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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後篇】最終章 がらくたの葬送曲
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〈16-3〉逃げる以外もできたのか

 ほたるが牢を出て、クラトスとの話し合いを終えた後のことだ。彼の部下がノエ達の位置を探っている間の待ち時間、取引の内容を思い返していたほたるは、「麗さん」と一緒に待っていた麗に声をかけた。


「あ?」

「スヴァインを脅すのに、何がいいと思いますか」

「……おー、でっかく出たな」


 呆気に取られたように麗が呟く。丸く見開かれた切れ長の目に、ほたるは自分の発言がどんなものなのかを理解した。しかし、撤回する気は起きなかった。


「じゃないとクラトスとの取引が成立しなくなるので」


 そう、問題はそこだけだ。戦力として麗を貸してもらった以上、相手に求められたものを用意しなければならない。用意できなければ、状況は更に悪くなる。

 話し合いに同席した麗もそれが分かっているのか、「確かにな」と頷いたが、「けどノエの方は?」と首を捻った。


「ノエは……お願いしたら、聞いてくれると思います」

「あいつも不憫だな」


 はっと鼻で笑い、麗が考えるように口元に手を当てる。そのままその手で顎を撫でつけて、「ま、方法は一個だけだな」と肩を竦めた。


「スヴァインはもう殺すしかねェだろ。つっても私はあいつを殺すような攻撃はできないからノエ頼みになるけど。未だにあいつの序列が嘘だったってのは信じられねェけど、ジジイが言うならそうなんだろ」

「……脅す話をしてるんですけど」

「分かってるよ。けどスヴァインの奴が何を優先するかを私は知らない。それでも生き物に共通してるのは生存本能だ。生きるか死ぬか選ばされたら、大抵の奴は生きる方を取る。稀に死にたがる奴もいるけどな」

「生存本能……」


 スヴァインが何を優先するのか分からなければ、生きるか死ぬかの二択を突きつけるしかない。それを、ノエに頼らず――考えて、ほたるに一つだけ方法が浮かんだ。


「なら……――――」


 思い付いた内容を麗に伝える。本当にそれでできるか確信がなかったし、何より彼女の協力が必要だったからだ。

 ほたるの考えを聞いた麗はうんと眉をひそめ、「正気か?」と訝しげにほたるを見つめた。


「はい。ノエにスヴァインを殺す気がなかったらそれしかないと思います」

「そりゃそうだけどよォ……けど他人任せっつーか、運任せなとこは変わらねェぞ。スヴァインがどれだけ器用かっつーのもあるし、そもそもお前に気付くかも分からん」

「その時はあの人が死ぬだけです。クラトスへの報酬は支払えなくなりますけど、でもノエは助かる」

「ついでに私への報酬もな」

「あ……」


 言われて、ほたるは自分が失念していたことを思い出した。クラトスへの対価と麗への報酬は別なのだ。

 どうしよう、と眉根を寄せれば、麗が「別にいいよ」と呆れたような溜息を吐いた。


「確かに他に方法がない。ならそうならんように私が頑張りゃいい話だ。しっかしスヴァインは知らねェが、ノエの方は本当に不憫に思えてきたな……――」



 § § §



 スヴァインの槍は、灰色のマントごとそれを着た人物の胸に突き刺さった。

 三叉の穂が刺さった箇所からじわりと血が滲む。それはあっという間に灰色を赤く染め上げて、その胸元に大きな染みを作った。


 風が吹き付ける。マントが捲り上がり、その布に隠された人物の姿が顕になる。

 長い黒髪に、ヒールのほとんどないブーツ。それから、戦うには適さないワンピース。見覚えのある後ろ姿と、そして濃い血の匂いに、その光景を見ていたノエの顔から血の気が引いた。


