〈19-2〉けど筋は通すよ
身支度を済ませると、ほたるはノエと共にノストノクスへと足を運んだ。
ここでいいのだろうか――疑問に思ったのは、クラトスもまた公式発表では犯罪者だから。
それに、いつの間に時間や場所が決まっていたのかも気になる。昨日麗が言っていたのは明日、つまり今日話し合いの場を設けるとのことだけだったが、ノエが詳細を気にする様子は一切なかったからだ。
それなのに当然のように時間を知っていて、更には場所も迷ったようには見えない。こういう話し合いの時の特別な決まり事でもあるのかと思ったが、ほたるがそれを尋ねることはなかった。このことに気付いた時にはもう、その場所に着いていたからだ。
先日アレサと話した時のような、ノストノクスの隠し部屋。そこに目隠しをしたクラトスと麗、そして目隠しはしていないが何故かエルシーまでもがいて、遅れてやってきたほたる達を出迎えた。
「エルシーさんも……?」
ほたるがやっとのことで疑問を一つだけ口にすれば、エルシーがふわりと微笑んだ。
「ノエはノストノクスに所属していて、ほたるも表向きはアレサ様の子だからな。ノストノクスの者としても、アレサ様の系譜の者としても、この場で起こることは見届けたい」
エルシーはそこまで言うと、この部屋で唯一座っているクラトスに目を移した。
「先程も説明したが、この部屋では私、ノエ、そしてクラトスと麗――以上四名の職権は働かないものとする。だからこの場で私がお前を捕らえることはないし、取引の内容にも口は挟まない。友人としてノエに同席を頼まれたことは事実だが、どちらかが優位になるような言動をすることもない。いいな?」
「ああ、構わない。むしろ神納木ほたるが自分の意思でこちらに付いたと証明してもらえるのならありがたい。でなければノストノクスは更に私の罪を増やすだろうからな」
クラトスは頷くと、顎をクイと動かして自分の対面のソファを示した。「偉そー」文句を言うノエに促され、ほたるもそのソファにちょこんと腰を下ろす。
いつの間にエルシーと話したのだろうか――ノエに同席を頼まれたというエルシーの言葉を聞いてほたるは気になったが、口を挟める雰囲気ではない、とごくりとそれを飲み込んだ。
現に隣に座ったノエを見たが、目が合うことはなかった。彼は向かいに座るクラトスを見ているからだ。そして麗はクラトスの後ろに控え、エルシーは部外者だと示すように少し離れた位置まで下がった。
「私に文句があるそうだが?」
クラトスがノエに向かって口火を切る。目隠しをしているが、その目がノエを見据えているのが分かる。
そうされたノエはどっかりと背もたれに寄りかかると、「うん、めちゃくちゃある」と吐き捨てるように言った。
「それを聞いたらノクステルナから出て行ってくれるそうだな」
「あァ、それね――」
二人の会話を聞きながら、ほたるはぐっと奥歯を噛み締めた。
そうだ、この話し合いが終わればノエとはもう離れなければならなくなる。それを改めて突きつけられて、ほたるが呼吸を止めかけた。その時だ。
「――やっぱナシで」
あっけらかんとしたノエの声が部屋に落ちた。「何?」クラトスが訝しげに問い返す。ほたるもまたどういうことだと慌てて顔を上げて、「ノエ、何言って……!」と隣を向いた。
「話が違う! そんなことしたら……っ」
ほたるが言葉を止めたのは、その先をノエには言いたくなかったから。この話を拒めばクラトスに命を狙われるのだと、ノエには言いたくない。
しかしノエは慌てるほたるに「ちょっと待っててね」といつもの笑みを向けると、「だっておかしいじゃん」とクラトスに向き直った。
「麗使って俺とスヴァインの争いを止められたら、ほたるがそっちに行くって約束なんだろ?」
「ああ。こちらは約束を果たした。次はそちらの番だ」
「俺らの争い止めたの、麗じゃなくてほたるだけど。スヴァインとほたるの間で話はまとまってた」
「しかしそれでも解決したことは事実だろう。彼女の望みどおりお前は生きている」
「やったことに対して取りすぎだろって話だよ」
ノエはそこまで言うと、嫌そうにクラトスの背後へと視線を動かした。
「麗なんてちょこっとほたるの手伝いしただけだぞ? その証拠に一切怪我してないから、そいつ。俺もほたるもボロボロなのに一人だけ無傷だったから。それでほたる掻っ攫って俺のこと追い出そうとするとか欲張りすぎ。せいぜい何回かほたるに何かを協力させるってくらいだろ」
「横から口を挟むな。あくまでこれは私と神納木ほたるの取引だ。お前に不満があろうと、取引自体に口を出す権利はない。お前の行動を制御するのはあくまで彼女の役目なんだからな」
「ほたるが制御しきれなかったら? 俺を殺して自分に都合の良い状況を作るのか?」
その言葉に反応したのはほたるだ。ぎくりと小さく肩を跳ねさせ、ノエを見る。そのノエの目は、やはりクラトスに向けられていた。ほたるの位置からでははっきりと表情は分からないが、しかし瞳に怒りを湛えているのは感じ取れる。
「どうせほたるにもそう言って脅したんだろ」
