第8話(ロイド視点)
※ロイド視点
翌朝、何故か俺より先に起きていたアリシアに揺すり起こされた。霞のかかった頭で朝日に透ける薄桃色が綺麗だと思っていると、早朝だというのにアリシアは嬉しそうに弾んだ声で言った。
「聞いてロイド!私も浄化魔法が使えるようになったの!」
「なに…?」
アリシアの言葉に一気に脳が覚醒する。高度な技術を必要とするあの魔法をたった数時間でものにしたというのか。
俺の疑念を他所に、アリシアは近くで採れた木の実に手を翳して魔法を使う。すると昨日エルフがやって見せた通りに、木の実から瘴気が消えた。
「本当に出来てるな…」
「ね、すごいでしょ?結構魔力を消費するけど、これがあれば森の外に出て食糧を買わなくても済むんじゃない?」
「それはそうだが…。もしかして、寝ずに練習してたのか?」
「ちょっとは寝たわよ?でもなんだか目が冴えちゃって…浄化魔法が使えたら、ロイドの役に立てると思ったから」
まさか、そんな事のために寝る間も惜しんで浄化魔法を練習していたとは思わなかった。俺のためにアリシアが何かをしてくれることが、俺を堪らない気持ちにさせる。
「…アリシア」
「えっ」
「お前は、本当に家に帰らなくていいのか?」
無意識のうちに名前で呼んでいたことに後から気付いた。アリシアも驚いた顔をしていたが、やがていつもの柔らかな笑顔を見せて言った。
「王族と結婚して国のために尽くすことが私の役割だと思って生きてきた。でも、ロイドに出会って別の生き方もあるってわかったの。私はこれから先の人生を貴方と共に歩んでいきたいと思っているわ」
真っ直ぐに蜂蜜の瞳が俺を見る。
本当は俺も同じ気持ちだと言ってしまいたい。でも、アリシアにここまで言われてもまだ俺はその言葉を信じられないでいる。だってそうだろ。アリシアに俺はどうしたって不釣り合いだ。俺は親が見捨てるほど醜くて、他人がやらないような汚れ仕事くらいしかあり付けない。そんな奴と番になりたいなんて誰が思うんだ。
もしも生まれ変われるならこんな外見じゃない別の奴になりたい。そしたらきっとアリシアの言葉もすんなり受け入れられるはずだ。本当は、俺が一番俺の外見が嫌いだから。
「ねぇロイド…そんな顔しないで。貴方が私の言うことが信じられないなら、それは仕方がないことよ。だから…」
その後に続く言葉を想像して奥歯を噛み締める。諦めて家に帰る…もしアリシアがそう言うなら俺は止められない。ここにいたって俺は彼女を幸せには出来ないだろう。家に帰って、あの王子と結婚すれば何も失わずに幸せになれるはずだ。この世界のどこかで彼女が幸せでいてくれるなら、この先の人生を一人で生きていくことになってもきっと耐えられる。そう決意して俯きながら彼女の言葉を待つ。
「だから…信じてもらえるように努力をするわ。きっと貴方を振り向かせてみせる。だって私は、貴方を幸せにするって決めたもの」
「なんで…」
「貴方の事が好きだからよ。やっと出会えた大切な人だもの」
きっと今の俺は情け無い顔をしているだろう。普通の人間だったら目を覆いたくなるような表情のはずだ。それでもアリシアは俺の手を白くて柔らかい両手で握って、優しく微笑んでくれる。
「アリシア…」
握られていない方の右手が僅かに動く。引き寄せられるように彼女の頬に指先が触れようとしたその時だった。
何かの気配を察知して、俺は外に意識を向ける。
「ロイド?」
「何か来る。アリシアはここにいろ」
俺を引き止めようとする彼女の声を無視して外へ出る。家の周りに厚い保護魔法をかけ、そのまま気配のする方へ走った。なんだこの異様な気配…魔法?だがこんな魔法は知らない。しかもかなりの数がこちらに向かって来ているな。
しばらく走ると、気配の正体に行き当たった。森の中を見た事のない馬の形をした鉄の塊に乗った集団が隊列を組んで走っている。乗っているのはラゴール国の騎士達…そして、アリシアの婚約者であるリヒュート王子だった。
「久しいな化け物。アリシアはどこだ」
「王子様自らこんなところにやってくるなんざ驚きだな。瘴気に耐えられているのはその鉄の馬にかかってる魔法のおかげか?」
「そうだ。この魔法具は内蔵されている魔石を動力源とし、この森の瘴気を弾いている。そして、乗っている者に魔力を補充する役割もある」
そう言うや否や王子は俺に向けて氷の矢を放った。咄嗟に避けたが、威力は俺の魔法と変わらない。あの何も出来なかった王子が複合魔法を使えるとは…どういうことだ?
