第7話(ロイド視点)
※ロイド視点
家にかけてきた保護魔法が何者かの干渉を受けていることに気がついた俺は、まだ途中だった仕事を急いで終わらせてイリスに報告した。
イリスは仕事の早さに驚いていたが、今はそれどころじゃない。俺はすぐ様空を飛んで家に戻った。結局保護魔法に干渉したのはアリシアだったし、怪我も大した事はなかったようだが、アリシアが怪我をしたと聞いた途端自分でも驚くほど余裕がなくなった。どうして俺は彼女の事になるとこうも冷静でいられなくなるのか。自分の事なのに理解できないでいた。
けれど、アリシアが俺の獣の耳や尻尾を見て楽しそうに笑う姿を見て、なんとなく納得した。俺の姿を見て嘲笑う人間は沢山見てきたが、アリシアの笑顔には俺を貶すようなところはどこにも見当たらない。純粋に俺の反応を見て楽しくて笑っているのだと感じた。その笑顔は城で王子に向けていたものとは違い、年相応の屈託のない笑顔で…その、可愛いと思った。
アリシアが俺を見て笑う姿に、胸の辺りが締め付けられ、今まで知らなかった感情が湧き上がってくるのを感じた。きっと、俺はアリシアが好きなんだ。彼女を番にしたいと、獣人の本能が告げていたから衝動的に攫ってきてしまったんだろう。
でも、誰からも好かれる彼女と嫌われ者の俺とでは天と地ほどの差がある。この想いを遂げるには、アリシアに全てを諦めて俺のそばに居てもらうしかない。だからこの想いは叶うことはないだろう。そんな事、彼女が望むわけがないのだから。
もうこれ以上アリシアをここに縛りつけるのはやめだ。攫ってきた事は謝って、明日家まで送り届けよう。だから、タイムリミットが来る少しの間だけは彼女と過ごす事を許してほしい。アリシアと別れたらきっともう二度と、あんな風に俺に笑いかけてくれる奴は現れないだろうから。
しかしその日の晩、アリシアは俺に向かってとんでもないことを言ってきた。
「貴方は心の強い人よ、ロイド」
アリシアの澄んだ声が鼓膜を揺らす。誰かにそんな風に褒められたことなんかない。醜いのだから居場所がないのは当たり前で、親から愛されないのも、知らない奴に殺されそうになるのも全部受け入れるしかなかった。なのにどうして、お前は俺を真っ直ぐに見てくれるんだ。世界を呪いたくなるほど惨めな毎日でも、必死に耐えてここまで生きてきて、今更自分に笑いかけてくれる存在なんて求めないと決めていたのに。そんな風に優しくされたら、縋りたくなっちまう。
またあの胸の苦しさに襲われて上手く言葉が出てこない。どうせお前は家に帰るのに、なんでそんな引き止めたくなるようなことばかり言うんだ。頼むからもう何も言わないでくれ。
俺がなんとか言葉を発しようと拳を強く握った時、こちらを向いたアリシアが柔らかく微笑んで先に口を開いた。
「だからロイド。もし貴方が許してくれるなら…これからも貴方のそばにいてもいい?」
「は…」
「私、貴方のことが好き。ロイド」
何を言われたのか理解出来なかった。アリシアが、俺の事を?
間近で見るアリシアの頬は焚き火のせいか薄く桃色に染まっていて、蜂蜜のような瞳もとろりと潤んでいた。この顔に見つめられるとどうにも思考が上手く働かなくなる。だから会話の時はあまり凝視しないようにしていたのに、今回は思わずじっと見つめてしまった。見れば見るほど美しくて、体がふわふわとどこかに飛んでいきそうな気持ちになる。
「ロイド?」
アリシアが反応のない俺に声を掛ける。その声にハッとして俺はアリシアから視線を逸らすことができた。冷静になれ。アリシアが俺なんかを好きになるはずがないだろう。でも、家に帰すと言ったばかりのタイミングで、俺に取り入る理由はない。なら、あと思いつくものは一つしかないだろう。
「…無理にそんな事言わなくていい。同情で人生を棒に振る気か?」
「え?」
「俺がどこで生きようが死のうが、お前が気にすることじゃない。それに、同情なんかで俺に付いてきたら絶対に後悔するぞ」
思ったよりも冷めた声が出て自分でも驚いた。だが今更引っ込められない。これでアリシアの目を覚まさせられるならそれでいい。ところが、顔を逸らしていた俺に横からずいっとアリシアが顔を近づけてきた。
「好きな人の心に寄り添いたいと思って何が悪いの?貴方こそ私に負けず劣らずの暗い性格ね!」
「なっ、お前な!人の気も知らねェで…」
「なら、教えてよロイドの気持ち」
「は…」
「貴方は私のことどう思ってるの?」
雑味のない澄んだ大きな瞳に俺の醜い姿が映る。白くて柔らかそうな肌は自分のものとはまるで違っていて、思わず手が伸びそうになるけれど、寸でのところでそれを自制する。どうしてアリシアはこんなに俺に構うんだ…もしかして俺の反応を面白がって揶揄っているのか?
