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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後篇】第三章 砂上の幸福
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〈12-1〉だって俺が嫌だもん、それ

 ほたるは寝室のベッドの上に新しい洋服を広げると、どれから着よう、と頭を悩ませた。

 これらはノエが一度ダイナーに消えた時に持って戻ってきたものだ。たまたまほたると同年代の娘を持つ女性従業員がいたため、その者に頼んで買ってきてもらったらしい。


 用意されたのは下着の他に、カジュアルなミニドレスとひらりとしたロングスカート、レースのショートパンツ、それからタンクトップと、ほたる自身も買い物で選びそうなものだ。サイズを確認しろと言われているが、見たところどれも問題なさそうに思える。下着は今ほたるが着ているものと同じサイズだから、恐らくこれを見て頼んだのだろう。そう思うとなんとも言えない気持ちになったが、それで着られないものを用意してもらっても交換やら何やらの手間をかけさせてしまうだけだと自分を納得させた。


 ほたるは考えながら洋服を手に取って、ミニドレスの丈がかなり短いことに気が付いた。先程は大丈夫だと思ったが、もしかしたらこれはサイズ違いかもしれない。ならば確認した方がいいだろうと今着ている服を脱いで着替え、奥のウォークインクローゼットの中にある鏡を確認した。


「あ、可愛い」


 丈は短いが、デザインは好みだった。長い袖は先が広がっているタイプで、指先が少しだけ出ている。袖口の形からして長過ぎるわけではなく、この長さが正解なのだろう。ならば丈もこれが意図した短さのはずだ。無事だったブーツとも合っているから、あとは足の付根の無防備さだけどうにかすればいい。

 だったら、と試しにショートパンツを履いてもう一度確認すれば、うまい具合に中は見えないことが分かった。なんだったら見えても違和感はない。娘を持つ母親が買ってきたということで、そのあたりを考慮して選んでくれたのかもしれない。


 これで衣服の問題は解決した、とほたるは散らかしてしまった洋服を片付け始めた。新しいものは丁寧に畳んで紙袋に戻し、寝間着として着ていた服は後で洗うからと簡単に整えるだけで済ませる。

 一通り片付けて顔を上げると、ふとベッドのサイドボードが目に入った。正確には、その上に置かれた匂い玉だ。


「これ、もういらないんだよね……?」


 人間であることを隠すために使っていた匂い玉。しかし自分はもう人間ではない。だから付ける必要はないと思うが、本当にそうなのかはいまいち確信が持てなかった。

 後でノエに聞こうと考えながら、失くさないように下着が包まれていた薄紙に包んで紙袋の中に一緒に入れる。そうして改めて自分が与えられたものを目にすると、これはいくらくらいするのだろうか、とほたるは眉根を寄せた。


 見たところファストファッションのようだが、それでも何着も買えばそこそこの値段にはなるはずだ。ノエは何でも買ってくれると言っていたが、もう経費ではないのだからやはり自分のものは自分で払わねばと思う。とはいえ手持ちの金はないから、早めにバイトを探さなければならない。


 しかしここはどこだろう、とほたるは首を捻った。ノエが白夜と言っていたから、どう考えても日本ではない。確かあれは北の方で起こる現象だったはずだ。だが今回用意された服はどれも生地が薄く、夏っぽいものばかり。こんなものが着られるということは、そこまで寒い地域でもないのだろうか。


「んんー?」


 分からない。全く見当が付かない。窓の外を見ようにも、ノエ曰くここは地下だそうで窓がない。そして場所が分かったとしても、日本語以外の言葉を理解できる気がしない。

 タブレットと同じくノルウェー語を使う地域だったりするのだろうか。となるとすぐにバイトをするのは難しそうだと理解したが、それだとやはり落ち着かなかった。


 自分に何ができるだろう。掃除は勿論するとして、洗濯くらいはしなければと思う。幸い母に教えられたからそのあたりは一通りできる。しかしそんなものでもらった分を返せるとは思わないし、同時にそれ以外にすることがないというのもなかなか辛い気がした。

 思えば、ノストノクスにいた期間も似たような生活をして暇を持て余していたのだ。あの時は漫画があったが、今は違う。今それが欲しいと言えばまた買ってもらわなければならなくなるから、おいそれと口に出すことも気が引ける。


