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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後篇】最終章 がらくたの葬送曲
145/200

〈19-5〉ノエで良かったよ

「……離れても良かったの?」


 手は打てたのに、それをするつもりはなかった。ならばノエは自分から別離を望んだことになる。

 ほたるが眉尻を下げれば、ノエは苦笑しながら彼女の頬に手をやった。


「ほたるが俺のこと恨むならね。そんな相手の存在なんて感じたくないでしょ」

「っ……なんでそうやってまたこっちを優先するの」

「してないよ。今のは建前」

「じゃあ……本音は?」


 何か辛いことを言われるのだろうか。二度と会えないことを望むほどの何かを、自分はまたしてしまっていたのだろうか――ほたるが不安に身構えていると、ノエがにっこりと笑った。


「俺を恨んだほたるが俺から離れて、俺以外の誰かと仲良くするとこ見たら気が狂いそうだったから」

「…………」

「俺、ちょっと愛が重いタイプみたい」


 爽やかに、にこやかに。その顔の造形をふんだんに活かした綺麗な笑みを見て、ほたるはそっとノエにくっついていた身体を離した。


「なんで距離取るの」

「……ヤバい人だと思ったので」

「みんなこんなモンだよ」

「違うと思う」


 ほたるが真顔で言えば、ノエは「えー?」と笑った。これは自覚があるらしい――相手の反応にほたるは半眼になって、しかし同時に疑問を抱く。


「ってことは、私がノエを恨んでないって分かったからやることにしたの?」

「まあね。あそこまで言ってもらったらやるしかないでしょ。もうほたるの記憶に手を出したいと思うこともないだろうしね」


 そこまで言って、ノエがふうと息を吐く。「でも我ながら馬鹿だなァとは思ったよ」続けた声はその内容どおりの響きで、表情もまた自分自身に呆れていると感じさせるものだった。


「ほたるはあくまで俺に保護者を求めてるんだと思ってたから、俺もそう振る舞い続けなきゃいけないんだろうなって。そうと分かっててなんで自分からしんどい方行くのかなって自分で自分に腹が立ったよね。けどまァ、保護者なら堂々とほたるに近付く奴追い払えるし、それにそのくらいの距離感じゃないとまたほたるのことどこかに閉じ込めちゃいそうだったから、仕方ないかって納得したけど」

「あの、前半はいいんだけど……後半が不穏で怖い」


 そんなに想ってくれていたのかという嬉しさは、後半の内容で一気に霞んだ。流石に本気で言っていないだろうとは思うものの、しかし前科があるせいでノエならやりかねないという不安もある。

 そのせいでほたるが頬を引き攣らせれば、ノエは「ちょっと愛が重いだけだよ」とまた綺麗に笑ってみせた。


「そうやって笑えば誤魔化せると……ん?」


 ノエの行動に苦言を呈そうとした時、それよりも気になることがほたるの口の動きを止めた。


「……今って、保護者?」


 保護者ならばノエは自分を閉じ込めない。けれど今の自分達の関係性はそれとは違うように思う。

 これはまだ、閉じ込められる可能性があるのだろうか――不安になってほたるが尋ねれば、ノエは一瞬だけぴたりと止まって、しかしすぐに口を開いた。


「本気で言ってる?」


 そう小首を傾げたノエの表情は、先程と全く同じ笑み。だが、妙に圧がある。


「いや、ただの確認で……」

「俺とほたるが恋人同士って?」

「こっ!?」

「まさか違うなんて言わないよね?」


 ほたるの心臓が早鐘を打つ。恥ずかしさではなく、焦りで。

 恋人同士と言われたことはいい。恥ずかしいが、嬉しい。ただ、ノエの纏う雰囲気がいけない。ここで間違えた返答をしてはきっと閉じ込められると、ほたるは慌てて「い、言わない……!」と首を振った。


