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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後篇】第三章 砂上の幸福
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〈10-4〉待て待て待て

 ベッドで穏やかな寝息を立てるほたるにノエは目を細めると、そっと隣の部屋に移ってソファに腰を下ろした。

 やはりほたるの体調はまだ万全ではなかったようで、羞恥に悶えているうちに目を回してしまったのだ。人間を遥かに凌駕する治癒力があっても、血の毒だけはどうしようもない。だから元気だと言い張るほたるを寝るよう説得し、布団に包み、やっと彼女が眠り始めたのがつい今しがたのこと。


 静かになると、嫌でも現実を思い出す。ほたるの置かれている状況も、それから自分自身の状況も。


 ほたるに近くにいて欲しいと思ったのは紛れもない事実だ。そのせいで強いてしまう苦痛を受け入れてまで、彼女が自分と一緒にいると決めてくれたことを嬉しく思う。

 ただ、現実問題としてはそんなに簡単な話ではなかった。


 火種にならない限り、ほたるはアイリスには狙われない。ノストノクスや彼女を利用しようとする者達のことも、自分が気を付ければ誤魔化せるだろう。その代わりほたるの行動をかなり制限することになってしまうが、殺さなければならなくなるよりずっといい。我慢させることが多くなってしまうなら、その分あげられるものは何でもあげればいいだけだ。


 だから問題は、それ以外――スヴァインの存在だった。ほたるの命は確かに狙われないだろうが、ならばもう彼を意識せずに済むかと言えば、そんな話にはならない。


『俺が直接殺してやる。それまでこいつから離れるなよ。探すのが面倒になる』


 つまりほたるを目印に、彼はいつ自分を殺しにやって来るか分からないのだ。種子がなければ目印なんてないはずだが、乗っ取れるのならまだそれに近しいものを感じ取れるのかもしれない。

 だからここに来た。日の沈まないこの土地に。鍵で直接座標を指定しない限り、来ることができないこの場所に。

 それはほたるの治療を優先するためでもあったし、彼女に独り立ちの準備をさせるためでもあった。そのどちらも不要となった今、ほたるの体調が完全に回復しさえすれば、正直なところいつ来てくれても構わない。どうせ逃げ回ったところでいつかは見つかるのだ。こちらも罪人は捕らえなければならないから、むしろちょうどいいとすら思う。仮に再びほたるの身が乗っ取られたとしても、時間を稼げばいいだけだと知った今なら十分に対処することができる。


 だからスヴァインに狙われること自体は構わない。問題になるのは、彼がどうして自分を殺したがるのか――その理由の方だ。


『なら懺悔するといい。人のものに手を出すからいけなかったと』


 あの感情は、殺そうとした獲物を横取りされた者のそれとは違った。それよりももっと深く、暗く、絡め取るような……。


「ほたる自身に執着してる……?」


 獲物としてではなく、何か別の対象として。


 思えば発芽させたクラトスにも怒っていたな、とノエは記憶を辿った。確かに種子を与えた相手に自分達は執着することが多いが、しかしほたるの種子は本来彼女に与えられたものではない。その証拠につい先日スヴァインはほたるを始末しようとしたばかりだ。


 そんな相手に、あんなふうに執着するものなのか?


「んんー?」


 唸りながら背もたれに身体を預ける。

 分からない。スヴァインの気持ちなど理解したくはないが、相手の目的を知るためにはある程度の予想はしなければならない。その目的が分からないと、いざ彼が自分を殺しに来た時に反撃もできないまま殺されてしまうかもしれない。

 何せ相手は戦争を主導していた猛者を二人まとめて手に掛けた男。片やこちらはそこまで武勇に秀でているわけでもない。だからできれば対策をしておきたいが、彼が優先するものが何か分からなければ対策のしようもない。


「あの時はそんなふうには見えなかったけどなァ……」


 ほたるの家で初めてスヴァインと対峙した時のことを思い出す。彼からはほたるに対する情など微塵も感じられなかった。ほたるの母のことは優しく抱いていたのに、その手とほたるに向ける目は全く違ったのだ。

 あんな目を向けられて育ったなら、幼い子供はどれだけ恐ろしかっただろうと同情してしまうほどに。大の大人ですら恐怖を抱かずにはいられないだろうと思うほどに。彼の目には全く温度がなく、感情も読み取れず、まるで奈落の底でも覗き込んだような空恐ろしさがあったのだ。