「…………」


 これから、こんな生活がずっと続くのだろうか――考えて、ほたるの顔が翳る。ノストノクスやクラトスのような者に見つからないように隠れ、ノエに与えられるだけの生活。人間の友達は作っていいと言われたが、言葉が分からない上、仲良くなっても長くは付き合えないらしい。


 自由がないわけではない。恐らくノエにそんな気はない。しかし隠れている以上、自由がないのと同じような過ごし方をしなければならないのだろう。そしてそこに、ノエがいることはきっと少ない。

 この家で、一人。自分を匿っていることを隠すため、これまでと同じように外で過ごすノエを待つだけの生活。……正直なところ、あまり好ましい状況とは思えない。不自由で、窮屈で、寂しくて。そんな時間をたくさん過ごすことになると分かるから、なかなか前向きに捉えられない。


 なんだかペットみたいだ……――浮かんだ考えに慌てて首を振る。ノエがそんなふうに考えているわけがない。彼はただ自分を守ってくれているだけだ。


 それに自分がここにいれば、ノエ自身は楽になると言っていた。だから受け入れた。彼が一人で苦しい思いをしないように、傍でその苦しさを和らげる手伝いができればいいと思った。

 だから、この生活にはどうにかして慣れればいい。時間をかけて慣れれば、案外楽しめるかもしれない。

 だがそれでも、自分が何の役にも立ちそうにないことはやはり問題だった。それなのに色々なものを与えてもらっていていいのだろうか――結局同じところに思考が戻ってきて、ほたるの気分は更に重くなった。


 それに母のことも気がかりだった。家のことはノストノクスが調べてくれるようだが、今となってはそれもどうなったか分からない。ノエに聞きたい。けれどここまでしてもらっておいて、更に何かを求めることは非常に気が進まない。


「……あれ? そういえばノエって帰らなくていいの……?」


 ぽつり、疑問が落ちる。そもそもノエは、ノストノクスに戻らなければならないのでは?


 考えたが、よく分からなかった。自分の状況は安全だと説明してもらったが、それ以外の情報がほとんどない。


「うわ……」


 自分が何も把握していないことに気付き、ほたるは呆れと情けなさで天を仰いだ。自分のことだけで精一杯で、他のことは何も気にすることができていなかったのだ。

 その中には、ノエの命に関わるものだってあるというのに。


『お前は俺が直接殺してやる。それまでこいつから離れるなよ』


 あの時この口から出た言葉は、彼の命を狙うもの。となるとやはり、自分がいると彼の迷惑になるのでは?


「――ほたる、サイズ合わなかった?」


 突然ドアの向こうからかけられた声に、ほたるはビクッと肩を揺らした。


「あ、ごめん! 大丈夫だったよ」


 慌てて答えながらドアを開ける。するとそこにいたノエはほたるをまじまじと見て、「ん、似合ってる」と微笑んだ。


「……ありがとう」


 なんだか妙に照れる。いつかの時のように、ノエにからかう雰囲気がないからだろうか。昨日の一悶着以来少し気を許されたのか、ノエはこうやって自分を見ることが増えたように思う。

 からかうわけでもなく、へらへらとするわけでもなく、直視すると何故か落ち着かなくなる眼差し。ほたるが動揺を隠すように髪を直すふりをしていると、ノエが「それにしても」と不思議そうな声を出した。


「なんでエルシーにしろ今回にしろ、みんなワンピースばっか買ってくるんだろ」


 むむ、とノエの眉間に皺ができる。これは本当に分からないのだろうとほたるは納得すると、「無難だからじゃない?」と返した。


「ジーンズとかだとサイズ合わせないといけないじゃん。でもこういうのはほら、大体の体型が分かれば滅多に外れないし。それにウェストがゴムになってるスカートも入ってたよ。この下に履いてるのもそう」

「っ……びっ、くりした。急に捲らないの」


 ひらりとスカートの丈を捲ったほたるに、ノエが一瞬ぎょっと身構えた。「ノエでもこういうの驚くんだ」意外な姿にほたるが言えば、「……そりゃァね」と目が逸らされる。それもまた珍しくてほたるは面白くなったが、今まで考えていたことを思い出して、「あのさ、」と声を落とした。


