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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【前篇】第一章 夜燕の波
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〈4-3〉ちょっと時間ちょーだい

 蝋燭の明かりが照らす大きな階段。上り切ったところにあるその手すりに腰掛けて、ノエはぼんやりと天井を見ていた。

 そこには何もない。照明すらもない、ただの石の壁だ。階段の左右には長い廊下が伸びていたが、ノエはそれらを全く気にかける様子もなくただただ天井を見ていた。


「《――考え事か?》」


 ノエの後方、上へと続く階段から女の声がかかる。周囲には二人以外に誰もいない。しかしノエは女がここに来ることも、そして自分に話しかけることも分かっていたかのように「んー……」と声を漏らすと、「《そんなとこ》」と言って女の方へと目を向けた。


「《エルシーは? 暇になったの?》」


 ノエが声をかけると、エルシーと呼ばれた女は呆れたように眉をひそめた。「《そんなわけあるか》」ぶっきらぼうに言って、階段を下りてきてノエの隣に並ぶ。

 彼らの会話に使われているのは日本語ではない。ここにそれを必要とする者はいないため、いつもどおり二人は自分達の言語で話していた。


「あの娘の様子を聞きに来たに決まっているだろう」

「あ、もしかして俺の部屋来ようとしてた?」

「ああ。でも良かったよ、お陰であの汚い部屋を見ずに済んだ」


 エルシーがふうと息を吐いて首を動かせば、彼女の真っ直ぐな金髪がさらりと揺れた。「別に汚くねェだろ」ノエが嫌そうに言う。そんな彼にエルシーは「散らかり方がおかしい」と淡々と返すと、その濃紺の瞳を右手の廊下に向けた。


「それで、どうだ?」


 エルシーの目は廊下の先、ほたるのいる部屋を見つめていた。とはいえ彼女の位置からはそのドアすら見えない。あの部屋の向かいには壁があるが、エルシーの視界にはその壁しか入らないからだ。

 だがそれは、ノエも同じ。少し移動すればドアくらいは見えるのに、ノエもエルシーも動こうとはしない。


「怯えてる。ま、当然だろ。あんな大勢に敵意向けられたらさ」

「逃げ出しそうなのか?」

「ん?」

「お前の部屋からでも十分に様子は探れるだろう。それなのにこんなところにいるのは、あの娘が逃げ出しそうなのかと。しかもこんな隠れる場所に」


 ノエ達のいる位置は部屋のドアを見ることができないが、それはほたるがドアを開けた時にその視界に入らないことを意味している。

 それらを指したエルシーの言葉にノエは「いや、ただ椅子が欲しかっただけ」と答えると、「多分逃げないんじゃねェかな」と言って、廊下の先に目をやった。


「俺の話は信じさせたし、そもそもここの連中のことだって怖がってるし」


 ノエはごく普通に答えたが、それを聞いたエルシーは「信じさせたって……」と嫌そうな顔をした。


「どうやったかは聞かないが、あまり弄んでやるなよ」

「失礼な、まだほとんど何もしてねェよ。……ちょっと俺を信用しやすくなるように誘導はしたけど」

「これからもその程度で止めておけという話だ。いくら家に帰す時は記憶を消すと言っても、あの娘はまだ子供じゃないか。いつもみたいに誑かすような真似をするのはよせと言っているんだよ」


 エルシーが呆れたような目を向ければ、ノエは誤魔化すように肩を竦めた。


「でもこっちを好いてもらった方が色々やりやすくない?」

「手は出すな。あの娘の()に知られたら殺されかねないぞ。お前と序列が同等以上なのは確実なんだ」

「あァ、でもそれいいな。自主的に出てきてくれれば探す手間が省ける」

「おい」

「嘘嘘、冗談」


 そう言ってノエはへらりと笑ったが、エルシーは疲れたように大きな溜息を吐き出した。額に手を当てて、もう一度息を吐く。「疲れてるねェ」ノエがからかうように言えば、「誰のせいだ」とじとりと相手を睨みつけた。


「お前が言うと冗談に聞こえないんだよ。第一、下手に自分に惚れさせようとして失敗すれば、それこそあの娘に警戒されてやりづらくなるんじゃないか? いくら人間でもしょっちゅう言いつけとは違う動きをされたら面倒だろう」

「そこは気を付けるよ。でもま、大丈夫じゃね?」

「ノエ、真面目にやれ」


 エルシーがノエを見つめる。それは睨みつけるというよりは、諭すような眼差しだった。そんな相手にノエはやはりへらっと笑って、「真面目だって」と再び廊下の奥へと視線を向けた。


「なんつうかあの子、危機回避意識がすんげェの。怖いことがあったら大抵まずはその正体確認するじゃん? でもそれをせず退路を確保しようとするし、こっちの話も聞くは聞くけど必死に受け入れないようにしてる。突っぱねるんじゃないんだよ、理解しようとするのに自分の中に入れるのを拒むの」