「そう? なら良かった」


 満足そうなノエを見て、助かった、と胸を撫で下ろす。しかしまだ問題は解決していない。


「あの……確認したかったのはそっちじゃなくて……その……保護者じゃなくても閉じ込めない……よね?」

「牢はやめるから大丈夫だよ」


 相変わらず綺麗な笑みのまま言われて、ほたるの目がゆっくりと左右に泳いだ。

 これは喜ぶべきなのだろうか。閉じ込められることは一旦受け入れるべきなのだろうか。だがやはり閉じ込められるのは嫌だし、良くないことだとも思う。


 ほたるが内心で葛藤していると、ノエはおかしそうに笑いながら「冗談だよ」とほたるを抱き寄せた。


「だ、だよね。よかった……」

「言ったでしょ、もう間違えないから安心してって。閉じ込めたくなったらほたるが自主的に引き籠もってくれるように説得するから」

「……それだと何も変わってなくない?」

「全然違うよ」


 そうだろうか――ほたるの眉がうんと寄る。更にノエが「あれ安心感凄いんだよね」と言うものだから、「癖になってるじゃん……」と呆れ果てるしかなかった。


「だから昨日ほたるが頑張ってくれて助かったよ。お陰で俺今すごく幸せ」

「っ……それは、良かったです……」

「そこは『私も幸せ』って言うとこでしょ。じゃないと俺が一人で浮かれてるみたいじゃん」

「浮かれてるの?」

「浮かれてるでしょ、どう見ても」


 顔に笑みを湛えながらノエがほたるを見る。その笑みはそれまでのわざとらしいほど綺麗なものでも、いつものへらりとしたものとも違った。

 先程から時折ノエが見せるそれは、彼が心底嬉しそうだとほたるに感じさせるもの。そこに幸せだという言葉まで追加されたものだから、ほたるまでつられて同じような表情になる。


 ああ、昨夜の選択は間違っていなかった――胸の奥から溢れ出す感情にほたるが身を委ねかけた時、その選択をした時のことを思い出した。


「……あれ?」


 感じたのは、違和感。一体これは何なんだと、記憶を辿りながら疑問を口に出す。


「今の話だと、ノエって私に安心してって言った時にはもう取引撤回するって決めてたってことだよね?」

「そうだよ」

「でもその後、最後だからって話しなかったっけ?」

「……したね」


 ノエの目が、気まずそうに明後日の方向を向く。その理由はほたるにも分かった。これが違和感の正体だ。


 ほたるにとって、昨日の流れは全て二度と会えなくなることが前提だった。しかし一方でノエには違ったのだ。確実ではなかったから黙ってくれていたことは理解できるし、有り難いとも思う。だが、問題はそこではない。


 最後だと思ったから、自分はノエを求めたのだ――その事実を思い出すと、ほたるの顔が羞恥に歪んだ。


「ッ、騙した! は、初めてだったのに……!!」


 何が、とは言えないものの。しかしノエには昨夜伝えている。その上で彼は別離を防げる可能性があると明かさなかったのだ――決死の覚悟の陰に隠れていた恥じらいが怒涛の勢いで戻って来る。

 不埒、ふしだら、はしたない。

 なんて恥知らずなことをしてしまったのかとほたるが目に涙を溜めると、ノエは「だってあんなふうに言われたら我慢できるワケないじゃん」と口を尖らせた。


「それに俺ちゃんと言ったよ、『後で怒らないでね』って。あと最後だからってだけならやめときなとも言った気がする」

「言っ……てたけど! そんなのあの場で分かるわけないでしょ!?」

「ってことは、最後じゃなかったらああはならなかったってこと?」

「っ……それは……その……タイミング次第と言うか……」


 ほたるがもごもごと答えれば、ノエは「ははっ!」とそれはもう楽しそうに笑った。


「笑いすぎ」


 ムスッと顔をしかめ、ノエに寄りかかる。「怒ってるんじゃなかったの?」意外そうなその声を聞きながら、ほたるは「……保護者じゃなくなったからいい」と相手の肩に顔を埋めた。


「卑怯なことしたのに?」

「……前向きに考えることにした」

「前向き?」

「ノエに騙されなくなったら私は一人前」

「ほたるの中でどれだけ俺はろくでなしなの」


 困ったように言いながらも、ノエが否定することはない。その反応にほたるが思い出したのは、エルシーの言葉。


『あいつはな、お前が思っている以上に厄介だよ』


 エルシーだけでなく、麗もまたノエのことをそう考えているのは彼女達の話の流れで分かった。これまでのノエに対する他の者達の言動から考えても、きっと多くの者が同じような認識を持っているのだろう。