「驚いたか?この二日間アリシアを救う準備を進めながら、俺は魔法について学んだ。そして、魔法を保存できる魔道具がある事を知った。見ろこのスクロールを。この紙にあらかじめ魔法を保存しておけば、少ない魔力で上級魔法も使える」
「なるほどな…準備万端ってことだ」
「その通り。あの者を捕えろ!我が婚約者アリシアの居場所を吐かせるのだ!」
ここが森の中で助かった。視界の悪いこの場所ならそう簡単に攻撃は当たらない。相手は次々に魔法を打ち込んでくるが、俺は隠れながらその攻撃を全て避けた。こちらから攻撃はせず、ただ逃げ続ける。
「…持久戦に持ち込んでこちらの魔力を削ろうとしても無駄だ!魔力なら魔石に十分な量が蓄えられている。大人しく捕まった方が身のためだぞ」
「随分見違えたじゃねェか王子様。そんなにあの女が大事なのか?」
「ああ。アリシアのためなら俺はなんだってするさ」
澄んだ黄緑色の瞳が憎悪と決意を含んで俺に向けられる。好いた女のために立ち塞がるその姿は憎らしいほど様になっていて、アイツと俺との圧倒的な差を見せつけられたような気分だった。いや、実際そうだ。俺はアリシアを攫って監禁した醜い化け物で、アイツは化け物を倒してアリシアを救い出そうとする完璧な王子様。今のアイツの姿を見ればきっとアリシアも気が変わるだろう。このまま身を引いてアリシアを引き渡すべきだ。結局俺には彼女を幸せにすることなんか…。
木の影に隠れながら王子と話していたが、ごちゃごちゃと考え事をしていたせいで木の後ろに回り込んでいた騎士の気配に気付けなかった。
「終わりだ!化け物め!」
「ぐっ…!」
死角から突然放たれた雷に咄嗟に保護魔法を使うも間に合わず、大きな衝撃音を立てて木から落下する。体に入ったダメージは予想よりも大きく、すぐに治癒魔法を使うがその隙に周囲を囲まれ、無数の掌が俺に向けられていた。
「アリシアはどこだ。言え」
「……」
「喋らないか。お前達、この者を捕らえよ!」
王子の命令を聞いて数名の騎士達が直様俺を捕まえようと近づいてくる。逃げようと思えば逃げられる…だが、今更逃げてどうする?アリシアを引き渡した所で俺の罪が軽くなるわけじゃない。お尋ね者になって森で暮らすこともままならなくなれば、いよいよ生きられる場所がない。脳裏にアリシアの笑顔が浮かぶ。
…これでいい。化け物にはお似合いの最後だ。
「待って!」
俺が諦めと共に瞼を閉じた瞬間、聞き慣れた声が聞こえてきて慌てて目を見開いた。すると、声がした方向…俺の背後に集まっていた騎士が徐々に身を引いていき、そこからアリシアの姿が現れた。彼女はそのまま真っ直ぐに俺の元へと歩いてくる。
「危険ですアリシア様。お下がりください」
「大丈夫です」
「アリシア!無事で良かった…だが、その者に近付いてはいけない。すぐに離れるんだ」
「…リヒュート殿下」
騎士や王子が必死に俺に近づこうとするアリシアを止めるが、彼女は全く意に介した様子もなくそのまま俺の真横で足を止めた。彼女の視線は今、王子に向けられている。
「助けに来て頂き感謝致します」
「感謝など…そなたを守るのは当然だ。さぁ、早く城に帰ろう」
「…それは、出来ません」
「な…なぜだ?」
「私はもう国には戻りません。何故なら、ここにいる獣人のロイドと共にここで生きる事を決めたからです」
「は……?」