「確かに珍しいが、そういう奴だっているだろう」

「まァね。でもなんか不自然なんだよな。それこそそう刷り込まれてるんじゃないかってくらいに」


 ノエが言えば、エルシーが眉間に皺を刻んだ。


「……あの娘の親の仕業か」

「まだ分かんねェよ? それにしちゃァ中途半端な状態な気もするしさ」


 ううんと考えるように顎に手を当てて、ノエがエルシーに目を向ける。


「ちょっと時間ちょーだい。元々の性格かどうか探ってみるから」


 緊張感の欠片もない調子でノエが言うと、エルシーは「……やりすぎるなよ」と疲れたように頷いた。



 § § §



 ノエが部屋から去って、しばらく。未だほたるはソファで動けずにいた。

 彼に聞いた話がぐるぐると頭を巡る。誘拐されて、殺しの容疑で裁判にかけられて。しかも周りはみんな吸血鬼。そしてやっとその疑いが晴れたかと思えば、自分は種子持ちという吸血鬼一歩手前の状態だと聞かされた。

 そして、そのせいで放っておけば死ぬのだとも。どの情報も信じられないものばかりだからじっくりと考えて自分の中に落とし込みたいのに、それが多すぎるせいでまるで溺れてしまうかのような恐ろしさを感じる。


 海で波に攫われるのと同じだ。一度体勢を崩せば、何度顔を出してもすぐに新たな波に飲み込まれる。水面に顔を出して呼吸を整えたいのに、息継ぎすることすらままならない。


「……意味分かんない」


 ぎゅっと、膝を抱える。そうしてから、自分の靴下が土足同然だったことを思い出した。

 慌ててソファから足を下ろした自分に笑いたくなる。これだけ思い悩んでいるのに、こういうところはどうして気を遣ってしまうのだろう。考えたけれど答えは浮かばなくて、仕方なくほたるは足元の問題を解決することにした。


 確かあの人は、部屋を出る前に履物を窓のところに置いたと言っていた――ぼんやりと考えながら立ち上がる。窓の方へと歩いていって、そしてカーテンの横に置かれたそれを見つけた。


「……サンダル」


 そこにあったのは男物のスポーツサンダルだった。日本でも男性が外で履いているのをよく見かけるような、少しおしゃれで足首付近以外が隠れているものだ。


「いやデカ」


 自分の足を横に並べて、そのサイズの違いに思わず声がこぼれる。平均的なサイズのほたるの足の、何回りも大きいサンダルだから当然だ。


「〝俺ので悪い〟って言ってたっけ……」


 記憶を辿る。これはやはり、あの男のものなのだろう。まだあまり履いていないものを選んで持ってきたのか、見たところ新品に近い状態だ。本人も清潔感があるから他人の履物でもそこまで嫌悪感はないが、そうなるとむしろ自分のこの汚れた靴下を突っ込んでいいものかとも思えてきてしまう。


 ――ああ、まただ。またどうでもいいことに気を遣っている。


 自分の思考に、ほたるの顔が険しくなる。


「……鍵」


 履くかどうかは後回しにして、ほたるはなんとなくノエの言葉を確かめようと動き出した。彼の示していた引き出しを開け、中を確認する。するとそこには本当に鍵があった。映画でしか見ないような、アンティーク調の鍵だ。

 それを手に取り、部屋の出口に向かう。鍵穴に差し込む。軽く回せば、カチャリと音が鳴った。


「本当に開いた……」


 鍵が、開いた。つまり自由に出られる。監禁されていないことになる。


 けれど、ほたるの手は震えていた。あの男の話は事実だったのだと実感してしまったからだ。

 彼が自分をここに置いたのは、安全を守るため。何故なら自分は証拠品だから。法律を犯した吸血鬼を見つけて裁くために、生きていてもらわねば困るから。


「ッ……」


 事実なのだ、あの男が話したことは。人間ではないということも、人の認識を操れるということも。そして何より、自分が死ぬかもしれないということも。


「なんでッ……!」


 実感がほたるを襲う。ただ理解し信じるのと、実感するのではまるで違う。自分は死ぬのかもしれないと実感することは、こんなにも恐ろしい。


 だから次にほたるが取ったのは、自分を守る行動だった。


 鍵のかかっていないドアを開けることなく、震える手でドアの鍵をかける。勿論、内側から。そしてドアノブを乱暴に動かして施錠されたことを確認すると、部屋の中を見渡した。

 慣れない場所で目についたのは、部屋の奥。ベッドと壁の間の隙間。


 大急ぎでそこに飛び込み、ベッドの上のシーツを手繰り寄せる。全身に巻き付けるようにかけて、隅っこでただただ縮こまる。


 それくらいしか、ほたるには自分の身を守る方法が思いつかなかった。

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