 そしてその目をほたるに向けながら、彼は事も無げに彼女の命を奪うと口にした。


『そいつはどうせ放っておいてももう死ぬが、折角だから食ってやろうと思ってな』


 その言葉にもまた一片の迷いはなく、後ろめたさすら感じられなかった。


「食うほどなのに……」


 ノエは無意識のうちにぽつりとこぼして、しかしその内容に「ん?」と首を捻った。

 食うことに特に意味はないはずだ。だからあの時も何も思わなかった。それなのに何故今は違うと感じるのか――考えて、ノエはそういえば、と思い出した。


 食い殺すことは、相手を想っての行為の時もある。吸血鬼になったほたるをいつか殺すことになるくらいなら、あの場で苦痛なく殺してしまった方がいいと馬鹿なことを考えて。

 その時に、思ったのだ。


 苦しませないように、死を感じさせないように。牙の毒で夢心地の中、眠るように死なせるために。彼女の血を最後の一滴まで余さず飲んで、相手を自分の中に取り込んで。

 そうすればほたるを憂えさせることはないと。他の誰かに苦しめられることも、奪われることもないと、考えた。


 ほたるを食い殺すと言った時のスヴァインも同じ考えだったのなら。愛していた女と同じようにほたるを食い殺そうとしたのは、愛情からなのではないか?


 そこまで考えた瞬間、ノエはソファからバッと背中を離した。


「待て待て待て。それだと俺もそうなるじゃん」


 ほたるに? 愛情? 俺が? 親愛ではなく?


 自分の考えに慌てて首を振る。あの時のスヴァインの言動に意味を見出したくてうっかり愛情だなんてものを考えてしまったが、スヴァインはともかく、自分がほたるに向けるのはそんなものではないはずだ。

 かつて共に暮らしていた子供達と同じように、庇護する対象として接してきたはずだ。


「……だよな?」


 執着している自覚は、ある。以前ほたるに話した、執着心を抱きやすいという吸血鬼の習性は自分にも当て嵌まる。己の記憶どころか感情すら必ずしも信用できない中で長い時間を生きてきたから、いつの間にか彼女への情に強い執着心が伴っていたことには気付いていた。

 だとしてもそれは、決して愛情だなんてものではない。ほたるとは人間として関わったから、そこに安らぎを求めていたから。だから自分は代わりにほたるにはありったけの安心をやろうと、そう思って接してきた。……それだけのはずだ。


 そう納得することを阻むのは、つい先程の出来事。ほたるに抱き締められて、抱き返して。その時に自分が何をしようとしたか、鮮明に記憶が蘇る。


 あの時の自分は、間違いなくほたるを()()()()()対象として扱おうとした。相手にそんな気はないと分かっていたのに、もっと触れたいと手を伸ばそうとした。

 それの意味するところは、あまり多くはない。


 消費するような性の対象ではなく、そうしなければならない仕事もなく。それとはもっと別の、心の奥底から相手を求めるような――


「あー……」


 突如として訪れた自覚に、ノエは呆然と天井を見上げた。自分でも明らかに他とは違うと分かる。このほたるに対する執着は、自分のものにしたいという欲求は、恐らくそういうことだ。


「えー……俺、子供もイケるの……?」


 流石にそれはまずいだろう、と頬を引き攣らせる。しかしすぐにそういえばほたるは成人していたな、と思い出した。ならばこの欲求に倫理的な問題はないと安堵する一方で、同時に〝子供相手だから違う〟という言い訳はできなくなったと気付く。そして自分が、そこまでして言い訳したいと思っていないことにも。

 己の感情に驚いただけで、悪い気はしていないのだ。本当にそうなのかはまだいまいち確信が持てないが、もしそうだとしても特段困ることもない。


 ただ、ほたるにそんな気は一切なさそうだが――考えて、ノエはおや、と眉根を寄せた。


 恐らくほたるが自分に抱いているのは親愛だ。父や兄に向けるような信頼と情。でなければ年頃の少女があそこまで無警戒に男に密着したりはしないだろう。これまで守りやすくするために、必要以上に近付いてその距離感をわざと狂わせようとしてきたのは事実。だがそれは慣れたというだけで、ほたる自身の持つ慎ましさは変わっていないはずなのだ。

 だからほたるがこちらを意識することなく平然と身を擦り寄せられたのは、きっとこちらに全く男を感じていないから。


 となると、そんな相手にこの下心を悟られるのはまずいのでは?