一瞬の間を置いて、その場が一気に騒めきだす。王子も動揺を隠しきれないままアリシアを見つめているが、俺も驚いていた。まさか本当に国の連中に宣言してしまうとは。とんでもない話をしているというのに、アリシアは全く呼吸も乱さず静かに王子を見据えていて、俺はその迫力に声を出す事も出来ずにいた。
「おかしな冗談はよせアリシア…それとも、その獣人に脅されてそんなことを言っているのか?」
「いいえ。これは私の意思です。それにこの二日間、彼は私に無礼を働いた事はありません。彼の本質は、とても強くて優しい。私はそんな彼に惹かれたのです。婚約破棄の賠償金とロイドが壊した城の修繕費は何年かかっても必ずお返しいたします。私に対するどんな罵倒でも受け入れる覚悟です」
「何を、言って…目を覚ませアリシア!そやつに何か、魔法で洗脳でもされているのだろう?」
「殿下…私は偽りのない本心をお伝えしています。そんな魔法はかけられておりません」
傷付いた様子の王子にも毅然とした態度を崩さないアリシア。落ち着かない気持ちでそれを見守っていると、不意にアリシアが俺の方を向いて…慈愛の含んだ眼差しで笑った。ぶわりと尻尾が膨らみ、顔に熱が集まるのが分かる。くそ、こんな場面でなんて顔しやがる。
「うそだ…」
「殿下?」
「そなたがそんな事を言うはずがない…俺にはわかる。やはり、その醜い獣人に操られているのだろう?」
「いえ、私は…」
「騎士達よ、今すぐアリシアを安全な場所に避難させよ。そして、その愚かな獣人を捕らえ、アリシアにかけられた魔法を解かせるのだ!」
「殿下…!?」
アリシアは王子に同じ説明をしようとするが今度は聞き入れられる様子はなく、王子の命令で騎士がぞろぞろと動きだした。そして、騎士の一人がアリシアに触れようとしたその時、俺は自分の体がカッと熱くなるのが分かった。激しい怒りが込み上げてきて、咄嗟にアリシアを抱えて騎士どものいない場所へと飛んだ。
「くっ…浮遊魔法か」
「使ってねェーよ。獣人の身体能力ならこのくらい余裕だ」
騎士の一人が悔しげに漏らした言葉に吐き捨てるように返す。魔法の力も身体能力も、ここにいる誰よりも負けない自信がある。アリシアはここの連中の前で俺と共にいると宣言してくれた…それなら、その決意に報いる行いをしなきゃならない。もう後には引けねェんだ。
「おのれ…アリシアにかけた魔法を解け!」
「なんもしてねェって…つっても、聞く耳持たねェか」
さっきから騎士は統制の取れていない動きで俺を追いかけてくる。俺がそうなるように動いているのもあるが、指揮を執っている王子の混乱が騎士に伝わっているせいもあるだろう。こんな状態で捕まるわけがない。さっさと王子を落としてとんずらしたいが…アリシアが悲しむかもな。話し合いで解決も難しいとなれば、あとは王子を盾にして無理矢理話をつけるのが無難か。
逃げながらそう結論付けた俺は、守りの薄い場所を的確に狙って王子に近付いた。そしてアリシアを一旦地に下ろすと、あっさり王子の太い首に腕を回して捕まえた。
「ぐっ!離せ!」
「殿下!」
「おっと、無闇に近づくなよ?あんまりコイツに怪我させたくねェんだ。アリシアが悲しむからな」
「ロイド…」
「大丈夫だ。ちょっと下がっててくれ」
騎士どもがこちらに群がろうとするのを牽制しながら、心配そうに眉を下げるアリシアに距離を取らせる。あとは無理にでも王子にアリシアを諦めてもらうよう説得するだけだが…よし。
