るの欲しいかなって」


 言われて、確かに、とほたるは自分の腕に目を落とした。以前ペイズリーが買ってきた服は背中が出るものばかりだから、あれからそういう服を着る時はノエにストールやシャツを借りるようにしていたのだ。今着ている上着もノエから借りたもの。しかしやはりと言うべきか、サイズが大きすぎるせいでどうしても腕まくりをしなければならない。


「あとこっち来てから自分で選んだことないでしょ? だから好きなの買いなよ」

「好きなの……」

「相手が買ってくれるって言う時は甘えなって前に教えたの忘れた? それにあの時一緒に買いに行こうって話もしたしさ、折角なら実現してもらえると凄く嬉しいんだけど」


 その話は覚えている、とほたるは口を窄ませた。父に殺されかけ、弱った状態だったノエと牢の中で交わした言葉。彼があんなふうにいつもの調子で話してくれたから、自分は現実に打ちひしがれずに済んだのだ――思い出して、ノエの腕に回した手に力が入る。無意識のうちに彼の腕に頬を寄せれば、ノエがくすくすと笑う声が聞こえてきた。


「……でも問題があって」


 幸せに浸るほたるの脳裏に、ふと大事なことが浮かぶ。


「問題?」

「私、こっちの物価がまるで分からない」

「気にしなくていいよ。そんな高級品は置いてないから」

「本当?」

「本当。ノストノクスの給料って別に高いワケじゃないから、そんなの持ってきたところで買ってもらえないしね」


 ノエの説明には納得できたものの、それをどこまで信じていいかほたるには分からなかった。何せノエの金銭感覚がもうよく分からなくなってしまったのだ。ノエと牢で交わした会話の内容は実現したいと思うものの、あまり高価なものを買ってもらうのは気が引ける。そしてそれを自覚できないのはもっと避けたいところ。

 こんなことなら文字より先に物価を学んでおくべきだった――後悔するも、もう遅い。とりあえず今はこの機会に水を差してはならないと気分を切り替えて、ほたるは欲しいものを頭に思い浮かべた。


「あ、そういえば動きやすいの欲しいんだった。運動できるやつ」


 先日エルシーの訓練を受けた時はショートパンツで乗り切ったが、あれは運動のための服であない。エルシーからは体力を付けておけと言われているし、可能なら自主的に屋敷の周りでも走ろうかと思っていた。

 ならば運動に向いた服を揃えたいと思ってほたるは口にしたのだが、それを聞いたノエの表情は困ったようなものになった。


「あー……そういうのあるかな」

「ないの?」

「外界っぽいやつはなかなか……あ、ああいうのは?」


 市場の中を歩きながら、ノエが少し離れたところにある店を見た。そこは服屋で、アジアンテイストなものを取り扱っているようだ。そしてノエが指したのは、店先に吊るされたサルエルパンツ。無地から柄物まで取り揃えられていそうなそれを見ながら、ほたるはノエと共に店に近付いていった。


「なんかおしゃれな人が着てるやつだ」


 ほたるには名称が分からなかったが、見覚えはあった。この形の黒っぽいパンツは日本でも街中で男性が履いているイメージがある。


「そう? ただの楽なやつかと思ってたんだけど」

「ノエ似合いそう」

「おそろいにする?」

「やだよ」


 低い声が出た。顔にもうんと嫌だという感情を込めれば、ノエがおかしそうに肩を震わせる。


「なんでそんな面白がるの」

「いや、新鮮で。そういう反応あんまされたことないから」

「ってことは他の人ともおそろいにしようとしたことがあるんだ」

「……仕事だからね?」


 へにゃりと眉尻を下げ、ノエがほんの少し頬を引き攣らせる。その反応にほたるは満足げに鼻を鳴らすと、店先に飾られた服に手を伸ばした。


「でも確かにこれ、あんまダボッとしてないやつなら動きやすそう。生地も涼しそうだし……第一候補にしようかな」


 即決できなかったのは、他にどんなものがあるか分からなかったから。値段が分からないのだから、せめて無駄な買い物はしないようにしたい。

 とはいえやたらとノエをあちこち連れ回すのはどうだろうと考えながら、他にもここで揃えられそうなものがないか見ていると、ほたるはなんとなく周りに小さな話し声が増えているように感じた。


