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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後篇】第三章 砂上の幸福
114/200

〈11-4〉あんまそういうこと言っちゃ駄目だよ

「そういえばこれさ、水流しっぱなしだけどお湯じゃ駄目なの? そしたら流水じゃなくてもいいと思うんだけど」


 不思議そうにほたるがノエを見上げる。その顔を見てノエは胸の中の暗さが完全に消えるのを感じると、いつものようにへらりとした笑みを浮かべた。


「一度凍らせたやつは温まると不味いから」

「ノエに不味いって感覚があるんだ」

「それがあるのよ」


 大袈裟に答えてみせれば、ほたるがおかしそうに笑う。「それは相当不味いんだね」ひとしきり笑ったほたるは少し考えるような顔をすると、「これって動物の血でしょ?」と問いを続けた。


「そういうのって、菌とか平気なの? なんか火を通したくなるんだけど」

「火なんか通したらめちゃくちゃ不味いよ。それに菌より俺らの回復力の方が高いから平気だしね。まァ腐ってたら流石に腹おかしくなるけど、でもすぐに治るよ」

「体調は崩すんだ」

「そりゃァね。じゃなきゃ酒にも酔わないでしょ」

「確かに」


 神妙な面持ちでほたるが頷く。そのまま蛇口から流れる水を見つめ、時折ビニールパックを指でつんつんと(つつ)く。手持ち無沙汰なのだろうかと思ってノエが話題を探そうとした時、先にほたるが「私、ノエの血飲んだじゃん」とぽつりとこぼした。


「ん?」

「あれは毒ってことなんだよね?」

「そうだよ。量は少なかったし、序列も一個しか違わないから、あんな状況でもなければ死にはしないけどね」

「それもすぐ治るの?」


 問われて、そういえば説明していなかったなとノエは思い出した。ほたるは自分が毒で酷いことになっていたとは知っていても、そこからどう回復したのかは知らないのだ。


「いや、あれは別。とにかく回復力を高めて毒が抜けるのを待つしかない」

「回復力……?」

「血をたくさん飲むってこと。治そうとするとその分消耗するから、どんどん栄養摂って補わないといけないんだよね。血もできれば動物じゃなくて、自分より序列の低い吸血鬼がいい。相当気は進まないだろうけど、一番栄養になるから回復が早いんだよ。で、その次が人間」

「ってことは、もしかして私は誰かの血を飲んだの?」

「……あのおっさん」


 言いながらノエの顔が渋る。そういえばあの時もほたるにその血を飲ませるのは嫌だと感じたなと思い出し、また気分が悪くなるのを感じてその思考を追い払った。


「でも飲んだって言っても少しだけだよ。後は俺がここでストックしてた分飲ませてたから」

「吸血鬼の血を?」

「まさか。あらかた回復してたからこれとおんなじようなやつだよ」


 ノエが答えると、ほたるは居住まいを正して相手に向き直った。そして「たくさんお手数をおかけしました」と言いながら深々と頭を下げる。

 ノエはそんなほたるの行動に面食らうと、「元気になってくれたならそれで十分だよ」と彼女の肩に触れて顔を上げさせた。だが、ほたるの表情は晴れない。


「……ノエはもっと見返りを要求していいよ。って言っても私、掃除くらいしかできないけど」


 ムスッと、少し不貞腐れたように。それが自分に我慢をするなと言ってきた時と同じ感情によるものだとノエは理解したが、だからと言ってその言葉どおりにしてしまうのは気が引けた。


 というより、後ろめたい。いくら治療のためとはいえ、免疫のなさそうなほたる相手に何度も口移しで血を飲ませてしまった。勿論あの時は下心なんてものはなかったし、ほたるも説明すれば必要なことだったと納得するだろう。

 それでも未だそのことをほたるに伝えていないのは、聞かれていないからという以上に反応が怖いからだ。嫌がられるのもそうだし、もし、そうではなかったら。少しの間だけ困惑して、けれど納得すると同時になんてことはないと気にする素振りすらなかったら。


「あんまそういうこと言っちゃ駄目だよ。変なこと要求されたらどうするの」


 自分はもしかしたら、ほたるの隙に付け入るかもしれない。これまでのように少しずつその感覚を狂わせて、自分がどんなことをしても受け入れるように仕向けてしまうかもしれない――そう込めて苦笑混じりに返せば、ほたるはこてんと首を傾げた。