俺は腕の中でもがく王子を馬から降ろすとゆっくり馬から離れていく。馬から降ろした時点で王子の顔は真っ青だ。そりゃそうだよな。魔力が少ない王子はこの馬の力がなけりゃ瘴気に当てられて体が弱っちまうもんな。
「お、おい!やめろ!それ以上馬から離すな!」
「なら、俺たちを見逃してくれるか?」
「それは…おい!止まれ!」
「俺の言うことが聞けねェなら止まる気はねェな」
威勢よく吠える王子だったが、まだ手を伸ばせば届くような距離でも相当キツそうだった。あまり苦しめて、コイツのためにアリシアが悲しむ姿を見るのは嫌だ。ここらで様子を見るのがいいか。俺がその場に留まると、王子は息を切らしながらもがいていたが、やがて諦めたようにパタリと抵抗をやめた。
「ようやく諦めたか?」
俺がそう言うと、王子はボソリと小さく呟いた。普通の人間には聞こえないくらいの音量だが、俺にははっきりと「誰が」と言っているのが聞こえた。そして次の瞬間、王子が思いっきり馬の横腹を蹴り上げた。すると、馬は反射的に大きく飛び上がり蹴り上げた馬の足がこちらに向かってきた。
「ッ!!」
咄嗟に保護魔法で馬の足を弾く。しかし俺が動揺した一瞬の隙を王子は見逃さなかった。首の拘束が緩んだ瞬間を狙って、体を捻った王子が短剣を俺に向けて突き出そうとしていた。まずい…これは避けられねェ。
迫り来る衝撃を覚悟して身構えたが、次の瞬間新たに現れた保護魔法によって王子の剣が弾かれた。
「なっ、アリシア!?」
何故か後ろに下がらせたはずのアリシアが保護魔法で俺を守っていた。いつの間に…いや、今はそれどころじゃねェ。
保護魔法に弾かれたことにより、なんと王子の短剣は軌道を変えて近くにいたアリシアに向かっていた。ギリギリ保護魔法内に入れていなかったようだ。このままでは剣の切先がアリシアの胸元を貫くだろう。
俺は体勢を崩した状態から渾身の力を足に込めて大きく踏み出すと、アリシアを庇うように抱きしめた。そして。
「ロイド…?」
腰の辺りが熱を持ち痛みを訴えている。腕の中のアリシアが震える声で俺の名前を呼び、俺の脇腹から貫通している切先を見て青ざめた。痛みで足の力が抜け膝をつくと、アリシアがドレスが汚れるのも気にせずにしゃがんで俺を支えてくれる。
「ロイド!ロイドしっかりして…!」
「アリシア…」
アリシアが保護魔法で守ってくれている間になんとか腕を伸ばして腰に刺さった剣を引き抜く。その瞬間から一気に血が流れ出し、かなりまずい状況であることを察した。アリシアは震える手で必死に傷の手当てをするために治癒魔法をかけてくれるが、傷の治りは見るからに遅かった。
「どうして…なんで治らないの…」
「内臓へのダメージがでかい…ここまでやられてると治癒魔法じゃ治らないんだ」
「内臓…?剣で一突きされただけで何故そこまで内臓にダメージが…」
「この短剣…普通じゃねェ。恐らくなんらかのダメージ魔法がかかってる」
「これは……王族の短剣だわ。これで切られると斬撃がいくつも飛ぶように作られてるの…そんな…」
アリシアが剣を見て絶望したような顔を見せた。淡く色付いた綺麗な唇がわなわなと震えている。彼女が俺を心配しているのがわかって、体からどんどん力は抜けていくのに心は満たされていくような気がした。とうとう体を支えていられなくなり、その場に崩れ落ちる。アリシアが叫び声を上げながら俺を支えてくれた。