いつもよりも幾分か不機嫌な声に、ほたるはノエに全て気付かれていたことを知った。
「じゃなきゃこんな無茶な条件、いくらほたるでも呑むワケがない。明らかに自分じゃ手に負えないことまで含まれてるのに了承したのは、お前がほたるを怯えさせて冷静に考えられないようにしたからじゃねェの? 何回この子を脅せば気が済むんだよ」
「脅しじゃない、実際にそうするつもりだった。何の問題がある? 文句でも言うか?」
クラトスが不敵に笑う。彼がそうする理由は、ほたるにも分かった。たとえあれがノエの言うとおり脅しだったとしても、それを知られたくらいでは何の問題にもならないのだ。結局、クラトスと取引をしたのはノエではなく自分。ノエが不満を訴えたところで、取引自体を覆す理由にはならない。
ほたるが現実を思って顔を俯かせると、「いや?」とノエが否定する声が聞こえてきた。
「文句言うんじゃなくて、自白することにした」
「自白?」
「そう、自白。俺はアイリスの指示下で大勢殺した。噂になってる同胞殺しは俺ってね」
その言葉の意味を、ほたるが理解する時間はなかった。
「――聞いたな?」
突如エルシーが口を開いた。途端、部屋のドアが開け放たれる。そこから入ってきたのは目隠しをした数名の男達。その中にはニックの姿もあった。彼らは部屋に入るとノエを立たせ、乱暴にその腕を背中に回して手枷をかけた。
「エルシー=グレース、貴様……!」
クラトスが声に怒りを滲ませる。だがエルシーは涼しい顔をして、「私は外の連中に質問しただけだ」と笑った。
「それに捕らえないと言ったのはお前のことだけ。人の話をよく聞いていない方が悪い」
エルシーに続いて、ノエが「そういうこと」とクラトスに嘲笑を向ける。
「罪人を捕らえず裏で処刑するってやり方に不満を持ってたお前が、まさか罪人の俺を殺すワケないよな? 言行不一致なんてお前の信条に反するし、仲間内の信用も失う」
ニヤリとノエの口端が持ち上がる。一方でクラトスの顔は一層険しくなった。「お前……」忌々しげにこぼす相手にノエは相変わらず笑顔のまま、「油断する方が悪いんだよ」と続けた。
「これでお前が俺を殺せなくなったのはいいとして、お前の方はちょっと困るんじゃねェの? 知ってのとおり序列最上位の裁判はめちゃくちゃ面倒臭い。何せ自分の意思かどうか命令で聞き出そうにも、聞き出せる奴がいないからな。ま、そのために相当俺は痛めつけられるんだろうけど……そしたら辛すぎて口が滑るかもしれない。誰かさんがスヴァインと長年結託してたとか、余所の種子持ちを無理矢理発芽させただとか――」
ノエの目が、愉快そうに弧を描く。
「――同胞殺しの逃亡に手を貸そうとしただとか?」
至極おかしそうにノエが言えば、クラトスがギリと奥歯を噛み締めた。
「お前の追放をそう取るか」
「見方の問題だよ。でもま、ここでのやり取りは聞こえてただろうから、こいつらも詳しく聞きたいんじゃない?」
こいつら、とノエが目で示したのは執行官達だった。「俺はいくらでも話していいんだけどね?」挑発するように言って、「けど筋は通すよ」とクラトスに視線を戻す。
「俺の血で苦しんでたほたるを助ける協力をしてくれたことには感謝してる。お前からすりゃァまだほたるを利用するために助けたんだとしても、あれで早く治ったのは事実だし。ってことで、その分の礼はしてやろうかなと」
ノエの言葉に、クラトスは「どうせろくなことじゃないだろう」と唸るようにこぼした。目元は目隠し布で隠されているというのに、それでも彼がノエを睨みつけていることが分かる。しかしノエはそんな相手にへらりと笑うと、「そう?」と首を傾げた。
「色々と黙っててあげるよって話をしようと思ってたんだけど」
「条件があるんだろう?」
「当たり前じゃん。あくまで提案することが礼で、内容は別だから」
ノエはそこで言葉を切ると、スッと表情を変えた。相変わらず笑みは浮かんでいるが、いつもの笑い方ではない。妖しく、そしてどこか剣呑さを感じさせる冷たい目でクラトスを見据え、「ま、断らせないけど」と唇を動かした。
「ほたるとの取引は忘れろ。そうすればノストノクスがまだ把握してないことは黙っといてやる。今回お前がほたるにしてやったことを考えれば、これくらいが妥当だと思うけど?」
ノエの言葉にクラトスが押し黙る。そんな彼を見て、ノエが「あ」と思い出したように声を上げた。
「一応言っとくと、面倒臭くてノストノクスに報告してないことはたくさんあるよ。お前が同胞殺しの騒ぎに乗じて、青軍の連中を怒らせそうなことをしてきたのも知ってる。ってことも踏まえると、妥当どころかお得だと思わない?」
「ッ、お前……」
そこでやっと、クラトスが動揺を見せた。その反応にノエがニヤリと笑う。「具体的に言おっか?」畳み掛けるように続ければ、クラトスは「黙れ」と言い放って、そのまま大きな溜息を吐き出した。
「……クソガキが」
忌々しげな声が二人の間に落ちる。その声にノエは満足げな顔をすると、「若いから頭が柔らかいんだよ」と笑った。




