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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後篇】第三章 砂上の幸福
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〈9-4〉なんで今答えちゃうの……?

『俺が行くよ、ほたるを殺しに』


 その言葉を聞いた瞬間、ほたるの胸がぎゅっと締め付けられた。聞き間違いだと思いたいのに、短くゆっくりと紡がれた言葉はそれを疑わせてくれない。そのせいでほたるの顔はみるみるくしゃくしゃに歪んでいって、「なんでノエが……」という声は弱々しいものになった。


「それが俺の仕事だから。俺は表向きはノストノクスで働いてるけど、実際のところはアイリスのために働いてる。ま、それは誰にも言えないから執行官の仕事もちゃんとやってるけどね」


 ノエには執行官として以外の仕事もある――それを聞いてほたるの脳裏に蘇ったのは、クラトスの話だった。


『我々の間では以前より同胞の不審死があってね。死んだ者達に共通していたのは、ノストノクスのもたらした秩序を乱そうと行動、ないし計画していたこと。だからその死はノストノクスが裏で行っている処刑ではないかという噂があったんだ。そしてその処刑人……同胞殺しはノエではないかと考える者もいた』


 ここにアイリスの名前は出ていない。出ていないが、ノエはこのこと自体は否定しなかった。ならばこれは事実で、そして、ノエの仕事なのではないか?


「処刑人ってやつ……?」


 ほたるが問えば、ノエは「そ」とへらりと笑った。


「アイリスが火種って判断した吸血鬼を始末するのが俺の仕事。クラトス達はノストノクスがやってると思ってるけどね」


 ほたるの中で点と点が繋がる。思い出すのは、ノエが以前口にしていたこと。自分が愚かにもクラトスの話を信じてしまった理由の一つ。


「だからノエは誰のことも仲間だと思わないの? いつ誰のことを殺さなきゃいけなくなるか分からないから……」


 クラトスと話していた時は、人を騙すためにそうしているのだと解釈した。けれど違うのだ。ノエは騙すために周りを仲間と思わないのではない。


「そうだよ。仲間だと思った相手は殺したくないからね」


 ほら、やっぱり――予想していた答えに、ほたるの眉間に力が入る。


「ノエは、好きで人殺しをしてるわけじゃないってこと……?」

「そこまでヤバい奴に見える?」

「ソロモン達は……」

「あいつらは間違いなく火種だったよ。ノストノクスに喧嘩を売ろうとしてたから」


 やっとほたるにもノエの不可解な行動の理由が分かった。あの時ソロモン達を手にかけたのはそれが彼の仕事だからで、自分よりも序列が上の相手にそれができたのは、ノエの公言している序列が嘘だったから。だからあの時、ノエはこの血を飲んでも死ななかった。飢餓状態にされてまで拷問を受け入れたのは、ノストノクスのためではなくアイリスの仕事を完遂するため。

 しかしそうと理解できても、ほたるの心は晴れなかった。ノエの素性に偽りがあるかもしれないということはどことなく感じていた。けれどそれは聞いてはいけないと思ったし、ノエも口にしてはいけないと釘を刺してきた。だから目を逸らしてきた。だから考えないようにしていた。


 それなのに今はこんなにも簡単に答えをくれる。その事実が、温かいマグカップに触れているはずのほたるの指先を冷たくした。


「なんで……なんで今答えちゃうの……?」


 これは聞いてはいけなかった。最初に彼の正体に疑問を抱いた時に感じた恐れは、その先にあると悟った未来は、全ての終わり。

 これを聞いたらノエが離れていってしまうと思ったから、これまで聞かないようにしていたというのに。


『準備ができたらなるべく早く出ていきな。その後はもう、俺に見つかっちゃ駄目』


 その言葉が、強い現実味を持った気がした。


「今までは教えたら口封じでほたるを殺さなきゃいけなかったからさ。ほら、種子持ちのうちは記憶いじれなかったでしょ? 今も口封じしなきゃっていうのは変わらないんだけど……でも種子が消えてほたるの序列は俺より下になったから、誰にも話しちゃいけないって制限することはできる。あんまりやりたくなかったけど、人間じゃなくなった以上、知らないとほたるが生き延びられない。だから話してる」


 ノエが淡々と続ける。いつもと同じ柔らかい声なのに、聞いていると苦しくなる。


「ノエは……私を、助けようとしてくれてるの……?」

「そんないいものじゃないよ。ただ俺がほたるのことは極力殺したくないってだけ。この子は絶対に人間の世界に帰すって思って関わっちゃったから、流石に気が進まないっていうか」


 そう言ってノエがマグカップに口を付ける。一口だけコクリと飲んで、いつものゆるい笑顔を浮かべた。


「でもそうしなきゃいけなくなったら、俺は迷わずほたるを殺すよ」


 へらりと、なんでもないことのように。ほたるはそれが無性に苦しくて、そして悔しかった。


「けどノエだって好きでやってることじゃないんでしょ? 私のことはともかく、他の人達もことも……なのにノエはなんでアイリスのためにそんなことするの? そんなにアイリスのことが大事なの……?」


