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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後日譚】第二章 侵食する歪
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〈4-1〉お前がそう決めたならいい

 エルシーとの訓練はノストノクス内にある訓練場で行うこととなった。どんなことをするのかとほたるは不安に思っていたが、ノエの言っていたとおり、初回兼お試しである今回は体力作りがほとんど。

 きちんと動くと、自分の運動能力が人間の頃のそれとは大幅に変わっていることがよく分かる。しかしほたるがそれに感動したのは最初だけ。いくら体力作りだけといえど、長時間休みなく動かされ続ければほたるの体力は簡単に尽きて、休憩の許可が出ると同時にほたるは地面にへたりこんだ。


「困っていないか?」


 地面に突っ伏すほたるにエルシーが問いかける。もしや自分があまりに貧弱すぎたのでは、とほたるが焦りを感じそうになった時、エルシーが「ノエのことだ」と付け足した。


「あの家で暮らすこともきっと押し切られたようなものなんだろう? あいつはお前に構いすぎていないか?」


 そう問うエルシーは本気でほたるを案じているようだった。彼女がノエによる構いすぎを気にする理由はほたるにも心当たりがある。エルシーの前で散々そのような態度を取っていたし、今日だってこの訓練場までノエは同行すると言い張っていたのだ。

 それを止めたのは、他でもないエルシー本人。屋敷までほたるを迎えに来た彼女がノエを一蹴したため、彼は大人しく留守番することになったのだ。


 ほたるは最近のノエの行動を思い返すと、「確かに過保護ですよね」と苦笑した。


「それにベタベタされることも増えましたし……でもまあ、文化の差なのかなって。一応頭では分かってるんで、早く慣れたいなとは思うんですけど」

「お前の感覚に合わせろとは言わないのか?」

「そう思うこともありますけど、全部をそう言うのはやめときたいというか……例えば手を繋ぐとかだと、日本人でもよくするんですよ。じゃあノエの方が手も繋がない文化の人だったとして、私が手を繋ぎたいなって思った時にそれは嫌だって言われたら悲しいから……だから、慣れられそうなものはできるだけそうしたいなって。過保護なのも同じです。今に始まったことじゃないですし」


 というより過保護な部分に関しては、自分の行動が原因のような気もしていた。こちらの安全を確保しようとしたノエの意に反し、自分はクラトスと取引をしてこの命を危険に晒してしまった。今はもうそんなことをするつもりはないが、ノエからしたら安心しきれないのだろう。

 だったら、彼の気が済むようにさせてやりたい。そうして見守ってもらって、いつか大丈夫だと思ってくれるようになる日を待ちたい。

 そんなことを考えながらほたるが答えれば、エルシーは「嫌じゃなければいい」とゆっくり首を振った。


「わざわざ聞いてくるってことは、何か心配なことでもあるんですか?」

「ああ……ノエは四〇〇年も一人でアイリスのために働いていただろう? だからその反動が来ているんじゃないかと思ってな。現に支配されていた弊害は出ている」

「支配……」


 ほたるの記憶では、アイリスはノエには自由を許していたと言っていた。けれどそれはあくまで仕事の妨げになるからで、本当にノエの意志を尊重していたわけではない。

 ノエはアイリスには逆らえない状況だった。逆らっていると見せかけることはできても、本当にその命令を無視することはできなかった。

 支配というともっと凶暴なものを想像していたが、ノエの置かれてた状況も支配と言えるのだろう――ほたるが考え込んでいると、「そこまで深刻に考えなくてもいいよ」とエルシーが言葉を続けた。


「あいつは自覚しているし、その衝動をお前に向けまいと抗っているように見える。それがうまくいっているうちは大丈夫だ。だから私としては少し大目に見て欲しいところだが、それでお前が我慢し続けるのも良くない。いくら相手のためだと納得していても、何度も繰り返せばお前の方が参ってしまう」

「でも、ノエだって我慢してるんですよね? その弊害ってやつ……」

「ああ。だからせめて、お互いが何を我慢しているかは知るべきだ」


 ノエは何を我慢しているのだろう――ほたるは気になったが、エルシーに聞くのはなんだか違う気がした。

 衝動というからには、強い感情のようなものなのだろうか。そしてノエがこちらに向けないようにしているのなら、それはきっと良いものではないのだろう。


 けれど、見当も付かない。分からないのは自分がノエを見ていないからか、それともノエがうまく隠してしまっているからか。


 一人で抱えなくていいのに。


 その言葉をノエに言う資格は、自分にはあるのだろうか。


「……私、学校は今じゃなくていいと思い始めてるんです」


 ノエにはまだ話せていない、自分の考え。それをエルシーにこぼせば、彼女は「いいのか?」と意外そうな顔をした。


「はい。色々考えてみたんですけど、やっぱり自衛する手段を身に付けることが最優先だと思うんです。そのためにはこういう訓練と、あとはこっちの言葉や文化を覚える必要があるじゃないですか。でもきっと私はその二つで精一杯になっちゃうだろうから、正直これまでの勉強まで手が回らなそうというか……無理に全部やろうとして全部中途半端になるなら、後でいいものは一旦置いといた方がいいかなって」