「気を付けよ……」


 この感情が何にしろ、またほたるに恐れられるのは避けたい。折角恐れさせなくて良くなったのに、もう怖くないと言ってもらったのに。それを受け入れ安心してしまった今、再びあんな目を向けられたらと思うと嫌でたまらない。


 ノエはふるふると頭を振ると、気持ちを切り替えるようにそれまで考えていたことを思い返した。

 ほたるとのことは一旦置いておこう。これから先にゆっくりと考えればいい。だからその考える時間を得るためにも、スヴァインの行動を予測することが必要なのだ。


 何故なら彼は、いつか絶対に自分を殺しに来る。

 そこで殺されてしまえば、ほたるをノストノクスとアイリスから守れなくなる――それが、一番の問題なのだから。


 そしてほたるの安全が損なわれることを理由にスヴァインが手を引くとは考えづらい。彼がほたるを殺さないのはあくまで子殺しを防ぐためであって、ほたる自身を守りたいわけではないだろう。その執着の正体が分からないのは気持ち悪いが、それだけは確かなはずだ。


 ただ、もし。もし彼のほたるに対する執着が、愛情に近いものであったなら。そしてそれをほたるが知ったなら。


 ほたるは、どう思うのだろうか。


 父に愛してもらえたことを喜ぶのだろうか。この手よりも、父のそれを選ぶのだろうか。

 その父が投獄されることになったら、その先に何があるか知ったら、彼女はどうするのだろうか。


「…………」


 考えただけで気分が暗くなる――ノエは大きな溜息を吐き出した。

 スヴァインに待つのは大衆を納得させるための長い長い裁判と、そして死刑。犯した罪からしてそれが覆ることはほぼないだろう。

 そして刑が確定する前にスヴァインが逃げ出したり、騒ぎが大きくなりすぎたりすれば、アイリスは彼を火種と判断する。今は裁判を行った方が血族の混乱が防げるからとノストノクスに任せているが、彼らの手に余ると思えば迷わず自分に殺せと命じてくるだろう。

 そしてそうなった時、いくら隠してもほたるはきっと何が起こったか理解する。


 父を殺した自分を目の前にして、彼女は一体何を思うのだろう。仮に直接手を下さずに済んだとしても、父の処刑を招いた相手のことをどう思うだろう。


 拒まれる、のだろうか。それともその気持ちを押し隠して、無理に笑いかけてくるのだろうか。


「っ……」


 そんなことは望んでいないのに。


 だがそれでも、スヴァインを捕らえないという選択肢はない。自分が狙われているからではない。アイリスの仕事だからでもない。彼を捕らえなければ、今ノクステルナで起こっている騒ぎは収束しないからだ。

 スヴァインを殺せと。スヴァインの子を殺せと。

 そんな騒ぎが長引けば、ほたるは何もしていなくとも火種と判断されかねない。ほたるを殺せと、命じられかねない。


 スヴァインを捕らえることでこの騒ぎを収めて、ほたるを担ごうと目論む者達も黙らせて。それでやっと、彼女を取り巻く危険の波は去る。

 難しいが、元々やろうと思っていたことだからそれ自体はいい。ただその先にまたほたるに拒まれる未来があるのかと思うとどうしようもなく辛くなる。

 どこかで無事に生きながら自分を恨むのではなく。自分のすぐ傍で、その恨みを持て余す彼女を見なければならない――そんなこと、考えたくもない。


 だがそれでも、手放したくないと思ったのは自分なのだ。恨まれても、恐れられても、ある日突然この手でほたるを殺さなければならなくなるよりはいいと。どこかで無事でいてくれることを願うより、近くでそれを確認していられる方がいいと思ってしまったから。


「一個我慢するのやめてだなんて、簡単に言ってくれちゃって……」


 その一個を得るのがどれだけ大変なことかと、苦笑をこぼす。


 そして、そうと分かっていてもこれを選んだ自分はもう手遅れなのだと理解した。

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