「いやっ…お願い死なないで…!」
「アリシア…」
「折角、出会えたのに…っ」
アリシアの蜂蜜の瞳から澄んだ雫が溢れてくる。俺のために誰かが泣いてくれる日が来るなんて、思いもしなかった。そんな期待なんてとっくに捨てたはずだったのに、いざ目の当たりにすると嬉しくてしょうがない。
あまり力の入らない腕をなんとか持ち上げて、その涙で濡れた頬に触れた。アリシアは俺を地面に横たえると、頬に触れる俺の手に自分の手を重ねた。あたたかい……アリシアの優しい想いが伝わってくるみてェだ。
「…最後に…お前に、出会えて良かった」
アリシアが必死に俺に何か叫ぶが、もう上手く聞こえない。傷の痛みも引き、強烈な眠気に襲われて瞼が落ちていく。ずっとクソみたいな人生だったが、最後は悪くなかった。アリシア…お前に出会って、俺の人生に光が射したんだ。お前が俺にくれたこの2日間で、色の無かった世界が一気に色付いた。食べ慣れた固くて味気ないパンがアリシアの隣で食うと美味かった。一人じゃない夜が温かかった。見慣れたはずの星空が宝石みたいに輝いていた。自分に向けられた笑顔が、夢に見るほど嬉しかった。
こんな俺を好きになってくれて、ありがとう。
暗闇に包まれて、安らかに意識が落ちていく。俺はその眠気に抗うことなく身を任せ、やがて何も感じなくなった。
…しかし、俺はまた何かに引っ張り上げられるようにして意識を浮上させた。ゆっくりと瞼を開くと、ぼんやりとした視界の中に眩い緑の光が見えた。その光の中に誰かがいる。必死な顔で俺を見つめる、その人を…どこかで見たことがある気がした。
「……母さん」
そうだ。俺の母親…あの人もこんな風に緑色の光に包まれて俺を見ていた。あの時は確か、俺がまだ魔法もろくに使えない子供で、村で起きた災害を俺のせいだと言った村の連中が、俺を殺そうと襲いかかってきたんだ。それで死にかけて、もうダメだと思った時に母親が俺に強力な魔法をかけて助けてくれたんだ。
あの魔法がどんな魔法だったのかよく知らない。だけど、確かに治癒魔法では助からないはずの大怪我が綺麗に治っていた。母さんはあの時俺に言った。
「生きて…幸せになるのよ」
いつもの優しい母の笑顔なのに、何故か涙を流しているのが気になった。だけど次に意識が戻った時、母は俺を抱きしめたまま冷たくなっていて、あの魔法のせいで…俺のせいで命を落としたのだと理解した。
その時のショックからか俺は母親の記憶を全て無くしてしまい、気が付けば一人で暗い森の中を彷徨っていた。何度も死ぬ思いをしたが、それでも自ら命を断とうとは思わなかった。何故か、それだけはやってはならないと思ったのだ。その理由がまさか俺を守るために死んだ母親の言葉のせいだとは思いもしなかった。
ずっと忘れていたのに今になって思い出すなんて。でも、そうか…俺はちゃんと母親に愛されていたんだな。
目頭が熱くなり、目元にじわりと涙が滲むと一気に意識が覚醒した。目の前で母親と同じように緑の光に包まれて微笑むアリシアの頬に、俺は手を伸ばした。
「…ロイド…もう大丈夫なの?」
「ああ。もう平気だ」
「良かった…」