「ほたる……? ほたる!!」


 気付くやいなや走り出す。だが、そのノエの動きはどこからか現れた麗に阻まれた。


「離せよ! ほたるが……!」

「言い出したのはあいつだ!」

「なっ……」


 ノエの頭が真っ白になる。なんでそんなことを――驚愕のままほたるを見れば、「けほっ……」とむせる音が聞こえた。


「ほたる!!」


 悲鳴のような声になったのは、その音がまるで水中で息を吐き出したような響きを持っていたからだ。続いた呼吸音は弱々しく、ゴポリと水が巻き込まれる音もする。

 しかしそれは、水ではない。ほたるの血だ。胸の傷からの出血が彼女の呼吸を妨げている。そうと分かっても近付けないのは、直前に麗に言われたことのせい。ノエが苛立ちに奥歯を噛み締めた時、ほたるの指先がぴくりと動いた。


「――…………っ」


 ほたるが自分の胸を見て最初に抱いたのは恐怖だった。金属の杭が三本、胸に突き刺さっている。そうと認識した途端、目に涙が溜まった。恐ろしすぎるのだ。いや、痛みのせいかもしれない。経験したことのない痛みのせいで、自分の身体に何が起こっているのか正しく把握することができない。

 痛みに叫びたい。だが息がうまく吸えない。気管に血が溜まっているのは分かっているのに、それを吐き出そうとすれば強烈な痛みが襲うせいで苦しさごと我慢するしかない。


 けれど呼吸は、そう長く止めていられない。


「こほっ……ッ!?」


 身を引き裂かれそうな痛みが胸から広がる。痛みが強くならないように、しかし必死に呼吸するせいで引き攣った呼吸音になる。酸欠なのか痛みのせいなのか、意識が遠のくのを感じると、ほたるははっとして顔を上げた。


 ここで気を失っては意味がない。きっともう、二度目はできない。


「選んで――」


 ゴポリと、血の流れる音と共にどうにか言葉にする。睨みつけたスヴァインの顔は、目に溜まった涙のせいでうまく見ることができない。

 一瞬過った不安は、先程ノエに教えられたもの。スヴァインと話そうとすると、その思考ごとこの記憶が消える。


 けれど、大丈夫。話したいわけじゃない。こちらの要求を伝えたいだけ――ほたるはもう一度目元に力を込め直すと、痛みに耐えながら息を吸った。


「――私と一緒に死ぬか、ノエから手を引くか」

「お前……」


 スヴァインが怪訝そうに呟く。その反応にほたるは自分がきちんと声を発せられていることを知ると、そのまま要求を続けた。


「ノエから手を引いて、それから……二度と、ノクステルナには関わらないで」


 言い終わった瞬間、ほたるは身体から力が抜けるのを感じた。辛うじて立っているようだが、どうして立てているのか自分でも分からない。足の感覚も手の感覚もなく、感じるのは胸に刺さった槍の痛みだけ。

 だがそれもよく分からなくなってきていた。痛いのは確かなのに、何故か遠い出来事のように感じるのだ。視界が暗くなる。音もうまく聞こえなくなってきているとほたるが気付いたのは、スヴァインが口を開いたからだ。


「それはお前が、あの小僧やここの連中と関わり続けるということだろう?」


 冷たい声が問いかけてくる。理解しなければと思うのに、頭が働かない。相手が何と言っているか考えられない。

 しかし、次の言葉はすぐに理解できた。


「なら死ぬか」


 淡々と、迷いなく。その声と同時に槍が動いたのを感じたが、すぐにぷつりと感覚が途絶えた。

 槍の三本の穂先が、突然切り離されたからだ。


「ッ、少しは躊躇えよ!」


 そう声を上げたのは麗だった。彼女の手にはいつの間にかほたるから回収した薙刀がある。振り切った体勢なのは、麗が金属の穂を斬り落としたから。

 麗はそのままほたるを抱えてスヴァインから離れると、ノエの近くに彼女を横たえた。


「ほたる……!」


 ノエがほたるの胸に刺さる杭に手を伸ばす。その手が引き抜く方向に動こうとするのを見て、麗が慌てて「馬鹿か!」とノエを止めた。


「そっちから抜くな! 内臓出て死ぬぞ!!」

「ッ……」


 麗の叱責にノエの手が止まる。ほたるの胸に刺さった三本の杭は、スヴァインが途中で攻撃をやめたからか、貫通はしていない。お陰でほたるの内臓はまだ本来の位置にあったが、だからと言ってそのまま引き抜くことなどできない。そんなことをすれば、先端の返しによって触れた臓器や骨が出てきてしまう。


