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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【後篇】第三章 砂上の幸福
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〈9-3〉話続けてもいい?

 ノエは階段を上って鍵のかかったドアの外に出ると、ひとけのない廊下を迷うことなく進んでいった。その先にあったドアを開ければ物置のような部屋があって、更にその奥へと進む。最後に他とは少し違うデザインのドアを開ければ、賑やかな話し声がノエを出迎えた。


 そこはまるでレストランのような場所だった。広い店内にはいくつものテーブルが置かれ、三分の一程度の席が埋まっている。日光の入る席と全く入らない席があるが、埋まっているのは前者の方ばかり。

 壁にかけられた時計は三時近くを指している。ちょうどいい時に来たな、とノエはカウンターの方へと歩いていくと、自分に気付いた店員ににっこりと笑いかけた。


「《ホットチョコちょうだい》」


 指を一本伸ばして、数を伝える。すると店員の男は眉を上げて、「《珍しいもの飲みますね》」とカウンターの中でノエに近付いた。


「《俺じゃないよ。ほら、お客さん来てるって言ったでしょ?》」

「《ああ、あの服の》」


 店員が納得したように言う。その手が既に注文したものの準備をしているのをぼうっと見ながら、ノエは周囲の音に耳を傾けた。

 昼食と夕食の間のこの時間は、穏やかな空気が流れる。客達が使うのはノエの母国語だ。他愛のない、平和な会話。これまでの殺伐とした時間がまるで嘘のように、彼らの日常はノエの身体から力を抜く。


 ほたるにもこんな日常を返してやりたかった。何年も変わらない顔ぶれで談笑を楽しんで、日差しの中へと帰っていく日々を奪いたくなかった。……けれど、自分にそれを願う資格はない。


 ほたるから日常を奪ったのは、他でもない自分なのだから。


 そしてもう、奪ったものを返すことは永遠にできない。人間の生活に返すことも、母親のことも。クラトスの嘘に縋りたくなってしまうほど彼女には耐え難いことだったのに、自分には現実を突きつけることしかできない。

 せめて近くに置いてほたるを憂えさせるものを全て取り払えればまだよかった。彼女がこちらの顔を見たくないと言うのならそれでもいい。当初考えていたとおり、彼女の目に入らない場所から彼女の手助けをすればいいだけだ。だがそんなことをすればむしろその身を危険に晒しかねないと分かるから、こちらの存在を感じさせないようにするどころか完全に関係を絶つことしかできない。


 幸せを願った相手から奪うだけ奪って、その埋め合わせすらすることができない。自分だけが彼女と過ごす時間に安らぎを得て、これから更に彼女からそれを奪わなければならない――この後にしなければならない話を思い、ノエの眉間に力が入る。


 そうして考えに耽りながら待っていると、目の前に小さなトレイが置かれたのが見えた。そしてすぐにその上に甘い香りを漂わせるマグカップが置かれる。

 コトリ、コトリと、二つ並べられたカップを見て、ノエは怪訝に眉をひそめた。


「《なんで二つ? 俺コーヒーでよかったんだけど》」


 しっかりと注文しなかったが、いつもそれで通じるのだ。もしや指の本数を間違えていたのかとノエが記憶を辿っていると、店員が「《元気がなさそうだったので》」と首を振った。


「《……そう》」


 そんなふうに見えてしまったか、と背筋を正す。「《ありがとね》」その心遣いではなく飲み物を用意してくれたことに礼を言いながら、トレイを手にして来た道を戻る。一つ目のドアを開ければ喧騒は遠くなって、二つ目のドアをくぐれば完全に聞こえなくなった。



 § § §



 ノエが店から戻ると、ほたるは未だベッドの上にいた。出た時と同じ姿だ。この分では恐らく部屋の中を歩き回るどころか、ベッドから出てすらいないだろう。

 ノエはそんな彼女に苦笑をもらすと、ベッド脇のサイドボードにマグカップを一つ置いた。残りは持ったまま、一旦寝室の外に出る。そしてキッチンの近くにあった椅子を持って寝室に戻ると、最初と同じ位置、ドアの前にその椅子を置いて、自分も腰掛けた。


 その瞬間、ほたるの顔に力が入ったのは見なかったことにした。「温かいうちに飲みな」彼女の分のマグカップを指差して告げる。その手がおずおずとカップを手に取ったのを確認すると、「さて、」と口火を切った。


「ほたるに今の状況をちゃんと説明しておこうか」


 ほたるは、ノエの方を見ない。マグカップに息を吹きかけるだけ。それが()()であることにノエは気付いたが、やはり気付かなかったふりをした。


「まず、ほたるはもうスヴァインに命を狙われることはない。そこは安心していいよ」


 受け入れやすいであろう内容から選んで伝える。するとほたるは俯いたまま、小さく「……なんで?」と理由を問うてきた。


「子殺しはできないから。ついでに親殺しもね。それをしちゃうと自分も死ぬんだよ」

「どういうこと……?」


 やっとほたるの顔が上がる。自らの命に関わることなのだから当然だ。相変わらずそこはしっかりと聞いてくれるなとノエは内心で笑って、けれど顔には出さずに話を続けた。


「そのまんまの意味。親子関係にある吸血鬼同士はお互いを殺せない。理屈はよく分かってないけどまァ、自分の存在を否定することになるからじゃないかな。って言ってもそもそも序列が上の相手にはまともに攻撃できないんだけど、事故もあるからさ」