安心したように笑ったアリシアが突然倒れ込んできたので慌てて抱き止める。体を起こして恐る恐る脈を確認したが、彼女はただ眠っているだけのようだった。彼女が母親のように命を落とさなかったことに安堵していると、今までアリシアの保護魔法で近付けなかった騎士や王子が、保護魔法が解除された後もその場を動けずに呆然とこちらを見ていることに気が付いた。
中でも王子はかなり動揺しているようで、乗っている馬から転げ落ちそうになるのを、隣の騎士に支えられている状態だった。俺はアリシアを抱き上げると、王子と向き合う。俺の傷は完全に癒えたのか、痛みは全く感じなかった。
「な、何故その魔法を、アリシアが…」
「さっきの魔法がなんなのか知ってるのか?」
「ああ…あの魔法は、奇跡の魔法だ。誰にでも使えるが、使える条件がかなり限定されている…。発動すればあらゆる敵から身を守り、どんな傷も病も癒すが…自身に使うことは出来ず、心から愛した者にしかその魔法は発動しない。そして意識して使うことは難しく、愛した者が死に瀕した時に稀に発動することがある…だから奇跡の魔法と呼ばれている」
王子の言葉を聞いて思わず腕の中で眠るアリシアを見る。アリシアの気持ちが嘘ではないことは分かっているつもりだったが、それでも信じるのが怖かった。彼女を信じて裏切られた時、きっともう立ち直ることが出来ないから。だがこれではっきりした。アリシアは…ちゃんと俺を愛してくれている。その想いを疑うことはもうしない。
「…さっき、彼女が魔法を使う時に足元に複雑な紋が浮き上がっていた。あの特徴的な紋は奇跡の魔法で間違いない…。アリシアは、本当にお前を…」
「魔法の代償は大きいのか?アリシアはいつ目覚める?」
「…魔力はかなり削られる。使い続ければ死に至るが、彼女なら…1日あれば目を覚ますだろう」
「そうか」
それだけ聞くと俺はアリシアを抱えたまま王子の横を素通りして森を目指す。誰も俺たちの後を追ってくる様子はない。
「待ってくれ」
呼び止められて後ろを振り向く。王子がなんとも言えない表情でこちらを見ていた。
「俺は…何が足りなかったんだ?お前と俺の違いはなんだ?」
「…お前、ここに来る前に少しは魔法の勉強をしたんだろ?」
「ああ…」
「なら、アリシアがここまで魔法を使えるようになるまでにどれだけ努力したのか分かるはずだ」
「そう、だな…」
王子が悔しげに手綱を握りしめる。本当はすぐにでも家に帰って彼女を休ませてやりたかったが、もうコイツと話すこともないかもしれないし、言いたいこと全部言っちまうか。
「アリシアの本当にすげェところは見た目じゃねェ。自分のためにも、他人のためにも努力して必ず目的を成し遂げちまうところだ。ちょっと頑固で怖いもの知らずなところもあるが、それ以上に他人の気持ちに寄り添える優しい心がある。こんな俺にも笑いかけてくれた…誰にでもできることじゃねェんだ」
「……俺は…彼女の本質に気付くのが遅かったというわけか」
しばらくすると、王子は騎士どもに向けて撤退の合図を出した。騎士の中には納得いかない奴もいたみたいだが、王子は首を横に振った。
「これ以上アリシアに干渉はしない。彼女に嫌われる前に撤退する。……アリシアを頼んだぞ。ロイド」
「ああ」
王子は自嘲気味に笑ったあとに一度頷くと、そのまま騎士を全員連れてラゴールに引き返していった。
その様子を確認すると、俺も森へと足を進める。腕の中があたたかい。その事実に思わず頬が緩んだ。
「帰ろう。俺たちの家に」