「…………?」


 どこからの声だろうと周りを見るも、すぐにはそれらしき人影は見つからなかった。聴力が上がったせいで、これまでの感覚で聞こえる範囲を見てもあまり意味がないのだ。

 そうと気付くとほたるは耳を澄ませて声の出処を追った。わざわざそうしたのは、なんだかあまり良いものには聞こえなかったから。

 探し方を変えれば、すぐに声の主の姿を見つけることができた。そしてその人物から注がれていた、嫌な視線も。


「っ……」


 目が合った。と同時に相手が目を逸らす。


 知らない人物だった。見たことすらない。相手が知り合いではないとほたるがすぐに理解したのは、直前まで感じていた視線がノエに向けられていたものだと気付いたからだ。


「どうしたの?」


 ノエが不思議そうに問いかけてくる。ノエならばこの視線にも声にも気付いているだろう。そして自分と違ってその内容まで理解しているはずだ。

 ならば害はないのだろうかと、ほたるは「ちょっとぼうっとしてただけ」と答えながらもう一度周囲に気を配った。先程の人物はもうこちらを見ていないが、他にも同じようなことをしている者はいる。そして彼らの視線はどうにもノエの首に向けられているように思えた。彼の首にある、罪人の証に。


「あァ、気になっちゃった?」


 ほたるの様子に彼女が何を気にしているのか悟ったのか、ノエが困ったように苦笑を浮かべる。


「大丈夫だよ、何かされることはないだろうから。居心地悪いなら移動しようか?」


 そのノエの言葉は、彼がずっと自分に向けられる視線や陰口に気付いていたことを意味していた。それなのに一緒にいるほたるが今まで気付かなかったのは、ノエに気にした素振りが一切ないから。

 そのことが、ほたるの心に翳を落とした。


 ノエは本当に気にしていないのかもしれない。けれど、彼にそんな感情を向けてくる人達が気に入らない。


 ほたるはムッと眉間に力を入れると、「手、出して」とノエを見上げた。


「手?」

「両手をこう」


 手のひらが相手に向くように、両手を胸の前まで上げる。ノエが不思議そうにその動作を真似ると、ほたるはノエの手のひらを自分のそれを重ね合わせた。

 指を絡め、しっかりと繋ぐ。そしてぐっと背伸びをして、ノエの首元にある枷に口付けた。


「……珍しいね」


 目をまん丸に見開いて、ノエが呆然とこぼす。しかしすぐに不満げな顔になって、「口にはしてくれないの?」と首を傾げた。


「折角ならこんなのより口にしてもらいたかったんだけど」

「それじゃ意味ないから」

「手が空いてたら俺がしたのに……あ、これもしかしてそういうこと?」


 これ、とノエがほたると繋いだ両手を揺らす。その言葉にほたるが「そう」と返すと、ノエは「先に気付けば良かった……」と悔しげに眉根を寄せた。


「でも急にどうしたの? 外は嫌なんじゃなかった?」

「周りに見せつけてる。首に何か付いてるけど気にしてるのあなた達だけだよって」

「ふはっ」


 嬉しそうに、楽しそうに。ほたるも滅多に見ないくらいにノエは肩を大きく揺らして笑った。

 未だ繋いだままの両手からほたるにも振動が伝わる。しかし離すことはせずに、ほたるはその手にきゅっと力を入れた。


「……私は絶対ノエの味方だからね」


 たとえノエのしたことが罪であっても。そのせいで多くの人に恨まれているのだとしても。

 自分だけは絶対にノエの味方であり続けると、握った手に力を込める。


 すると笑っていたノエはすっとその勢いを収めて、目を細めてほたるを見つめた。


「うん、知ってる」

「だから記憶の話はもう断った」

「……そっか」

「あと学校はもう少し余裕ができてから通う」


 ほたるが告げれば、ノエがこくりと喉を動かした。


「いいの?」

「いい。ノエに嫌な目向ける人のことも威嚇しなきゃいけないし」

「頼りになるね」

「ん」


 ほたるの手が、ノエの手によって下ろされる。ノエがそのまま抱きつくように腕を動かせば、繋いだままのほたるの手は自然と後ろで組むような形になった。


「ありがと」


 その言葉と共に、ほたるの額にノエの唇が触れる。「……外だよ」ほたるが小さく苦情を言えば、もう一度額に熱が触れた。

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