「しないでしょ?」


 そこには疑いも、警戒もなく。ノエは「……そうね」と困ったように返すと、「そろそろ溶けたかな」と話を逸らした。


「飲んでみる?」


 ビニールパックをノエが掲げてみるも、ほたるは渋い顔をするだけ。ならばとノエはその蓋を開けて、先に自分が何口か飲んでみせた。


「どう?」

「……ちょっと、舐めるだけ」


 ほたるがおずおずとノエの持つビニールパックに手を伸ばす。彼の手からは受け取らず、そこに自らの手を添えただだけの状態で、ちろちろと口部分に舌を当てた。


「……甘い」

「気持ち悪くない?」

「ん……なんか、鉄っぽくない」

「感じ方が変わるからね」


 言いながらノエがさり気なくほたるに容器を持たせる。本人にも気付かれぬよう飲みやすい位置に持っていけば、ほたるはそっと口を付けた。

 こくり、こくり、ほたるの喉が動く。どうやら抵抗なく飲んでくれそうだとノエが安堵していると、少ししてほたるの喉の動きが止まった。


「もういらない?」

「いや……全部飲んじゃっていいのかなって。ノエ、ご飯食べてる?」

「ほたるが寝てる時に食ったよ」

「またそれ」


 ほたるの眉根がぐぐっと寄る。不満そうなその顔にノエは笑うと、「じゃァ今度から一緒にご飯にしようか」と提案した。


「ん」


 そう満足そうに頷いたほたるの口は、少しだけつんと尖っていた。どうやら彼女は嬉しいとむふっと口を窄めて笑うらしい。これまでは見せてもらえなかった姿にノエは自分の頬が緩むのを感じながら、「水飲みたかったら冷蔵庫にあるからね」と言って、次に近くにあるゴミ箱を指差した。


「で、飲み終わったやつは血っぽさがなくなる程度にすすいで普通に捨ててくれていい。うちにあるものだとペットボトルだけこっちに分けて、他は全部このゴミ箱でいいよ」

「ノエがゴミの分別をしている……?」

「そこは厳しいんだよね、この国。ま、ざっくりでいいよ。最終的に上のダイナーのゴミに混ざるから」


 ほたるがここによく来ることを想定して、過ごし方の説明をしていく。できれば一箇所に留まらせてやりたいが、まずはノクステルナで起こっている騒ぎが収まらないとそれも難しいだろう。

 ついでにスヴァインの件が解決すれば、日の沈む地域に連れて行ってやった方がいいかもしれない。でなければほたるはずっと屋内生活になってしまって、余計に窮屈な想いをさせるだろう。だが何にしろここに滞在することは多くなるだろうから、この説明は無駄にならないはずだ。


 ノエは他に知らないと困ることはあっただろうかと記憶を辿ると、「あ、そうそう」と階段の方へと目を向けた。


「ここって上の水回りは店の人に掃除してもらってるから、入ってこられたらまずい時はもう少し奥にあるドアの鍵閉めてね。今は鍵かかってるから心配しなくていいよ」


 大事なことを言い忘れていたとばかりにノエが言えば、ほたるが納得したような顔をした。


「だからお風呂上にあるんだ?」

「そういうこと。普段一日もここにいないからさ、掃除なんかやってる時間ないし」


 なんだったら月に一度も来ない。という話はいずれすればいいかとノエが考えていると、ほたるが怪訝そうに首を傾けた。


「でもそんな色々やってもらっていいの? ゴミと、掃除と……あと昨日のココアみたいなやつ、明らかにテイクアウトではなかったよね?」

「そういう契約で貸してるから大丈夫だよ」

「貸してる?」

「この建物、俺のだもん」

「…………」


 ほたるが固まる。その目はゆっくりと右に動いて、端まで来ると今度は左に動いた。「どうしたの?」ノエが問えば、「……ノエがお金持ってるって話を思い出した」と難しい顔で答える。「それがどうしたの?」続けて問うもほたるはふるふる首を振って、「バイトしなきゃなって思っただけ」と力なく言った。


「お金稼ぐってこと? 俺が何でも買ってあげるから必要ないよ」

「……それが良くないことだと思うので」

「そう? お金なんて持ってる奴から毟り取ればいいのに」


 ノエの言葉にほたるの顔がうんと険しくなる。それまでの気後れしたような表情とは違い、呆れと若干の軽蔑を含んだ顔だ。「だから恨まれるんだよ」どうしようもないものでも見たかのように言うほたるにノエは笑うと、「それくらい強気でいかなきゃってことだよ」とほたるの頭をわしゃわしゃと撫で回した。

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