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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【前篇】第二章 波間の呼吸
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〈6-1〉夜は青いんだよね

 ノエと押し問答する気力のなかったほたるは、言われるがまま大人しく浴室に戻った。日本とは違い浴槽の中でシャワーを浴びなければならない風呂だったが、水圧も湯の温度も問題なく、更には備え付けられていたシャンプー類も充実していたため、快適に身体を洗い流すことができた。

 ほたるが困ったのは、バスローブを着た後のことだ。


「ドライヤー……あ、電気ないんだっけ」


 いくら探してもドライヤーが見つからない。よく見ればコンセントを差し込む穴すらない。そこでようやくほたるは電気がないことを思い出すと、おや、と首を捻った。

 電気がないことを忘れていたため気にならなかったが、浴室の明かりは蝋燭ではなかったのだ。これは一体なんだろう、と照明器具のガラスの中を覗き込めば、中には小さな石のようなものがあった。そして、その石が光を放っている。蝋燭の火のような、赤く優しい光だ。これは電気ではないのかとほたるはスイッチを探してみたが、結局見つけることはできなかった。

 なんだかよく分からないが、やはり電気はないのだ。やっと諦めがついたほたるは、髪の問題と向き合うことにした。


「……タオルいっぱい使っちゃお」


 ほたるの髪は長い。だからバスタオル一枚では到底乾かすことはできない。幸いにもタオルはたくさん用意されていたし、中には吸水性に優れたものもある。そうしてどうにか半乾きと言えるところまで髪を拭くと、浴室に入る前にノエから預かった紙袋の中に手を入れた。



 § § §



 着替えを終え、部屋に戻る。すると相変わらずソファに座ったままのノエが「終わった?」と見てきたため、ほたるは「終わった、けど……」と自分の着ている服を示した。


「これ……普段着にしていいやつ?」

「普段着じゃない? カジュアルだし。持ち主が着てるとこ見たことないけど」

「やっぱ大事にしてるやつなのかな? 凄く高そう……」


 ほたるが着ていたのは黒のワンピースだった。上はぴったりとしたトラックジャケットのようになっているが、腰から下は少しガーリーな膝下丈のスカートになっている。上半分のデザインのお陰でカジュアルには見えるが、ドレスとしても着られそうなくらい綺麗な形をしていた。

 それに、タグに刺繍されたブランド名はほたるも薄っすらと聞いたことがあった。確かかなりのハイブランドだったはずだ。カジュアルなものを上品に見せるデザイン性も、そしてその着心地も、ほたるが普段着るような服とはまるで違う。これ一枚で着られることは助かるが、汚してしまいやしないかと気が気じゃなかった。


「そんな気にしなくて大丈夫だよ。エルシー金持ってるし、最悪経費で弁償もできるし。つーかそもそも貸したものが多少汚れるのは想定内でしょ」

「経費……」

「そ、経費。だから個人の懐は痛まない」


 そう言われるとほたるの気持ちも少しだけ楽になる。エルシーという人がこの服を貸してくれたのだろうか。ならばいつか会ったらお礼を言わねばと思いながら裸足でソファの方へと歩いていく。そして手に持っていたタオルで足裏を軽く拭いてから、ノエの用意したあのぶかぶかのスポーツサンダルに足を入れた。


「……本当に汚れるの気にするんだ」


 ノエが変なものを見たとでも言いたげな声で言う。その声にほたるが「そう言ったじゃん」と不満げに返せば、ノエが肩を竦めてほたるを部屋の外に促した。


 部屋を出て鍵を閉めて、昨日通った廊下を歩く。周囲にひとけはない。「誰もいないの?」思わずほたるが尋ねると、「人口密度の問題かなァ」とノエが答えた。


「いるっちゃいるんだけど、基本みんな部屋で仕事してるから。しかもこれだけ広いとあんますれ違わないのよ」

「……ならそんなに危なくない?」

「人目がないって、助けてくれる人もいないってことだけど」

「あ、そっか」


 確かに、とほたるが頷く。ノエと同じ立場の者であれば助けてくれるだろうが、襲われた時に彼らが近くにいる可能性が低いのであれば、その助けが期待できない。

 これはもう少し詳しい話を聞かなくては、と考えながら歩いていると、大きなサンダルがずれてカクッと躓いた。


「っ、わ!」

「おっと」


 倒れかけたところをノエに支えられる。「あ、ありがとう」言いながらほたるは自分の足元を見つめると、「あのさ、」とずっと思っていたことを口にすることにした。


「エルシーさん、だっけ? この服貸してくれた人に靴は借りれなかったのかな。捨てるくらいボロボロので構わないんだけど、その……借りてる身で申し訳ないんだけど、これ大きすぎて歩きづらくって」


 それでもどうにか頑張って歩いていたが、実際に躓いてしまうともう駄目だった。ありがたさは感じているし、贅沢を言える身ではないだろうということも分かっているが、他にもう少しなかったのかとどうしても思ってしまう。


「それねェ。俺も聞いたんだけど、あいつ(たっか)いヒールがついてる靴しか履かないのよ。ンでほたるは足のサイズが自分より結構小さいから、そんなの履かせたら絶対怪我するって言ってた」

