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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後篇】第四章 太陽と月
124/200

〈14-4〉生きてたら意味ねェんだよ

 ノストノクスから新たな情報が公開されると、その巨大な建物にはそれまで以上に人が集まってきた。一旦は取り囲むだけで落ち着いていた群衆も、今ではまたそこかしこから怒声を上げている。現時点ではまだ暴動に発展しそうな気配はないが、新たなきっかけがあれば何が起こるか分からない。


 そんな外の騒ぎをノストノクスの屋上から見下ろして、壱政は退屈そうに欠伸をこぼした。

 ノストノクスの発表では、スヴァインの子に関する罪はクラトス一人のものとされている。その系譜の者は当然疑われるが、同時に逆らえないことも知られているため、命令下での行動であったと判断されれば罪に問われることはない。そして既に壱政には彼を上回る序列の者が()()()()()()()()()をして、ほたるの誘拐と彼女を守る執行官(ノエ)への妨害行為は、本人の意思ではなかったと確認が取れている。

 だから壱政は何の罪にも問われていないが、クラトスの系譜である以上、完全に自由ではいられない。状況が全て把握できるまでは、執行官としてノストノクスの外に一歩も出ないこと――それが長官であるエルシーが壱政に()()()命令だった。


 壱政が今ここにいるのはそのためだ。外の状況を監視し、問題があったら知らせる。つまらない仕事だともう一度欠伸をしようとしたところで、壱政は背後に気配を感じた。


「外界にいたんじゃなかったのか」


 振り返らずに問いかける。何故ならその正体は分かっていたからだ。コツコツとくぐもったような足音は、その人物の好む靴の特徴。高く、そして太いヒールのせいで音がくぐもるのだ。


「クソつまらん仕事でこんな面白そうなの見逃せるかよ」


 声は高かった。身体が小さいからだ。その言葉と共に隣にやってきた人物に壱政はやっと目を向けると、「お前、長官達に追い払われてただろ」と呆れ顔をした。


「手が離せない仕事だったんじゃないのか?」

「だから糸目野郎に押し付けた」


 ニッと女が得意げに笑う。高いヒールのサンダルを履いているのに、彼女の身長は壱政よりも低かった。その壱政とて決して長身ではない。そんな彼と並んでも小さく見えるほど、女の体つきが華奢なのだ。

 そんな小柄な女は大きな態度で腰に両手を当てると、「しっかしノエの奴も無茶なことしたなァ」と群衆を見下ろしながらおかしそうに笑った。


「〝スヴァインの子なんていなかった〟ねェ……押し通すにゃ無理のある話だろうに。ンな()()()()()ことをするってことは、小娘に操られてんのかもな」


 考えるように女が言う。しかし壱政は「いや、それはない」と即座に否定した。


「あ?」

「ノエがあの娘のために馬鹿なことをするのは元々だ」


 思い出すのは数日前のこと。クラトスの命令でほたるを攫い、ノエの足止めをしていた時、彼はかなりの無茶をした。軽微な怪我でさえ酷い痛みを伴う影での移動を、腹に穴を空けたまま強硬したのだ。

 あの時ノエの突破を許したのは、自身の体調の問題以上に、ノエならばそんなことをするはずがないと思っていたから。だから呆気に取られてしまった。そして、行かせてもいいかと思ってしまった。指示されていた時間は十分に足止めしたし、あの先で行われていることに不快感を抱いていたから。


 ということまでは壱政は言わなかったが、女は彼の言葉を受けて少し記憶を辿るような顔をした。だがすぐにその表情が嫌な笑みへと変わる。


「あァ、お前それで負けたんだっけ。ダサ」


 その言葉に壱政の眉間に皺が刻まれた。しかし、彼は何も言わない。


「なんだよ、その顔。文句あんのか? 紫眼使われたんなら負けだろ。奴がお前を殺す気だったら終わってた」


 それは壱政も否定することができなかった。もしあの時、〝通せ〟ではなく自死を命じられていたら、自分は抵抗する間もなく死んでいたと分かるからだ。


「しっかしジジイも愚かだな、大罪人なんぞと手を組むだなんて。スヴァインなんて昔から一番何考えてるか分からない奴じゃねェか」

「お前も聞かされてなかったのか」

「だって私、あのジジイに微塵も信用されてねェもん」


 自信満々に女が言う。そんな相手を壱政が呆れた目で見ていると、女が「なァ、壱政」と思いついたような表情をした。


「ノエがスヴァインの娘に懸想してるってのは本当なのか? お前の勘違いではなく?」

「そんなこと一言も言ってないだろ。ただ珍しく必死になっていたってだけだ。初めて見る程度にな」

「ふうん?」


 壱政の答えに女が眉を上げる。そんな相手に壱政は「麗」と咎めるように呼びかけると、「何考えてる?」と顔をしかめた。


「うまくいけば長官と手合わせできるかなって」

「お前……」


 壱政の表情は変わらない。すると女――麗は心外だと言わんばかりに眉根を寄せて、「だって仕方ねェじゃん!」と声を上げた。


「あのエルシー=グレースが戦争を抜けたって聞いた時は私もめちゃくちゃショックだったんだよ。赤軍ならいつか戦えたのかもしれないのに、戦力集めだなんてクソつまんねェ仕事押し付けられちまって……クソ、なんで親殺しはできねェんだ……」

「半殺しには何度もしてるだろ」

「生きてたら意味ねェんだよ。しかもあの糸目野郎、どんどんマゾに拍車がかかるんだぞ? ……うわ、思い出しただけで気持ち悪くなってきた」


 うぷ、と麗が口を手で押さえる。顔色まで悪くなっているあたり、これは演技ではないのだろう。


「だから最近手を出さなかったのか」

「そうだよ、どれだけ痛めつけても悦ばせるだけなんてやってられねェだろ」


 そう言って麗は気分を変えるように大きく息を吸うと、「ま、変態のことはどうでもいい」とニヤリと口端を上げた。


「それよりも長官だよ、長官。スヴァインの娘にちょっかいかければあの人が出てくるかもしれない」

「そう簡単にいくのか? こんな発表をしたからにはスヴァインを黙らせる算段があったんだろ。でなければこれは成り立たない……今頃そっちに必死なんじゃないか?」

「必死なのはノエだけだろ」


 壱政の言葉に麗が目を細める。切れ長の目は綺麗な弧を描き、そしてその黒い瞳には妖しい光が宿った。


「長官は立場上ここを動けない。だがアレサ嬢の子ってことにした以上、スヴァインの娘に何かあれば長官が動かざるを得ない。何せあのちびっこは戦えないからな。ンでもって長官は忠臣だ」


 だからエルシーは己の立場を逸脱した行動を取り得る――壱政にも麗の言わんとしていることは理解できたが、一つだけ気になることがあった。


「長官に手を出せばお前が同胞殺しに狙われるんじゃないか?」

「それで結構。そうなったらついでにそっちの顔も拝んでやるよ」

「ならそのまま殺されてこい」

「なんで子殺しもできねェんだろうな」


 冷たく言った壱政に、麗も同じような声で疑問をこぼす。だがすぐに興味を失ったように踵を返すと、「ンじゃそゆことで」と手をひらひらと振った。


「あ、クラトスのジジイにはまだ黙っとけよ。年寄りは小言うぜェから」


 それだけ付け加えて、麗の姿が消える。壱政はそれをちらりと一瞥すると、「……お前も年寄りだろ」と溜息を吐いた。

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