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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後篇】最終章 がらくたの葬送曲
134/200

〈17-2〉君も良い匂いがする

 遠い昔、欧州のどこか――


 ある集落の広場に人々が集まっていた。その中心にあるのは、横たえられた青白い遺体。血液は一滴も残されておらず、首には牙のような咬み傷がある。


「また亡霊だ」


 群衆の中で、誰かが言った。するとその中心に初老の男が進み出て、「討伐隊を組め」と周りに目をやった。


「こうも頻繁に黒い谷から出てくるんじゃそのうち集落が滅びる」


 その呼びかけに、別の男が「無駄だ」と声を発した。


「これまで一度も成功していないだろう。また全滅して終わりだ」

「ならここで奴の餌になるのを待っていろと言うのか?」

「あの亡霊は陽の光を嫌う。なら夜は外に出ないようにするか、もしくはこの地を捨て、谷から離れるべきだ」

「何故我々が逃げなければならない!?」


 初老の男が声を荒らげれば、周りは彼と同調するように敵意を口にし始めた。そんな人々を見て、止めようとしていた男が顔をしかめる。そんなことができるはずがないと言いたげな彼に目を向ける者は、一人もいなかった。


「討伐隊に選ばれた者は家族に別れを告げろ。生きて帰りたいだなんて甘えを持っていたら討ち取れるはずがない」


 初老の男はそう言うと、群衆の中の屈強そうな者達を順々に見て、ゆっくりと頷いた。


「明朝、谷に向かう。今度こそあの亡霊を地獄に送り返してやる」


 翌日、その言葉どおり一〇名近い男達が討伐隊として黒い谷に向かった。その中には、止めに入ろうとした男の姿もあった。

 そして谷に着いてすぐ、その男だけになった。


「――人間が……何故……」


 男が驚愕に目を見開く。彼以外の討伐隊の者達は、ものの数分で全滅した。目的の亡霊ではなく、亡霊と共に現れた二人の男達の手によって。

 そしてその男達は今、討伐隊の首に食らいついていた。血を食らうのは亡霊だけのはずなのに、人間にしか見えない者達が目の前で人間の生き血を啜っている。


 男が混乱で動けずにいると、その視界の端で白い何かが動いた。


「君も良い匂いがする」

「っ……!!」


 咄嗟に手に持っていた武器を振るう。その刃は頭らしきものを確かに斬り落としたが、すぐに同じ形のものが傷口から生えてきた。


「なっ……」


 男の身体から自由が消える。最後に見たのは、毒々しいくらいに美しい紫色。


「私の子におなり」


 首筋に痛み。だがそれが何にもたらされたものなのか理解する前に、男の意識は暗闇に沈んだ。



 § § §



『――アイリスは人間でも吸血鬼でもない。ただの化け物だ』


 その言葉をほたるはすぐに飲み込むことができなかった。吸血鬼の存在はもう当たり前のものになっていたが、やはりそれ以外は違う。自分の常識にない生き物がいるだなんて簡単には信じられないし、それが吸血鬼達と関わりのある――それどころかその根源とも言える存在であるなら尚更だ。


「化け物……?」


 だから、ほたるが返せたのはそれだけ。相手が何を言っているのか分からないのだから、聞いた単語を繰り返すことしかできない。

 だがスヴァインがそれを咎める様子はなかった。傷のせいで時折痛みを逃がすような深い息を吐き出すが、そこに苛立ちはない。むしろ傷が治ってきているからか、その息すらも最初より軽くなったように聞こえる。

 ほたるが自らの腕にかかる体重が弱まったと感じた時、スヴァインが「人の姿もただの作り物に過ぎない」と話を続けた。


「黒い谷の底から生まれた、生き物の血を食らう化け物。アイリスにとって他の生き物は全てただの餌だ」

「黒い谷……」


 その時ほたるが感じたのは、妙な既視感。見たことがあるのではなく、聞いたことがあるような感覚。


「黒い谷の、かいぶつ……」


 無意識のうちに声がこぼれる。だがそれが何なのか、口にしたほたるにも分からなかった。自分の声を聞いたから音として処理できるだけで、その意味も、何故自分がそんなことを言ったのかすらも分からない。