「これ噛ませろ! 押し込んで背中から抜く!」


 自身のマントをちぎりながら麗が言う。

 傷を悪化させるが、臓器を守るためにはそれしかない――ノエは状況を理解すると、受け取った布をほたるの口に押し込んだ。


「一気に行く。抑えてろよ」


 ほたるの血に触れないよう己の腕にもマントの布を巻き付け、麗は三本の杭にその腕を当てた。そして、ぐいと力を込める。


「ッ、んんんー!!」


 響いたのは、口が塞がれていても分かるほどのけたたましい悲鳴。のたうち回るように暴れる身体をノエが必死に抱き留める。その間に麗が布を巻き付けた手で背中に出た穂を三本とも引き抜けば、ほたるの悲鳴は収まった。

 だが、それは痛みがなくなったからではない。あまりの痛みに気を失いかけているのだ。


「治るよ。骨も内臓も付いてこなかった」


 その言葉にノエはほたるを抱き締めようとして、しかし傷に負担がかかると気付き地面に寝かせた。ぼんやりと開いたほたるの目は何も映していない。口から布を引き抜いても全く反応しない。完全に気を失っているわけではなさそうだが、意識はかなり朦朧としているだろう。


「っ……」


 あまりに酷いほたるの有り様に、ノエの眉間にぐっと力が入った。

 ほたるが麗と入れ替わってまでスヴァインの攻撃に飛び込んだ理由は、彼女の発した言葉でノエにも理解できた。ほたるはスヴァインが子殺しを犯すことを狙ったのだ。自分ごと死にたくなければ要求を呑めと、その命を危険に晒して相手に迫った。なんてことをしたのかとは思うが、今の問題はそこではない。


『それはお前が、あの小僧やここの連中と関わり続けるということだろう? なら死ぬか』


 スヴァインは、ほたるの命よりも己の独占欲を優先したのだ――その事実にノエは全身の血が沸騰するような怒りを覚えると、麗の近くにある薙刀に手を伸ばした。


「これ借りるぞ」

「あ?」


 麗の返事を待たずにノエが立ち上がる。「ッ、こら待て人のモン勝手に使うな!!」その声を無視して、薙刀を手にスヴァインに飛びかかる。

 その攻撃をスヴァインは弾いたが、ノエはすかさず次の斬撃を繰り出した。


 それまでとは違う、相手の命を奪うための行動。薙刀なんて使ったことはないが、形は槍に似ている。同じ持ち方ができれば後は身体が勝手に動く。

 斬り込んで、突いて、弾いて。これまでと違ってスヴァインとまともに打ち合えるのは、相手と同じ土俵に上ったから。一方的に自分の命を狙うスヴァインを一歩引いたところから眺めて、生け捕りの隙を探すことをやめたから。


「逃げる以外もできたのか」

「お前がほたるを解放する前に殺しちまったら困るだろ」

「もういいのか?」

「……ああ」


 低い声と共に、槍の柄と薙刀の刃がぶつかる。

 打ち合った金属から上がった火花は一瞬で消えきらず、薙刀の刃が柄を走れば無数の細かい光が嫌な音を追うように舞った。

 その刃の侵攻を止めたのはスヴァインだった。槍の角度を変えノエを押し返し、しかしノエの足がスヴァインの腕を蹴り上げる。


 骨の折れる音。相手の手から槍が離れる。


 それを見たノエは蹴りの勢いのままくるりと身体を反転させると、柄の端でスヴァインの腹を突き刺した。そしてすかさず引き抜き、同時に上へと振りかぶる。


「もう死ねよ」


 暗い瞳で相手を射抜く。その首を斬り落とそうと、思い切り刃を振り下ろす――その時だった。


「おと、さ……」

「ッ――――!」


 微かな声が、ノエの動きを止めた。

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