 その事実と、ノエが否定しなかったこと。それらがほたるには少しだけ不満で、思わず視界の端に映ったノエの手をそっと握り締めた。


「ノエは良い人だよ」


 ほたるが言えば、ノエが呆れたように「ほたる、俺のこと信じすぎじゃない?」と苦笑した。


「良い人じゃないから捕まったんだけど」

「……仕事だったんだから仕方ないじゃん」

「良い人はほたるのこと閉じ込めないし、騙すようなことして手を出さないよ」

「それは……そうだけど……でも、不満なだけでそこまで嫌じゃなかったし……」


 ノエが自分を牢に閉じ込めたのは、この身を守るため。騙されたのは不服だが、それは後押しとなっただけでいずれ望んでいたことだろう。

 ならばそれらのノエの行動は彼を貶めるものにはならない。他でもない自分が問題ないと思っているのだから、ノエにすら違うと言われたくない。


「……ノエは良い人だもん」


 不貞腐れるように言いながら握った手に力を込めれば、小さな溜息のような吐息が聞こえた。


「今ならまだ逃げられるよ?」


 静かな声でノエが問うてくる。


「これから俺がほたるにすることは変えられるけど、今までしたことは変えられない。他に頼る人がいなくて考えないようにしてただけなら、もうその心配もないしね。アレサの手も借りられるし、ノストノクスだってほたるのことは狙わない。だから……」


 ノエの言葉がほたるの胸を締め付ける。それが突き放すためではなく、自分を想ってのものだと分かったからだ。そうでなければ、この手の中にあるノエの指が強張ったりはしないだろう。


 やっぱりまだ、こっちを優先してる――それは悔しくて、けれどどこかおかしかった。自分が何も変わっていなかったように、ノエもまた変わっていない。自分ほどノエには変えたいという気持ちはないのかもしれないが、お互いそれで痛い目を見たのにそこを直せないのは、やはりなんだか面白いと思う。


 そして、愛おしい。


「ノエで良かったよ」


 人はきっと簡単には変われない。お互いを完全には理解し合えない。頭では相手の言い分が理解できても、必ずしもそれを汲み取った行動ができるとは限らない。


 けれど、伝えることはできる。


「あの時、私のとこに来た執行官がノエで良かった」


 埋めていた顔を上げる。ノエを見つめる。驚いたように自分を見てくる彼に、言葉を尽くす。


「確かにノエと出会う前の生活には戻れなくなっちゃったけど、失くしちゃったものもあるけど、だけどそれだけじゃないから。全部変わっちゃったけどさ、変わんなきゃきっと何も知らないままだった。お父さんのことも怖いって思ったまま、自分が操られてることも知らないまま、お母さんと一緒に帰ってこないお父さんを待って暮らしてたんだと思う。もしかしたら何回も知らないうちに記憶だって消えてたかもしれない。全部が全部良いことばっかじゃないけど、でも……ずっと偽物の人生を生きるよりよっぽどいい」


 父に愛されていなかったという劣等感と、母から父を奪ってしまったという罪悪感。それらに苛まれながら生きる人生は、幸せになれてもどこかにしこりの残るものだっただろう。

 両親を失ったことは辛いが、あのまま生きていたらこの辛さは感じられなかったものかもしれない。辛さの分だけ幸せだったという証になるのなら、この喪失感すらも両親からもらったものがそれだけ大きかったのだと、いずれ愛することができるかもしれない。


 そして、自分にそう思わせてくれたのはノエなのだ。ノエの行動がこの命の価値を自分に教えてくれたから、これまで当たり前に享受していたことすらも大切に思える。


「だから逃げないよ。いたい場所がノエのとこなんだから逃げる必要ないもん。言ったでしょ? 私、ノエのこと好きだよって」


 ノエの両頬に手を当てながら、しっかりと伝える。本当はもっと別の好きを伝えたかったけれど、それをはっきりと口にするにはまだ自分は子供すぎる。

 そんな自分自身にまた情けなさを感じたものの、勢いで適当な言葉になってしまうよりよっぽどいい。この感情は大事にしたい。大事に伝えたい。


 そんなほたるの気持ちが伝わったのか、ノエの顔にはあの笑みが浮かんだ。少し細められた目が、愛おしげにほたるを見つめる。ゆっくりと瞬きをして……そして、ジト目になった。


「それ、父親と同じ〝好き〟の流れじゃなかったっけ」


 ぼそりと、不機嫌そうに。思わずほたるが視線を彷徨わせれば、ノエの眉間に力が入った。


「さっきなんで話逸らしたんだろって思ったけど、まさかそういうこと? ほたるの中で俺と父親は同じ括りなの?」

「違っ……!」


 それだけは違うと慌ててノエを見る。その彼はニマッと笑っていて、「どう違うの?」と勝ち誇ったようにほたるに問いかけてきた。


「……分かってて言ってるでしょ」

「まさか。本当に分からないから説明して欲しいだけだよ」

「絶対に騙されない!」


 大声を張り上げるほたるに、ノエが笑う。その楽しそうな顔を見ていたらほたるもおかしくなって、一緒になって笑いながら相手の胸に飛び込んだ。

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