 周りの者達を仲間だと思わないようにしているということは、それだけノエにとっても嫌なことのはずなのだ。何故なら彼は仲間を殺したくないから。かつて仲間の弔いで多くを手にかけたと聞いたことがある。ならば、本来のノエは仲間を大切にする人のはずなのだ。

 けれどその気持ちを押してまで、ノエはアイリスに従っている。アイリスのためにその望みを叶えている。それだけノエにとってアイリスという人の存在が大きいのかと思うと、どうしようもない苦しさがほたるの胸の中に渦巻く。


 その暗い気持ちの正体はまだ、分からなかったけれど。それでもノエが望まないことを強いられていると思うと、腹立たしくてたまらない。


 だがほたるのそんな感情は、ノエの「まさか」という笑い声で勢いを静めた。


「正直、アイリスのことは厄介な上司としか思ってないよ。アイリスのためっていうのは……日本語が悪かったかな。あの人の指示で働いてるって意味で、あの人個人にどうこうしたいワケじゃない。そういう約束で俺は吸血鬼になったから、その仕事をしてるってだけ」


 あっさりと、なんてことのないように。それはほたるの中の薄暗い気持ちを和らげたが、同時に疑問を連れてきた。


「……断れないの?」


 問いかけてから、ほたるは馬鹿な質問だったと気が付いた。ノエは人間ではないのだ。序列で縛られた吸血鬼。いくら彼の序列が高くとも、それを上回る者に命令されたら拒めるはずがない。

 そして拒否することができないという現実は、ほたるはもう身を以て知っていた。スヴァインに体を乗っ取られたことが拒めなかったように、ノエだってアイリスの命令に背けるわけがないのだ。


「それは無理かな」

「そう、だよね……」


 やはり馬鹿なことを聞いてしまったのだと、ほたるの視線が下がる。見慣れない布団の上に置いた手の中で、マグカップの中身がちゃぽんと小さな音を立てた。

 コーヒーでなくて良かったと思う。表面が細かく泡立ったこの甘い飲み物は、自分の間抜け面を映さないから。

 ほたるが気落ちしていると、ノエが「もし断っても変わらないよ」とほたるの視線を持ち上げるように言った。


「だって俺がやらなかったら、アイリスはどうせ別の誰かを用意するだけだしさ。それって結局何も変わらないでしょ?」


 へにゃりと、困ったようにノエが表情を崩す。

 そんなことはない――ほたるが言おうとすると、それより先にノエが「だからさ」と話を続けた。


「ほたるはアイリスに目をつけられないように気を付けてね。そうすれば無事に生きていられる。俺もほたるを探さないで済む」


 それ以上何も言うなとばかりに、ノエがにっこりと笑う。


「あ、もし俺に見つかったらその時は変に抵抗しないでね。できれば苦しませたくないから」


 自分は味方ではないと、言い聞かせるように。


「とりあえずほたるの状況としてはこんな感じかな。要するにノストノクス含め吸血鬼とはあまり関わらずに生きなきゃいけないから、正直大変なこともたくさんあるだろうけど……。でも俺もできる限りのことはするよ。幸いお金はたくさん持ってるからほたるが不自由しない分は用意してあげられるし。ここを出た後はもう何もできないけど、それまでに生きるために必要なことは俺の知ってる限り教えてあげるから」


 だから受け入れろと。異を唱えるなと、ノエの声がほたるに訴えかける。


「出て行ったら……もう、ノエと会えないの?」

「うん。その次に会うのは俺がほたるを殺す時だよ」


 はっきりと別離を告げられる。ノエは普段どおりの声だった。それが、彼の中ではこれ以外に答えがないのだとほたるに教える。反論の余地はなく、懇願しても意味がない――そう悟っても、ほたるにはまだ受け入れることができなかった。


 自分が覚悟していた別れとは、あまりにも違いすぎるから。


「本当に一緒にいちゃ駄目なの……? ノエが私を殺すことになっても逃げないから、ちゃんと全部言うとおりにするから、だから……」

「駄目。俺と関わってると、それだけで他の奴に見つかる可能性が高くなる。第一、一緒にいたらほたるは嫌なものたくさん見ることになるよ」

「ただの可能性でしょ……? それに嫌なものなんて別に、」

「俺がほたるに見せたくない。だから一緒にいることはできない。ほたるだって俺がいなくなるたびに、俺が誰かを殺しに行ったのかどうか考えるのは嫌でしょ?」


 その声は、いつもとは違った。ノエがこちらを気遣う時の、そして後ろめたさを感じている時の声。

 そこに込められた気持ちは嫌でも分かる。それが、ほたるの口の動きを止める。


「聞き分けて。俺はほたるがどこかで無事に生きててくれればそれでいいんだよ」


 そんなことを言われたらもう何も言えないじゃないか――ほたるは唇を真一文字に引き結ぶと、涙を隠すように項垂れることしかできなかった。

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