「おおう……」


 ぶかぶかのぺったんこなサンダルと、ぶかぶかのハイヒール。そのどちらが安全かはほたるにも分かった。そもそもほたるはハイヒールを履いたことがない。三、四センチくらいのヒールで足が疲れてしまうから、そんなものは履けないと挑戦したことすらなかった。


「転ばないようにする……」


 足元を見ながら、どうすれば転びにくいだろうかと考える。大きすぎて足が動いてしまうのだから、動かないようにできないだろうか。紐か何かを使って、サンダルと固定して――と考えていると、「そういやほたるさ、」とノエが思い出したように言った。


「なるべく道は覚えるようにしてね。いざと言う時逃げ込めるように」

「…………」


 何故今更言うのか――軽く周りを見渡して、既に知らない場所にいることに気付き、ほたるの表情が硬くなる。


「もしかして方向音痴? なんか目印増やしとこうか。代わり映えしなくて覚えづらいでしょ」

「それは……大丈夫」


 意識していれば覚えられなくはないはずだ。そう思いながら改めて目印を探していると、少し離れた場所に大きな窓を見つけた。

 吸血鬼なのにカーテンをしなくていいんだとぼんやり思って、しかしその先に見える景色に違和感を抱く。


「あの、空が……」

「ん?」

「空が、あ、赤……!」


 窓の外は赤かった。夕焼けかと思ったが、それとは明らかに違う。夜と同じくらいに暗いのに、夜にはないはずの赤い光が空から降り注いでいる。言うなれば、赤い月明かり。ほたるの位置から月は見えないが、光の強さはそれよりもやや強いくらいに感じる。

 驚きなのか困惑なのか分からない感情のままほたるが問えば、ノエが「あァ、昼間だから」と当たり前のように答えた。


「『昼間だから』?」

「夜は青いんだよね」

「何言って……」


 一体この人は何を言っているのだろう。そう疑問に感じると同時に、別の疑問が頭に浮かんだ。


「あの、ここ、日本だよね?」


 ほたるが恐る恐る尋ねると、ノエが「あ」と忘れていたと言わんばかりの顔をした。


「そういやまだ言ってなかったっけ。ここは日本じゃないよ。ていうか、ほたるの知ってる世界とはちょっと違う場所っていうか」

「……は?」


 この人は何を言っているのだろう――さっき抱いたばかりの感想が、再びほたるの中に満ちる。

 人間でないことは認めた。吸血鬼だということも、決定打さえあればきっと認めるだろう。けれどこれは別だ。自分の知っている世界とは別だと言われても、別の種族がいるということ以上に突飛な話を信じられるわけがない。

 けれど、ノエは当然のように口を動かし続けた。


「俺らはノクステルナって呼んでる。ほら、あの世とか異界とかっていうじゃん? ああいう感じ。夜しかないんだよ」

「あの世!?」

「あ、あの世は例ね。別に誰も死んじゃいないよ。じゃなきゃお腹鳴らないでしょ」


 何を言ったらいいか分からなかった。ノエの話が突飛なこともそうだが、信じる根拠も不十分。確かに空の色はおかしいが、現代技術を使えばそう見せかけることくらいはできそうだとも思えてしまう。

 だがどういうわけか、ほたるにはノエが嘘を言っているようには思えなかった。


「日本からどれくらい……?」

「さあ? 電車とか車で行き来するワケじゃないから」

「ならどうやって、」

「それは追々ね。分かったところでほたる一人じゃ移動できないよ」


 釘を刺すようにノエがほたるの問いを遮る。ほたるはその真意を探ろうとノエの目を見つめてみたが、にっこりと笑みを返されただけだった。


 これは多分、分かってやっている――考えの読めない態度にほたるの口中が苦くなる。もしかしたらこのノエという男、相当な曲者なのではないか。常にへらへらとしているが、どこまでが本気かまるで分からない。


「なあに? ほたる俺の顔好きなの?」

「は!? ばッ……そんなことない!!」


 甘やかすような微笑みで問われ、ほたるの頬がカッと熱を持った。

 これは凶器だ。じっと目を見つめられ優しく微笑まれ、ついでに首まで軽く傾げられたらいくら見慣れてきたとはいえ破壊力が高すぎる。

 腹立たしいのは、この男は自覚した上でやっているのだろうということ。その証拠に慌てふためく自分を見てけらけらと笑っている。


 これは何か言ってやらねばとほたるが息を大きく吸い込んだ時、ノエが「そんなことよりほたるさ、」と涼しい目を向けた。


「部屋からの道、本当に覚えてる?」

「あ……」

「ま、帰りに復習しよっか。ちょうどもう着くしね」


 ノエの言葉にほたるがそういえば、と空気の匂いを嗅ぐ。色々とあって意識から逸れていたが、少し前から良い匂いがしていたのだ。


 しかし、吸血鬼ならば食糧は血液では?


 疑問に思うほたるを大きな扉の前に立たせ、横に並んだノエが扉を手で押して開ける。


「お先にどうぞ? お嬢さん」


 そうして示された先には、広い空間が広がっていた。

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