 そこで言葉を切って、ほたるに分かりやすい表現を探す。彼女なら今の説明で理解したとは思うが、念には念を入れておきたい。


「つまりほたるの場合はスヴァインを殺せない。で、スヴァインはほたるを殺せない。分かった?」


 確認するように問えば、ほたるは「……殺しちゃうとどうなるの?」と恐る恐る疑問を口にした。


「自分も死ぬって、死にたくなるってこと……?」

「ううん、死ぬんだよ。その場で勝手に」

「え……」


 ほたるの表情が固まる。そういう反応だろうなとノエは苦笑すると、「実はどこまでがセーフかもよく分かってないんだよね」と続けた。


「でも戦争初期はそれが原因で死んだ人が多いらしいよ。最初は系譜で赤軍か青軍か分かれてなかったみたいだから、うっかりって感じで」


 それが、現在のノクステルナに序列第二位の者達がいない一番の理由だ。かつてラーシュとオッドは吸血鬼の力を高めようと大勢の子を作ったらしい。そしてその子、第二位の者達も彼らの思想を受け継いだ。少しでも魅力的な能力や地位を持つ人間を手当たり次第に血族に招き入れ、結果として第二位の者達にとっては殺してはいけない者が多く生まれた。

 そして序列の高い者が戦時に重宝されるのは当然で、敵軍のそれを討ちたくなるのもまた自然な流れ。そうして多くの序列第二位の者達は子殺しを犯してしまい、同時に自らの命も失うことになった。

 というところまでわざわざ今のほたるに説明する気はないが、聞かれたら答え渋るつもりもない。とはいえ今聞かれてしまうと余計な情報でほたるを混乱させるだけだからと、ノエは彼女の理解よりも先に話を続けることにした。


「だからスヴァインもほたるに下手な手出しはできない。クラトスのとこで乗っ取られちゃったけどさ、あれもそう気軽にはできないはずだよ。ほたるの体への負荷が酷すぎて、いつ死ぬか分からない状況だった。それでほたるが死んだら多分子殺しに該当しちゃうから、滅多なことじゃもうしてこないと思う」


 だからそこは不安に思わなくていい。全部覚えているということは、ほたるだって操られた自覚があるということだ。ならば相当恐れているだろうと、安心させるように告げる。

 ほたるが恐れるべきはそこではないのだと込めて笑いかければ、ほたるは「でも、ノエは……」と不安げな面持ちで口を動かした。


「俺?」

「ノエは、スヴァインに狙われたままなんだよね?」


 この状況でこちらの心配か――ほたるの性格に思わず苦笑がこぼれる。


「そうね。でも俺のことは気にしないで。ほたるはまず自分の状況を理解しないと」


 ノエはほたるの問いを遮るように言うと、少し休憩するようにマグカップを口に当てた。途端、甘さが口内に広がる。そういえば自分の食事もまだだったなと気付いたが、後でいいだろう、と思い浮かんだことを追い出した。

 代わりにほたるに向かってマグカップを軽く掲げる。すると彼女は自分がまだ飲んでいないことを思い出したようで、慌ててコクコクと喉を動かした。


「……美味しい」

「良かった。口の中くどくなったら言ってね。水ならすぐ出せるから」

「ん……」


 温かい飲み物を飲んで、ほたるの肩から力が抜けていくのが分かる。見たところまだ顔色は悪い。もしかしたら怠さを我慢しているのかもしれない。

 そう思うと今は話よりも休ませてやりたくなったが、それで有耶無耶にしてしまっては駄目だ、とノエは自分を叱咤した。


「話続けてもいい?」

「ん……」

「じゃァ次は、ほたるが気を付けなきゃいけないことを話そうか」


 前置きをして、軽く息を吸う。ほたるになるべく分かりやすい言葉を選んで、文章を作る。


「ほたるはノストノクスを頼れない。罪人の子で、その上認められてない方法で発芽させられちゃったからね。そういう子にあそこは優しくない。でもだからと言ってクラトスみたいなのの仲間になるのは絶対駄目。そうすると今度はアイリスに目をつけられる」

「アイリスって……」

「俺の親。あとスヴァインもね」

「……エルシーさんは、生きてるかどうかも分からないって」

「生きてるよ、間違いなく。誰も知らないけど」


 ノエが答えれば、ほたるの眉根がきゅっと寄った。悲しげに見えるのは、自分が周囲の者全てを騙していると理解したからだろうか――こちらを思って心を痛めてくれているのかと思うと、そんな必要はないと安心させてやりたくなる。触れて、大丈夫だと言い聞かせたくなる。


 けれどそれは今ではない。そして、今後もすることはない。してはいけない。


 ノエは気を取り直すようにすうと大きく息を吸うと、それまでの表情を保って言葉を続けた。


「アイリスは仲間割れを嫌う。だからその火種となる血族は生かさない。ノストノクスが秩序を司るなら、あそこと反対意見を持つ奴は火種と見做される。だからほたるはそういう吸血鬼とは絶対に関わっちゃいけない」

「……関わったら、アイリスが私を殺しに来るの?」


 そう問うてきたほたるの目は、それは違うと理解していると分かるものだった。けれどその問いを口にしたのは、肯定されることを望んでいるからだろう。

 だがそうと分かっても、ノエにはその望みを叶えてやることはできなかった。


「俺が行くよ、ほたるを殺しに」


 ノエがはっきりと告げれば、ほたるの顔がくしゃりと歪んだ。

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