疑心からそんな考えが浮かんだが、すぐにその考えを打ち消した。アリシアはそんな事をするやつじゃない。こんな俺を嘲笑ったりせず、普通の人間みたいに接してくれた初めての存在だ。だからこそ俺は…。
「俺は…」
促されるままに言葉を発しそうになった瞬間、ハッとして立ち上がるとアリシアを背に庇うようにして立つ。いつでも魔法を発動出来るように構える俺を見て、アリシアは「どうしたの?」と焦っているが、俺の耳は森の影に隠れている生き物の動きに集中していた。
「隠れても無駄だ。出てこい」
暗闇に向けて静かに呼びかけると、程なくしてゆっくりと影が近づいてきた。そいつは警戒した様子で近付いてくると、焚き火の灯りに照らされて姿を現した。
「エルフか…」
両腕で何かを抱えたエルフの子供が、こちらを凝視している。背中の弓矢に手をかける様子はないが、エルフは獣人よりも魔法の腕が長けている。子供だと油断して命を落とす奴らを沢山見てきた。俺一人なら全く問題ないだろうが、今は後ろにアリシアがいる。守りながら戦うには少し骨が折れるかもしれない。
「ここへ何しに来た。それ以上近づくなら容赦しねェぞ」
「待ってロイド」
俺がエルフに腕を構えると、後ろからアリシアに止められた。驚いて振り返ると、なんと彼女は「私、あの子を知ってるわ」と言ってゆっくりエルフに近づいていく。止めようとしても笑いながら「大丈夫」と言われてしまい、仕方なくアリシアの隣にぴったり着いていつでも守れるような体制をとった。
「あの時の子よね?どうしたの?」
「……これ」
アリシアが話しかけると、先程まで険しい顔で俺を警戒していた様子のエルフの子供が表情を緩めて彼女に何かを渡そうとしていた。俺が隣から覗き込んでみると、それは果物や山菜やキノコが入った大きなカゴで、どれも新鮮そうだった。しかしここは瘴気に満ちた森だ。この土地で育ったものは瘴気を吸っていて食べることが出来ない。食べれば瘴気に当てられて体調を崩すか、摂取量が多ければ死に至る。
だが、エルフは極端に人間を避けていてほとんどが森の中で暮らしている。当然食糧も自力で得ているはずだが、こんな場所でどうやって安全な食糧を手に入れているのかはずっと疑問だった。現にこのカゴに入っているものは全て食べても問題がなさそうだ。
「これ…まさか私に?」
「うん」
「本当にもらってもいいの?こんなに沢山…申し訳ないわ」
「いい。助けてくれたから…」
何の話だ?という顔でアリシアを見ると、少し焦ったように笑いながら「あとで説明するわ」と言った。そして、エルフから受け取ったカゴから林檎を手に取ってまじまじと観察すると「ロイド…この食べ物見て。瘴気を全く感じないわ」と興味深そうに言う。それは俺も気になっていた事だった。
「貴方この食べ物はどうやって手に入れたの?人間以外の種族の商人から買ったのかしら?」
「食べ物はこの森で採ってきた。魔法で瘴気を祓えば食べられるようになる」
「え!?瘴気って祓えるの!?」
コクン、とエルフが頷く。瘴気を祓う魔法…確かに噂程度に聞いたことはあるが、本当に存在していたのか。エルフは魔法の繊細なコントロールが上手い。恐らくその高い技術力で魔法を駆使して人間と関わらずに生活してきたのだろう。
「…ちょっと見てて」
エルフが近くの木の根元に生えていたキノコを採ってくると、そのキノコに向けて手を翳して魔法を発動する。すると見る間にキノコの中の瘴気が空気に霧散していくのが分かった。魔法の気配から光魔法を基礎にしているのは感じ取れたが、かなり複雑な魔法のはずだ。魔力が高いだけでは使いこなせないだろう。
「すごい…こんな魔法があるなんて今まで知らなかった。あの、もし良かったらその魔法の使い方を教えてくれないかしら?代わりに私が出来ることならなんでもするわ」
「おい、何言ってんだ。エルフがそう簡単に貴重な情報を教えるわけ…」
「いいよ」
「ほんとに!?」
アリシアの念押しにエルフはまた静かに頷く。まじか…。
エルフの警戒心の高さは人間の間でも有名なはずだ。それがこんなにも打ち解けているなんて…アリシアはこいつに何をしたんだ?
「この魔法はちょっと難しいけど、コツが掴めれば簡単だよ」
「ありがとう。お礼に何をすればいいかしら?」
「お礼はいらない。本当は食べ物だけじゃ助けてもらったお礼には足りないと思ってたから」
「そんな…でも、この魔法って貴方たちにとっては大切なものでしょう?見返りもなしに教わるのは気が引けるわ」
「じゃあ……君の名前を教えて?」
「名前?」
少し迷ったような顔をした後、エルフが言う。恥ずかしそうに頬を染める様は見るに耐えないが、その様子を見て合点がいった。こいつ、そういうことか。
「アリシアよ」
「アリシア…素敵な名前」
「ありがとう。貴方の名前は?」
「ユーク」
ユークと名乗ったエルフの子供は、その後アリシアに瘴気の浄化魔法のやり方を教えると、満足した様子で森に帰っていった。最後に余計な一言を残して。
「人間に優しくしてもらったのも、笑いかけてもらったのも君が初めてだった…ありがとう。君は特別な人だ、アリシア」
後からアリシアが怪我をしていたユークを治癒魔法で助けた事を知った。俺の保護魔法が干渉を受けていたのは、保護魔法越しにユークの傷を癒したからだと説明された時は驚いた。そんな突拍子もないやり方がよく思い付くなと言ったら、人間はそうやって治療する事もあるのだと言っていたからまだまだ俺の知らない魔法が世の中にはあるのだと思った。
だが、その魔法は誰から教わったわけではなく、一度見ただけだと言うのだからやっぱりアリシアは規格外だ。