 勿論、全部同時進行できるようにある程度は調整することもできるのだろう。だがもしそれがうまくいったとしても、不要なものを削って集中して取り組んだ場合とは明らかに差が出るはずだ。

 その差がどのくらいになるか分からないことがほたるには不安だった。もし、あの時もっと絞っていればと後悔することになったら。そうならないためには、やはり自分が今一番身に付けたいものを優先するべきだと思う。


「学校は一年も経たずに卒業できるんだろう? それに友人はどうする?」

「人間の友達って、そう長く付き合えないんですよね?」

「……ああ」


 エルシーの言うとおり、高校三年生のほたるはあと半年と少し学校に通えばよっぽどのことがない限り卒業することができる。学校に通えば、友人とまた同じ時間を過ごすことができる。


 だが、それでは一番の望みは実現しない。


「私、もうノエに自分のことを蔑ろにして欲しくないんです。でもノエがそういうことする時って、私が危ない時だから……だったら少しでも早くそうならないようにしないと」


 一番優先したいのは、ノエが苦しまないようにすること。彼が苦しむと我が事のように辛くなる。

 ならばまずは彼の懸念を少しでも払拭して、それから自分自身のことを考えたい。他の人は自分のことを優先すべきだと言うかもしれないが、今それをすることでノエを苦しめてしまうのなら、胸を張って自分のやりたいことなんてできるはずがない。


「だから多分、そのうち学校は休学させて欲しいってお願いすることになると思います。折角すぐ通えるようにしてもらってたのにごめんなさい」


 座っていた状態から立ち上がって、深々と頭を下げる。


「分かった。お前がそう決めたならいい」


 エルシーは優しい声でそれだけ言うと、「そうだ」と思い出したように言った。


「墓参りはしたいか?」

「お墓参り?」

「母親の墓だ。それからお前の実の父親の墓でもある」


 その言葉にほたるの思考が止まる。ずっと、最近亡くしてしまった二人のことばかりを考えていた。けれど自分にはもう一人、その死を悼むべき人がいるのだ。


「……一緒に入ってるってことですか?」


 呆然と問い返せば、エルシーは「ああ、そうらしい」と頷いた。


「学校に通うならその時で良いかと思っていたんだが、そうしないなら別で手配しないといけないからな」

「――行きたいです!」


 気付けば口を衝いて出ていた。母の墓参りには勿論行きたい。そして、会ったことのない実の父親の元にも。未だ悲しめない自分に後ろめたさは感じても、母の死と共にきちんと向き合わねばならないと、そう感じるから。


「少し先になってしまうがいいか? 流石にこちらは通常の手続きになるんだ。それがなかなか時間がかかってな」

「大丈夫です、いくらでも待てます」


 むしろ時間があるのなら有り難い。その間にもう一度実の父親のことについては考えたい。その父親は父が、スヴァインが殺したと言っていたけれど。


 お父さんは、どうして……――疑問がほたるの頭を過る。


 あの三人に何があったのか知りたい。もしかしたらこの記憶を辿れば答えが出るかもしれない。


 ――けれどそれは、諦めなければならない。


 その瞬間、胸が酷く痛んだことには気付かないふりをした。代わりに息を吸い込んで、「あと、あの……」と唇に声を送る。


「記憶の件、できれば断らせてください」


 口にしたのは、もう望まないようにするため。


 真剣な面持ちでほたるがそう告げれば、エルシーは少しだけ眉根を寄せて、しかしすぐに「そうか」といつもの穏やかな声で言った。


「ならスヴァインが黒い谷と口にしたのはノエからの情報ということにして、それらしいところを探してみるか」

「迷惑かけてごめんなさい」

「ほたるが気にすることじゃないよ。さて、もうそろそろ休憩もおしまいにするか」


 そのエルシーの声には気遣いが含まれていた。こちらに深入りしせず、だが気を紛らわそうとしてくれているかのような態度。

 エルシーがそうしてくれることにほたるは内心で感謝して、疲れた身体を叱咤して動き出した。

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