「ちょっと気になったんだけど……ノエって、ノストノクスに戻らなくていいの?」


 その言葉に、ノエが「気付いちゃった?」といつもの調子でへらりと笑った。


「……わざと言わなかったの?」

「どうしようかなって考えてただけ」


 ノエはそう言うと、ほたるをリビングへと促した。ソファに座り、その隣をぽんぽんと叩く。ほたるが呼ばれるままにそこに腰掛けると、「ちゃんと話そうか」と口を開いた。


「俺がスヴァインに狙われてるって話、覚えてる?」

「今まさに気になってたとこ」

「なるほどね。だから聞いてきたのか」


 ふむ、とノエが口元に手を当てる。少し考えるように視線を動かして、しかしすぐに言葉がまとまったのか、話を再開した。


「正直な話、ここから出るといつスヴァインが来るか分からなくなるんだよね。今は外の日が沈まないから気にしなくていいけど、ノクステルナだとずっと夜だからさ。それがなくてもほたるのことは気軽に連れ歩けないし、だからと言って一人にするのはどうしようかなって思ってて」

「留守番くらいできるよ?」

「うん。でも俺がいない時にスヴァインに乗っ取られちゃったら? 自分が死ぬからほたるの命を危険に晒すことはないと思うけど、あいつに乗っ取られるとほたるの体にはめちゃくちゃ負担がかかる。それ自体はすぐに治っても血が飲めなかったら体調は悪いままだから、ほたるが自分で動けなかったら、最悪その状態で何日も一人で耐えなきゃいけないことになるかもしれない」


 言われて、ほたるは視線を落とした。自分の体にどれだけ負担がかかったのか、あまり体感としては分からない。スヴァインに操られている時は全身が痛くてたまらなかったが、すぐに気絶して目覚めた時にはほとんど治っていたのだ。

 だから分かるのは、痛みがあるということだけ。その後の怠さは覚えているが、それもノエが治療をしてくれた後だ。あれよりも酷い状態が何日もずっと続く。それも、一人ぼっちで――考えると怖くなったが、けれど耐えればいいだけなら、やること自体は難しくない。


「大丈夫だよ。頑張ればいいだけだし」

「駄目」

「駄目って……」

「だって俺が嫌だもん、それ」


 ノエが不機嫌そうに眉間に力を入れる。また珍しい顔だとほたるが考えていたら、ノエが「ただ、」と続けた。


「俺がずっとここにいるのもやっぱりまずい。そろそろノストノクスに顔出さないと面倒なことになるし、向こうが今どんな状況なのかも知りたいから」

「職場に顔出さなきゃいけないのは分かるんだけど……状況って?」

「誰かが火種になってたら仕事しないとでしょ。ノストノクスは誤魔化せても、アイリスは怖いからさ」


 ノエの指す仕事の意味を察して、ほたるの顔が暗くなる。以前のように隠されなくなったのは嬉しい。けれど、それを素直に喜べない。何故ならその仕事はノエを蝕むと知っているからだ。彼にとっては嫌なことだと、もう知ってしまっているから。

 ほたるはノエの手を掴むと、そこにきゅっと力を入れた。


 やらなくていいと言えたらどんなにいいか――自分の無力さを痛感し、眉が曇る。「どうしたの?」不思議そうに笑いかけてきたノエの顔を見上げて、しかし同時に違和感に気が付いた。


「……ノエ、何か隠してる?」

「ん? そんなことないよ」

「ある」


 この違和感は恐らく、ノエが隠し事をする時のものだ。なんとなく直感があってノエを見つめれば、そうされたノエはぐぐっと眉根を寄せて、「……また引っ掛けようとしてる?」と警戒するように問いかけてきた。


「してない。ただそう思うだけ」

「……勘?」

「勘」

「勘かー……」


 困ったように漏らしながらノエが顔を天井に向ける。「結構強め?」横目で自分を見てきた彼にほたるが首肯を返すと、ノエは深い息を吐き出しながらほたるに向き直った。


「ちょっと想像してみて欲しいんだけど」

「うん」

「もしスヴァインがほたるのこと、娘として愛してたらどう思う?」


 問われて、ほたるはこくりと唾を飲み込んだ。


「……それは有り得ないことだよ」

「でも想像してみて」

「……娘だと思われてるって?」

「そう。それから――」


 ノエの目が真剣な色を帯びる。至極真面目なその目にほたるが身構えると、ノエがゆっくりと口を動かした。


「――俺が、ほたるの父親を殺すかもしれないって」

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