 しかしスヴァインは違った。ほたるが呟いた途端、驚いたように顔を上げたのだ。けれどすぐに小さく息を吐いて、「ああ、怪物だ」と低い声で言った。


「己の血族ですらアイリスにとっては餌と同じ。気に入った血をいつでも食えるようにという理由だけであいつは血族を増やす……あの小僧はそれとは違う理由みたいだが」


 吐き捨てるように言いながら、スヴァインがノエに目を移す。それにつられるようにしてほたるもまたノエを見た。

 未だ麗に抑えられている彼に、自分達の会話が聞こえているかは分からない。ただ身体の自由を奪われているだけなのか、それともその意識ごとどこか奥深くに追いやられてしまっているのか、ここからでは確認することもできない。

 その姿に改めてほたるが眉根を寄せた時、アイリスが「そんな無差別に増やしていないよ」とおかしそうに笑った。


「その理由で増やしたのはお前達三人だけだ。かなり厳選したし、そのお前達だって長生きしてくれたからね。だから最近は食事が全然美味しくなくて……まあ、ラミアのふりをしていたからしょうがないのだけど。ノエももっと美味しければ良かったんだけどね。能力を優先したらあんまり口に合わなかったんだよ」


 困ったように笑いながらアイリスが首を傾ける。「それに子供達のことも可愛い」慈しむように目を細めて、スヴァインに反論するように話し続ける。


「私の力の片鱗を受け継いだだけなのに気が大きくなってしまうところも、人間を超越したと喜んでおいて、結局人間の頃と全く同じ行動をしてしまうところも。愚かで可愛くて、見ていて実に面白い」


 そこまで言うと、アイリスはふうと息を吐いた。呆れたようとも疲れたようとも取れるその吐息と共に少し遠くを見て、ゆっくりとスヴァインに目を戻す。


「ただ、無駄な殺し合いは駄目。折角共食いしないように刷り込んだのに、あんなことをするなんて……そんなの、かつて私を殺そうとした人間共と同じじゃない」

「あれはお前が人間を食い散らかしたからだ。恐れが攻撃性を助長することくらい分かるだろう」


 スヴァインが身体を起こしながら答える。その背の怪我は話している間にだいぶ回復したらしく、見た目におかしなところはない。何より、ほたるの支えなしでも十分に姿勢を保てている。

 ほたるはその姿に安堵したが、一方でアイリスは訝しげな眼差しをスヴァインに向けていた。


「まるで私に敵意があるような言い方だね? お前は私を愛してくれていると思っていたのだけど」

「ああ、愛している。だが憎しみは消えない」


 スヴァインが言えば、アイリスが笑みを消した。


「だからラーシュとオッドを殺したの? 私が彼らを愛していたから、私の代わりに彼らを殺したってこと?」

「あいつらじゃお前の代わりにはならない。あれはお前が血族の争いを憂いていたからだ」


 アイリスの眉間に皺が寄る。怪訝と、ほんの少しの悲哀と。意外な姿にほたるが釘付けになっていると、近くでスヴァインが言葉を続ける声が聞こえてきた。


「あいつらは何度話しても止まらなかった。お前に長年支配されてきたせいで、命の取り合いにのみ自由を見出していた。その自由を失うことを拒んだ……だから殺した」

「支配だなんて。私はお前達を愛していたし、お前達だって私を愛してくれていたはずだ」

「ああ、そうだ。だがお前の愛は愛じゃない。俺のお前への愛も、本当の愛とは違う。それでも俺はお前を愛さなければならなかった」


 言い終わると同時にスヴァインがほたるに目を向ける。相変わらず無機質な、冷たい目だ。

 けれど、守られたからだろうか。これまでとは違い、ほたるはそれを恐ろしいとは思わなかった。


 視線が交わる。既視感がほたるの思考を止める。この目を、()()()()()気がする。


「…………?」


 それでもほたるには、スヴァインが自分を見てきた理由が分からなかった。何かあるのかと問いたい。だがそれより先に、相手の目がほたるから離れていった。


「本当に俺を殺したいか、アイリス」


 緩慢な動きで立ち上がりながら、スヴァインが問う。


「試されてるのかな?」

「ああ」


 アイリスはその声に再び顔に笑みを浮かべると、「殺すよ」と穏やかに言った。


「火種は消す――それが決まりだ」


 その瞬間、ノエが麗の制止を振り払った。

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